第十三話 二人の部長
四月もいよいよ最後の週となり、ゴールデンウィークが目前へと迫ってきた今日この頃。
コートを着る部長が暑くないのかと心配になるくらい気温も高くなってきた。
今が一番暑い時間帯だというのもあるのだろうが、つい先日まで少し肌寒さを感じる春先だったのが、今や初夏の気配すら感じるのだから不思議なものだ。
一番過ごしやすい春の気候はどこへ行ってしまったのだろう。
「どうしたんだい、そんなに空を見上げて」
「いえ、良い天気すぎて春はどこに行ったのかな、と」
「たしかに、今年は特に極端な気候だね。 暖かくなるのを通り越して暑いくらいだ」
手をパタパタとさせて扇ぐ部長の額にはうっすらと汗が見える。
コートが霊的な影響を避ける為の装備なのはわかるが、もっと夏場に向いた物はないのだろうか。
「汗をかいてる所はあんまり見ないで欲しいなぁ。 これでも少しはメイクしてるんだよ」
「すいません、そんなつもりじゃなかったんですが」
「めんどくさがらずに魔素で暑さを防いでおくんだった。 君の前ではなるべく綺麗でいたかったのに」
「汗くらいじゃそんなに変わらないと思いますよ」
「メイクが落ちても変わらず綺麗、って意味と取って良いかな?」
「ご想像にお任せします」
などと話しながら歩いている間に水無瀬第四中学校が見えてきた。
学校の敷地は俺の背を超える高さの工事用フェンスにぐるりと囲まれ、正面入口となる正門には太い鎖と南京錠がされている。
フェンスには等間隔で耐震工事中の為関係者以外立ち入り禁止、と書かれた張り紙がされており、工事現場でお馴染みのご迷惑をおかけしますと頭を下げる例の男の絵も描かれていた。
「新聞部より早く着いてしまったね。 鍵は彼らが持ってるからしばらく待とうか」
「そうですね」
フェンス越しに見える校舎は何の変哲もない中学校といった感じで、特別変わった所は見られない。
雰囲気にしても全く普通で、ここに何かしらの曰くがあるとは到底思えないくらいだ。
しいて違う点を挙げるなら、他の校舎と比べて壁が少し白いくらいだろうか。
校舎の白い壁が日光を反射して、こうして見ていると目に痛い。
角度の関係かその光がひときわ強くなった時、ふと視界の隅に、黒い人影のようなものが見えた気がした。
先ほどまで俺がそうしていたように、その影はただぼうっと空を眺めていたようで、人の形をした影が立っているのを不思議に思えないほど自然だった。
あれは、目の錯覚だったんだろうか。
「ほら、彼らが来たよ」
部長の声にはっとして意識が戻る。
視線を校舎から元来た道へと動かすと、遠くの方から新聞部の二人が歩いて来ているのが見えた。
やはり服装は軽装で、もう夏用の半袖の制服を着ている。
衣替え前ではあるが、その選択が正解なのだろう。
先頭を、いかにも気だるそうに頭をかきながら、あくび交じりに歩いている白髪の男性。
人目を引きすぎる外見からしても見間違う訳がない。
あれがうちの部長の天敵、新聞部部長の小野寺宗介だ。
小野寺さんと目が合うと、ぱっと表情が明るくなり、こちらへぶんぶんと手を振ってくる。
なぜだか分からないのだが、俺は小野寺さんに好かれているのだ。
こちらも手を振ってそれに答えると、小野寺さんは更に笑顔になりこちらへ駆け足で近づいてくる。
後ろを歩いていた湊は荷物持ちなのか、両手に鞄を抱えて疲れた顔をしていたが、こちらは挨拶を返しただけだ。
そんな恨みに満ちた顔をされても困る。
「やあやあお二人さん、今日は協力してくれてありがとう!」
俺の両手を握り、ぶんぶんと上下に揺さぶりながら小野寺さんはそう言ったが、先ほどから部長の方を一切見ていない。
便宜上お二人さんとは言ったものの、部長に興味がないのは明らかだ。
「心霊研究部部長からの直々の依頼とあれば当然だ。 霊的な部分はそちらに任せるから、魔素的な部分は任せてくれよ」
「流石はオカルト研究部部長だ。 味方としてこれほど心強いことは無いなぁ」
あまりにも言葉と表情が嚙み合っていない。
両者とも嘘をつかない性格であるため言っている事が本心であるのは分かるのだが、目が一切笑っておらず、部長に至っては体の芯から凍り付きそうなほどの雰囲気を発している。
小野寺さんはそれを一切気にかけることなく未だに俺の手を握っているのだが、包まれた俺の手が汗ばんでしまうくらいの熱を感じる。
恐らくこの二人は、正反対の魔素を持つから相性が悪いのだろう。
それにしても、この二人が並んでいると俺がとても場違いなように思えてしまう。
二人とも芸能人顔負けのルックスを持ち、普通の人間には無い能力を持ち、普通の人間とはあまり関わらない。
そんな人間に挟まれていると、自分が何なのか分からなくなってくる。
「あまり部員を困らせないでくれ」
