第三十話 二十二年の調査結果
全国怪談蒐集旅製作委員会。
路地裏にあるボロアパートの一室に、そう書かれた表札が掛かっている。
もし表札が無かったら、とても気が付かなかっただろう。
表通りから脇道を数本通った日陰の場所で、車も入れそうにない。
全国怪談蒐集旅は先日部長と一緒に見たばかりだが、あれだけ本数が出ていたものだからもっと儲かっているものだと思っていた。
「疑う訳じゃないけど、ほんとにここ?」
「しっかり疑ってますよそれ。 メールで白石明監督に直接確認してるんであってます」
いまいち気乗りしない様子の小野寺さんに、湊が白石さんとのメールを証拠として突き付けている。
ホラー映画の監督に会うと言われてこんな場所に着いたのだから疑う気持ちはわかる。
あまり期待できない雰囲気の中、俺たちは製作委員会の扉を叩いた。
「はい」
扉の向こうから覇気の無い男の声がする。
「水無瀬学院の湊です、ビデオの件で伺いました」
「どうぞ」
扉が開き、やせ細った中年男性が現れると共に中が露になる。
雑誌や新聞、ブログの記事を印刷した紙、ビデオテープなどで中は散乱しており、中央のテーブルを除いて足の踏み場が無い。
ただ不思議な事に、これだけ散らかっているにも関わらず悪臭は何もしなかった。
入り口横にある流し台も綺麗なもので汚れひとつない。
「僕は白石明。 そちらが小野寺君だね、噂には聞いてるよ」
「初めまして小野寺宗介です。 全国怪談蒐集旅、全て拝見しました。 怪談の独自解釈、素晴らしいと思います」
二人はにこやかに握手を交わしている。
ホラー映画監督に知られているとは、流石は水無瀬学院心霊研究部だ。
「そちらは稲垣君だね、オカルト研究部も関わってくれるとはありがたい」
「初めまして稲垣渉です、オカルト研究部をご存じとは驚きました」
オカルト研究部も知っているとは、こちらも流石はホラー映画監督と言える。
白石さんと握手を交わす。
その手には力と熱が無く、まるで作り物のようだった。
「そして、そちらが連絡をくれた湊さんだね」
「はい、本日はお招きいただきありがとうございます」
湊が全力の営業スマイルで握手を交わした。
営業スマイルを浮かべたという事は、白石さんを有力な情報源として認めたという事だろう。
この笑顔の裏にある真意を知っているだけに、見た目通りの可愛らしい笑顔とは受け取れない。
白石さんに促されるまま床に座ると、目の前にコーヒーが出された。
コーヒーサーバーに入れられていたものだが香りが良く、普段コーヒーを飲まない俺でも良い物である事がわかる。
真っ白なカップもほんのりと暖められており、ここからもコーヒーに対するこだわりが伝わって来た。
お礼を言ってそれを頂き、一息ついた所で白石さんが一冊のノートを取り出す。
見るからに古いその大学ノートは、所々汚れていたり破れたりしている。
表題は『呪いのビデオ、水無瀬北東部、捨てられた社』と書かれており、インクが一部掠れていた。
「本題なんだが僕の調べた限りでは、この社が突然現れる呪いのビデオ、というのは水無瀬市内で度々発見されていてね。 二十年近く前から目撃証言が挙げられているんだ」
白石さんがページをめくる。
そこには『水無瀬市内Aさん、ホームビデオが変化する』と注意書きされた写真が貼られており、ビデオテープ本体と、テレビ画面にあの社が映った瞬間が写されている。
写真の日付は今から二十二年前。
白石さんの言う通り、この呪いのビデオはかなり歴史あるものの様だ。
「これがこの呪いのビデオと初めて出会った時だ。 当時は広くこういった話を集めててね、ファンだったAさんがメールをくれたんだ」
「Aさんはどうなったんですか?」
写真から何かを感じ取ったのか、小野寺さんが真剣な顔でそう開いた。
「居なくなった、行方不明だ。 警察沙汰になったんだがダメでね、残ったのはこのテープだけだった」
そう答え、白石さんは後ろのビデオテープの山から一本を取り出す。
ラベルのはがされたそのテープはいかにも古く、ケースの所々に傷が見える。
テープから嫌な気配は感じないが、この二人には何か感じるものがあるかもしれない、
