第二十二話 表情
「では、楽しい楽しい魔素講座の時間としよう」
キッチンにあった伝言用ホワイトボードをテーブルに置き、隣に座る部長はノリノリでマーカーを握っている。
向かい合って座った方が良い気もするが、部長がソファの隣から動くのを許してくれなかった。
「まず基礎知識だけど、さっとおさらいしとこうか」
そう言って、部長は二つの言葉をホワイトボードへ書いた。
操作と感知。
魔素の適性検査で調べる二つの項目だ。
「適性検査で調べるこの二つ、調べるようになったのはいつか知ってるかい?」
「たしか、二十年くらい前ですよね」
「そう、厳密には十九年前に生まれた時に行う基礎検査が、それから三年後に小中学校で定期的に行う適性検査が義務付けられたんだ。 基礎検査の方法は新生児を魔素に触れさせてみて何かしらの反応があるかないか、適性検査の方法は知っての通り、魔素発生器で作られた人工魔素を操作したり感知したりだ」
基礎検査は知らなかったが、適性検査に関しては前に魔素実習室で聞いたとおり。
俺自身も受けてきた検査だが、実際の所は何をしているのかよくわからない。
両方Dの人間にとっては魔素も空気みたいなもので実感がない。
「で、そもそもなんだけど、魔素ってなんだと思う?」
「何って、魔法みたいな作用を起こすよくわからないものですよね」
「その通り。 二十年前に突然見つかった未知のもので、分子も原子も確認できない謎のなにか。 それだけならそんなに問題じゃなかったんだけど、それ同士を触れ合わせる事で魔法じみた作用が起こったものだからさぁ大変。 国は仮名であった魔素を正式名称として、よくわからないまま実用化を目指した訳だ」
「でもそういうのって、詳細がわかってから実用化を目指すんじゃないですか?」
「普通はね。 まぁエネルギー分野、情報通信分野、その他もろもろの進歩を考えたら少しでもアドバンテージを稼いでおきたかったんじゃないかな」
たしかに現在、魔素分野では日本が先進国となっており、その技術を餌に有利な外交条件を取りつけたりもしている。
安全性を犠牲に利益を取った結果だが、日に日に裕福になっていく国民たちはもう誰も文句を言っていない。
かくいう俺も魔素の実用化には賛成だ。
「そのおかげもあって今の生活があるんですね」
「まぁそうなるね。 危険性だって今の所は無いんだし、メリットだけ享受してても良いんじゃないかな」
そう言う部長の表情が曇って見えるのは、やはり安全性を危惧してか。
この分野は意見の分かれる所だし仕方のない事だろう。
ただ、部長ほどの能力者が魔素開発の分野に携わったなら、その進歩は想像できないほどだと思うが。
「良し悪しは一旦置いといて、そのよくわからないものを操作、感知できるのはなんでだと思う?」
「魔素の適性があるから?」
「正解、それが本質だ。 実はね、人間がどうやって魔素を操作、感知しているのかすらわかっていないし、その能力になぜ差があるのかもわかってないんだ」
「え、そんな状態なのに検査してるんですか?」
「ああ、詳しい仕組みがわからなくても使い方さえわかれば道具が使えるみたいに、使える人に使ってもらうだけなら詳しい理解は必要ないからね」
たしかにそうなのだが、それにしたって、わかってないにも程がある。
これじゃ、何もわからないままわからないものを使ってる状態じゃないか。
「そんな状態なのに良く魔素を見つけられましたね」
「ほんとにね。 私たちは偶然火のついた棒を拾った猿、みたいな段階かも知れないよ」
ふふっと笑う部長はいつもより楽しそうだ。
なんだかんだ言っても、結局は魔素の事が好きなんだろう。
この部長の事だから、人間の知識が追い付いていない様そのものが好き、とかそういう過激な理由なのかもしれない。
「ちなみに部長はどんな感じで魔素を操作したり感知したりしてるんですか?」
「どんな感じ、か……私の場合は生まれつき操作も感知もできたから、魔素も含めて私の体の一部って感じかな。 私にとっては歩いたり音を聞いたりと同じような感覚だよ」
「へぇ、そんな感じなんですね。 湊に言ってた魔素の訓練っていうのはそういう感覚を鍛えるんですか?」
「うーん、咲さんの場合はまず魔素の質の向上かな。 魔素の性質がひとりひとり違うのは知ってると思うけど、その人が持つ魔素の質もひとりひとり違うんだ」
「質、ですか」
部長はホワイトボードの文字を一度消し、そこに改めて質と書く。
そしてそこから枝分かれさせ、濃度、性質と書き足した。
「私の思う質の要素はこの二つかな。 性質はその名の通りどんな作用をもたらすか、濃度はその作用の強さって感じだね」
「濃度はともかく、性質って訓練でどうこうなるものなんですか?」
「根本的な所はどうしようもないけど、性質の強化や調整はできるよ。 侵食するタイプの魔素を強くしたり抑えたり、私も魔素を抑える意味では訓練中だしね」
「性質の強化と濃度とは別なんですか?」
