キャットくん
アクエリアはよく窓から空を眺めていた。
南国ユーダネシアの海辺に建つ藁ぶき屋根の小さな家の窓から、何かを願うように空を見つめ、涙もよくこぼしていた。
シュカはその理由を知っていた。
「愛する人がいるの」
アクエリアは遠い目をしてそう言った。
「でもその人は遠い遠い国にいるの」
80年以上も前にその人はユーダネシアにふらりと立ち寄ったのだという。
何か心がとても疲れた様子で、自然にあふれる南の島へ旅行したくなったのだとその人は言ったのだという。
よれよれのみすぼらしい服を一枚身につけて、しかし素性の高貴さは隠せなかったのだという。
すらりとした長身、銀色の長髪、とがった耳。
アーストントンテンプル国の大賢者サイダ・フウガの美しさ、高貴さ、そして優しさにアクエリアは忘れられぬ恋をした。
2人はたった1年だけこの島で暮らし、愛し合ったのだという。
どこかの国で戦争が起こったらしく、アクエリアを置いて帰って行った。
「フウガが私の魔法の才能を見抜き、その使い方を教えてくれたのよ」
アクエリアは空を眺めながら、シュカに言った。
「ここにいたら使うこともないし、フウガは私に戦争に参加させたくなかったみたいだけどね」
そして、うずうずしながら呟いた。
「ああ……。戦争、起こらないかな」
「シュカ坊や」
近所のおばさんが2歳の男の子を抱いて駆け込んで来た。
「うちの子が火傷しちゃったんだ! 熱いスープを膝の上にこぼしちまってね。治してやってくれないかい」
「えっと……。僕は……その……」
シュカは両腕につけられた封印の腕輪を服の上から触りながら、言った。
「あの……。やってみます」
火がついたように泣きわめいている男の子の膝を見た。皮がめくれ、ただれた肉が見えている。
「水で冷やしましたか?」
おばさんは首を横に振った。
「海水しかなかったもんでねぇ。そんなのかけたらよけいに痛がると思って……」
シュカは男の子の膝にてのひらをかざした。ニムスの力は腕輪が封じており、自分は光魔法を使えなくなったはずだった。
しかし火傷はみるみるよくなり、跡形もなくなった。
「……あれっ?」
首をかしげるシュカにおばさんは抱きつき、言った。
「やっぱりシュカ坊やは凄いねぇ! ありがとうねぇ!」
痛がっていた男の子もすっかり泣きやみ、笑顔で礼を言った。
「ありがとー! おにーたん」
キャット・スティーヴンスは帰らずに、まだいた。
シュカの家の納屋にひきこもっていて、しかしシュカとアクエリアの2人だけには入ることを許してくれた。
「キャットくん」
シュカは納屋の戸をノックすると、返事も待たずに中へ入った。
「ニムスの力が消えてないんだけど……?」
キャットは砂の床に木の枝で数字のパズルを作って遊んでいるところだった。
シュカが入って来ると、髪で目の隠れた顔を口だけ笑わせた。
「ぼぼぼボクのバルマの力より、シュカくんのニムスの力のほうがたぶん強いんだよ。だからちょっと出ちゃうんだと思う。でも、だいぶん弱まったでしょ? たぶん今のシュカくんの力はふつーの光魔法使いの一番強いほうだよ」
「ふつうの光魔法使いの……一番強いほう?」
シュカは頭がこんがらがった。
「しし心配することないってこと。ニムスに蝕まれずに光魔法が使えるひとになったってこと。しかも、強い」
「わあ……!」
シュカは嬉しそうに笑った。
「じゃ、今まで通り怪我や病気しちゃったひとを助けられるってことだね?」
キャットは口を笑わせ、うんうんと何度もうなずいた。
「となり……座ってもいい?」
シュカが聞くと、キャットは少し横にずれて座り、手でどうぞした。
「もしかしてキャットくん、ユーダネシアが気に入った?」
シュカは持って来たココナッツジュースを手渡しながら聞いた。
「ここここはいいとこ。のんびり。あったかい」
キャットはジュースをべろべろ飲みながら、言った。
「ななななにより、おねいさん、きれい」
「アクエリアのことが好きになったの?」
シュカが聞くと、キャットはぶんぶんぶんぶんと首を横に振った。
そして黙り込んでしまったキャットの横顔を見ながら、シュカはくすっと笑い、言った。
「ねえ、キャットくん。友達になろうよ」
「ととととともだち?」
「うん! だめかな?」
「だだだ……だめ」
「え……。なんで?」
シュカはショックを隠しきれない顔をした。
「それはだめ。ぼぼぼぼくらはいっしょにいちゃいけない関係……だから」
「だからなんで!?」
「キャットくんの言う通りよ」
いつの間にか戸口に立っていたアクエリアが言った。
「あなた達はあまり親しくなってはいけないの」
「姉さん!?」
シュカは珍しく姉に反抗した。
「ひどいよ! 僕、キャットくんと友達になりたいのに……!」
「おおおおねねねねおねいさん……」
「キャットくん……。わかるわ」
アクエリアは言った。
「あなた達2人が一緒にいたら、禁術『バルマニムス』が完成してしまいかねないものね?」
「バルマニムス……?」
シュカは首をひねった。
「なに……それ?」
「ひひひひ光と闇のそれぞれの頂上魔法神は仲がすごく悪いから、ふつうは遠く離れてるべきもの」
キャットは言った。
「そそそれを一緒にすると、世界を破壊しちゃうほどの爆発を起こす。かも。しれない。それが禁術中の禁術。未だ誰も使ったことのない魔法。バルマニムス。それが、ボクら2人が一緒にいたら、発動してしまうかもしれない」
「だいじょうぶだよ! 僕のニムスの力は、封印したんでしょ?」
「ええ。……でも、万が一ということを考慮する必要はあるわ」
アクエリアはそう言い、キャットを見た。
「キャットくん、ここが気に入ってくれてるのね? でも……。わかるわね?」
キャットはうなずいた。ゆっくりと、よたよたと立ち上がると、アクエリアに近づいた。そして、言った。
「こんなきれいなひと、初めて見ました」
「ありがとう」
アクエリアはにっこりと笑った。
キャットはびくびくしながら明るい表に出ると、天を見上げた。
そして、いつもの弱々しいどもり声とはまったく違う、腹に力を込めた声で唱えた。
「暗黒の神バルマよ! 我を暗い洞穴に閉じこめよ! お前の偉大な力で我を連れていけ!」
キャットが呪文を唱えると、南の青空がみるみる暗くなり、雲が渦巻いた。
雷鳴が轟き、渦巻く雲から竜巻が降りて来た。
「キャットくん!」
何が起こるのかを察し、シュカは叫んだ。
「また……会えるよね!?」
キャットは何も言わず、ただにこっと笑った。
その体を竜巻が包み込み、真っ黒な空へと吸い上げると、空はやがてまた明るくなった。
「ありがとう! ありがとう!」
シュカは空に向かって何度も声を投げた。
「僕を助けてくれてありがとう!」
その後ろに立って、アクエリアは唇に指を当て、首をひねっていた。
「天から竜巻を呼ぶなんて凄い魔法……。でも、あの子、バルマの力を封印したんじゃないの?」
そして推論を導き出した。
「もしかして……封印している間に、その大きすぎる力に耐えられるほどの頑丈な容器に自分の体を作り変えた……? そんなことが出来るものなの?」




