巨大な影
扉から現れた美女は特にバケモノじみてなどいなかった。
しかしその姿を見、その口が可愛く犬の鳴き真似をしたのを聞いた途端、カーニィ・カーマ・ボコボコは金縛りに遭ったように動けなくなってしまった。
「後は頼むぞ、アクエリア」
そう言いながらフウガが『どこでもドア』の中へと消えようとする。
「あら。みんな殺しちゃっていいの?」
アクエリアは嬉しそうな目を細くして、聞く。
「何とかする。どうせ止めたところでお前は聞かないだろ」
フウガはそう言うと、扉の中へ入って行った。
あとには首輪に鎖を繋がれた褐色の美女アクエリアと、かたまったままのカーニィ、まだ意識を失って倒れているシュカ、そしてアクエリアにみとれてアホみたいに口を開けているリィエだけが取り残された。
きれいなひと……
でも
誰かに似てる……
リィエはそう思い、すぐに気がついた。
前髪を上げている褐色の美女の額に、痣のように赤い丸があることに。
リィエは倒れているシュカを見た。いつも眉にかかっているその茶色い髪が横に垂れ、同じような赤い丸が描かれた額があらわになっていた。
これだ!
「あら、シュカ」
アクエリアは床に寝ている弟の姿に気がつくと、嬉しそうに笑った。
「意識がないのね。クフフ……。可愛い寝顔」
そして顔を上げると、
「眠ってる子を殺しても楽しくないわ。あんたは後でたっぷりと再会の喜びとともに殺してあげる」
カーニィとリィエを交互に見つめた。
「さてと、どっちから殺そう」
アクエリアが両手を前にかざすと、その赤い爪が長く伸びる。
「2人ともいっぺんに心臓を抜き取ってあげようかしら。クフフ……」
「ギャーッ!」
先に動いたのはカーニィ・カーマ・ボコボコだった。
短剣を振り上げると、それで突き刺すと見せかけて口から毒霧を吹く。
「あら。可愛い攻撃ね」
アクエリアはそう言うと赤い爪で毒をすべて絡め取り、口元に持って行くとぺろりと舐めた。
「こんなものがあたしに効くと思ったのね? かーわいい」
「うにゃにゃかにゃーッ!!!」
カーニィは追い詰められたネコのように全身の毛を逆立てながらアクエリアに飛びかかった。
「殺される前に殺してやるにゃ!!!」
「これ、なーんだ?」
アクエリアは爪の先に突き刺さってトクントクンと動いている小さな心臓を見せた。
「あなたの心臓よ。かーわいい」
カーニィは何も言えずに絶命し、そのまま床に落ちた。
その胸には小さな穴が空き、そこから血が大量に溢れはじめる。
アクエリアはその心臓を美しい紅を塗った口でかぷりと食べると、リィエのほうを振り向く。
「あなたの心臓はどんな味? ちょっと見せて」
扉の向こうから鎖が引っ張られた。
首輪に繋がれたアクエリアを引き戻そうと力が加えられる。
「そうは行かないわよ、フウガ」
アクエリアは鎖を引っ張り返した。
たやすくそれはたるみ、アクエリアがまた自由になる。
「弱ってる今のあなたじゃあたしを止めることは出来ないわ」
そしてリィエに近づく。
「あたし一度お姫様を食べてみたかったの。邪魔しないで」
その時、幌の隙間という隙間から、真っ黒な何か小さなものが無数に馬車に侵入して来た。
それを見たリィエが声を上げる。
ま
まっくろくろすけ!
まっくろくろすけだ!
本当にいたんだ!