「そこがポイントでね、性質を強くしても濃度が足りないと上手く作用しないんだ。 発電するタイプの魔素なら出る予定だった電力に届かない。 感覚系の魔素なら少し距離が離れただけでわかりにくくなる、とかね」
質の話はそもそも教科書に載っておらず、部長以外からは聞いた事が無い。
わからない事の方が多い分野だと言うし、解釈も人それぞれなのだろう。
魔素適性皆無の俺としては、これだけ説明して貰ったにも関わらず他人事のように思えてしまうのだが。
「ここらへんで一回休憩にしようか。 次からはいよいよ私特有の部分の話だから、頭を切り替えて聞いて欲しいな」
ホワイトボードの文字を消し、部長はそのままの姿勢でこちらへもたれかかってくる。
一瞬魔素を切っている影響が出たのかと思ったが、どうやら悪ふざけだったようだ。
思わず覗き込んだ部長の顔は、心配するこちらを尻目に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「肩を抱くくらいはしてくれると思ったんだけどなぁ」
「そんなにやにやしてる人は助けませんよ」
バレたか、と残念そうな顔をする部長。
そんな部長の銀へと変わった髪と瞳に少し安心してしまう。
魔素の影響を受けていない状態の部長は、色が淡すぎてふっと消えてしまうんじゃないかと不安になってしまうのだ。
もたれかかっている部長の体はとても軽く、消えてしまいそうな印象を余計に強めていた。
「やっぱり君はこっちの方が好きかい?」
「好きというか、あんまり色が薄いと部長がそのまま消えていきそうな気がして」
「色が濃くても薄くても心配されるんじゃ、ずっとこの色で居るしかないかな」
冗談を言う部長は本当に楽しそうで、こんな表情を見られただけでシェアハウスに来たかいがあったと思ってしまう。
魔素を切っている事も、表情が豊かになった理由の一つなのかもしれない。
「君もだいぶ表情が出るようになったみたいで良かったよ」
「俺がですか?」
「ああ、お互いそういうのは苦手なタイプだろう? この生活は思った以上に良いものかも知れないね」
自分にも影響があるとは思ってなかったが、部長が言うならそうなのだろう。
ふふっという笑いも普段のような妖しさはない。
些細な事だが、魔素がなければ部長も普通の人間なんだと思えてしまった。
「ところで、スキンシップが多くなってませんか?」
「なかなか魔素の無い感覚に慣れなくてね。 君を誘って良かったと本当に思ってるよ」
「本当に無理だけはしないでくださいね」
「ふふっ、甘えついでに白状するとね、これは私なりの処世術でもあるんだ」
「処世術?」
まさに我が道を行く、といった感じの部長が処世術とは。
正直想像できなかったが、仮にも部長なんだしそういうものもあるのか。
部長は視線を落とし、俯き気味に言葉を続ける。
「私には女性的な魅力が欠けているからね。 視覚的な魅力が足りない分を他で補わないと」
「女性的な魅力って、それが処世術ですか?」
「何て言うべきかな……モテテク?」
部長は俯いた姿勢から、反応を確認するように体ごとこちらを向いてくる。
部長の言った言葉が予想外過ぎて、一瞬自分の耳を疑ってしまった。
疑ってしまったのだが、よくよく考えれば不思議でもないか。
部長だって同い年なのだから、色恋沙汰もあって当然だ。
そう思うと女性的な魅力というのも理解はできる。
ただ、それが欠けているなんてどの口が言うのだろう。
「視覚的な魅力に欠けるって部長、ミスコンにでも出てみたら良いんじゃないですか?」
「君はやっぱり美人の方が好き?」
「そりゃ美人の方が良いですけど、最終的には相性じゃないですか?」
「ならミスコンは良いかな。 スタイルに関しての好みはどう?」
「部長、セクハラですよ」
「こんな状況なんだからそれくらいサービスしてくれたって良いだろう? 答えにくいなら聞き方を変えよう。 大きい方が好き? 小さい方が好き?」
こちらへ距離を詰め、今や膝と膝が触れ合いそうな距離だ。
この流れから聞いて来たという事は当然、胸か尻の話だろう。
背の高さ、なんてベタなボケはしないはずだ。
それにしても、魔素の話からなんでこんな話になっているのか。
黙っていると、部長から来る無言の圧が体に刺さる。
魔素の影響は無いはずなのだが。
「……小さい方で」
「私に気を使ったんじゃないね?」
「いえ、純粋に好みです」
「男性のほとんどは大きい方が好みだって聞いたけど、君は珍しいタイプだね」
「どうなんでしょう、そもそもそんな話滅多にするもんじゃないですし」
「本当に? 男同士が集まると誰々の胸が、とか誰々の尻が、って話ばかりしてると聞いたのに」
「それ情報の入手先がおかしいんですって」
冷静になればなるほど意味のわからない会話の流れだが、部長が楽しそうにしているからよしとしよう。
ふと時計に目をやると時間は十二時を過ぎていて、それを見た途端、お腹が空いてきてしまった。




