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10話目

 何度も手を伸ばしかけて、俺は何度、諦めてきただろうか。


 叫び声は誰にも届かない。


 泣いたところで誰も助けてはくれない。


 諦めた方が楽だった。


 期待しなければ裏切られることもない。


 適当でよかった。


 君に会うまでは。



 そして、君だけが俺の希望ひかりだった。





 薄暗い室内。まだ明け方前だ。時計を確認すれば3時を少し過ぎたばかりで、こんな時間ではだれも起きてはいないだろう。


「しばらく見ないと思っていたが……」


 嫌な汗で体がぐっしょりと濡れている。


「気持ち悪い……」


 外の空気が吸いたくてカーテンを開ける。


「雨か?」


 窓を緩やかにたたく春の雨がただ静かに降り注いでいた。カーテンを開けるまで気づかないほど静かに。


 後悔しかない人生だった。その最後もらしい最後だ。


 他人の人生だと言えばそうだし、俺自身のものであると言えばそうとも言える。自分の中では折り合いをつけたつもりではあるが……。


「自分の死に際よりも、彼女の最後の方がキツイというのも、まあ俺らしいというのか」


 自分の死に際、俺が考えていたことは『やっと終わる。やっと彼女に会える』だった。結局、未だに出会えていないが……いや、確信に近い予感はある。


 許されるとは思っていない。許してほしいなんて、どの口でほざけるものか。それでも願わずにはいられない。


「政治的な方法で絡めとったら嫌われるんだろうな、俺」


 もう一度振り向かせる自信がないんだ。絶対に嫌だと言えない方法で絡めとっていくしか思いつかない。


「もう一度、一目惚れしてもらえたら楽だったんだがな……そこまで甘くはない、か」


 窓を開けてそのまま外に出れば、あっという間に雨で全身が濡れる。だが、不思議と心地よい。


 気持ちの悪い汗が流されていく。おかしなもので、汚い物をすべて洗い流されているような清々しさまで感じる。そもそも、前世の時の自分ほど今の自分は愚かではないつもりだし、あそこまで心が病んでいるわけでもない。そう思いたいが。


 あの時、彼女に全部をぶちまけてしまえたら、その勇気があったなら、今頃こんな後悔はしていないとも言える。生まれ変わったというのに、それでも過去を消化できないで悩むこともなかったかもしれない。


 彼女の幸せを願うなら、もう係るべきではないのかもしれない。だが俺は――。


「風邪を引きますよ」


 その優しげな幼い声と共に、白い傘が空を仰いでいた俺の視界を遮った。


「ああ……ユリシエル」


 白いもこもことしたメールンという動物の毛で作られたガウンを羽織った少女が、幼さの残るあどけない顔で俺を見上げる。


 太陽に染められたような美しい髪と、春の空を切り取ったかのような美しい瞳はまるで、光の精霊に祝福されたような美しさを持っていた。いや、特別美人なのかと聞かれればそんなことはないのだが、まだ幼さを残しているおかげなのか、ある種の透明感のようなものがあるように思う。


 それこそ、前世の俺ならあまりの高潔さに裸足でみっともなく逃げ出しそうなほど穢れを知らない少女だ。


「起きていたのか?」


 俺がそう聞けば、少女は明るく笑い。


「人は生理現象には勝てないのです」


 と言った。


 一国の姫なら決して言わないようなことも、彼女は平然と言ってのける。彼女にとってそれは些細なことなのだろう。全く気にも留めないようだ。確かに『変わった姫』と言う噂は間違いない。


「素直に厠に行っていたと言っても気にはせんぞ?」


「デリカシーがないですよっ!」


 打てば響くというのは存外嬉しいもので、素直に言葉を返してもらえるのは身内の他にそうは居ない。だからこそ俺はこの姫が好きで仕方ないと自覚している。本人は『お淑やか』にふるまっているつもりらしいのがまた愛らしい。


