シュカの思い出
少年は南の島国ユーダネシアに産まれた。
海辺の小さな村で、物心ついた時から姉と2人暮らしだった。
100歳以上も歳の離れた彼女がほんとうに姉だったのか、わからない。
しかし少年にはどうでもよかった。そっけないようでいて、自分に心からの愛情を注いでくれる彼女のことを、少年も心から愛していた。
「シュカ」
ある日、姉のアクエリアが切れ長の目をさらに細めて言った。
「最近あなた、おかしいわよね?」
「な、何が?」
5歳のシュカは明らかに何かを隠しながら答えた。
「何でもないよ? ふつうだよ?」
椰子の木がざわめいた。
アクエリアは蒼ざめた顔になる。
「もしかして……、魔法神の目覚め?」
「なっ……、何それ?」
シュカはほんとうに意味がわからず、聞いた。
ただ時々体中が痛んで、頭の中が爆発しそうに苦しくなることがあるだけだった。
姉を心配させるまいと、5歳の少年はどれだけ苦しくなっても笑っていたのだった。
姉は弟のわずかな表情の変化や痙攣でそれを見抜いた。
村には魔法神に通じる力を持った呪術師がいた。
姉はすぐさまシュカをその家に連れて行った。
「これは……」
呪術師の老人はシュカの体に触れるなり、電撃を受けたようにその手を引いた。
「大変じゃ……! この子は数百億人に一人の才能を授かっておる」
「数百億人に一人……」
アクエリアは呟いた。
「まさか……!?」
「魔法神の頂点に立つ二つの神……。そのうちどちらかじゃ。おそらくは……いや、間違いなく、愛の神ニムス」
シュカは少し前から人を治療する光魔法が使えるようになっていた。
魔法神の頂点に立つバルマとニムス。バルマは破壊神であり、回復魔法が使えるのはニムスのほうだけだ。
アクエリアは常々おかしいとは思っていた。こんな小さい子が使うにしては、シュカの光魔法は効果が強すぎる。
呪術師は床に大きな白い紙を広げ、その上にシュカを寝かせると、念じた。
「この少年に宿りし神よ、その姿を我が目の前に現せ」
すると紙がバラバラになり弾け飛んだ。
「うおっ!?」
呪術師がびっくりした声を上げる。
紙の上に神の名前が現れるだけのはずだった。
部屋中に飛散した紙屑は雪のように舞い、床に何かを形作って行く。
すべての紙屑がそこに降り積もった時、愛の神の像が完成していた。
「やはり……ニムスじゃ!」
「バルマやニムスを体内に宿した者はその大きすぎる力に体が蝕まれると聞くわ」
アクエリアは呪術師に言った。
「シュカは才能の開眼が遅かったからすぐには侵されないのね。でも、このままでは……」
「ウム。小さな容器の中に大きすぎる力が産まれてしまったのじゃ」
呪術師は言った。
「しかもそれはどんどんと大きくなっておる。このままでは、容器は……」
ガラスの瓶が内部に発生した大きな力でヒビが入り、飛び散るのをアクエリアは想像した。
シュカは2人の会話が難しすぎて意味がわかっていなかった。
ぽかんと口を開けて姉と呪術師の顔を交互に見ているだけだった。
「どうにか出来ないの?」
アクエリアは聞いた。
「お金ならいくらでも払うわ。臓器とかが必要なら私のを提供する」
「いや、金はいらん」
呪術師は顔に気合いをこめた。
「魔法に携わる者として、これほど気合いの入る仕事はない。相手は魔法神の頂点ニムス。わしの力で封じ込めることが出来るか……やってみよう」
数日後、姉弟は再び呪術師の家を訪れた。
呪術師は自信満々の顔で言った。
「前例があった。とはいえ、それは破壊神バルマのほうを宿した子の例じゃが……。その子は240年前に産まれ、今もまだどこかで生きておるそうじゃ」
「凄い……!」
アクエリアは興奮して声を上げた。
「でも……、そんな人の噂、聞いたことないわ。破壊神バルマの下に産まれたのなら、世界に名を轟かせる英雄になってるのが当然じゃない?」
「その子はひきこもりじゃ」
呪術師は言った。
「わしの魔法通信でその子と連絡がとれた。今、呼ぶぞい」
「呼ぶって……」
アクエリアはぽかんと口を開けた。
「ここへ?」
「ほい!」
呪術師が叫び、手を振りかざすと、床に描いてあった魔法陣から煙が上がり、爆発音が響いた。
どかーん!
「ケホッ、ケホッ……」
シュカは煙に包まれ、何も見えなかった。
煙が晴れた時、その子はそこにいた。
魔法陣の中心に、膝を抱いてうずくまっている白いものがいた。
よく見ると白いのはお尻まで伸びた長い髪で、その持ち主は身長2メートル以上はありそうな大きな男の子だった。
その子は全裸で震えていた。目の前の3人を、外の世界を怖がるように。
「ようこそ、キャット・スティーヴンスくん」
呪術師が握手を求めた。
「すまないね。洞穴の中で数字遊びをしていたかったろうに。事を急ぐのでね」
「その子が……ニムス?」
白いぼさぼさ髪で目が隠れていたが、キャットはびくびくしながらシュカを見たようだった。
「そうだ。どうか、助けてやって欲しい」
「お願い、キャットくん」
アクエリアが顔を覗き込み、声をかけると、キャットは猫背をぴしっと伸ばした。
「弟を助けてあげて」
「うわ。うわわわ。きれいなおねいさん」
キャットはそう言うと、シュカに聞いた。
「きみのおねいさん?」
「うん!」
シュカはにっこり笑い、キャットに答えた。
「ぼくのお姉ちゃん。世界一のお姉ちゃんだよ」
「そそそそうかあああ」
キャットの顔は髪に隠れていて見えないが、口だけがにぱあと笑った。
「おおお教える。魔力を抑制する『マジパネエ』ってツタ植物があるんだ。それはニムス系にもバルマ系にも効力を発揮するんだけど……」
「知ってるわ」
アクエリアが口を挟んだ。
「でもあれって単に敵の魔法を封じるためのアイテムの材料じゃない?」
「おおおおねいさん。その植物だけならそう。その通り。だけどボクのバルマの力をそこに込めるんだ。バルマの力がニムスの力を中和する。バルマの力を宿した腕輪を作るんだ」
「わしが腕輪は作っておいた」
呪術師がそう言い、後ろ手に持っていた緑色の腕輪を取り出した。
「わしもキャットくんに任せるばかりでなく、何かせんとな。この腕輪は高い伸縮性をもたせて作っておる。シュカくんが成長してもそれに合わせて腕輪も大きくなる」
「すごいわ……!」
「デヘヘ……」
アクエリアが腕輪をシュカにはめると、キャットがそこにちょんと指先を触れる。
みるみる緑色の腕輪が深緑に色を変え、内側から伸びたトゲがシュカの腕に食い込んだ。
「あたたたっ……!」
シュカは一瞬、痛そうな声を上げたが、
「あっ。すごい! 痛みが消えた! 消えたよ、アクエリア!」
「ありがとう、キャットくん!」
アクエリアは興奮してキャットの手を握った。
「あなた、いいひとね! ひきこもりなのに、困ってるひとのためにこんなところまで来てくれるなんて……!」
キャットは何も言わず、ただ口を嬉しそうに開けて、アクエリアが握った手を振るのに任せて大きな体をグラングランさせた。
「わ、わしにも……」
呪術師が羨ましそうに呟いた。
「わしにも……ご褒美……」




