第二十三話 人間としての機能
もうお昼の時間である事を確認し昼食をどうしようか、という話になった瞬間、部長は得意げな顔で冷蔵庫を指差していた。
ソファから冷蔵庫へ向かう時もふっふっふとわざとらしい怪しげな声を上げ、これまた演技がかった優雅な足取りで向かい、表情など絵に描いたようなドヤ顔だった。
そうまでして指差した冷蔵庫の中には、パスタの乾麺とトマト缶、たまねぎ、にんにく、ベーコンと、恐らくバジルと思われる葉っぱが入っていたのだ。
「トマト缶とパスタの麺は冷蔵庫じゃなくても良かったのでは?」
「どうせ使い切る量だしこっちの方が意図が伝わるだろう? という訳で任せたよ」
やはり。
中身を見た時から勘づいてはいたが、これでトマトパスタを作れという事らしい。
イタリアンが部長の好みである事、俺がパスタを得意としており、自炊する時はだいたいそればかり食べている事の二点は前回イタリア料理店で食事をした際に話しており、その結果がこれに繋がったという訳だ。
「いいですけど、二十分はかかりますよ」
「良いよ、暇はしないで済むだろうし」
そう言うなり、部長は冷蔵庫からテーブルへと移した材料群からにんにくとたまねぎを取り、皮を剥き始める。
どうやら手伝ってくれるようだが思ったより手際が良く、料理に慣れている印象を受ける。
完全に偏見なのだが、部長は家事全般出来ないタイプかと思っていた。
「意外かい?」
「部長は浮世離れしてるので、てっきり料理とか出来ないタイプかと思ってました」
「始めたのはここ数年だけどね。 一人暮らしにあたって必要だろう?」
「あれ、部長、一人暮らしなんですか? 家族の話が良く出るのでてっきり実家ぐらしかと」
「実家が徒歩圏内だから、ほとんど実家ぐらしだよ。 今後の事を考えての一人暮らし体験、みたいな感じかな」
会話をしつつ、料理も同時進行で進めていく。
材料はあらかた切り終わったので、次はオリーブオイルへにんにくの香りを移していく。
「へぇ、部長、大切にされてそうですもんね」
「過保護なくらいだよ。 家を出るだけで揉めに揉めたし、未だに外出時と帰宅時はメールを送れってうるさいんだ」
「よく今回の件の許可降りましたね」
「学院の寮だから大丈夫だったんだろうね。 外のホテルだったら絶対ダメだったよ」
それはそうだろう。
娘を持つ両親なら誰でも許可しないんじゃないだろうか。
オリーブオイルに香りが移った所で一度にんにくを取り出し、たまねぎを炒めていく。
そうして色が透明になったくらいでベーコンを加え、もう少し炒めた後、トマト缶を加えて煮詰める。
それと同時にパスタを茹で始めるのだが、ソースに塩を加えずにパスタを茹でる湯の方に塩を多めに加えるのがポイントだ。
「君の方は大丈夫だった?」
「俺ですか? うちは放任主義で一人暮らしも高校からなんでなにも問題ないですね。 両親ともほとんど連絡取ってないですし」
「そうか。 地元は水無瀬?」
「そうですよ。 南西部の田舎ですけど」
「へえ、南西部にはほとんど行った事が無いなぁ」
南西部には本当に何も無い。
あるのは海くらいなもので、魔素と科学を主とし、観光客を重視しない水無瀬市にとってはお荷物なのだろう。
せっかくの海だというのにテーマパークはおろか、観光向けのホテルすら建っていない。
あるのは小さな漁港と広大な倉庫群くらいなもので、南西部といえば漁師と運送業者の町、という共通認識が出来るくらいだ。
「だいたい海と倉庫ですよ。 本当に何も無いですから」
「実は、海を見たことが無いんだよ私は」
「そうなんですか? でも海の家すらほとんど無いですよ南西部は」
「かえって人が居なくて良いかも知れないよ? 一度見に行ってみようかな」
内陸県なら兎も角、海沿いの水無瀬に住んでいて海を見たことが無いとは考えにくい。
部長は内陸県出身なのだろうか。
「部長の出身は?」
「私も水無瀬だよ。 うちは親戚も含めて全員水無瀬出身だ」
「水無瀬に住んでて海を見たこと無いって、よほど大事にされてるんですね」
「ろくに旅行にも連れてって貰えないからね。 依頼ですら市外に出るな、と来たもんだ」
不満げな顔で文句を言う部長をよそにパスタが茹で上がりセットしておいたタイマーがけたたましい音を上げる。
パスタを一本取って味見をし、茹で上がったのを確認してからフライパンへと移し、少し火を入れながら作ったソースと絡めていく。
良く混ざった所でもう一度味見。
今回はなかなか良く出来たのではないだろうか。
火を止め、部長が持ってきてくれたお皿へとパスタを盛り、最後に、取り出しておいたにんにくをみじん切りにしたものと、叩いたバジルの葉を乗せる。
これで完成だ。
「はい、出来ました」
「これは見るからに美味しそうだ」
部長はテーブルに着き、フォークを握ってパスタの到着を今か今かと待っている。
普段凛々しい部長からは想像も出来ない姿だ。
パスタの皿を持ち、テーブルへと運ぶ。
部長の分と俺の分、隣り合うようにテーブルへと置いた。