「私のことはいいのですが、春先とは言え雨に当たっているとお体を壊してしまいますよ? 今、侍女に温かい飲み物を用意させておりますので、お部屋へ――」


「いや、今は雨にあたりたい気分なのだ」


 姫の気持ちはありがたいが、今はまだ……俺の気持ちが少し沈んでいるせいで、姫に余計な気遣いをかけてしまうのは忍びない――と俺が思っているというのに。


「ああ、若い方が一時的になるというナルシスト病的なあれですか? いえ、そういうことでしたら、左目とか左腕がうずく前に、即座に退散します」


 人を厨二病患者を見るような生暖かい目で見て微笑むものだから、俺は逃げようとするユリシエルの腕を慌てて掴んだ。これ以上不名誉な人物像を作られたらたまらない。


「確かに少し冷えてきたと思っていたところだ。大人しく部屋に入る。だからをナルシスト呼ばわりしてくれるな」


「えぇ? 家族になる方がそういうのを患っていらっしゃっても、私、偏見はありませんよ?」

 妖精のような明るく屈託ない顔で微笑まれても非情に困る。


「偏見がないのは良いことだが、私は違う……ニヤニヤするな」


「ニコニコと言ってくださいっ。まったく。では早くお部屋へ。扉を開けてエリエスを入れてあげてください」


 この姫には本当にかなわない。その理由ならもう分っているがな。




 部屋の扉を開ければ、ユリシエルのいう通り、彼女のお抱え侍女が茶の用意をして扉の前にたたずんでいた。中に通し侍女がお茶の用意をしているのをわき目に、ユリシエルは傘をたたんで外に立てかけると、部屋に入ってきて窓を閉めた。


「今日はお菓子をありがとうございました。ん? 昨日?」


「水菓子のことなら気にするな。姫が気に入ってくれたのならそれでいい」


 私がそう言って笑って見せれば、ユリシエルも無邪気に笑って返してくれた。


 そして当然のようにお茶が2人分用意され、テーブルの上に置かれる。


 どうやらこのお姫様はまだ居座ってくれるようだ。


「ゼイデン陛下、お召し物を替えた方がよろしいのでは?」


「そうだな」


 まだユリシエルがここに居るというなら、着替えてくるか。




「シャツのボタンをお閉めになったらどうなんです」


 着替えるというよりは、適当にシャツを羽織り、ズボンをはいただけのラフすぎる私の姿が気に入らないのか、ユリシエルは両目を睨むように細めて不快感を示す。


「見せても恥ずかしくない程度には鍛えているつもりだが?」


 などと茶化してやれば。


「寒そうなんですっ!」


 と、ユリシエルは少しだけ眉を吊り上げて見せた。


「そうムキになるな。お茶が冷めないうちに頂くとしようか」


「そうしてくださいっ」


 これ以上は言うだけ無駄だと悟ったのか、ユリシエルはカップを持ち上げて紅茶を飲み始めた。私も早速いただくことにする。


 そのあとは特に何かを話すこともなく、侍女が私とユリシエルのカップに2杯目の紅茶を入れた後、侍女は静かに部屋を出ていく。


 私は侍女の姿を見送った後で。


「行ってしまったが、いいのか?」


 とユリシエルに聞いてみるが、彼女は特に気にした様子もなく。


「エリエスにも仕事がありますので」


 平然とそう言ってのけるが、その警戒心のなさは何なのだ。


 相手が私だからなのか? それとも、変わり者と言われる所以なのか? どちらにしても無防備すぎるのではないかと、こちらが逆に心配になってくるが――。


「男と二人きりで部屋に居るのはどうなのだ……」


 と、警戒心を促してみるも。


「私がここで叫べば、いったい何人の兵士や騎士が来てくれるのでしょうね?」


 当たり前のように屈託ない顔で笑う姫の言葉に、確かにと納得してしまっている私がいた。


 たぶん、ユリシエルが叫ぶ必要すらないだろう。彼女はただティーカップを床に落とせばいい。それだけで、私の部屋に2人以上の兵士と、ついでに私の側仕えが1分と待たずに駆け込んでくることだろう。


「信頼しているのだな」


 この城に居る者たちを。


「当然です」


 ユリシエルはそう言って、ためらいなく笑う。


(ああ、そうだな。君は常に愛に包まれている人だった……俺と違って……)


