乱闘
「こっちへ来い!」
リーザはそう言うと、馬車から身を乗り出した。
「幌の上で勝負だ!」
「フフ……」
誘われたコハクは無表情にフウガのほうをチラリと見ると、ついて行く。
「リーザ姫、あなたは標的に入っていないけれど、お望み通り勝負してあげるわ」
「何をしている!」
リーザはついて来るコハクの背中のほうに向かって目を向け、言った。
「ついて来い!」
「あらら」
コハクはお手上げといった風に首を振ると、消えた。
「さすがにこの程度の騙しはあなたには通用しないようね」
コハクの背後に座っていた本物のコハクが立ち上がる。
「毒を喰らった時は油断しただけだ」
リーザはまっすぐ本物のコハクを見つめる。
「私にお前の『騙し』は通用しないぞ」
「へぇ、面白そう」
コハクはケラケラと無表情なまま笑うと、今度こそ本当について来る。
「仕方ないわ。死にたいというのなら殺してあげる」
そしてカーニィを振り返り、
「それだけ弱っているなら1人で殺れるわね? 私はこの邪魔者姫を始末するわ。すぐ戻るから、しっかり大賢者様を殺しておいてね」
「任せて、コハク姉」
カーニィはそう言うと短剣を二本取り出した。刀身が緑色に濡れ、毒がたっぷり塗ってあることは明白だ。
フ
フウガ
早くあたしを食欲怪人に変身させて!
リィエの言葉にフウガは苦笑した。
「そんな力が残っていると思いますか?」
メロンは毒の介抱をしようと思ってリーザの胸にくっついたままだ。
リィエの胸に戻りかけようとして、どうしようかと迷っているうちにリーザとともに馬車の幌の上に登って行った。
メロンがリーザにくっついて行ってしまったのを見て、フウガが舌打ちする。今、リィエを狙われたら守る者がいない。
「さあ、大賢者様」
カーニィはフウガしか見ていない。美味しいものを目の前にしたように、ぺろりと舌なめずりする。
「あんたを殺せるチャンスをくれて、感謝感激するにゃー」
「あっ! メロン……」
リーザはようやく自分の胸にリィエ姫のためのガーディアン・スパイダーがくっついていることに気づき、慌てた。
「駄目じゃない! リエちゃまを守ってなきゃ……」
しかし既に馬車の幌の上に登ってしまっている。
「ひ、ひひひ……」
メロンは緑色の髪を風になびかせ、ばつが悪そうに笑った。
「し、仕方がないでしょ。リーザ様がずんずん歩いて行くもんだから……」
「よそ見だなんて、余裕ぶっこかれたものね」
コハクはそう言うと、短剣を構えて突進して来た。
しかしリーザはよけようともせず、上を見る。
「見えている!」
そう言うなりリーザは何もない空に向かって剣を振った。
ギャアン!
振った剣が何かに当たり、金属音が響く。
「ふぅん」
何もなかった空にコハクの姿が現れ、短剣を引く。
「予想外に私の天敵みたいね」
「降りて来い」
リーザが直立不動で空を睨む。
「正々堂々と勝負しろ、この卑怯者」
「あなたは空を飛べないのね」
からかうようにコハクが口だけで笑う。
「人間って可哀想」
「あっ」
リーザが声を上げた。
「あんた、後ろ後ろ。危ないよっ」
「引っかかるとでも思う?」
コハクはつられて後ろを向くことはせず、言った。
「騙しのプロの私を騙そうなんて……」
バコッ!
後ろから飛んで来た大蛇にどつかれ、コハクが落下する。
「リーザ! 大丈夫!?」
コハクを叩き落としたモーラが聞く。
自分めがけて落ちて来るコハクにリーザは剣を構える。
「ハァッ!」
剣筋一閃、コハクの足首を狙う。
「やめてよ!」
コハクの足首から短剣がにょっきりと出現し、防御した。
「なんでそこを狙えるのよ! 憎たらしいわね!」
足を引っ込めるなり、コハクの上下が逆になった。足のほうが頭で、首のほうは鎧を着けた足だった。リーザが首を狙っていたら剣を鎧で受け、短剣で腹部を突き刺すつもりだったようだ。
リーザは飛んで来たモーラに声を投げる。
「お姉ちゃま! 私は大丈夫だから、リエちゃまとフウガをお願い!」
「わかったわ」
モーラはそのまま幌の中へ入って行く。
「メロン! リーザをお願いね」
「うぅふ……」
メロンは珍しく自信なさげに言った。
「コイツの攻撃、どこから来るのか見えない……」
カーニィは用心しながらフウガに近づいていた。
弱っているとはいえ相手は大賢者、油断はできない。
フウガはちらりと後ろを見る。
そこにはやって来た時のまま、開いたままの『どこでもドア』がある。
「……仕方ない」
フウガは悔しそうに言った。
「カーニィ・カーマ・ボコボコ。君の毒は大したものだ。この私の力をここまで解毒のために消耗させるとは」
「隙ありにゃー!」
喋りながら扉に向かって手を伸ばそうとするフウガにカーニィが短剣を振り上げ襲いかかる。
リィエは何も出来ずにドキドキしながら見ていた。
フウガは無詠唱の風魔法でカーニィの短剣を吹き飛ばした。が、右手だけだ。左手の短剣がフウガの頬をえぐる。
フウガ!
リィエは思わず叫んだ。
食欲怪人
食欲怪人
あたしの中から出て来て!
うーん、うーん!
「リィエ姫」
フウガは頬から血を流しながら、冷静に言った。
「実は食欲怪人はあなただけではない」
そして扉に差し入れていた手を抜くと、その手には鉄の鎖が握られていた。
「来い、アクエリア! 久々に暴れさせてやる」
フウガが鎖を強く引っ張る。
扉の中から褐色の肌に長い黒髪の美女が現れ、ニヤリと笑いながらカーニィを見た。そして一言発した。
「わん」
その静かな一言は馬車を揺るがし、カーニィの体を激しく震わせた。




