リーザ死すべき
「まさかこんなに道に迷ってしまうとはね」
朝の森の道を、白い巫女衣裳を揺らしもせず、少し宙に浮いて歩きながら、姉のコハクが言った。
「しかも夜になって、木の洞で眠ってしまった」
「コハク姉は本当、凄いんだかアホなんだかわかんねーなー」
並んで歩きながら、薄い赤い皮の着物一枚で裸を隠した妹のカーニィが笑う。
「まー、でも、間に合う間に合う。やつら姫様の葬式で忙しくてたぶん、まだ出発してねーよ」
「それにしては誰とも出会わない」
コハクは無表情に言った。
「敵軍の兵士の1人や2人と出くわしてもいいのに」
「出会わねーから騙しようもねーよなー」
カーニィは楽しそうに言った。
「勝手にコハク姉のこと知り合いだと思い込んでくれる敵兵の間抜けヅラ見んの、面白ぇーんだけどなー」
「そんなことを言ってるうちに敵の野営地よ」
コハクは森を抜けたところにテントが張ってあるのを見つけ、言った。
「しかもあの立派さはおそらくは姫のテントだわ」
「よーし、殺しに行こうぜぇー」
カーニィがぽきぽきと指を鳴らす。
「そうね」
コハクは歩みを緩めず、そのまままっすぐテントをめざして行く。
「私のあとをついておいで。それだけで誰もが私たちを自分の仲間だと錯覚してくれる」
用心する素振りもまったくなく、コハクはテントの入り口をめくった。
「おはようございます。殺しに来ました」
カーニィが毒を振り撒く予備動作をする。
しかし中には誰もいなかった。
地面には毛皮が敷いてあり、誰かが寝かされていたようだったが、触ってもその温度は冷えていた。
「出発されてしまったようだわ」
表情は変えずに、コハクが残念そうに言う。
「後を追うわよ」
☆ ★ ☆ ★
進軍する隊列の中に混じり、リィエは馬車の中でリーザの髪を櫛でといてやっていた。
シュカはずっと休みなくリーザの喉元に手を当て、光魔法を注ぎ続けている。
シュカくん
少し休んだら?
あたしが替わろう
疲れきった顔をしながらも気力で頑張っていたシュカが笑った。リィエのほうを見る力もなく、言葉を返す力もないようだった。
「でも動いて正解だったようだわ」
メロンが言った。
「どうやら毒を盛った犯人、追って来てくれてるようよ」
「そうね。2人、魔力で飛びながらついて来ているわ」
モーラが言った。
び
びっくりした!
モーラさん、いつからいたの?
「たった今からよ」
第一王女モーラ姫は言った。
「リーザが危機なのを感じ取って来たの」
聞いたんじゃないんだ?
感じ取って来たんだ?
「シュカ。あたしが替わるわ。休みなさい」
モーラが言った。
「……なんて言えたらいいのだけどね。生憎あたしは黒魔法しか使えない」
メロンが初めてリィエから離れ、リーザの胸にくっついた。そして言う。
「リーザ姫様。あたしが毒なんか異空間に吸い取ってあげる。あーん……ぱくっ」
リーザが感謝するような笑いを浮かべた。
「メロンちゃん。重くてリーザが苦しむわ。やめなさい」
モーラが微笑みながら叱った。
「でも本当に……。毒を吸い取ってあげられたらどんなにいいかしらね」
モーラさんでも
どうにも出来ないんだ?
「光魔法を使えるのはシュカと、もう1人だけよ」
モーラは憎々しそうに呟いた。
「そのもう1人が来てくれればいいのだけれど……。とても期待は出来ないわね」
もう1人って
誰?
「フウガよ」
モーラはリィエの耳に唇を近づけ、小声で答えた。
「でも彼はリーザが死んでくれたら嬉しがる立場だもの」
な
なんで?
「フウガはリーザに次期女王になってほしくないのよ」
モーラはリィエの耳を舐める勢いで近づき、囁いた。
「自分の意のままに操れないからでしょうね」
な
なるほど
リーザは気が強いから?
