第二十七話 シェアハウス生活の終わり
ここは忘れもしない、部長が浄化を行ったあの塾だ。
浄化のおかげで霊的な影響はなくなったものの、人の流す噂の力には勝てず塾は廃業。
影響は塾のみに留まらず、ビルそのものが呪われたビルとして扱われる事となった。
その結果がこの惨状だ。
「へぇ、あの瞬間じゃなくてその後の場面が出てくるんだ」
目の前にはいつの間にか部長が立っていて、周囲を興味深そうに見回っている。
部屋にはゴミが散らばり、壁には落書きがされ、窓ガラスも数枚割れている状態。
あの時はひとりで見に来ていた為、部長がこれを見るのは今回が初めての筈だ。
ここにきて、ふと冷静になる。
俺はどうやってここに来たんだろう。
部長と一緒という事は調査か何かでやって来て、何かしらの影響で記憶の一部を失ったとも考えられるが。
「寝る前に話した意識の共有の結果だよ、今は理解できなくても大丈夫。 そういうものだから安心して」
「え……何を、言って……」
「それより、ここで何があったんだい?」
部長に言われ、ここで何があったのかを思い出す。
そう、ここは、部長のあの姿が初めてフラッシュバックした場所だ。
わざわざこんな所に来たのだからよほど重要な用があったに違いない。
でなければ、こんな所にわざわざ来る筈がない。
「ここは……部長のあの姿を思い出して……あれ、それは理由じゃないな……俺は……なんで……」
「ありがとう、もう理由は分かったよ。 君は私に連れられてここに来たんだ、もう調査は終わったから帰ろうか」
そうか、知らない間に調査は終わっていたのか。
何の記憶も無いのは問題だが、こうして無事帰れるなら良いだろう。
部屋を出る部長を追いかけて俺も部屋を出る。
次に見えてきたのは、学生寮のベッド。
傍の机に置かれたノートPCからここが自分の部屋だという事がわかる。
どう帰って来たか思い出せないが、今日はここで寝る事になっていた筈だ。
ベッドを見た瞬間、体に強烈な疲れが襲ってくる。
いつの間にか都合良くパジャマに着替えているし、ここはもうあれこれ考えず寝てしまおう。
新品のシーツの張られたベッドに寝転んで、ふかふかの掛け布団を体に掛ける。
思った通り、すぐに睡魔は襲い掛かって来て、何を考えているのかがわからなくなってきた。
「そのまま寝ると良いよ。 寝ている間に君のトラウマも弱まるから」
部長の声が聞こえ、背中には人の温もりを感じる。
そうだ、今日は部長と寝る事になったんだ。
なぜ今になって思い出したのかはわからないが、そんな事はお構いなしに、意識が闇の中に溶けていく。
次に目を開くと、カーテンの隙間から日の光が差していた。
そして。
「おはよう。 でも、もう少し寝てても良いんじゃないかなぁ」
俺の背後から人を抱き枕のように抱える部長。
昨日、寝る間際にこんなシチュエーションになったのは覚えているが、改めて状況を確認するとかなり恥ずかしい状況だ。
ただ、そんな状況とは裏腹に、ここ数年感じた事が無いレベルで良く寝れた気がする。
「おはようございます」
とりあえず、挨拶は返した。
昨日は部長がベッドに入って来てからすぐに意識がもうろうとし、ろくに意識できなかったから問題なかったのだが、こうして意識のはっきりした中で部長に抱き着かれているのはなかなかにまずい。
背中から伝わってくる部長の熱と甘い香り。
自然に鼓動が早くなり、今まで感じた事の無い謎の焦燥感に襲われる。
「あんまりちょっかいを掛け過ぎても困っちゃうか。 とりあえず、君が寝ている間に魔素の同調とトラウマのケアはしたから安心して良いよ」
部長はそう言って俺から離れ、背後の気配が無くなった。
どうやらベッドから降りたらしい。
それを確認してから寝返りをうつと、部長はそんな俺の顔を見降ろしながらベッドの脇に立っていた。
「それは嬉しいんですが、同調が終わったなら抱き着いていなくても良かったのでは?」
「いや、思ったより君の抱き心地が良くて。 人の温もりなんてろくに感じた事が無かったからね」
