国王の見舞い
「リーザ姫が毒に冒されて危機的状況だそうだ」
大賢者サイダ・フウガはソファーに身を沈め、紅茶を手に、世間話をするような調子で微笑みながら、言った。
「まぁ、それはあなたにとってラッキーね」
褐色の肌に黒髪の美女が犬のように鎖に繋がれて、四つん這いになって歩いて来ながら、笑った。
「リーザ姫には死んでほしいんでしょう?」
「さすがにね。死んでほしいと言うわけには行かない」
フウガは紅茶を口に運びながら答える。
「成り行きで死んでもらえれば嬉しいが、シュカが手当を施しているそうだ。手当をやめろとはさすがに言えない」
「私がシュカを殺して来ようか?」
黒髪の美女は舌なめずりをしながら言った。
「あの子、あたしには抵抗できないわよ」
「おいおい君の弟だろう? アクエリア・ルゥレン」
フウガは思わず笑った。
「しかもお互い愛し合っているはずだ。殺し合うのがユーダネシア人の愛の表現なのかい?」
「いいえ。あたしの趣向よ」
アクエリアはフウガの膝にもたれかかると、うっとりと笑った。
「愛する者を殺すのが大好きなの。だからあなたのことも殺したいの。殺させて?」
「おっと」
フウガは紅茶を飲む手を止めた。
「国王様のご帰還だ。お迎えに上がらねば」
国王が妻と娘を連れて大広間に入ると、フウガは既に待っていた。
「今、帰ったぞ」
偉そうに胸を張るハラホック国王にフウガは深々と敬礼をする。
「お帰りなさいませ、国王様」
「ウム。戦争が起こったと聞いたのでな、さすがに帰っとかんといかんかと思って、帰ったぞ」
「王妃様にヘーゼル姫様にもご機嫌うるわしゅう」
「帰ったって何もすることなんてないのにねぇ。オホホ」
王妃マルゴーは扇子で口元を隠して笑った。
「留守の間、ご苦労様、大賢者フウガ」
第四王女ヘーゼルナッツチョコは両親に手を繋がれ、黙っていた。
「戦況はどうなのだ?」
国王が一応聞いておかねばという風にフウガに聞いた。
「我が軍が優勢です。ただ……」
フウガは答えた。
「リーザ姫が毒にやられ、危篤中です」
「えっ? リーザが?」
国王は小躍りして喜びかけてやめ、咳払いをした。
「それはいかんな。大丈夫なのか?」
「はい。シュカが光魔法で毒の回りを抑えています。ただ、そのため進軍が遅れることになれば……」
「いかんいかん!」
国王は叱りつけるように言った。
「足を止めてはいかん! 魔王軍に先手を打たせてしまうことになる」
第四王女ヘーゼルは顔を上げた。心配そうに目が泳いでいる。国王の手をぎゅっと強く握った。
「ん? ……ああ。ちょっとリーザの具合を見て来たいのだが……。なんというか……。一応、心配なのでな」
国王がそう言うと、フウガは用意していたように扉を一枚、取り出した。
「こちらへどうぞ」
☆ ★ ☆ ★
朝が来た。アーストントンテンプル軍総隊長レオメレオン・ベルンハルト・フォン・シュタイナーは迷っていた。
このまま進軍を続けるべきか、リーザ姫の問題が解決するまで動かぬべきか。
第二軍隊長シュカ・ルゥレンさえ自由になるのなら迷う必要はなかった。しかしシュカはリーザ姫の毒を抑えるために今、動くことが出来ない。
シュカの力なしで進軍しなければならないのは非常に痛かった。下級の魔物たちが大群で襲って来ても、シュカの光魔法があれば一瞬ですべて消し去ることが出来るのだ。
森のほうを睨むように眺めながら腕組みをし、悩んでいると、突然何もないところに扉が開いた。
「国王様?」
扉から出て来たでっぷりとした中年男と後に続いて現れた2人の女性を見て、声を上げる。
「王妃様……。ヘーゼル姫様も」
急いで駆け寄り、跪いて敬礼をする。
「久しぶりだな、レオ」
国王は偉そうに胸を張り、言った。
