第二十一話 シェアハウス
気が付けばもうゴールデンウィーク初日。
本来ならこうして学院に来る用事など無いのだが、今回は事情が違う。
小野寺さんからあんな事を聞かされた手前若干の気の重さもあるのだが、それでも部長をほっといていい理由にはならない。
いつも停めている駐車場を横目に車を走らせ、校舎横の坂道を進む。
そうして少し山に入った所に、水無瀬学院学生寮はあった。
茶色を基調としたシンプルな三階建てで、見た目は普通のマンションのよう。
同じような建物が四棟並んでおり、手前から一、二、三、四と番号が振られている。
今回許可が下りたのは四号棟。
その三階に位置するシェアハウス形式の部屋だ。
学生寮前の駐車場にはちらほら車が停まっており、ゼロでは無いにせよあまりひと気が無いのがわかる。
部活を除き、せっかくのゴールデンウィークを学院で過ごそう、という人間は少ないのだろう。
事前に指定された駐車位置に車を停め、もう一度学生寮の方へと視線を向ける。
今日から数日間、ここでの生活が始まる。
環境の変化というものは思ったよりプレッシャーになるようで、こうして実際に目の当たりにするとますます気乗りしない自分が居た。
頭の片隅に常にあるのは、喫茶ブラックドッグで聞いた彼女にあまり気を許すな、という小野寺さんの言葉で、実際に件の映像を見た訳ではないのだが、あの小野寺さんがわざわざ警戒するように伝えてきた時点でよほどの変貌ぶりだったんだとわかる。
忠告を聞かず、こうして学生寮まで来てしまっている時点で手遅れか。
あの日以来、そんな心配と言い訳を頭の中で繰り返している。
それだけの事を聞かされてなお、部長から距離を置こうとは思えないのだ。
学生寮入口の端末に学生証をかざし、寮の中へと入る。
分厚い自動ドアを抜けた先はエントランスになっており、小さな警備室に警備員が常駐している以外はエレベーターと階段があるのみ。
通常のマンションにあるような郵便受けやインターホンといった物もここには無い。
警備員に学生証を渡し、学生証がオートロックの鍵となるように手続きをしてもらう。
「どうぞ、こちらで三階のシェアハウス部分と三番の寝室にアクセス出来ます。 門限は特に設定されて居ないのでいつでも出入り可能です」
「ありがとうございます」
警備員から学生証を受け取り、エレベーターへと乗る。
これといった感想を抱く前にエレベーターは三階へと到着し、扉が開いた。
三階部分はフロア全体がシェアハウスとなっており、学生証を端末に認証させなければ自動ドアが開かず、中に入る事すら出来ない。
自動ドアを通った先が玄関で、ここからシェアハウスのキッチン部分と個人用の寝室へと入ることが出来る。
内装は外観と同じく茶色を基調とした落ち着いた物で、ところどころ観葉植物が置かれている。
詳しい名前はわからないが、この赤い葉っぱの背の高い植物は良く映画で見る気がする。
下駄箱に靴がある所を見ると、部長が先に到着しているようだ。
シェアハウスへと繋がるすりガラスの扉をスライドさせ、中へ入る。
キッチン部分は簡単なテーブル、冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロなど最低限の設備が揃っており、二人で調理をする程度なら問題なく行えるだろう。
ここから繋がる扉は二つ。
共にすりガラスのスライド式な所を見ると、シェアハウス内はこの扉で統一されているのだろう。
その一つを開いてみると、繋がっていたのは脱衣所兼洗面所。
洗面台や洗濯機などが揃えられている。
そこそこ新しい家電で揃えられているあたり、生活を送る上で不便に思う事は少なそうだ。
洗面所からキッチンへと戻り、次の扉を開く。
するとそこには、ソファに座りテレビを見ている部長の姿があった。
「……こういう場合は何て言うのが正しいんだろうね。 いらっしゃい? おかえり?」
「微妙な所ですね。 とりあえず、おはようございます」
「おはよう。 次からはただいま、おかえり、と言う事にしようか」
普段制服姿しか見ていない分、こうして私服の部長を見るととても新鮮な気がしてくる。
女性服のブランドに対しては疎いのだが、パーカー、ショートパンツ、レギンスだけでさまになっているのは元が良いからか物が良いからか。
「普段着なんだけどどうかな? いつものイメージとは違うと思うけど」