ふふっと例の笑顔を浮かべて部長は言う。
人の温もりをろくに感じていないのはこちらも同じだが、人の抱き心地と言うのはそんなに良いものなんだろうか。
「さて、シェアハウス生活二日目スタートだけど、早速買い出しに出かけようか。 当然人除けの魔素は使うから、君と手を繋いでの行動になるけどね」
「それ、俺だけで買いに行くんじゃダメですか?」
「ダメ」
即答で却下され、本日初めの大仕事が部長との買い出しに決まってしまう。
口では謹慎などと言っているが、本当は魔素が使えないのを口実にスキンシップが取りたいだけなのではと疑ってしまう。
その考えを増長させるように、部長は心底嬉しそうな顔で部屋を出て行ってしまった。
その後、着替えた俺たちは部長の宣言通り手を繋ぎ、学院内の売店で簡単な買い物を済ませた。
俺の左手の先がどう見えていたのかは知らないが、近くを通り過ぎる人もレジの人も、挙句は学生寮の警備の人すら俺の左手を握る部長が見えていないらしく、部長の姿はまるで、俺だけが見ている幻覚のようだった。
魔素の人知を超えた働きは理解しているつもりだったが、ここまでくると悪い冗談のようだ。
そうして何事も無く朝食のパンに牛乳、お茶がいくつかに数日分の料理の材料を買い込んでシェアハウスへと帰宅する。
監視カメラなど人工物にはどう映っていたのかなど気になる部分は多いが、まぁ部長の事だから大丈夫なのだろう。
帰宅後すぐに部長が紅茶を淹れてくれて、そのまま朝食の時間へと移行する。
時刻は午前十時、遅めの朝食だ。
俺がウインナーパンとメロンパン、部長がフレンチトーストとカレーパンを選択し、ソファへ座り、テレビを見ながら朝食を済ませる。
相変わらず、ゴールデンウィーク中の行楽地の様子を楽しそうに伝えるニュースキャスターとコメンテーター。
出てくる場所に対して行った事があるだの無いだのと会話を交わし、あっさりと朝食の時間は終了する。
二日目という事もあってか部長と二人の生活というのにも随分と慣れ、今やほとんど意識せずに生活出来ていた。
そして、遅めの昼食に俺の作った焼きそばと、遅めの夕食に部長の作った生姜焼きを食べ、ホラー映画を見たり心霊動画を見たりして、二日目はあっという間に過ぎていった。
そうして迎えたシェアハウス三日目、この生活は唐突に終わりを告げた。
「明日の朝一にはここを出て欲しいそうだ」
二日目と同じくソファで朝食を摂っていると、部長が急にそんな事を言ってきた。
事前に聞いていた予定では五日間学生寮の使用許可をとっており、五日目の昼にここを出る事になっていた。
それが明日の朝一に出て行って欲しいとは、なぜ急にそんな話になったのだろう。
「なんでも、交換留学生の泊まる場所が足りなくなったらしい」
「随分と急な話ですね」
「ほんとにね」
がっかりだよ、と部長は露骨に残念そうな顔をしており、かくいう俺も少し残念に思っている。
なんだかんだ部長と二人の生活は楽しく、一人の生活が長かった俺には新鮮だった。
とはいえ、学院からの頼みと言うのだから仕方が無い。
部長と渋々それを了承し、今日が最後の一日になるという事実を噛みしめる。
そんな経緯で、シェアハウス生活最終日を彩るラストイベント、ホラー映画一気見大会が開かれたのだった。
内容は至って簡単で、全国を巡って様々な怪談を蒐集するといった内容のドキュメンタリー映画、全国怪談蒐集旅を全部一気に見てしまおうというもの。
この全国怪談蒐集旅は日本各地を舞台に計八本が制作されており、合計時間は十二時間にも及ぶ。
それを北海道編から見始めて、最後の沖縄編まで見てしまおうと言うのだから大変だ。
部長がこれを言い始めたのが午前十時。
急いで映画視聴の準備やら昼食、夕食の下ごしらえやらを済ませ、実際に視聴を開始出来たのがお昼頃。
こうして慌ただしく北海道編がスタートすると同時に、シェアハウス生活終了へのカウントダウンが始まったのだ。




