第九話 人形
「さて、それじゃあ早速人形に残った魔素をたどってみようか」
「夜までには帰れますかね」
「距離はそう遠くなさそうだよ。 この反応の強さだとほとんど消えかけだろうし、案外さくっと解決できるかもね」
部長の髪が黒に近くなるにつれ、目に宿る妖しい光が強くなる。
部長が言うには、体の能力を魔素の操作に割けば割くほど髪が黒くなるらしい。
魔素を扱う能力は本来人間に備わっているものではないらしく、それを扱うにはある程度人間としての機能を捨てる必要があるとも言っていた。
具体的な事は教えてくれないのだが、部長の身体能力が極端に低いのもその一部だろう。
「体は大丈夫ですか?」
「ん? ああ、髪が黒くなったのはおとしごさまの魔素に触れたせいだから問題ないよ。 君が居る所でそこまで能力は使わないから安心して」
「兆候が見えたらすぐ言いますからね」
「頼んだよ。 君は私のリミッターなんだから」
黒くなった髪が元に戻り、目の光も元に戻った。
どうやら探査が終わったようだ。
「こちらへ近づいて来てるようだ。 お互いの魔素が触れた感触があったし、向こうもこちらに気付いたかな」
「場所を変えますか?」
「駅に向かって歩こう。 途中で人形を落とすから、振り返らず、そのまま駅に入るんだ」
「わかりました」
前を歩く部長に続いて駅を目指す。
追ってくるものに対して注意を向けず、意識しないことで後の影響を減らす。
これは呪いの類やターゲットを執拗に狙うタイプの怪異に適している方法で、祓う直前の強い呪詛を避けたり、万が一祓い損ねた場合のケアも兼ねているそうだ。
お互い無言のまま、駅への道を進んでいく。
行きはあっという間に思えた距離も、こうして歩いていると無限に続いているかのように思えてくる。
足元から伸びる自分の影を見ながら、背後から迫っているであろうおとしごさまについて考えていた。
龍神の子供とされていたおとしごさまの正体が生贄にされた人間であり、それが恨みをもって生贄にした人間の子孫を襲っている。
道理としては通っていそうだが、それがなぜ悪いものを食べる良い神様のような都市伝説になったのだろう。
歴史の絡む都市伝説や民間伝承といったものには教訓や戒めが込められている場合が多く、おとしごさまの噂にあるように、他所から龍神の子供を招き入れたことで生贄を捧げずに済むようになったのであれば、都市伝説どころかどこかの神社で祀られているはずだ。
しかし、事前に調べた限りではおとしごさまのような龍神の子供を祀る神社は水無瀬市内に存在しない。
それどころか、水無瀬市が水に困っていた時期がある、という部分にすら裏付けがないのだ。
水無瀬はもともと水瀬の字でみなせと読まれていたのが、後に無の字が足されて出来た地名である、とするのが有力な説で、それを裏付けるように龍神や水神を祀る神社が数多く存在している。
水に困った歴史が嘘だとするなら、龍神の子供を連れてくる必要もなく、また、生贄も必要ないはずなのだが。
「来たよ。 振り返らずに、慌てずにね。 手を繋ごうか?」
「いえ、大丈夫です」
せっかくなのに、と残念そうに言う部長の顔は見えないが、恐らくあの笑顔を浮かべているのだろう。
その会話の直後、部長の手から例の人形が落とされる。
その人形は店で見た時とは似ても似つかない空気を纏っており、今やその人形自体が怪異と化していた。
部長の身代わりともなるとそうなるのだろう。
人形の触れた石畳から周囲に嫌な気配が広がっていく。
怪異の放つ冷気とも、あの店の店主が放つ冷たい泥とも違う、周囲の熱を奪うだけのなにか。
恐らく、あれは触れてもわからない嫌な予感そのもののようなものだろう。
目の前の人形に気を取られてしまったが、背後からは未だになんの気配もしていない。
怪異に近いものであれば体が反応すると思うのだが、今回は不気味に思えるほどなんの異変も感じられないのだ。
部長が人形を落としたということは近い距離に居るはずなのだが。
人形を落としてから数メートル。
背後からカサッという小さな音がした。
葉が風に吹かれて石畳に触れる程度の音だったのだが、すぐにそれがおとしごさまだとわかった。
音と共に流れてくる濃厚な血の匂いと腐敗臭。
向かい風の中流れてきたその匂いに思わず顔をしかめてしまった。
「本体の能力は落ちていても影響は強そうだ。 ほら、もう少し近づいて」
言われた通り、部長との距離を縮めると匂いが消え、背中がビリビリするような感覚もなくなる。
その二つが和らいだ分、背後から迫る異様な気配にも気が付いた。
底なし沼と言うよりは、崖や穴自体が近づいてくるような不安感。
そして崖や穴と同じように、人を引っ張ろうとする何かを感じる。
「人形を食べたね。 もう少しだよ。 ほら、三、二、一」
零。
背後の気配がパッと消え、前を歩いていた部長が振り返る。
部長の右手には、落とした筈の人形が握られていた。
「え?それって」
「貰った人形だよ。 今回は自前のダミーを使わせてもらった」
「それがないと祓えないんじゃ」
「まさか。 実体の無い相手ならだいたい何でもいけるよ」
「さっき落とした人形は」
「私の魔素を人型にしたものだよ。 これを使うわけにはいかなくてね」
「それは、どうして」
「あの店主、君が思っているより曲者だよ」
こちらが疑問を口にするたび、素早くそれに答えてくれる。
前に部長に言われたことだが、どうも俺は焦っていたり理解を超えた事態に遭遇すると質問がちになり、それに答えて貰う事で平静を保とうとする癖があるらしい。
部長はそれを知っているため、こうして答えてくれている。
「すいません、落ち着きました」
「黙ってた私が悪かった。 あれを完全に消す前に話すのは危なくてね」
「いえ、なんとなく理由はわかります」
「ほう? また部室で聞かせてもらおうかな」
その楽しそうな笑顔に妖しい光は宿っておらず、おとしごさま退治が本当に終わったのだと実感できる。
今回は直接怪異と対面したわけではないが、それでも、体から嫌な汗が流れているのを感じた。
おとしごさまを見られなかったのは正直残念だが、それなりの理由があってのことだろう。
あの店を出てから一時間足らず。
素早い決着ではあったが、まだ腑に落ちていない点がいくつもある。
できれば今すぐにでも、あの店へ向かいたいくらいだが。
「あの、またあの店に行きませんか?」
「いいよ。 本当は君を危険な目には合わせたくないんだけど、咲耶さんも君の事を気に入ってたみたいだし、会いに行ってみようか」
正直、完全に却下されるものだと思っていた。
おとしごさまとあの店主に何かしらあるのは確定的であり、それを問い詰めに行くなら衝突は避けられない。
そういう場合、俺はだいたい留守番係になるのだが。
「少なくとも、彼女に悪意はなかったからね。 君と一緒なら無駄な衝突も避けられそうだ」
「はい、すぐに行きましょう」
来た道を再度、あの店へ向かって進んでいく。
太陽はだいぶ地表に近づいており、もうじき空も夕暮れに染まるだろう。




