あんたの気持ちなんかわからない
シュカは奴隷から大賢者の客人に格上げされた。
豪華な個室をあてがわれ、その中でずっと泣いていた。
命が消えるのを確かに見たとフウガは言ったのだった。
大賢者が見間違えるわけも、嘘をつくわけもなかった。
アクエリアが世界のすべてだった。
たった1人の肉親だった。愛のすべてだった。
姉と一緒にこの異国のお城で生きて行くのを楽しみにしていた。
姉を失い、誰も自分を愛する者も、自分が愛するものもないここは、ただの知らない場所になってしまった。
故郷に帰りたくもなかった。そこは今ではただ穴が空いてしまった悲しすぎる場所のような気がして。
誰とも話さず、会うのもたまに入って来る食事係の奴隷の少年だけだった。
「お食事です」
少年が持って入って来たのはユーダネシアでは見たこともないような、豪華な料理の数々だった。
シュカはベッドにうつ伏せになりながら、机に置かれたチキンパイや緑黄色野菜のスープをうつろな目で見た。
なぜこんなに悲しいのに、死んでしまいたいほどなのにお腹は空くのだろう。カットされたチキンパイを口に含みながら、自分が大嫌いになった。
キャットくんのことを思い出した。
アクエリアのことを好きだった彼に、姉の死を伝え、一緒に悲しんでほしかった。
破壊神バルマを宿す彼と一緒にいて、うっかり世界を破壊する禁術『バルマニムス』が発動してしまってもいいと思った。
アクエリアのいない世界なんてなくなってしまえばいいと思った。
でもみんなの迷惑になることは嫌だった。
だから自分1人が消えることにした。
「フーガ様が船を用意してくれるとのことですよ」
食事係の少年が食器を片づけながら、シュカに伝えた。
「お故郷へ帰れます。よかったですね」
「いらないのに……」
シュカは涙声で答えた。
「迷惑かけちゃいけないな……僕」
三日振りに部屋を出た。
お城の中は豪華で、色彩も鮮やかで、自分の気持ちにそぐわなかった。
5階の渡り廊下に出ると、石造りの手すりの上に立ち、下を見た。
中庭が遙か眼下にあった。そこには今、ちょうど誰もおらず、いい機会のように思えた。
手すりの上から体重を前に移しかけた時、後ろのほうから騒ぎが聞こえた。
「姫様!」
「大丈夫にござりまするか!?」
「いたぁーーーーい!!!」
「リーザ……! まああっ……!」
痛がる声があまりにも深刻そうなので、気になって手すりから降り、反対側の中庭を見下ろしに行った。
反対側は少し長い階段を下りた4階ぐらいのところに広場が作ってあり、そこに人が集まっていた。
フウガのところへ案内してくれた、あの短い金髪の女の子が、大人の男たちに取り囲まれ、手に木の棒を持ったままひっくり返り、大袈裟なくらいに泣き叫んでいた。
「どうしたんですか?」
シュカは思わず上から声をかけていた。
男たちは振り向いたが、すぐにまた女の子のほうに顔を戻し、
「姫様! 今、医務室へお連れいたします」
しかし女の子は元気よくいやいやをすると、
「痛いのやだ! フウガを呼びなさい! あいつなら光魔法で一瞬で治せるでしょ!」
側にはもう1人、長い金髪の8歳ぐらいの女の子がいて、1人であたふた何かわめいていた。
「リーザ……! ああ、リーザ……! どういたしましょう……!」
シュカは階段を下りて行くと、また声をかけた。
「あの……」
「誰だ、お前は」
男たちがまた振り向き、言った。
長い金髪の女の子がシュカを見て、言った。
「この子……、確かフウガのお客様ですわ」
「え。フーガ様の……!? それは……失礼いたしました」
「僕、光魔法が使えます」
シュカはそう言いながらリーザ姫に近づいた。
「また会ったね、君。……傷を見せて?」
膝をすりむいているだけだった。
しかし出血が派手で、姫は死にそうな不安を気合いで抑えつけている表情をしていた。
「うーっ! うーっ! こんなの……! 死んでしまう!」
大きな目を潤ませて、こちらを睨むような顔で痛みに耐えている姫が可愛くて、シュカはつい、ぷっと笑ってしまった。
「任せてください。これぐらいなら一瞬で……」
シュカがそう言いながら手を当てるなり、傷はしゅーと音を立て、消えた。
「まあ……!」
髪の長い女の子がびっくりして声を上げた。
「まあ……! まあ……!」
何事もなかったかのように綺麗に元通りになった膝を大きな口を開けて見つめ、その大きな目をシュカのほうへ移し、リーザ姫は叫んだ。
「あんたすごい!!」
その大袈裟な反応にシュカはまたくすくすと笑い、聞いた。
「何をされてたんですか? なんで怪我したの?」
「剣術ごっこよ。1人で。リィエお姉ちゃまに見てもらいたかったんだもん。新技を披露しようとジャンプしたら、ちょっと着地に失敗しちゃっただけなんだから……!」
そして手に持った木の棒をシュカに突きつけた。
「そうよ! あんた、わたしの遊び相手になるって言ったじゃない! 今から相手しなさいよ!」
「え……。いや……、僕は……」
これから死ぬところだとは言えなかった。
「約束でしょ!? 約束を破るの!? 男のくせに!?」
「シュカ様……でしたわよね?」
長い髪の女の子が言った。
「お初にお目にかかりますわ。わたくし、リーザの姉の、リィエと申します。どうか、わたくしからもお願いいたします。シュカ様がご一緒なら、妹がどれだけ怪我をしても安心ですもの」
「は……はい」
シュカはつい流されて、うなずいてしまった。
「そう来なくっちゃ」
リーザはころっと表情が変わり、笑顔で木の棒をシュカに渡して来た。
「じゃ、早速よ」
シュカが木の棒を持つと、いきなりリーザの上段からの攻撃が襲って来た。
ばしっ!
「あいたーーっ!!!」
シュカは声を上げた。
「いきなりは卑怯だ!」
「あら。いきなりでなければわたしの剣を避けれるとでも言うの?」
リーザはそう言いながら、さらに棒で殴りかかって来た。
「避けてみなさい! ほらっ! 脇が甘いっ! うりゃーーっ!!」
「……便利」
自分で自分の傷をあっという間に治療するシュカを座り込んで見ながら、リーザは言った。
「これならどれだけ怪我させても大丈夫ね。腕が鳴るわ」
「痛いのは痛いんですからねっ!」
シュカは半べそをかきながら、怒った。
「あれじゃ遊びっていうより、いじめだ!」
「でも、死ぬ気なくなったでしょ?」
「……え?」
「なんかあんた、死んじゃいそうに見えたから」
「え……と……」
「こんなところから飛び降り自殺なんかしたら、掃除する者が迷惑するわ。やめなさい」
シュカはまた泣きそうになった。
「わたしにはあんたの気持ちはわからないから一緒に悲しんでなんかあげられないけど……」
リーザはまっすぐシュカの目を見ながら、言った。
「同い年の子が死ぬなんて許さない。どうせ捨てるような命なら、わたしのために使いなさい」
リーザはシュカの胸ぐらを掴むと、怒ったように言った。
「わたしのために生きなさい!」