第十九話 プールサイド
ペンダントを握りながら正門のあたりをうろうろしていると、特定の方向を向いた時に発する熱が強くなっているのに気が付いた。
方向はプールの方向。
湊がプールに居たと言っていたのとも繋がる。
方向が合っただけでペンダントが反応するような魔素の主。
つまり、この先に部長が居る。
ペンダントの放つ熱を頼りにプールの方向へと進む。
正門からプールへの道は運動場となっており、かなり視界が開けている。
周辺の民家の明かりも手伝ってプールのフェンスまではっきりと見えているのだが、そこに部長の姿が見られないという事は、部長はプールの中か、さらに先に行った所に居るのだろう。
そのまま運動場を進み、プールの入り口となる更衣室前までやってきた。
ペンダントは携帯カイロほどの熱を発しており、段々と握っているのが辛くなってきている。
周囲からは何の音もせず、これといった気配もないが、念のため湊が用意してくれたディスプレイを確認する。
ディスプレイには静かなプールの水面が映るだけで、こちらにも何の変化も見られない。
俺は更衣室の扉に手をかけ、ゆっくりと中に入った。
しんと静まり返った更衣室には冷ややかな空気が流れており、ずらりと並んだロッカーが何だか不気味な物に思えてくる。
ロッカーを横目に更衣室を抜け、いよいよプールサイドへと足を踏み入れた。
プールはモニターで確認した通り静かなもので、不審な点は特に無い。
プールサイドの角に置かれた二台のカメラが、録画中を表す赤い光を点滅させている。
と、明かりに導かれるようにして視線を移したカメラの横、プールの一番角の所に小さな黒い影がうずくまっていた。
部長だ。
「部長!」
声を掛けながら部長の方へと駆け寄る。
部長の長髪は漆黒に染まっており、うずくまった後ろ姿はぼさぼさの髪で隠れて体が見えない。
こうして見ると、まるで影そのもののようだ。
声に反応しないという事はかなり消耗しているのだろうか。
後ろを向いたままの部長の肩に手を置く。
すると、部長はゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「私を追ってくるとは。 恋愛映画なら百点だが、ホラー映画で単独行動は死亡フラグだよ?」
「それだけ喋れるなら大丈夫ですね。 ほら、宿直室へ戻りましょう」
疲れたのか全力を出した影響か、部長は膝を抱える姿で座っており、振り向いた顔にいつものような余裕は見られない。
少し息も切れているようで、髪は黒くなっているものの凍り付くような魔素も多少涼しい程度まで弱まっていた。
「決着をつけた瞬間に登場するなんてタイミングが良すぎるよ。 安心して立ち上がる力も無くなった」
ふふっと笑う部長の笑顔が弱々しい。
握っていたペンダントはすっかり熱を失い、部長の髪も徐々にグレーに戻っている。
「肩を貸しましょうか?」
「ああ、そうしてくれると嬉しい。 ほら、隣に座って」
「わかりました」
てっきり宿直室に戻るものだと思ったがどうやら本当に立ち上がる力も無いようで、言われるがまま隣に座ると肩に頭を預けてきた。
「はぁ……休むついでに弁解しても良いかい?」
「弁解も何も、謝らないといけない事なんて何もしてないと思いますけど」
「君の前で無理はしない、って言っておいてのこれだからね。 流石に何もなく許されちゃダメだよ」
「じゃあ、一応聞いときます」
「まず無理をした理由だけど、たかが悪霊が君を心配させてるのに腹が立ってね。 大人げなく皆殺しにしてしまった、ごめん」
「皆殺しって、かなり物騒な話ですね」
「それはもう。 自分でもコントロールが効かなくて、良いも悪いも関係なく学校の敷地内全部消してしまったんだから物騒極まりない」
「霊的なものも魔素的なものも何もない、って小野寺さんが言ってたのはそれですか?」
「うん、そうだろうね。 次に無理をした影響だけど、時間が短かったからかそこまで深刻ではなさそうだ」
影響の話になり、思わず部長の方へ顔を向けてしまう。
部長は、少し頭を下げ、ん?と上目遣いでこちらを見てきた。
前回、部長が全力を出した時の影響はなかなか深刻なもので、事件解決から三日間は入院していたのを覚えている。
俺も部長と別れて家に帰るその直前まで体の震えが止まらず、その日から数日間は漆黒に染まった部長の姿を夢に見たものだ。
