第十話 同族
おとしごさまを警戒していた時とは別の緊張感と共に、三度目のデメテルガーデンを進む。
夕方に差し掛かり、暗くなってきた空が今の心境を表しているようだ。
あの店に行こう、とは自分から言い出した事だが、どうにも足が進まない。
「咲耶さんから貰ったペンダントだけど、何か変わったところはないかい?」
「変わったところ?」
ポケットに入れていたペンダントを取り出し、改めて確認してみる。
見たところこれといった変化はなさそうだが。
と、本体部分に触って気が付いた。
微かにだが放つ熱が強くなっている。
「少しだけ温かくなってます」
「へぇ、やっぱり魔素以外の変化もあったんだ。 おとしごさまに近づいた時から中の魔素が少し強くなっててね、魔素に鈍い君に向けた贈り物だから、きっと魔素以外にも変化があるだろうと思ってたんだ」
「中の魔素が強くなるのには何の意味があるんですか?」
「周囲に侵食するタイプの魔素があると混ざらないように強くなる。 そして強くなった魔素に反応して容器が発熱する。 そうすることで周囲に危険な魔素があると知らせてくれるんだ」
「魔素の危険探知機みたいな物なんですね」
「私の魔素でも反応するだろうから、私と居る時は使えないけどね。 恐らく、そこまで考えてのプレゼントだよ」
部長は不満そうな顔をしているが有用な物であることは確かだろう。
ただ一つ不安なのは、その危険探知機が店に近づくにつれ強く熱を発しているのだが。
「そろそろ危険範囲かな。 体調はどうだい?」
「なんともないです」
「やっぱり君に危害を加える気はなさそうだ。 私は後から行くから、まずは君が先行してくれないか」
いつもと違う展開の連続に驚いてしまう。
魔素絡みで部長の前を進むなんて今までになかった。
慣れない状態に戸惑いながら、あとわずかとなった店への道を進む。
店までは残すところほんの数メートル。
視線を上げればもう、店の姿が見えていた。
店の入り口を前にして、後ろを歩く部長の足音が止まる。
ここからは一人で行けということらしい。
片手でペンダントを握りしめ、店の扉に手を掛ける。
左手の中のペンダントは携帯カイロほどの熱を発していた。
当たり前かもしれないが店内の様子は変わっておらず、出迎えた西洋人形にも変わったところは見られない。
出迎えの声がないということは、恐らく誰が来たかも、その目的もわかっているのだろう。
店を開けたまま留守ということもないはずだ。
店主の姿を確認するため、俺は店内奥のテーブルを目指す。
「おとしごさまは祓えたみたいね、人形も要らなかったみたいだし良かった良かった」
そこにはいかにも嬉しそうな顔をした店主がお茶を用意して待っていて、その様子を見るなりなんだか気が抜けてしまった。
もっと重々しい雰囲気だったり、緊張感があるものだとばかり思っていたのだが。
「あ、はい。 部長があっさり祓ってくれました」
「部長? 瑠璃ちゃんのことだよね?」
「あぁ、言ってませんでしたっけ。 僕たち水無瀬学院のオカルト研究部なんですよ」
「あぁ、どうりで」
それを聞いた瞬間、手の中のペンダントがひときわ強い熱を発する。
その熱に思わず手を開いてしまった。
「あ、ごめんなさい。 またコントロールに失敗したみたい」
「い、いえ。 ペンダント、ありがたく使わせてもらってます」
「それは君の身を守ってくれるから、危険な場所には忘れずに持っていってね」
今、このような場所を指しているのだろうか。
始めは緊張感の無いただの話し合い程度に思っていたのだが、嵐の前の静けさというのか、店内に満ちる冷たい泥が静かに蠢いているのを感じる。
「あの、おとしごさまとの間にどんな関係があるんですか?」
口にしてから自分でも驚いた。
本当なら当たり障りのない話題で危険なラインを探り、徐々に核心に近づいていくものだ。
だが、俺の口からは一番最後に聞くべきであろうそれが発せられたのだ。
何がそうさせたのかはわからない。
俺の背中を冷たい汗が滴り落ちていく。
「フフフッ、いきなりそれ聞いちゃうんだ。 信頼されてるみたいだし、君にだけ特別に教えちゃおうかな」
目に宿る光が体に突き刺さる。
全てを見透かされているかのような、捕食者に狙われているかのような視線。
部長のそれと比べると遥かに冷たく、底なしの穴のように惹きつけられる。
だが、不思議と危険は感じず、体も通常通り動いている。
「おとしごさまに身の危険を感じたのは本当で、人形を使って逃げたのも本当。 おとしごさまの魔素を取り込んだのは、おとしごさまの顔を見ちゃったから。 あいつはね、意志も考えも無いただ人を呪うだけの存在なの。 人を呪うために力のある人間を捕り込んで、力を増やしてまた人を呪うそういう存在」
