第十四話 事前準備
「とりあえず、ここを拠点にしようか」
何の変哲もないただの教室。
四十組の机と椅子、そして教卓。
俺の通っていた中学校とほとんど同じ構成で、ここもなんら不思議な点は無い。
昇降口から入ってすぐ、左手側にあったこの教室を借りることにし、俺たちはそれぞれ荷物を降ろす。
本格的な調査開始は夜。
今のうちに準備なり事前調査なりを進めたいものだが。
「ここまで何の反応もないとなると、私たちの出番はないかもね」
部長はコートを脱ぎ、長袖の制服一枚の姿になる。
その口ぶりからして、すでにある程度の範囲を調べ終わったのだろう。
普段絶対に脱がないコートを脱いでいるのは、小野寺さんを信用しての事か仕事が無いと踏んでの事か。
その一方で新聞部の方は、荷物を降ろすなりカメラのチェックや固定用三脚の調整、何に使うかわからない機械の準備など忙しそうにしている。
湊が。
「小野寺さん、手伝ったらどうですか?」
向かいの席に座った当人は眠そうな目を擦り、校庭の方を眺めている。
何かを注意深く見ているような様子ではなく、本当にただぼうっと見ているだけのようだ。
「んー? ああいう機械系は全然わからなくてさ、そっちは湊さんに任せっきりなんだ。 その分あっち系は請け負ってるからイーブンって事で」
へらへらとした表情をしているが、視線は校庭から動かない。
ぼうっと見ているだけのように見えたが、本当は何か見えているのではないだろうか。
そんな事を考えていると、校庭へ向いていた視線がこちらへと向いた。
「今何かが見えてる訳じゃないんだけど、痕跡っていうか、名残みたいなのがさ。 稲垣君、何か見た?」
心の中を見透かされているかのような目。
部長に似たその目からはどこか冷たいものを感じる。
校庭で見たものと言えばあの影だが、あれは本当に見たと言えるのだろうか。
「見たというか、気のせいかもしれないんですが影のようなものが……」
「影? 影法師とも言うからねぇ、案外それが七不思議の一つかもよぉ?」
聞いた途端に嬉しそうな顔をして、こちらの肩をばんばん叩いてくる。
一体何がスイッチになったのか。
部長にもそういった節があるのだが、変わった人はみんなこんな感じなんだろうか。
「違うんじゃないかな。 影のような存在はシャドーピープルとしてUMAに認定しようって話も出るくらいだよ? 霊感も働かないんだろう?」
俺と小野寺さんとの間に割り込むように部長が入ってくる。
しかし、なぜこちらを向いているのだろう。
「ゼロではないんだけど弱いからなぁ。 ま、影は外れか」
「という訳で今のところ七不思議はゼロ。 手分けして七つ見つけないと今日中に終わらないと思うんだけどどうだい?」
「まぁそうだろうねぇ。 そっちはそっちで自由行動、こっちはこっちで自由行動、何か見つけたら報告でいこう」
「わかった。 七不思議の詳細を教えてくれるかな?」
小野寺さんは席を立ち、離れたところで機材の準備をしている湊へ声をかける。
そして印刷物を受け取ると、それをそのままこちらへ渡してきた。
表題は、水無瀬第四中学校七不思議。
その厚さからするに、大した内容はなさそうだ。
「トイレの花子さん、呪いの鏡、肖像画から流れる血の涙に、一人でに曲を奏でる呪いのピアノか、平凡だね」
「今のところ四つですか、残り三つは?」
「裏の取れてない七不思議が多くてねぇ、候補はリストアップしてあるから、その中のどれかが当たりだと良いんだけど」
「じゃあ、こちらはその候補の裏取りをしていこう。 すでにわかっているものも含めて本命の調査は新聞部に任せるよ」
こちらを向いている部長はともかく、小野寺さんもこちらを見ずに話を続けている。
明確に仲の悪い二人だが、人間として出来ているが為にこんな事になるのだろう。
「こちらはまず、下見を済ませようか。 いざ事が起きたらそんな余裕もなくなるかも知れないからね」
「それは良いんですが、七不思議かどうかはどう判断するんですか?」
「霊的なものにも魔素はあるからね、その質で一旦判断して、確定はあちらに任せよう」
