第十八話 部長と元凶
部長が宿直室を出てから三十分程が経過した。
その間に小野寺さんが宿直室へと到着し、湊はだいぶ状態が回復してきている。
今は二人とも並んで畳に座っており、お茶で一息ついていた。
「はー……稲垣君、なんなんだいアレは」
「アレって、もしかしなくても部長ですよね」
青ざめた様子で宿直室に入ってきた小野寺さんを見て、すぐにぴんと来ていた。
血の気の引いた顔と小刻みに震える手足。
その様子は、初めて部長のあの状態を見た俺と同じだったからだ。
小野寺さんは小さく頷くと、もう一度はぁと息を吐いて体を落ち着かせた。
「部長は、全力で魔素を放出するとああなるんです。 いつもの姿は周囲の魔素を取り込んで体内の魔素を薄めている状態で、本来の姿には今の状態の方が近いと言っていました」
「あれが本来の姿って、魔素が濃すぎて霊的なものも魔素的なものも全部かき消してるよあれ」
「その辺りはわからないんですが、あの姿になっている時はできるだけ人を遠ざけるように言われてます」
小野寺さんは少し考えるそぶりを見せた後、納得した顔をしてお茶を飲み干した。
小野寺さんは霊感もあるが魔素的な能力も人並み以上にあるらしく、部長のあの状態に関しては俺よりも何かわかるのかも知れない。
「うん、彼女が帰ってくるまではここで大人しくしていよう」
「部長を助けてくれるようにお願いしたらああなっちゃったんですよ、どうにか出来ないんですか?」
「いや無理。 アレに巻き込まれたら僕の身がもたないよ」
湊は、小野寺さんが来るまでとても話せるような状態ではなかったのだが、今はこうして普通に話せる程度になっている。
なんだかんだ言いつつも、安心しているのだろう。
「小野寺さん、部長を追いかけても大丈夫だと思いますか?」
「オススメは出来ないね。 彼女が通った部分は安全だと思うけど、一応七不思議真っ最中だし」
「そう、その七不思議ですよ! ろくに私に説明しないで一人で納得して、いい加減ちゃんと説明してください!」
湊が突然声を荒げて小野寺さんに詰め寄った。
そのあまりの勢いに、小野寺さんはヒィッと小さく悲鳴を上げてのけ反っている。
「わかった、わかったから少し離れよう?」
「……失礼しました」
湊はスカートのすそを払い、姿勢を正して畳へと座り直す。
小野寺さんはのけ反った体をゆっくりと元の位置に戻し、七不思議の詳細を話し始めた。
小野寺さんが言うには、水無瀬第四中学校の七不思議は実在しておらず、七不思議を調べていたという生徒の誰かが作り出してしまっている可能性が高いらしい。
あくまで小野寺さんの推測ではあるが、七不思議を見つけられなかった生徒がその実在を強く願ったせいで生霊のような形として影が残り、後に起きた体調不良者の出現などを他の生徒たちが七不思議のせいだと考えてしまった事が重なって、その影が七不思議を利用して人を襲う悪霊のようになってしまったという。
ただの生霊がここまで力をつけるのは珍しく、元々魔素の溜まりやすい場所であった事や、中学校という感性の強い世代の集まる場所であった事が悪化した原因であるらしい。
国の専門家が原因を特定できなかったのは、この影が七不思議を探しているものに様々な七不思議を作り出し襲う、という特性を持っていた為で、七不思議に興味の無い人間には影響を与えず、基本無害であるからだそうだ。
「という訳なんだけど、君んとこの部長の方が百倍は危険だよ。 アレに比べたらここの生霊なんて赤子みたいなもんさ」
「赤子って、でも瑠璃さんは瑠璃さんですよね、話したら落ち着いてくれるんじゃ」
「君は特に近づいちゃダメ。 防御手段が無いくせに感受性が高いんだから、近づいたら一発でトラウマになるよ」
湊は疑問に満ちた顔をしているが小野寺さんの言う事は正しい。
あの状態の部長に湊が近づいたのなら、受ける影響は俺の比じゃないだろう。