 昔の・・・が、心に影を落とす。


「とある男の話だ――」


 突然そう話し出した俺の言葉に、ユリシエルは目を丸くして首をかしげて見せるが、口を挟まないところを見るに、きっと彼女は話の続きを待っているのだろうと思う。


 俺は一つ息を吐き出すと、口を開いた。


「その男の家には父親が居らず、母親と二人でずっと暮らしていた」


「まあ、お母様とお二人で。それは大変でございますね」


 そう普通の家なら、母子家庭と言えば『きっと大変だろう』と言葉通りの想像もできるのだが。


「まともな『母親』であったなら、姫の感想でもよいのだがな。その男にとっては決していい母親ではなかったのだよ」


「どういうことですか?」


「よくあると言えばそうだ。男はよく母親から折檻を受け、医者に掛かることも少なくなかった。折檻の理由など、何でもよかったのだ。口答えをしたでも、帰る時間が1分遅れたでも、隣の家の子供と遊んでいたでも、なんでもな」


「そんな理不尽な……」


「理不尽だよな」


 殴る蹴るは当たり前、コップや灰皿が飛んでくるのは日常茶飯事で、骨を折られたことだって数えるのも嫌になるほどある。そして『母親』は思う存分痛めつけた後に、必ず泣きながら『ごめんなさい』と繰り返し息子に許しを請うのだ。


 そんな繰り返しが何年も続いた。


「そして男が大きくなり、少年から青年に成長するにつれて、母親は実の息子に『夫』の代わりをさせるようになった」


「夫の、代わり……?」


「自分を捨てた男の影を息子に重ねてな。それだけ男の顔が父親にそっくりだったのだろうよ」


 どれだけ拒否しても、どれだけ止めてほしいと願っても『母親』はやめようとはしなかったし、それどころか、年の近い少女と話をしていただけで怒り狂い、何度も傷つけられたのだ。あの頃の俺の体は傷だらけで、明るいところで体を見られることが何よりも嫌だった。だから学校のプールにも入ったことがない。


「そしてついに男は逃げ出した。母親の手の届かないところへと、必死に逃げて、全てを忘れようと努めたが、出来なかった。結局、男は女性に対しての不信感や恐怖を忘れられず、恋人ができても長続きしようはずもなく、ただ『母親』へ復讐するためだけに、全く関係のない女性と逢瀬を重ねていった」


 母親の影がちらついた。どんな女性が相手でも、母親を忘れることは出来なかった。


 だからどんどん心が蝕まれて、限界も近かったはずだ。あのままであるなら、きっと限界を超えて、どうなっていただろうか。


「そんな時、男は一人の女性に出会った。最初は復讐する多くの女性の一人にすぎなかった彼女に、男は生まれて初めて恋をしたのだ」


 それこそが、奇跡と言わずして何といえようか。


「その女性は、男とは正反対の人生を生きてきた女性だった。与えられるべき愛情を与えられて育った人。男にはそれが羨ましくも憎らしく思えて、彼女を何度となく傷つけた。それでも男に無償で与えられる愛情に、男はいつしかすがるしかなくなった。そうしなければ生きて行けなかった」


 いっそ捨ててくれれば、俺はただ惨めに死んでいけただけで済んだのに。


 ユリシエルは、ただ黙って俺の言葉に耳を傾けている。


「もしかすれば、それは誰かから見れば愛や恋と言った気持ちではなかったのかもしれない。だが、確かに男は彼女に恋をしたのだ。そして初めて男は自分がいかに『汚れた生き物』であるかを知ってしまった。だからこそ、男は自分の醜さに耐えられなくなり、愛する女性を突き放そうとしたが……」


 一緒に居たいと願えば願うほど自分の醜さが際立って、彼女の存在が眩しくて側に居ることが辛くなる。だが、それでも彼女のくれる温もりに縋りついて、自己嫌悪に陥る。


 そして、彼女の温もりや優しさを失って初めて、ただそばに居てほしいと願った。それだけだった。


 俺が欲しかったのは彼女との未来さきだったのだと、今ならよくわかる。


「それからどうなったのですか?」


「ああ。結局、男は彼女を失う羽目になった」


「捨てられたのですか?」


「いや、彼女が手の届かない存在になった。有り体に言えば彼女が死んだのだ。それから男は絶望し息を吐くだけの生活が1年ほど続いたのち、男の居場所を突き止めた母親に殺された」


