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食欲怪人勇者姫リィエのぼうけん  作者: しいな ここみ
第四章:小早川理恵 ~ お姫様と現代ニッポン ~
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小早川理恵様のご受難

 1人で外を歩いたのは生まれて初めてだった。


 いつも護衛の者が側にいた。


 アーストントンテンプルほど平和な国でも、王位継承権第一位の自分を狙う暗殺者はいた。


 リィエ・アーストントンテンプル姫は後悔した。

 ニッポンという国のことをよくわかっていなかった。

 見たところとても平和で、景色ものどかで、高い山の麓で牛とかが散歩していて、悪い人間などいないと思い込んでいた。


 初めて1人で歩いて帰る途中、土手の上で追いかけて来る男に遭遇し、心臓がナイフで切り刻まれるような恐怖を体験し、やはり1人きりで出歩いてはいけなかったのだと、思い知った。


 しかし後悔してももう遅い。


「たっ……助けてぇぇぇえっ!」


 大声で助けを求めるといったことははしたないことだと教育されていた。

 叫び声は姫の口の中だけで響き、決して誰にも届きようがなかった。

 何より山陰の田舎町は人が疎らで、そのあたりには牛すらいなかった。


 不審な男はどんどん距離を詰めて来る。

 ねずみ色のフードの中に隠れた顔が荒い息を吐きながら。

 姫が全力で逃げても、マラソンペースでゆっくりと余裕で追い上げて来る。


 土手を駆け下りることは怖すぎて出来なかった。


「あうっ……!」


 姫は足がもつれ、土手の上で派手に転んだ。


 ジョギング男はペースを変えずに迫って来る。

 もちろんただジョギングをしているだけだが姫が逃げるのでなかなか追い越せずに迫って来る。


「ど……、どうか……! おやめくださいまし……! じっ、慈悲の心がおありですのならぁぁぁあ……!!」


 命乞いをする姫を心配そうにチラリと見ながら、男はそのまま走り過ぎて行った。


「……。」


 姫はしばらく立ち上がることが出来なかった。





 日が暮れはじめた。

 姫はまだ小早川家に辿り着いていなかった。


 いつの間にか山道に入り込んでしまっていた。

 疲れ果てて大きな岩の上にバッグを投げ出し、座り込んでいた。


「こんなはずでは……なかった」


 見渡す限り、山の上から民家は見えなかった。

 田んぼと畑と、農作業用の小屋が見えるだけだ。


 不吉な鳥の声が聞こえた。

 姫の耳にはそれは「アホー、アホー」と聞こえた。


「わたくし……、1人では何も出来ないじゃない……」

 姫はがっくりと頭を垂れ、呟いた。

「みんなに助けてもらわないと……何も……」


 愛莉に言った言葉を思い出した

 この世にうんこ人間などというものはいない、そんなものは1人もいない。そう自分は愛莉に言ったのだった。


「いるじゃないの……。ここに……」

 姫は垂れた頭を抱え、呟いた。

「うんこ人間とは……わたくしのことだわ!」


 アーストントンテンプルのみんなの顔が浮かんだ。

 みんなが自分を支えてくれ、守ってくれていた。

 小早川家のみんなや、学校のみんなの顔が浮かんだ。

 みんなが自分を支えてくれ、守ってくれていた。


 みんなの顔が消え、今、ここに自分は1人きりだった。

 帰り道がわからず、不審者に追いかけられても何も出来ず、クレープを買うことにすらドキドキした。

 冒険するのだと心弾ませ、無謀な行動に出たあげく、道に迷ってしまい、こんな山の中でうじうじしている。


「わたくしは……うんこ人間」

 涙がぽたぽたと地面に落ちた。

「姫だなんておだてられて……。ただ王家に産まれただけじゃないの……。自分では何もしていないわ……!」

 野生のリスが心配そうに見ていたが、気づかなかった。

「冒険だなんてわくわくして……! 呑気なものだった! 冒険とは『険しきを冒す』ということよ! 死の危険もあるという当然のことに……なぜ気づきもしなかったの!?」


 ひっくひっくと嗚咽を漏らしはじめる。

 雄大なニッポンの田舎の景色の中、自分のちっぽけさを噛みしめていた。


「このまま……アーストントンテンプルにも愛莉様のところにも帰れずに、ここでわたくしは野垂れ死ぬのですわ……」


 そう思った時、突然、少し遠い場所でおおきな音が鳴り響き、姫はびっくりして飛び上がりそうになった。


 町中に響き渡るほどに大音量で女性の声が、言った。

『こちらは町役場放送センターです。小早川さんの長女理恵さんが行方不明になりました。学校から1人で歩いての帰り道に迷子になっていると思われます。みんなで探しましょう。探してください』


 声はあたりに響き渡りすぎて、どっちの方角から聞こえたのかわからなかった。


 姫は立ち上がると、歩く気力を取り戻した。


「夜になる前に……せめて人のいる場所まで出なければ!」


 キッと下界を睨み、唇を噛みしめて、山を下りはじめた。




 足の裏が痛んだ。

 ローファー靴の中で擦れた足裏が、じんじんと悲鳴を上げていた。

 それでも姫は頑張って歩き続けた。

 

「早くしないと……! 夜になったら魔物が徘徊しはじめる!」


 もうどこをどう歩いているのかもわからなかった。

 ここがニッポンなのかアーストントンテンプルなのかさえわからなくなっていた。


 暗くなりはじめ、町の灯りが点いた。

 それは小山の稜線をぼんやりと照らした。


「向こうが明るいですわ!」


 姫が足をそちらへ向けた。

 希望を胸に、痛む足を引きずって、進み続ける。

 前へ、前へ。


 暗くて辺りの景色はよく見えない。

 ぼんやりと明るい小山の形を、それだけを見て、その裏側へ向かって。

 用水路には落ちないように、歩いていると、前方から何かが走って来る足音がした。


 カサ、カサ、カサ


 そんな足音を立てて、何かが近づいて来る。


「ま……魔物!?」


 急いでバッグの中をまさぐり、スマホを取り出して剣のように構えた。

 スマホは姫にとって唯一の武器だった。魔法神ドコモと契約を結んだおかげでこれがあれば魔法が使えるのだ。今のところ姫が使える魔法はグーグルマップとユーチューブだけだが。

 剣としてこれが使えるものなのかどうかはわからない。

 しかし今、姫にはこれしかなかった。スマホから光の剣が出現し、敵を退けてくれることを祈るしかなかった。


 抜けかける腰をガクガクさせてスマホを構える姫の目の前に、それは姿を現した。


 たぬきが目の前で立ち止まった。姫の顔をじっと見上げて来る。


「ぽ……ポン太!?」


 ポン太ではなかった。顔が違う。体も一回り大きい。赤い首輪もしていない、野良のたぬきだった。

 たぬきは心配するように一声「くーん」と鳴くと、くるりと背を向けて、姫を導くように走り出した。


 たぬきが走り去った方向に、ふいに眩しい光が起こった。

 それはだんだんと近づいて来る。湿った犬の吐息とともに。


「小早川さんですか!?」

「理恵ちゃん!?」

 男と女の声が続けて聞こえた。


 警察犬を連れた男女の警官が2人、並んで駆けて来た。




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