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ドラマより奇なり



 虎徹が生後十か月を迎える頃に、アユはまた独りで出ていった。


 今度は地方都市の歓楽街で短期で働いては現金を片手に帰郷し、一週間ほど子供たちと戯れて次の都市へ移るという諸国漫遊スタイルを楽しんでいく。

 ところが、知人の要請で古巣の東京へ戻り少し長めに働き始めたところでまた事が起きた。


「なんかさあ、めんどくさい人がこっちに押しかけてくるかも、ごめんって」


 葡萄の木の世話を祖母と中学校から帰ったばかりの尚が手分けして行っている最中に、ツナギ姿のミナがひょっこり現れた。彼女は現在地元の農業高校に通っている。


「今度はなんだい。また赤ん坊かい」


 祖母は手を止めずにミナに問う。


「うん。それもあるんだけど、彼氏がうっかり良い所のボンボンだったらしく、怖いお姉さんが乗り込んで来たって」


 ミナも答えながら作業を手伝い始めた。

 しばらく三人の動くざわざわとした音とハサミがぱちんと茎を切る音だけが響く。

 手慣れたもので百人力だ。

 しかし彼女のもたらした情報は聞き捨てならない。


「は?」

「でね、韓国ドラマみたいに都内で一番の高級ホテルのラウンジに呼び出されて、さんざん散々嫌味言われた後に紅茶をざばーってかけられたんだって」


 さすがの二人もそのままの姿勢で固まる。


「は? アユは大丈夫なのかい?」

「うん。ぬるかったから火傷しなかったって健ちゃんが」


 長男の健は懐っこい顔立ちの少し小柄な美少年のままで、今もアユとミナからちゃん付けで呼ばれている。


「はあ? なんでそこに健が出る」

「それがね……」


 相手の男は予想以上に純で、アユとの結婚を本気で考えていた。

 それを知った彼の姉がアユを呼び出し、別れを迫ったらしい。

 健は希望通りの会社へ就職でき配属も東京となったおかげでアユと頻繁に連絡を取り合っていたため、同席することとなった。

 アユはすでに妊娠していて、暴力を振るわれたら危険だと心配してのことだった。


「なんだい、濡れたのは健かい……」

「そういうこと」

「それで、この収穫期に来るのかね」


 利益を見込んで葡萄を始め、それだけでなくあらゆる作物が収穫期に入り、柚木家は多忙を極めていたが。


「たぶん」

「仕方ないねえ……」


 祖母が重い重いため息をついて五日後。

 他所から来たタクシー三台が連なって棚田の柚木を目指していると、町と集落は騒然となった。





「別れるよう説得してください」


 全方角高級な何かの鎧で固めた四十代の女性が背後に四人の男を従え、来客用座布団に正座した高い位置から上段の構えで見下ろし言い放つ。


「別れないって駄々をこねているのは、お宅の弟さんと聞いていますが?」


 対する柚木トヨは額と眉間の皴がくっきりと陰影をあらわし、下からじっと睨みつける。


「巌流島の戦い……」


 後方に控えている二組の夫婦のうち一番大きな泰明が思わず呟くと、脇腹に妻の肘鉄がどすっとはまった。


「貴方のお孫さんのような女にたぶらかされたせいで、弟は……」

「何言ってんだい。三十も半ばになって、姉が秘書だのなんだの引き連れてしゃしゃり出るような男は、こっちから願い下げだよ」

「は?」


 二人はさくっと素になり口論を始めた。


「うちの息子は、あんたの弟の年にはアユの母親と結婚するために自力で何年も頑張ったけどねえ」


 話題にされた件の息子夫婦は、祖母の後ろで当時を思い出したのか正座したまま身体をくねくねさせてしきりに照れている。


「ははっ。綺麗ごと言わないで。結局欲しいのはお金でしょう? 今なら多少は弾むわよ」


 後ろに控えていた男から袱紗に包まれた札束を受け取り、すっと座卓の上に置いた。


「へえ? これっぽっちかい」

「はああっ?」


 祖母がふんと鼻で笑うと、女性は目を限界まで見開いていきり立った。

 碁石のように真っ白な前歯をむき出しに、今にも祖母の喉元へ噛みつかんばかりの勢いだ。

 どちらも一歩も引かない構えで、同じく絹のこんもりした座布団に座らされた女性のお付きの男たちも、こんな山奥へ乗り込んだのは初めてなのか居心地が悪そうに縮こまっている。

 

 


 そこへ、思わぬところから声が飛んできた。


「ええ? そこは小切手じゃないのかい?」

「ちょっと、万蔵さん!」

「だって、ドラマではあれだろ? こんな感じの金持ちが小切手出して、ばしゃーって水かけるじゃないか」


 祖母と来訪者たちが視線を巡らすと、開け放した障子とガラス戸の向こうの庭先にいつの間にか幾人もの年寄りたちが好きなようにその辺の岩や箱の上に座っていたり背中で両手を組んで立っていたりでずらりと並び、興味津々の眼で居間の様子を覗いているではないか。