「あら」
それに気づいてアクエリアが言った。
「モーラじゃない。久しぶりね」
「アクエリア」
小さな真っ黒なものたちは一つところに固まると、第一王女モーラの姿になり、言った。
「あっちに美味しいものが来てるわよ。感じる?」
「うふん?」
アクエリアが進軍する前方へ意識を飛ばす。
その顔が驚きと喜びで花開く。
「これって……あたしの大好きなあのひとじゃない!」
☆ ★ ☆ ★
「敵襲!」
レオメレオンは隊に注意を促す。
砂煙の上がる前方に現れた巨大な影が彼らを待ち構えるように立ち塞がっている。
それは人間の形をしていながら、二本のおおきなツノを天に向かって伸ばし、目は灯台の明かりのように光っている。
「あれは……まさか……」
レオメレオンは信じられないものを見るような目をして、呟いた。
「魔神ウィロウ……! 直々に我らを滅ぼしに来たか!」
★ ☆ ★ ☆
「やあっ!」
リーザは剣を振り下ろした。
敵は間違いなく目の前で体勢を崩しており、剣がその肩から脇腹までを袈裟がけに斬り裂くのが見えた。
しかし振り切った剣は馬車の幌の表面を斬り裂いただけだった。
「人間ごときが」
空に飛び上がっていたコハクが無表情に怒りながら、言った。
「空も飛べないくせに。あんたごときがあたしに傷一つつけられるわけないわ」
「あっ」
リーザはコハクの後ろのほうを見ながら、言った。
「後ろ! 後ろ!」
「うっ……?」
コハクはつられて後ろを振り向きかけ、思いとどまった。
「ふふん。あたしが後ろを向いた隙に何か飛び道具でも投げるつもりでしょう? 卑怯者」
がばっ!
後ろから飛んで来たロウがコハクに抱きつき、胸に手を回した。
「続き! 続きのアレやろうぜ! かわいい! かわいいな、お前!」
「ぎゃーーーー!!!」
コハクは抱きつかれて固まる。
「あんた! キンタマ潰したはずでしょうが! なんで動けるのよ!?」
「オレのキンタマは二つあるんだ。一つ潰れたけどまだ一つあ……。リーザ……」
ロウのいやらしい手つきがぴたりと止まる。
走る馬車の上からこちらを鋭い目で見上げているリーザに気づくと、フッと笑った。
「可愛い弟子の前でみっともねーとこ見せらんねェな……」
「何カッコつけてんだよ!!!」
コハクが後ろ向きにロウの股間を再び蹴り上げた。
「ぎゃーーーーー!!!」
叫びながらもロウはコハクを離さない。
抱きついたまま、両者とも墜落して行く。
「ハァァーーッ!!」
リーザは着地点に向かって駈けると、躊躇なく剣を振った。
ロウもろとも敵を叩き斬る勢いだ。
「ままま待てーーーっ!!!」
叫びながらロウは寸前でリーザの攻撃を避けた。
髪の毛の束が一本、ばっさり斬られた。
「離せ……よっ!!!」
コハクがロウを背負い投げで飛ばした。
「あぶねーーーっ!!!」
ロウはすんでのところで馬車の上からの落下を免れ、踏みとどまった。
「てめェ! リーザ! オレごと斬ろうとしてどうすんだ!」
「いえ。師匠なら避けてくれると思いまして」
リーザはそう言いながらさらに斬りかからん勢いで身構える。
「てめェ! コハク! オレの女だろーが! 大人しく……」
「誰がてめーの女だ」
コハクの無表情がみるみる崩れ、大魔神のようになる。
「かわいいかわいい言いやがって。そんなの魔族のあたしには褒め言葉でも何でもねえ。こう見えてもあたしは117歳だぞ。なめんな」
「なんだオレより21も年下かよ。かわいいな」
「師匠」
リーザが言った。
「手出しは無用です。私の闘いを見守っていただけますか」
「おうよ。どうせオレはかわいい女の子はかわいがるしか出来ねェ」
ロウは股間を押さえながら、言った。
「またあいつが空飛んだらオレが抱き落としてやる。思う存分闘え」
「感謝いたします」
そう言うとリーザは剣を構えた。
「行くぞ!」
「おう。空なんか飛ばなくてもあんたみたいなお姫様、敵じゃねえ」
コハクも短剣を懐から取り出すと、構えた。
「お望み通り殺してやんよ!」
「カーン」
ロウが口でゴングを鳴らした。




