愛の神ニムス
南の島国に姉と2人で暮らしていた。
父母はいなかった。
そのことを満たして余りあるほどの優しい手があった。
少し冷たい、褐色の柔らかい手がいつも触れていてくれた。
切れ長の目の中の、エメラルドグリーンの瞳が自分を認めてくれた。
「姉さん」
シュカは彼女のことをそう呼んだ。
ほんとうは姉なのかどうかはわからない。
物心ついた時から側にいてくれ、自分を育ててくれた。
102歳も上の姉などあり得るのか、わからない。
それでもシュカは、アクエリアのことを姉さんと呼んだ。
姉は19で歳を止めていた。
シュカが大きくなって行っても、ずっと変わらなかった。
「いつかあなたに追い抜かれるわね」
アクエリアは椰子の木にもたれてココナッツの実を剥きながら、そう言った。
「あなたがおじさんになっても、私は19のまま」
「僕も19歳で時を止めるよ」
5歳のシュカはキラキラ光を浮かべる海を見ながら、言った。
「永遠にずっと2人でいたいな」
☆ ★ ☆ ★
シュカは目を開いた。
その目は静かに澄んでいた。
目の前の光景を見つめる。
巨大な地獄の番犬と化した姉の、魔神に首から胸まで食われている姿を見る。
「あなたは僕のこの世で一番大切なものを壊した」
落ち着いた声で言う。
「僕はあなたを許さない」
ヒイッ!
やめて……
やめてくれぇぇぇぇえ!
魔神はたじろぎ、許しを乞う。
目の前の小さな少年の中から現れた、あまりにも大きすぎる力に足が震えている。
少年の背後に立ち上がっている、巨大な愛の女神、ニムスの姿に脅えている。
シュカは上半身裸の腕を上げ、左手を魔神ウィロウに向けてかざした。
そのてのひらの中から、太陽ほどの大きさの光が発せられた。
「フロール」
少年は無詠唱で、放つ魔法の名だけを口にした。
闇だけを無に帰す光が靄も砂嵐も吹き飛ばし、一瞬で辺りを浄化した。
姿のなくなった魔神ウィロウの残像を見つめて、シュカは呟いた。
「……逃げられた」
リィエは危うく光に消されかかっていたが、地面に這いつくばっていたのでなんとか助かった。
「ウウッ……!」
レオメレオンも消えてしまいかけていたが、心の清らかな数人の部下に囲まれていたお陰で助かった。
「理恵ちゃん!」
後ろからモーラが羽根の生えた蛇に姿を変えて飛んで来た。
「今の光は何?」
も
モーラさん……
「何死にかけてるの? あなたが魔神をやっつけたんじゃないの?」
め
めんぼくない……
☆ ★ ☆ ★
真っ暗な城の一室で、魔王サイラス・カルルスはマントの内側の懐に小さな水晶玉を抱きながら、呟いた。
「危なかった……」
水晶玉の中から魔神ウィロウの震える声が感謝を繰り返す。
サイラス!
ありがとう!
どうもありがとう!
「回収が一瞬遅れていたら消されていたところでした」
魔王は水晶玉を優しく撫でながら、言った。
「今の彼女なら魔神が負けることはない。先手を打って魔神に彼女を食べに行かせたのですが……まさか……」
ああ
おっかなかった
おっかなかったよう!
サイラスぅ!
「よしよし」
魔王は愛犬にするように魔神の頭を撫でた。
「あなたは魔力のかたまりだが、残念ながらあなたは暗黒の神バルマではない。体が巨大で魔力を無尽蔵に他社に提供することが出来るだけの、ただの体力バカの魔神だ」
どっ
どうせ我が輩の契約している魔法神は……
バルマ系土属性第127位ブーテイフォー・エナジー
魔力発電以外の能はない!
「そう。ただしあなたは体が巨大なぶん、とてもお強い。……しかし、ニムスが相手では勝てるわけもない」
わけねーよぅ!
あんなの卑怯だよぅ!
「よしよし」
サイラスは魔神を慰めた。
「……しかし、まさかニムスとは……」
☆ ★ ☆ ★
「ニムス……だと?」
大賢者サイダ・フウガは水晶玉の中にシュカを映し出しながら、愕然としていた。
「確かにあの若さであの大きな力……。おかしいとは少し思ってはいた……」
腕輪が刺さっていたところを拡大して映し出す。それはかなり深く刺さっていたようで、血が滲んでいた。
「その腕輪でニムスの力を抑えていたのか……。抑えてあれだけの光魔法を使っていたというのか……」
フウガは独り言を言い出すと止まらなくなった。
「しかし……なぜ抑えておく必要があった?」
そう呟くと、面白がるように顔を笑わせる。
「そうか……。そういうことか……。ハハ……、ハハハ!」
フウガは側近のポカリス・ウェットン卿を呼ぶと、命じた。
「アクエリアの墓を作ってやれ。なるべく豪華なものにしろ」
「はっ」
「手厚く葬ってやるんだ」
ポカリスに背を向けながら、フウガは言った。
「私の愛する嫁だったのだからな……」
☆ ★ ☆ ★
「モーラ様! ちょうどよかった」
シュカは飛んで来たモーラ姫を見ると、声をかけた。
「シュカ! あんたが魔神を倒したの?」
背後にでっかい女神を立たせているシュカに気づくと、モーラはびっくりしたように言った。
「その後ろの女神様は何!?」
「話は後です。それよりもお願いがあります」
「お願い? あたしなんかに何を?」
「姉を……アクエリアを生き返らせてください」
「はあっ!?」
モーラはびっくりしすぎて口がタマゴを飲み込む蛇ぐらい開いた。
「生き返らせる……って」
「モーラ姫様は禁断の呪術にお詳しいと聞きます」
シュカはモーラを強く見つめた。
「死者を蘇生させる秘術もご存じだとか」
「あっ……。あれはねぇ、いわゆるゾンビを作る秘術よ」
「それでもいい!」
シュカは強い目をして、言った。
「形さえ蘇らせてくれれば、あとは僕がそれに命を吹き込んでみせます」
「でっ……、でもねぇ……、そんなこと……。死者を蘇らせるだなんて、禁断中の禁断よ。タブーだわ。しちゃいけないことよ。どんなことになるか……」
「禁断を侵しまくってる真っ黒けモーラ様が今更何を仰いますか」
「でも……。あたし……。自信ないわ……。あたしなんて、できそこないの、ゴミ姫だし……。あたしの契約してる魔法神アジト・モールナなんて、バルマ系土属性第549位なのよ? ゴミレベルなのよ」
「それをカバーするため、モーラ姫様は国内外を旅し、魔法の勉強をされ、努力と知識で才能の低さを埋められた。そうでしょう?」
「え? ええ……。エヘヘ……」
「お願いします!」
シュカは地面に頭をつけ、言った。
「姉を……! アクエリアを生き返らせてください!」
モーラは胸から上を失って血まみれで地に倒れているアクエリアの無惨な姿を見る。
「それほどまでにお姉さんのことを愛していたのね」
そしてシュカに顔を戻すと、言った。
「いいわ。やってみる。その代わり……どんなことになっても知らないわよ?」