 しかも車内待機のはずだったタクシーの運転手たちまでも煙草片手に気まずげに観覧しており、雇用主と目が合うと慌てて顔をそらした。


「な…なんなの」


 わなわなと女性が唇を震わせる中、年寄りたちの背後にぽつんと立っていたミナののんきな声が追い打ちをかける。


「ああ、万蔵さん、それもうとっくの昔にやったよ。お高いホテルで健ちゃんが身重のアユをかばって紅茶まみれになったってさ」


 とんでも暴露に野次馬たちは色めき立った。


「おお~っ!」


 やんややんやの盛り上がりぶりだ。


「おいちゃんたちも韓国ドラマ観てるんだねえ」

「そりゃあなあ。金持ちのボンボンに見初められた貧乏な女の子をいびるご令嬢とかなんか懐かしくてよ。ついうっかり見ちまうんだよこれが」


 隣の国の愛憎ドラマはお年寄りたちの娯楽の一つになっているらしい。


「あんたたち、いつの間に……」


 さすがの祖母も目前の敵に集中していたので気づかなかったようだが、部外者として庭に立ち見守っていた尚たちは一人また一人と観客が増えているのを横目に見ていた。

 中には犬を抱えて来た者もおり、緊張感のかけらもない。

 ついでに、尻尾を振ってわんわんと吠えてくれる愛嬌ぶりだ。


 はああーとため息をついた後、祖母は「まあ、証人と思えばいいか。うちは収穫期で忙しいんだ。話をつづけるよ」と正面に告げた。


「あんたがうちらと縁を結びたくないって言うのは、まあ、ごくごく普通だね。生きてきた世界が全く違うから、怖いだろう」


 ここまで乗り込んできたのはこの女性が初めてだったが、健も似たような経験を何度かしている。柚木家の長女長男は見目が良くて人付き合いが上手いので異性に好かれることは多々あるが、そこから先はあまり良いことにならなかった。


「私の家は親類もみな全員高学歴です。嫁いでくる人も家柄の良い方しかいません。中卒なんてとても」

「高卒。ちゃんと単位は認定されているよ。あんたの調査員はぼんくらだねえ」

「な……」

「そもそもアユは努力家で頭が良いんだ。せっかく県で上の方の高校に入ったのに二十歳も上の既婚馬鹿教師に孕まされてあろうことか退学させられちまったってのも、調査に上がっていなかったのかい」

「それは…」

「あんたら高学歴皆々さんの言葉で言うなら、グルーミングとやらだね。美人で頭のいい孫を妬んだやつらに爪はじきにされていたところを生活指導とか言って何度も呼び出して個室で手懐けた。あんたの言うちゃんとした家の出だったよその男は。なんせお偉いさんが動いてくれるくらいだからね」


 集落の誰もが知っている事だから、野次馬たちの同情の声が聞こえてくる。

 やや気圧されながらも、女性は別のカードを切った。


「でも、それから今までキャバクラで荒稼ぎをしていますよね。売れっ子と聞いていますよ」

「おや、売れっ子と言ってくれるのかい。そりゃ、あの子は気が利くし気立てが良いからね。当たり前だろう。しかも、その稼ぎは全部農機具購入や私らの生活費に回されているってのも、お高い調査会社さんなら簡単に分かったんじゃないのかい」

「それがどうだっていうのですか。孫に水商売させてのうのうと暮らしているのは貴方じゃないですか」

「それは否定しないよ。アユに申し訳ないと思いながら田畑を耕しているさ」

「だったら」

「私ら家族のことをあんたに理解してもらいたいとは思わないよ。放っといてくれってアユも健も言っただろう。人の幸せなんてそれぞれなんだ。そこへわざわざ事を荒立てた挙句に乗り込んで喚いているのはあんたの方」


 みっともないと。

 初対面の年寄りから言外に指摘され、アユのお腹の子の伯母は真っ赤になった。


「とにかく。うちの孫は母親に似て気立てが良いのが私の自慢でね。あんたんとこに嫁にやるなんて、もったいなくてあり得ないね」


 祖母は袱紗包みを女性に押し返した。


「金は要らない。今後一切お互い関わらないと誓約書を交わして、終わろうじゃないか」


 どっしりとした静かな声に相手もようやく落ち着きを取り戻した女性は同行した男たちとこそこそと話し合ったのち、居ずまいを正す。


「……そうですか。では」


 調印式までしっかりと見守ってから、野次馬たちは満足して帰っていった。

 一部は泰明夫妻や両親が車に乗せて送ることとなった。

 その後を、三台のタクシーが続く。


「うちのマスカット持っていきな。うまいから」


 祖母はけろりとして、無粋な訪問者に土産を山ほど持たせた。

 観客にも配って大盤振る舞いだ。


「さすが、ばあちゃん。かっこいい」


 ようやくいつもの静けさに戻った庭でミナが拍手をして囃し立てると、ふんっと鼻息を一つ吹き、いつの間に握ってきたのか塩をひとつかみ、道に向かって大きく振りかぶって投げた。


「二度と来んな。クソが」


 びゅうとミナは口笛を吹く。


「しびれるわ」







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