「良いと思いますよ、なんだか新鮮な気がします」
「それは良かった。 流石にいつもの格好だと休めなくてね」
いつもの格好と聞いてイメージするのはやはりあのコートなのだが、あの仲間となると中世を感じさせるワンピースなどだろうか。
なんにせよ、今のようなカジュアルな服装は全く想像できなかった。
「寝室に簡単なクローゼットやタンスがあったから、荷物を置いてくると良いよ」
「そうですね、一度寝室に行ってみます」
居間を後にし、部長に促されるまま自分の寝室となる三番の寝室へと向かう。
寝室内も茶色を基調としたベッドやタンス、クローゼットなど生活に必要な物が一通り揃えられており、この部屋だけでも簡単なホテルとして成立しそうだ。
持ってきた衣料品をクローゼットとタンスに入れ、着ていたジャケットもクローゼットへと掛けておく。
この大きさなら一週間分くらいは入るんじゃないだろうか。
その他ノートPCなどの雑品も鞄から取り出して寝室へと置き、とりあえず携帯だけを手に居間へと戻る。
居間の部長は相変わらずソファに座った姿勢でテレビを見ており、こうして見ている分には特に変わった所は見られなかった。
「おかえり」
ふふっといつもの笑みを浮かべ、部長はそう声をかけてくる。
寝室から戻っただけでただいまと言うのもどうなのだろうか。
なんて考えているのがわかったのか、部長は不満そうな顔でこちらを見てくる。
「ただいま?」
それを聞くと部長は満足そうな顔をして、自分の隣をぽんぽんと叩く事で着席を促してくる。
俺は促された通りに隣へと座り、テレビへと視線を移した。
テレビはまだ午前中だというのに交通事故や強盗事件など暗いニュースを伝えている。
「さて、じゃあ君も着いた事だし魔素を完全にオフにしようかな」
「まだオフじゃなかったんですか?」
「私の体は魔素があるのが普通だから、一人でオフにするのは不安でね。 大きな問題は無いと思うけど、何かあったらよろしく頼むよ」
テレビを向いたまま話をしていたが、そう言われると注意しない訳にはいかない。
体を部長の方へ向け、起こるかもしれない緊急事態に備えた。
部長は脇に置かれていたクッションを抱くと目を瞑り、ふぅと小さく息を吐く。
その瞬間、部長の髪は更に薄いグレーへと変わっていた。
「体の方は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫みたいだ。 でも魔素がなくなったからか少し不安かな」
「そういうものなんですか?」
「いつもは魔素を通じて人の考えだったり気配だったりがわかるからね、感覚が一つなくなったみたいに感じるよ」
そう聞くと大事なような気もするが、本当に大丈夫なのだろうか。
「手を繋いでみても良いかい?」
「どうぞ」
部長が差し出した手を握ると、髪の色が綺麗な銀色へと変わる。
これは、俺の魔素に触れるとなると言っていたあの銀色だ。
「ああ、やっぱり影響を受けちゃうか」
「俺の魔素の影響ですよね」
「うん、普段は自分の魔素で相殺して影響を受けすぎないようにしてるんだけど、魔素をオフにしてると触れる魔素全部に影響を受けそうだ」
「それってまずい事なんじゃ」
「そうだね、でもまぁ危ない事には近付かないから大丈夫だよ。 君の魔素に触れてる分には他の魔素の影響を受けないようにも出来るし」
そう言って、部長は俺の手を握ったままテレビの方へと向き直してしまう。
それはつまり、魔素の影響を受けそうな場所では手を握ったままで居るという事だろうか。
「あの、いつまで手を?」
「流石にごまかせなかったか、また何か体に不具合が起きたら手を借りるね」
俺の手を解放し、部長の髪は薄いグレーに戻る。
どうやら本当に触れ合っている間だけ俺の魔素の影響を受けるようだが、これは俺の出している魔素が足りないからなのだろうか。
数日とはいえこれから一緒に居る時間が増える事を考えると、そのあたりも含めて魔素に関してもう一度詳しく聞いておいたほうが良いかもしれない。
「部長、魔素に関してもう一度詳しく教えてもらっていいですか?」
「たしかに、学校で習う範囲では足りないか。 私特有の部分も含めて、色々知っておいてもらおうかな」
部長はテレビを切り、体ごとこちらを向いて真っ直ぐに目を見つめてくる。
薄いグレーの瞳はいつもより透き通っていて、魔素の力を使わなくてもこちらの考えなんて見透かせてしまえそうだった。