「一瞬誰だかわからなかったぞ。お前、ひげはどうした」
「はっ。このたび敵に不覚をとり、自分を戒めるためのしるしでございます」
ヘーゼル姫が二歩ほど小走りでレオに近づいたところで立ち止まり、ショックを隠せないような顔で、何か言いたそうに手を動かした。
「王妃様。ヘーゼル様も、お元気そうで何より」
レオはヘーゼルを見つめ、優しくにっこりと笑った。
「リーザが毒に冒されたそうですね?」
王妃が露骨に心配そうな表情で言う。
「あの子はどこ? 容態を見てあげないと……」
「こちらでございます」
立ち上がろうとしたレオにヘーゼルが声を掛けた。
「あの……っ! レオ……」
「はい」
レオは動きを止め、にっこりと笑顔を見せ、答えた。
「なんでございましょう、ヘーゼル様」
「その……。おひげのないお顔、素敵ね」
言葉とは裏腹にとても残念そうに言った。
「ありがとうございます、ヘーゼル姫様」
一礼するとレオは一行を導いて歩き出した。
「さあ、リーザ様のところへご案内いたしましょう」
シュカは一睡もせずにリーザに手を当て、光魔法を送り続けていた。
そのテントを捲って国王が入って来ても気づかなかった。
リーザは施術の甲斐あって、少しだけ楽になっているようだった。毛皮の上に寝かされ、目を閉じているが、その胸は荒く上下し、顔色は紫がかっている。
「おお、リーザ!」
父王が娘の枕元に膝をつく。
「かわいそうに! おお、おお!」
リーザは目を開けなかった。その『真実を見る瞳』に醜いものが映ることを拒絶するように、固く目を瞑っていた。
「ああ……。出来るものならわたくしが替わってあげたいわ!」
母の声が聞こえ、リーザはゆっくりと苦しそうに目を開けた。
「可愛いリーザ……! わたくしがお腹を痛めて産んだ子ですもの! 可愛くないわけがない! ああ……。辛いのね? 苦しいのね? ああ……愛する娘が苦しんでいるのを見るのは辛いわ! 替わってあげたい!」
リーザは母の顔を見ると、口元に薄く笑いを浮かべた。
その『真実を見る瞳』には、母の口が本心を喋る姿が映っていた。
「なんて優しいわたくし! 母というものは尊いものよ! こんな何でも見透かす目を持った気持ちの悪い娘なんて本当は死んでくれたらいいと思うのだけど、わたくしは素晴らしい母ですもの! 本当はリィエとヘーゼルさえ無事でいてくれればいいのだけど、わたくしは母ですもの! 母とはこういう素晴らしいものだと見せつけるいい場面だわ! これはいい場面だわ! ものにしないと!」
母が涙を浮かべて顔を近づけて来た。髪を撫で、頬にキスをして来る。
リーザは頑張って笑顔を浮かべると、キスを返した。そして愛おしそうに母の頬を撫でてあげる。
「おいおい。そんなことを言っても見透かされるんだぞ?」
父の声が聞こえたのでまた目を伏せた。
「心にもない綺麗なことを言ったってバレバレなんだぞ」
「まあ! 何が心にもない綺麗事ですって?」
母が赤いサボテンみたいなトンガリ頭からツノを出した。
リーザは顔を横に向け、また目を開いて、妹を見た。
妹のヘーゼルはただ立っていた。何も言わなかった。
リーザは知っていた。妹は自分に嘘を見抜かれたくないから黙っているのではない。本当の気持ちほど口にすることが出来ない子なのだ。
怒ったような顔をして立っているが、それが彼女の泣きそうな顔だということは知っていた。それで充分心が癒された。
リーザは口を開いた。「大丈夫よ、ヘーゼル。心配しないで」と言おうとした。
しかし口が思うように動かず、
「ガァッ……! カッハァ!」
という言葉にならない吐血のようなものが口から出た。
「喋らないで!」
シュカに叱られた。
「毒の回りが早くなる!」