「だからフウガは来てはくれない」
モーラはため息をリィエの耳に向かって吐いた。
「第一王女のあたしが頼んだって来てくれないわ。あたしは妾腹だもの。あなたが命令したって無理。中身別人だもの」
じゃあ……
「ええ」
モーラは言った。
「1人だけ、フウガを動かせる人物はいるわね。でも……」
シュカが咳込んだ。
倒れそうになる体を気力で起こし、リーザに光魔法を注ぎ続ける。
「追って来てる毒使いを倒すほうが早そうね」
モーラは目を光らせた。
「あたしは戦争には参加しない。でも……」
きっと後ろを睨む。
「妹を殺そうとするやつと闘うことは、戦争とはまた別だわ」
そう言うと、走る馬車から出て行った。
「ちょっと遊んであげて来るわね」
★ ☆ ★ ☆
「その通り。私はリーザを治すつもりはないよ、モーラ姫」
フウガは水晶玉の中にモーラの顔を映しながら、言った。
「これでリィエ様もリーザ様も王位から遠のいてくだされば私の最も理想の形で王位継承が行われることになる」
「フウガはヘーゼルナッツチョコ姫様に王位を継いでもらいたいのよね」
アクエリアがそう言いながら、水晶玉の中を覗き込んだ。
「あら、シュカ。相変わらず可愛いあたしの弟。苦しそうね。フフフ、あたしがとどめを刺しに行ってあげたいわ」
「だめだよ、君は私の飼い犬だ。ここにいろ」
「でも、リィエ姫にもしものことがあっても、リーザ姫様は王位を継ぐのかしら? あの子、女王よりも剣士になりたいみたいじゃない?」
「リーザ様はリィエ姫が王位を継いだ時の力になりたいと剣の修行をされているんだよ」
フウガは小馬鹿にするように笑いながら、言った。
「でもリィエ様にもしものことがあった場合は自分が王位を継ぐとはっきり宣言なさっている。リィエ様のためなら下について力になりたいが、ヘーゼル様のためには働きたくないそうだ」
「妹の下にはつきたくないのね」
アクエリアも蔑むように笑った。
「でもリーザ姫様が女王になったら何かフウガにとってまずいことでもあるのかしら?」
「私にとってまずいこと……それも確かにあるはあるが、何よりリーザ様は女王になってはいけないんだよ」
「なぜ?」
「あの姫は人の心の中を見透かす。人の嘘を見抜いてしまわれる。そんな力を持った女王に民はついては行かない」
フウガはリンゴ酒をグラスの中で回しながら、言った。
「水清ければ魚住まず、だ」
「何それ」
アクエリアが笑う。
「ことわざだよ。知らないかい?」
フウガは微笑んだ。
「不正を見抜く女王、そんなものは民から忌み嫌われることだろう。不正をしている家臣からは下手をすれば命を狙われかねない。国が荒れる。私はこの国をそんな国にはしたくない」
「だから助けないのね?」
「ああ」
フウガはリンゴ酒に口をつけた。
「勝手に死んでくださればそれが一番だ。シュカには悪いが……」
リンゴ酒を飲む手を止め、部屋の入口のほうを見る。
「おっと? これは珍しいお客様が来られたようだ」
アクエリアがソファーの後ろへ隠れる。
扉がノックされ、背の低い女の子が入って来た。
姫様らしい煌びやかなドレスに着替えたヘーゼルナッツチョコ第四王女だった。
「フウガ」
ヘーゼルは部屋に入って来るなり、珍しく毅然とした態度で言った。
「リーザお姉様の治療に行きなさい」
フウガは言葉を失い、危うくリンゴ酒を落としかけた。
初めてだった。ヘーゼル姫に何か命令をされたのは。
「あなたは光魔法が使えるのになぜ、シュカに代わって治療をしに行かないのです?」
とても緊張した様子で、しかし大きな声を頑張って出しながら、ヘーゼルは言った。
「命令です。今すぐ『どこでもドア』を使ってリーザお姉様のところへ行き、シュカと交代しなさい」
フウガは何も言えなかった。
従うしかなかった。自分が最も女王になってほしい姫には気に入られておかなければならなかった。