「とにかく、今の彼女に近づくのは禁止。 帰ってくるまで大人しくここで待つんだ」
「……薄情者」
「いや、ああなったのだって僕のせいじゃないって、どうせ君絡みなんだろ稲垣君」
「たぶん、そうだと思います」
きっかけとなったのは、俺が能力が欲しいと言った事。
その言葉を聞いた途端、部長はああなってしまった。
何が部長をそうさせたのかはわからないが、きっと俺が悪いんだろう。
「部長と一緒に居るくせに何の力にもなれてなくて、むしろ足手まといなような気がして、それで……自分を守れるような能力が欲しい、って言ったんです」
「……君を心配させた私の力不足、みたいな事を言ってたし、先輩を心配させた自分に怒ってたんじゃないですか?」
口を開いたのは意外にも湊だった。
その話をしていた時、湊は布団で震えており、とても話を聞けるような状態ではなかったのだが。
「たぶんなんですけど、瑠璃さんの中で一番優先度が高いのが先輩の事なんですよ。 だから、小野寺部長を助けるとか私を守るとかはどうでも良くて、先輩をこれ以上心配させたくなくて、ああなったんじゃないですか?」
「随分と人間らしい話だけど、それであんな怪異になるんだから驚きだよ全く」
優先度に関してはわからないが、少なくとも俺を心配させまいとしてああなったのは事実だろう。
ただ、俺は部長があの姿になる事を以前から心配しており、出来るだけそうならないように努めてきた。
それがこうなってしまったのだから、部長があの姿になるのを止められなかった俺に責任がある。
「……部長を追いかけます」
「はぁ……まぁ、そうなるとは思ったよ。 彼女には正門前が怪しいって言ってあるからまずはそこを目指すと良い。 あと、これお守り」
呆れた表情の小野寺さんが、はい、と数珠をいくつか渡してくれた。
「僕の生命力を籠めた数珠だから、大抵はそれを身につけるだけで防げるよ。 危なそうな場所にはそれを投げつけてやって」
「ありがとうございます」
小野寺さんの除霊方法は単純に自身の生命力をぶつけるものだと聞いている。
その生命力が籠められた数珠だと言うのだから、その効力は折り紙付きだろう。
「先輩、私のモニターも持って行ってください。 一階トイレと階段と、プールに置いたカメラの映像が見れるようにしてあります」
「ありがとう」
携帯と同じくらいの画面にはカメラの切り替えボタンとその映像が映し出されており、若干ノイズが走っているものの状況は確認できる。
これも安全確認の為として、ありがたく使わせてもらおう。
これで準備は整った。
まずは小野寺さんの言う通り、正門前へと向かって進もう。
「じゃあ、お二人はここで待っていて下さい。 部長は俺が連れて来るので」
畳から降りて靴を履き、数珠とモニターを手に立ち上がろうとする。
と、誰かに肩を掴まれた。
「稲垣君、勘を頼って行くんだ。 君の第六感はなかなかのものだから」
その言葉に頷いて答え、宿直室を出る。
宿直室を一歩出た先の廊下は信じられないくらいの静寂に包まれており、まるで時間の止まった世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
嫌な気配や怖さは全く感じられず、自分でも不思議なほど何も感じない。
小野寺さんは、部長の通った後は霊的なものや魔素的なものが全て消えていると言っていたが、そのせいなのだろうか。
そんな無の中を進み、階段を降り、昇降口へとたどり着く。
夜の闇に包まれた校舎は視覚的にも冷たく、本来であれば肌寒さを感じるのだろう。
しかし、あの魔素と比べればこの程度どうという事はなく、恐怖も感じない以上普段の道と変わらない。
そうしてあっさりと正門へとたどり着いたのだが道中に部長の姿はなく、正門にもこれといった変化は見られない。
ここからどうしようかと考えていると、胸元のペンダントが微かに熱を発し始めた。