 あっけない最期だったよなぁ。本当に。自分でも呆れるほどに意味のない人生だった。


「やるせない、お話ですね……」


「男が哀れと思うことはない。どうせ奴はクズだ」


「それでも、かわいそうとは思います」


 姫の優しい言葉は嬉しく思うが、やはりどう考えても、クズだったとしか言えない。


「彼女から見ればただの浮気性のダメ男だったろうがな」


 彼女には何一つ教えなかったくせに、自分勝手な思い込みで彼女を振り回して傷つけたのだ。


「その言い方から察しますに、その男の方は女性の方に何も話してはいなかったのですね」


「言えるものかよ」


 俺がそう言って皮肉たっぷりに笑ってやれば、ユリシエルは困ったような顔で笑った。


「言えない理由は察せます。ですが、女性はやはり言って欲しいと思ったはずです」


「そうだな、同情でも何でも、言えば彼女も憐れに思ってそばに居ることを選んでくれたのかもしれんな」


 どんな理由でも、それが彼女を縛り付けることのできる道具になるなら、迷わず使えばよかったのかもな。そんな歪んだ関係が一体どれだけ長く続くかも知らんが。そこまで歪んでしまえたなら、彼女を喪うよりもずっとマシだったのかもしれない。


 そう思うと、自分の顔に皮肉たっぷりの笑みを作らせた。だがそんな俺に、ユリシエルはしっかりと首を横に振って俺の考えを否定してみせる。


「違いますよ。そうじゃなくて、男の人が誰にも言わないで隠していた心の中を見せてくれるというのですもの、それって、自分だけが特別なのだと、そう言ってもらえるということじゃないですか?」


 ユリシエルの言葉が、俺の心の中にストンと落ちた。


「特別か?」


「はい。その男の方にとっては、過去のことや自分が受けた仕打ちは決して誰にも知られたくなかったことでしょう。きっと私だってそのような目にあったら、そう考えるだけで心が痛くなりますが、きっと男の方は私が想像するよりももっと辛かったと思います」


「そう、かもしれないな」


「はい。だからこそです。その方の綺麗なところだけではなく、汚いところも醜いところも全部見せてあげられたなら、それは信頼であり、やはり愛情、ではないのでしょうか? なんて、恋もしたことのない子供に言われても説得力はありませんね」


 そう言って困ったように笑うユリシエルの顔が、『彼女』と重なる。


(ああ、そうか)


 こんな簡単なことに俺は気が付けなかったのか。


 彼女を傷つけるだとか、受け入れてもらえないだとか、そんな子供じみた臆病風に吹かれて、俺は彼女の愛情や信頼を裏切っていたのだ。今さらながらに気が付いた。


「そんなことはない。改めて奴が本物の馬鹿だというのが証明されたってだけだろう」


 彼女がくれた信用と同じだけの信頼を、俺は彼女に示してやれなかった。


 だから、彼女は諦めてしまったのだ……全てを。


「きっと、大丈夫ですよ。お二人は生まれ変わって、今度こそ幸せになれますよ」


「ああ……」


 今度こそ、幸せにすると誓う。だから……。


「あら? 雨が止んだようですよ」


 ユリシエルはそう言って椅子から立ち上がると窓へと足を進め、窓を開けて空を仰いだ。


「すっかり晴れてますね。空も白み始めましたし魔光虫に餌を用意しなければなりませんので、私はここから失礼させていただきます」


 ユリシエルはそう言いながら外に立てかけてあった傘を持つと、窓を閉めようと窓の縁をつかんだ。


「ユリシエル」


 そう呼べば、ユリシエルはあどけない顔で緩く微笑み首をかしげる。


「はい?」


「話を聞いてくれたこと、感謝する」


 子供の時から両親にさえ言えなかった、カイトのことを聞いてくれて。本当にありがとう――。


「私でよければ、いつでも」


 そう微笑むと、ユリシエルは今度こそ窓を閉めて行ってしまった。


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