そう思って隣を見たが、二人は何ともない顔をしていた。
「その時からずっと調査を?」
「ああ、映画を撮りながらだがなぜか気になってね、気が付けば映画よりのめり込んでしまった」
白石さんは淡々とそう語るが顔に後悔の色は見えない。
やせ細り筋の浮いた顔で笑顔を浮かべ、窪んだ両目には尋常ではない執念が見てとれる。
何かに憑りつかれたものの表情だ。
それが霊的なものにせよ違うにせよ、この目をしている人間はみんなそうだ。
二人もそれに気づいたのか、先程より顔をこわばらせていた。
「僕はこの呪いの元凶を断とうと考えています」
「無理だ、人間一人でどうこうなるもんじゃない。 この問題にあたった霊能者は全員連れていかれてしまった」
決意を語る小野寺さんを遮るように、白石さんは語気を強める。
それは小野寺さんを心配してというよりも、この呪いを見くびっている事に対する怒りのように見えた。
白石さんの言う事が本当であれば、その全てがうまくいかずこうなってしまうのも理解はできる。
「具体的にはどのような形で?」
「みんな決まって同じだ、ある日連絡が取れなくなり、姿を消す。 場所の霊視を試みた者も映像から遠隔の除霊を試みた者も全て、いずれは消えてしまう」
「では、場所はわかってないんですね?」
「ああ、社まわりの植生や聞こえる鳥の声、テープが発見されるのが水無瀬市内に限定される事から、恐らく水無瀬北東部だろうという事だけだ。 二十二年をかけて場所すらわからないんだよ」
白石さんは、微かに笑みを浮かべている。
映画を捨て、二十二年をかけても場所すらわからない。
普通の人間だったら絶望を覚えそうなそんな事実を、この人は薄ら笑いを浮かべて話している。
「他にわかった事はありますか?」
「ああ、先程も言ったがテープが見つかるのは水無瀬市内のみ、それも全て元々の映像に上書きされる形で突然現れる。 元の映像や発見者に共通点は無い」
「となると完全にランダムなんですね?」
「ああ、今まで見つかった十二本、水無瀬市内という事以外共通点は無い」
それが事実なら、手がかりは限りなく少ないと言えるだろう。
植生や鳥の声まで調査済みとなると、もう通常の手段では辿り着く方法が思いつかない。
湊が調べた掲示板でも呪いの事は知っていても場所は知らない人間しかおらず、有力な情報は得られていない。
北東部で聞き込み調査をするにしても、この映像だけでは望み薄だ。
「魔素的な調査はされましたか?」
「魔素? あんな霊能力の偽物みたいな物は信用できない、霊能力者に解決できないものがわかるわけないだろう!」
白石さんは拳を握り、苛立った様子で言い放った。
霊能力信者に多い魔素の否定。
この人も例外では無かったという事か。
オカルト研究部を知っていたのも、そちらの理由からかもしれない。
「わかりました、ではこちらからも情報を一つ」
「なんだい、もう何かわかった事があると?」
「はい、声に関してです」
声。
小野寺さんがミュートにした、あの、社に人を呼び寄せる声。
これに関しての話は全く聞かされていない。
「声、社に呼ぶ声か、何がわかったんだい?」
「あの声は貴方の声でした」
場が凍り付く。
小野寺さんの一言でこの場の全員が凍り付き、驚いたように目を見開いた。
白石さんのカップを持った手は微動だにせず、その狂気を孕んだ双眸が小野寺さんをじっと睨みつけている。
「何をバカな、そんな事がある訳……」
「社に憑りつかれたのは貴方だ、この呪いのビデオに出会ってからの二十二年間、貴方は水無瀬を出ていない。 そして、呪いのビデオの初めての被害者はAさん。 違いますか?」
真剣な顔をしながらも平然とそう続ける小野寺さんに対し、白石さんは考え込んだ様子で目を左右に泳がせている。
「それは……そうだが、あくまで初めてテープを見つけたのがその時だっただけで探せばそれより前にも……」
「僕の見立てでは、この社は存在せず、この社に呪いの力はありません」
「じゃあなんで! 社を見た人間が全員姿を消して……」
「貴方が呪いのビデオを望んだからでしょう?」
声を張り上げていた白石さんが黙る。
小野寺さんはそれを見て、コーヒーを一口、口へ運んだ。