今回はそこまで深刻ではないと言っているが、先程までうずくまって動けずにいたのだから心配だ。
「心配しないで、なんて言える立場じゃないよね。 君が心配すると分かっていながらこうなったんだから」
「心配するな、って言うならもう心配しません。 全力を出した方が良い状況なら、俺に構わず全力を出してもらった方が……」
部長が見たことのないさみしげな表情をしており、思わず言葉に詰まってしまう。
「君に考えて欲しくない事を言うとね、まず、居ない方が良いんじゃないかと思って欲しくない。 次に、何か特別な能力が必要なんじゃないかと思って欲しくない。 そして最後に、私の事を一番に思って欲しくないんだ」
一瞬、部長の言っている事が理解できなかった。
このオカルト研究部は部長の能力ありきであり、それがなければ存続すらできないのだから部長が一番なのは当然だ。
それを抜きにしたって、これだけ長い間一緒に居るのだから、部長の事を一番に考えてしまうのは仕方のない事だと思っている。
それを一番に思って欲しくない、とはどういう事だろう。
「弁解の途中に意地の悪い言い方をしてしまったね。 君に意地悪を言って困った顔を見るのが好きなんだけど、流石に嫌われちゃうか」
部長はこちらに体を向け、膝立ちの姿勢で俺の体を抱きしめる。
そのまま俺の頭に顔を近づけ、今は思わず顔を反らした俺の頭に部長の額が触れていた。
「君は君自身を一番に、今の自分を大切に思っていて欲しい。 君は優しすぎて自分の事を蔑ろにしがちだからね。 君が本当に私の側を離れたいなら、私は何も言わずに見送るよ」
耳元でそう囁く部長の声は微かに震えており、こうして俺を抱きしめたのは顔を見られたく無かったからだろう。
この部長は人をからかうフリをして、自分の弱い姿を見られないようにしているのだ。
そして、俺がそれに気づく事を部長はわかっている。
それでもこうして話してくれた事に、俺は少し嬉しくなってしまった。
「自分を大切にしろ、って話はわかりました。 でも部長の元を離れるなんてそんな事すると思いますか?」
「そう言ってくれるとわかってて聞いたんだ、決定的な事でも直接君の声で聞きたいのが女心というものだよ」
まだ震えた声で、部長はそんな強がりを言っている。
いつもの部長ならふふっと例の笑みを浮かべながら、自信満々に目と目を合わせて言ったはずだ。
顔も合わせられず、声を震わせて、肌と肌を触れ合わせていないと言えないなんて。
今回の出来事は、流石の部長にも堪えたと見える。
「もう弁解は良いです。 十分反省してるって伝わったので」
「もう少しこうして居たい所だけど、新聞部も心配するか。 じゃあ、宿直室に戻ろう」
部長はそう言うなり立ち上がり、すたすたとプールを出て行ってしまう。
どうやら体調は回復したようで、足取りも軽やかだ。
その表情は見えないが、いつもの笑みが帰ってきていることだろう。
宿直室に戻ってからは慌ただしく、部長の姿を見るなり湊は軽いフラッシュバックで気を失いかけ、小野寺さんはそれをフォローしつつも部長にはしっかりと警戒し、件の部長はそれを愉快そうに見ていた。
そして自然な流れでこんな場所で一晩明かすなんて耐えられない、という話になり、その場で解散、各自帰宅となる。
新聞部はカメラの回収やなんやでもう少し残るそうだが、これといった用の無いオカルト研究部は即敷地を出て、平穏な空気に満ちた日常へと帰ってきた。
学校から駅までの道はもうじき深夜だと言うのに民家の明かりやビル群の照明、店の看板などで彩られ、先程まで無音の世界に居た事が嘘のようだ。
気が付けば月も出ており、とても心地の良い風が吹いている。
「部長、一人で帰れますか?」
「ありがとう、でももう大丈夫だよ。 言った通り影響はそんなに無いから」
いつものコートでくるりと回って見せ、いつも通りであることをアピールしてくる。
いつもの動作と比べると軽やかさが無く、多少無理をしているとわかるのだがこれ以上聞いては逆に気を使わせてしまうだろう。
「わかりました。 じゃあ駅までですね」
「うん、今日は流石に疲れたからゆっくり休むよ。 君も良く休むようにね」
いつものように部長は前を歩き、俺がその後に続く。
いつも通り。
こんな事がいつも通りになったのはいつからだろうか。
ふとそんな事を考えた俺の前で、部長は振り返りながらふふっといつもの笑みを浮かべていた。