「おっとごめんごめん。 でも水無瀬さんは稲垣君をいつも独占してるんだからたまには良いだろ? 代わりに湊さんをつけるからさ」
「ダメだ。 私の助手は渉にしか務まらないよ。 あと、苗字で呼ばないで欲しいと言わなかったかな」
「そうだった、ごめんごめん。 どうも名前で呼ぶのに慣れなくて。 瑠璃さん、で間違いなかったよね」
「ああ。 とにかく心霊側はそちらの二人で、魔素側はこちらに任せて貰おう」
終始にこにことしている小野寺さんとは対照的に、部長はいつにもまして冷たい表情で淡々と会話を交わしている。
部長は人付き合いを避けているだけで苦手ではない筈なのだが、なぜこの人を前にするとここまで露骨に態度に出てしまうのだろう。
会話の内容や行動にも思い当たる節が無く、もし何かあるとしたら、俺と部長が出会う一年前よりも前に何かあったとしか思えない。
ここでようやく小野寺さんの手が離れ、手元からの熱と背後からの冷気に挟まれる状況を脱出した。
離れた手は部長の冷気ですぐに冷え切ってしまったが、顔を合わせたばかりの頃からはいくらかマシになってきた気がする。
「小野寺部長置いてかないでくださいよ! 荷物も全部私に持たせるし!」
ようやく追いついた湊が怒った様子で小野寺さんに詰め寄るが、小野寺さんはごめんごめんと軽くいなし、鞄の一つを受け取って中から鍵を取り出した。
小さくシンプルなそのカギは、正門の南京錠を開けるための物だろう。
そうしてあっさりと正門の鍵を外すと、またはい、と湊に鞄を返してしまった。
「人を荷物持ちにして……これで守ってくれなかったら化けて出ますからね!」
「ははは、それはもちろん。 両手が空いてなきゃいけないのは僕も不便だと思ってるんだよ?」
ごめんごめんと繰り返す小野寺さんは相変わらず軽く、湊の事は一切気にかけていないように見える。
それを知ってか知らずか、湊は約束ですよ、なんて言っておとなしく鞄を持っていた。
人様の関係に口を出すのは野暮かもしれないが、こんな扱いで湊は納得しているのだろうか。
「ここから何か感じるものはあるかな?」
「いや、何も無いな。 霊的なものは?」
「何も。 まだ日が出てるし、幽霊もお休み中かもね」
「むしろ都合が良いか。 今のうちに七不思議を調べていくとしよう」
先を行く部長二人はすたすたと校舎入口へと進んで行ってしまい、俺と湊は完全に置いて行かれる形になった。
あの二人が揃うと基本このようになり、本当に危険が迫った時以外はほとんど二人で行動してしまう。
そうして下っ端二人は急いでその後を追うのだ。
正門から校舎までの道のりは本当に何事もなく、正門前で見た不思議な影も見られない。
長い直線の脇には広い校庭があり、そこにはサッカーゴールや野球のベースなど、様々なスポーツに対応した備品が置かれている。
部室と見られる小さな建物もいくつかあり、通常であればこの校庭も運動部の部員たちで賑わっていたのだろう。
角の方にはプールもあるようで、背の高いフェンスから監視台が突き出している。
「普通ですね」
横を歩く湊が額の汗を拭きながら、鞄を持ち直しつつ話しかけてくる。
どうやら、両脇に抱えた鞄はなかなかに重いらしい。
「七不思議なんて関係なくて、集団ヒステリー、みたいなオチかもな」
鞄を指さして、こちらへ渡すように手のひらをクイクイと曲げて合図する。
湊は意図がわかったようで、鞄の一つをこちらへ渡してきた。
持ってみると想像していた以上に重く、かけた紐が肩に食い込むのを感じる。
一体何が入っているのだろう。
「それじゃ困ります。 今回はカメラとか色々持ち込んでるんですから」
「どうりで重いわけだ。 最近じゃネット記事が主流だから大変だな」
「動画投稿サイトに載せたら記事以外も収入になるからむしろプラスですよ。 先輩も見るでしょ? 心霊系動画」
「まぁそりゃ見るけど、ああいうのって大体作り物だろ」
「ロマンが無いですね。 カメラくらいは貸してあげるので、先輩も撮ってみたらどうです? 自分で撮れたら見方が変わるかも知れませんよ?」
人を馬鹿にしたような顔で、にやにやとこちらを見てくる。
ロマンも何も、今まで本物だと思えるようなものを見た事が無いんだから仕方ない。
今どきは全員カメラを持っているようなもので、心霊動画のヤラセなんてすぐにバレて炎上するのが関の山だ。
こんな事を言うなんて、湊は心霊映像を撮った事があるんだろうか。
「そう言う湊は撮った事があるのか?」
「ええ、ありますよ。 見せてあげても良いですが、この調査が終わってからにしましょう」
そう言い終わるや否や、湊はさっさと部長たちの元へと駆けて行ってしまう。
一人残された道はとても静かで、風のそよぐ音や名前も知らない鳥の声だけがやけに響く。
時間が止まったような誰も居ない校庭からは、なんとも言えない不気味さを感じた。