店主は、今までのゆっくりとした口調が嘘のようにまくしたてる。
目の光は言葉を放つたびに強くなっていく。
「でも私は捕り込まれなかった。 人形で弱ったあいつには私を捕り込む力は無くて、だから私に魔素を残したんでしょうね。 そうすればこの世との繋がりを残せるから」
まるで舞台を見ているようだ。
こんな状況で俺の頭から出てきたのはそんな感想。
そんな俺の状態を知ってか知らずか、鬼気迫る様子の店主はさらに説明を続ける。
「君たちに渡した人形は本物。 もう一度内側から魔素を食らったらあいつは消える。 あいつの性質を話さなかったのは仲間が欲しかったから。 あいつの魔素のせいなのか、寂しくて仕方ないの」
店主の両手が、ペンダントと俺の左手を包む。
先ほどまでの熱が嘘のように消え、手の中のペンダントは冷たくなっている。
その一方で、店主の両手はとても温かかった。
「君や、瑠璃ちゃんならあいつの魔素なんて何の影響もないし、あいつはどうせ瑠璃ちゃんに祓われる。 だったら、あいつの魔素が残っていても問題ないと思わない? 同じ魔素を持つもの同士は惹かれあうの」
魔素は本来固有のものだ。
人に魔素を込めたとしても、それはいずれ当人の魔素に中和されて消えてしまう。
つまり、同じ魔素を持つなんて事は人の間には存在せず、あるとすればそれは、魔素を持たないものに込められた場合か、他の魔素の影響を受けない特異なものか。
惹かれあうという感覚は、物に特化した魔素を持つこの店主だからこその感覚だろう。
妖しい光を宿した目が、今は弱弱しく感じられる。
わずかな可能性に賭けているかのような懇願する目。
恐らく、話しながら自分の言っていることがもう叶わないとわかっているのだ。
「僕たちに危険が及ばないことはわかってたんですね?」
「ええ、君たちがあいつに捕り込まれる訳がない。 例え捕り込まれたって、私の人形があいつを消して君の事を守ったから」
「あいつの魔素を持った人間じゃないと、寂しさは紛れませんか?」
「あいつの魔素がそうさせるの、殺意は消せるけど、この寂しさだけは無理。 孤独には慣れているけど、世界に同じ種族が一人も居ない、みたいな感覚」
妖しい光はすっかり消え、今や震える声も相まって子供のように見えてくる。
その魔素から来る孤独感というのはそれほど強いものなのだろう。
「部長に何か方法がないか聞いてみましょう。 あの人、魔素に関しては天才なので」
「本当に? 専門家でもだめだったのに」
「だめでも寂しさが紛れるように出来る限りしますから、とりあえず聞くだけ聞いてみませんか?」
うん、と店主が頷いたのを合図に部長が店に入ってくる。
偶然とは思えないタイミングの良さに驚いたが、これも魔素のなせるものなのだろうか。
「盗み聞きしていたのは謝るよ。 詳しい説明は省くけど、そいつの魔素は咲耶さんと強く結びついているから消すのは無理だろうね。 だから、私たちが同族になろう」
そう言うなり、いつの間にか手に握られていたあの赤い人形を少しちぎり、その欠片を飲み込んだ。
「え、部長大丈夫なんですか!?」
「ああ、咲耶さんの言うとおりこいつの本体は消えているし、私や君には何の影響も及ぼせないよ。 今さら魔素の種類が一つ二つ増えたところで何かが起こる訳でもない」
店主は呆気にとられており、まだ思考が追い付いていないようだ。
ほら、と投げ渡された人形の欠片を見る。
なぜ魔素の見えない俺に見えているのか。
その欠片は煙が形作っているようで、重さもなければ感触もなく、怪異に触れた時のような嫌な感覚もない。
部長が飲んだのだから大丈夫だろう。
俺も部長と同じようにその欠片を飲み込んだ。
飲みにくさや味もなく、体も驚くほど普通だ。
「これで私たちは同族だ。 これで納得してくれるかい、咲耶さん」
名前を呼ばれたことで我に返ったのか、店主は体をびくっとさせて席から立ち上がる。
「あ、はい! ありがとうございます……」
まだ実感がわかないのか、ぼうっとした様子の店主は立ち上がったまま動かない。
無造作に降ろされたその両手をとると、部長はそっと手を重ねた。
「少ない同族なんだから、これからも仲良くして欲しいな」
「は、い……?」
店内の泥はどこかへ消えてしまい、冷たくなっていた温度も元に戻る。
どうやら、これで本当に一件落着となったようだ。
窓から差し込む夕日が西洋人形を照らす。
人形の表情も、来た時と比べるといくらか柔らかくなっていた。




