第十五話 フラッシュバック
「おめでとう、君が初ヒットみたいだ。 霊視によれば、タイミング次第でそのままあの世に繋がってたかもしれないってさ」
「あの世って、ワンチャン死んでたって事ですか?」
「まぁ君が行くにせよ何かが来るにせよ、死ぬ可能性があったのは確かだね」
危ない危ない、と、楽しげに言う様子からは一切真剣さが伝わって来ず、たちの悪い冗談なんじゃないかと思えてくる。
普段オカルトに関して一切ふざける事の無い部長がなぜこんなににこやかなのだろう。
「ほら、そんな無粋な物は置いといて、今はこちらに集中しよう」
「え?」
持ったきりすっかり忘れていたカメラごと部長は俺の手を包み、そのままカメラの録画開始ボタンを押してオフにしてしまう。
異変に遭遇した時もカメラを回してはいたのだが気にする余裕もなく、恐らく階段が映っているだけだろう。
もしあの先にカメラを向けていたら、何か映っていたのだろうか。
「……さて、ここからは平常運転といこうか」
部長の手が冷たくなり、周囲もそれに呼応するように冷たい空気で満たされていく。
カメラを切った事になんの意味があったのか。
部長はいつもの真剣な表情に戻っており、楽しげな雰囲気はもう微塵も感じられない。
「なぜカメラを切ったんですか?」
「この映像は新聞部も見るんだろう? 内緒話が出来ないじゃないか」
ふふっと笑みを浮かべて、俺の手からカメラを取り上げる。
「相手が何であれ、勝手に撮られるのは良い気がしないものだよ。 協力するのは良いけれど、君が危険に巻き込まれるのは避けたくてね」
「危険に巻き込まれるって、カメラを回しただけで?」
「ああ、場合によっては挑発行為だよ。 あいつは知ってて君へよこしたんだ」
「そんな、小野寺さんはともかく湊はそんな奴じゃ」
「咲さんも新聞部なんだからぐると見るのが自然だよ。 どういった事情があるにせよ、簡単には信用しない方が良い」
部長の目はいつになく真剣で、どこか悲しげにも見える。
湊とはそれなりに親しくしていたため、部長にも思うところがあるのだろう。
「……とはいえ、協力関係は維持しないとだ。 安全なタイミングでカメラは回すから、カメラが回っている時は信用しているフリをしよう」
「……わかりました。 じゃあカメラは任せます」
「任せて。 君には危害が及ばないようにするから、いつも通りにしてくれたら良いよ」
手にしたカメラをひととおり操作して、部長は理科室の方へと振り返る。
カメラの件は部長に任せるとして、新聞部とはどのように接したらいいものか。
七不思議の調査だと言っているのに別の心配事が増えるとは思っても見なかった。
煮え切らない気持ちのまま、足元から理科室へと視線を移す。
これまた何の変哲もない理科室であり、壁際に作られた備品棚や鍵付きの薬品棚、そして正面、黒板の両脇に位置する骨格標本と人体模型。
理科室という概念をそのまま形にしたようだ。
「うん、外れだね。 じゃあカメラを回すから、くれぐれもいつも通りで」
それに頷いて返事をし、カメラの事を気にしないように意識する。
気にしないようにする、というのがこれほど難しい事だったとは。
「こちら理科室、残念ながら外れだ。 一応周囲を映すから、そちらでも確認してくれたまえ」
そう言って、部長は理科室をぐるりと一周映すようにカメラを回し続ける。
薬品棚、窓、骨格標本、黒板、人体模型、薬品棚、窓、入ってきた扉。
理科室の中を撮り終えて、部長はカメラの電源を切る。
俺はなんだか緊張してしまい、結局何も出来なかった。
「君がこんなにカメラ慣れしてないとは。 私も苦手だが君も相当だね」
「そりゃ慣れませんよ。 依頼絡み以外で撮ったり撮られたり、なんて無いんですから」
「じゃあゴールデンウィークはカメラ持参で遊びに行こうか。 将来何かの役に立つかもしれないよ」
「よくわかりませんけど、遊びに行くのは賛成です。 結局休めてないですし」
部長は嬉しそうにしながら、軽やかな足取りで理科室を出ていく。
次の目的地は同じ階にある魔素実習室。
距離としてはほんの数メートルだ。
年明け直後に依頼を受けた、曰くつきの信号の件。
今月の初めに受けた降霊術の件。
遊びに行くつもりがおとしごさま退治と異世界探検となってしまった前回。
そして今回の七不思議調査。
月に一度依頼があるかないかだった去年と比べると今年は本当に働き過ぎだ。
部長の体は大丈夫だろうか。
前回、部長の体に異変が現れたのは去年受けた浄化依頼の際。
個人経営の塾の中でいじめがエスカレートし、自殺未遂者が出たのをきっかけに完全に怪異と化してしまった建物の浄化を行った時だった。
あの時は部長の髪が黒に染まり、放つ雰囲気が完全に怪異のそれになってしまっていた。
今でも思い出すと背筋に冷たいものが降りてくる。
全てを見透かす部長の目が、まるで闇そのもののように底知れない冷たさを放っていて……。
「お、ここが実習室……ってどうしたんだい、そんな顔をして」
部長が振り向き、立ち止まったのに気づかず、歩く勢いのままぶつかってしまった。
しかし部長は驚いた様子も見せず、ぶつかった俺の腕に抱きついた姿勢のまま、嬉しそうな表情で俺の顔を見上げていた。
「あ、すみません。 ちょっと考え事をしてしまって」