その最中、ふと部長と目が合うと、部長はにっこりと温かな笑みを浮かべていた。
「では、いただきます」
「いただきます」
自分の分を食べながら、つい部長の方を見てしまう。
自分の手料理を振る舞う機会なんて家族以外にはほとんどなく、ましてやその相手が部長なのだから反応が気になって仕方がない。
正直、食べている味がわからないくらいだ。
「うん、美味しいよ。 店で出てきてもおかしくないレベルだ」
「ありがとうございます」
パスタをくるくると巻いて口に運ぶ。
それだけの事なのだがなぜこうも様になるのか。
先程の子供っぽさが嘘のようだ。
「流石の君でも私の反応が気になるみたいだね?」
「そりゃ気になりますよ。 手料理を振る舞う事なんてほとんど無いんですから」
「それは光栄だ。 君がお店を開いたら私の名前で星五レビューを書いてあげよう」
そうして部長はあっという間にパスタを食べ終えてしまった。
いつもの食事量を考えておよそ三百グラムくらいは部長の方へ回したのだが、やはり食べ切ってしまったか。
いつもながら、その細い体のどこに入っているのだろう。
「ごちそうさま、美味しかったよ。 他のパスタも楽しみだ」
「お粗末様でした。 それにしても良く食べますね」
「普段から食べる方なんだけど、今回は美味しかったからなおさらだよ。 君が毎回料理を作ってくれたら太るだろうな」
そう言って部長はお腹をぽんぽんと叩いているが見た目にもお腹が膨らんだようには到底見えない。
部長の食べた物は異次元にでも消えているのだろうか。
「少しくらい太っても良いんじゃないですか?」
「それを普通の女性に言ったら怒られちゃうよ? まぁ私の場合はその通りなんだけど」
部長は食後の緑茶を口に運び、ふぅと小さく息を吐いた。
「前に言ったろう、魔素を使う能力は普通の人間には無い、って」
「はい、使いすぎると人間としての機能が失われていく、って」
「実はね、そもそもそういう次元の話じゃないんだ」
「そういう次元じゃない、ってどういう事です?」
くつろいでいた部長が真剣な顔をして、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。
全てを見透かしていそうな例の目だ。
「食後にする話じゃないかも知れないし、場合によってはショックを与えるかも知れないんだけど聞くかい?」
「はい、ぜひ」
真剣な顔をしていた部長がふふっと笑う。
「即答してくれる所が君らしくて好きだよ」
そうして少し間をおいて、部長は静かに口を開いた。
「私には女性としての機能が無いんだ。 具体的に言うと、生まれつき子宮が無いから子供が作れない、生殖機能が無いんだ」
思っていた以上の内容に、言葉に詰まってしまう。
子宮が無いという言葉は理解できても、自分に無い器官である以上具体的なイメージができず、それが部長にどれほどの影響を与えているのかがわからない。
それは大変ですね、と共感する? 何がどう大変なのかわからないくせにそんな言葉を掛けていいのか。
大丈夫ですよ、と慰める? 今後治るものでも無いのに大丈夫なんて言えるのか。
色々な考えが自分の中に渦巻くものの、どう部長に返事をしたら良いのか。
「私より君の方が悩んでるみたいだ」
そんな俺を気遣ってか部長は手を取って、俯いていた顔をゆっくりと覗き込んでくる。
「私はそんなに気にしてないんだ。 今どきいくらでも子供を作らない夫婦は居るし、高い魔素能力もそのおかげかもしれないなら、むしろ良いことだろう?」
これは強がりではない。
知り合ってたかだか一年と少しだがそれだけははっきりとわかった。
部長の目は興味のあるものと出会った時のように輝いており、これが本心だという事をありありと伝えている。
なら、俺がどうこう言う話ではないし、それを聞いたからといって俺のスタンスは何も変わらない。
「なら、別に良いんじゃないですか。 それで部長の体調に悪影響が無いのなら」
「ありがとう。 こんな話、するべきかどうか悩んだんだけど君には知っておいて欲しくてね」
正直、いつまで経っても掛けるべき言葉が見つからないままだ。
部長の生殖機能の有無を俺が気にしていないのは本心なのだが、それをどう言葉にしたら伝わるのか。
今回掛けた言葉も興味が無いように取られてしまうのでは、と思ったのだが、俺の思っている事は言葉通り、その事で部長に対する印象が変わる訳もなく、部長が元気で居られるのならそれで良い、という事だけだ。
「大丈夫、君が私の事を真剣に考えてくれているのは伝わってるよ。 君なら変わらず接してくれるとわかってて話したんだから」
「なら良かったです。 正直、どう答えたら良いかすごく迷いました」
「迷って、考えて、誤解を招くかもしれないと思いながらも話してくれたんだから十分さ。 君が口下手なのはわかってるし、幸いにも私は感情の変化に敏感だからね」
そう言って部長はにっこりと笑う。
自分でも不思議で、本当になぜかはわからないのだが、この時俺は、部長に赦されたような気がしていた。