部長は席を立ち、どこかへ歩いて行ってしまう。
「では、何かあったら連絡します」
「いってらっしゃい。 くれぐれも深追いだけはしないようにね」
「ありがとうございます。 そちらも気を付けて」
「先輩、とりあえずこれ回し続けて下さい。 こっちはまだ準備があるので」
はい、と渡されたのはハンディカメラ。
どうやらこちらの様子も収めておきたいようだ。
恨めしそうな目でこちらを見る湊には悪いが、今は部長を追わなければ。
貰った資料をカバンの中へ詰め、カメラを録画モードで回し、急いで席を立つ。
廊下はしんと静まり返っており、暑いくらいだった外と比べるとだいぶ過ごしやすい。
これが心霊絡みの調査ではなくただの学校探検なら良かったのだが。
資料に添付された地図と進行方向から見るに、部長はまず理科室へ向かっているようだ。
本物と入れ替わる理科室の人体模型。
深夜二時の丑三つ時をきっかけに、作り物の中身が本物と入れ替わり蠢くという。
内容としてはとても七不思議らしいが、これと体調不良とは繋がりにくい。
人体模型が動き出して人の内臓を奪うのなら話は別だが。
廊下をしばらく歩き、左手に出てきた階段を上がって二階、三階へと進む。
途中で部長には追いついたのだが特に話すことも無く、ただ黙々と足を進めていた。
こうして音の無い状態で無人の校舎を歩いていると、昼間とはいえ何か不気味なものを感じてしまう。
昼間でもこれなのだから夜になったらどうなってしまうんだろう。
カツ、カツ、と足音が響く。
階段の先端につけられたプラスチックのパーツが少し浮いているのか、そこを踏むと音が鳴るのだ。
カツ、カツ、カツ。
普段は意識しないような足音も、こんな環境では嫌でも耳に入ってくる。
カツ、カツ、と、俺が階段を上がりきった瞬間、段差を昇る音が二つ聞こえた。
部長はもう階段を上がりきり、三階の廊下へ入っているというのに。
しかも、二つ目の音が聞こえたのは俺の目の前。
その足音は存在しない筈のもう一段を上がっている。
「部長!」
異変を確認した瞬間、俺は自然と部長を呼んでいた。
「ん、あれ? 不思議な魔素が漂ってるね」
俺の声を聞いて戻ってきた部長が首を傾げた。
腕を組んで手を顎に当て、何かを考えている。
「階段を上がりきった瞬間、俺の目の前でもう一段階段を上がる音が聞こえたんです」
「存在しない階段を上がる何かか、悪いものじゃないけど何かはわからないな」
「人かどうかもわからないんですか?」
「どうだろう、人には近いけど人ではない何かも混じってる感じかな」
うーん、と、迷った様子で存在しないもう一段のあたりを探っている。
手をかざしてみたり、目を閉じて精神統一のようなそぶりを見せたり。
部長はしばらくそうしていたが、ダメだね、と言って諦めた顔をした。
とっさに握ったペンダントは全く熱を発しておらず、部長の言うように悪意のあるものとは思えない。
一体あれはなんだったんだろう。
音が聞こえた瞬間には背筋が凍る気がしたものだが、あれは怪異と遭遇した時のものとは違う。
「これって七不思議でしょうか」
「そうかも知れないね。 変な魔素も感知してしまったし、あいつに連絡しておくよ」
携帯を取り出し、部長は慣れた手つきでメールを送る。
そうしてメールを送り終えると、ふぅ、と一息ついてこちらをじっと見てきた。
なんだろう。
無言のままこちらを見つめる部長の目は、こちらを見ていながらもどこか別の所を見ているように感じる。
「うん、問題はなさそうだ、そう気にせず次へ行こう。 これが七不思議だったら君が初ヒットだね」
嬉しそうにそう言うと、見えていた理科室の扉へとさっさと歩いて行ってしまう。
こんなヒットは嬉しくないのだが。
正門前から見た謎の影。
先ほど聞こえた謎の足音。
それで通算ツーヒットならもう二つ見つけたら初得点。
ホームランなら一挙三点か、なんて考えながら後を追う。
部長に続いて理科室へ入った時、部長の携帯から新着メールを告げる着信音が鳴った。