急いで離れようとするものの、腕の位置で体をがっちりと挟まれてしまい振りほどくことが出来ない。
周囲の熱気を忘れるような心地よい冷気に混じり、花のような甘い香りが漂ってくる。
部長に近づいたことは何度かあるが、こんな匂いがしたのは初めてだ。
「心配してくれてありがとう。 流石の私もあれで懲りたから、もう絶対に無茶はしないよ」
数センチ先の部長の目は真っすぐこちらを見据えていて、透き通るようなグレーがとても綺麗だ。
やはりこちらの考えている事は全て見透かされているようで、今回抱きしめているのは俺をなだめる為なのだろう。
この甘い花の香りもその為か。
手のやり場や視線のやり場に困っていると、部長は俺の胸に額を一度付けた後、掴んだ腕を解いて俺を解放した。
「あの……ありがとうございます」
「怪異にあてられた記憶はなかなか消えないものだからね。 またフラッシュバックしたら私が引き受けよう」
「それ、初めて聞いたんですが」
「君は鈍感だから大丈夫だと思ってたんだ。 それにしても、その怪異が私とは」
部長はふふっと笑みを浮かべて、とても楽しそうな顔をしている。
「これからは定期的にカウンセリングしないとね。 さぁ、大丈夫そうなら調査を続けよう」
魔素実習室の扉を開き、部長は中へ入っていく。
こうして一人になって気付いたのだが、先ほどまで感じていた冷気であったり、階段での出来事から引きずっていた不気味さであったりがすっかり消えており、体も心なしか軽くなっている。
こういった些細な不調にも、怪異にあてられた影響があったのだろうか。
そんな事を考えながら、部長に続いて魔素実習室へと足を踏み入れる。
部屋の中央にあるのは長机が二つと椅子が二十脚ほど。
それぞれの机には大きな瓶のような物が二つずつ置かれており、中には何も入っていない。
中学校で行われている魔素学習のカリキュラムでは、適性検査の結果でC以上と判断された生徒のみが実習による魔素の操作、感知能力の訓練を行う。
俺の魔素適性は操作、感知共にD判定であった為、具体的に何が行われていたかは知る由もないが、棚に置かれているのも机にあるのと同じような瓶だけで、理科の実験に使うような機械の類はどこにも見られない。
こんな瓶だけでどうやって魔素の訓練を行っていたのだろうか。
「この瓶にはそれぞれ違った魔素が入っていてね、特徴の違う魔素を正しく操作できるかや、その特徴を正しく感知できるかを見るんだよ」
そう説明しながら部長は棚に入った瓶を一つ取り出し、その蓋を開けて見せる。
当然、俺には何も見えず何も感じないのだが、一体どんな魔素が入っているのだろう。
部長はそのまま瓶の中に手を入れて、人差し指を瓶の縁に添うようにくるくるとさせる。
「国指定の魔素を触るのはいつぶりかな。 実習に使われるのは魔素発生器で作られた人工物でね、天然の物と比べるとどうも面白みに欠けるんだよ」
「そう言われても何もわからないんですが」
「ちょっと触ってみるかい? これは電気系の魔素だから少しピリッとするよ」
はい、と差し出された瓶に同じように手を入れて、人差し指をくるくるとしてみる。
……何も感じない。
手ごたえも無ければピリッとする感覚もないあたり、適性検査Dの結果は間違いないらしい。
「何も感じません」
「へぇ、これがわからないとなると、やっぱり君の体質は一つの才能だね」
「鈍いってやつですか? 」
「そう、それだよ。 鈍い分操作や感知は無理だが、耐性は常人の比じゃない筈だ」
部長は目を輝かせて実に楽しそうに話をしているが、そんな人間が居るなんて聞いた事が無い。
そもそも、魔素の耐性なんて活かせる場面の方が少ないんじゃないだろうか。
「耐性って、それこそこんな事でもしてない限り役に立たないんじゃ」
「今のところはそうかもね。 でも私からしたらとてもありがたい特徴だよ」
「ありがたい?」
「ああ、私から受ける影響が少なくて済む」
部長から受ける影響。
強い魔素が人の感情や意志に影響を与えるのは知っているが、部長と一緒に居る事でどんな影響を受けると言うんだろう。
「あの、具体的にはどんな影響が?」
「期間にもよるけど、常人なら感情の欠落や意識の混濁、怪異に近い状態で長く影響を受けたなら、近づくだけでPTSDのような症状も起こり得るよ」
「それって、一番初めに聞くべき事だったのでは」
「いきなりそんな事を言ったら、君は二度と部室に来なかっただろう? 君には影響がなさそうだったから黙っておいたんだ」
全く悪びれる様子もなく、部長はそう言ってのける。
確かにそんな危険性があるとわかったら近づこうとは思わなかったかも知れないが、それでも言っておいて欲しかった。
万が一他の部員が入って来ていたらどうしていたのだろう。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
「恐らくね。 何か影響があったら私が魔素でカバーするから大丈夫だよ」
部長はまたふふっと笑ったが、その目には微かに妖しい光が宿っている。
魔素の影響の話をしているのだから、今こそ魔素を抑えないといけないと思うのだが。
「まぁ、特に影響がないなら良しとします。 で、ここの七不思議候補は?」
「それは良かった、嫌われたかと思ったよ。 ここの候補は……ホムンクルスだね」




