第4王女ヘーゼルナッツチョコ
黒いおさげ髪の少女は12歳。熱心にガラス窓の中のバイオリンを見つめていた。
目を輝かせ、それを自分が弾いている場面を想像する。
「素晴らしい!」
顔を黄金色の髭で縁取った男が妄想の中で立ち上がり、拍手をする。
「素晴らしいですぞ、ヘーゼル姫!」
ヘーゼルナッツチョコ・アーストントンテンプル第四王女はにっこり笑い、優雅に一礼して答える。
「私のこと、見直した? レオ」
場所はコンサート会場。割れんばかりの拍手の中で、彼女の騎士、レオメレオン・ベルンハルト・フォン・シュタイナーの金色の姿だけを彼女は見つめる。
欲しい。
このバイオリンを手に入れて、家庭教師をつけてもらって、練習して、あの黄金のひげの騎士の前で演奏したい。
彼の喝采と尊敬の眼差しが欲しい。
欲しい。
「そのバイオリンが欲しいのかい? お嬢ちゃん」
店から出て来たハゲ頭のおじさんに声をかけられ、彼女の妄想は壊された。
「お父さんは一緒かい? 頼んで買ってもらいなよ。お安くしとくよ。三万Gほどでいいよ」
ヘーゼルはぶんぶんぶんと勢いよく頭を横に何度も振ると、何も答えずに逃げるように駆け出した。
「ヘーゼル!」
旅人の格好をした太った紳士が彼女を見つけ、呼び止めた。
誰も気づいていないが、変装して国中を旅しているハラホック・アーストントンテンプル国王である。
「迷子になってはいかん。勝手に側を離れるでない」
ヘーゼルは大人しくうなずくと、父王に近づき、手を差し出す。
王はその手を繋いだ。そして娘に聞く。
「どうした? 欲しいものでもあったか? 何でも買ってやるぞ、言いなさい」
ヘーゼルは何もない、と無言で頭を横に振る。
「お前はいつもそうだ」
王はため息をつく。
「欲しいものがあっても決して私にねだらん。欲がないのか、それとも……」馬鹿なのか、という言葉を王は呑み込んだ。
「じゃあお父様……、あれが欲しいです」
ヘーゼルは適当な動作で、すぐ側の店先に置いてあるものを指さした。
縁台に置かれたタヌキのぬいぐるみだった。300円だ。
「ああ、楽しかったわ!」
人混みをかきわけ、赤いソフトクリームみたいな頭を聳え立たせた婦人が戻って来た。貴族の婦人のふりをしているが、ヘーゼルの母、王妃マルゴーである。
「コマを回して喧嘩をする見せ物を見物して来ましたのよ。あなたもヘーゼルも一緒にいらっしゃればよかったのに」
「私は情報を集めているのだ。遊んでいる暇はない」
国王は言った。
「戦争は本当に始まっておるらしい。今のところ我が軍が快進撃を続けておるとのことだ」
「あなた、お城へ戻らなくてもよろしいんですの?」
「フウガに任せてある。私よりもよっぽどフウガのほうが政治力も何もかもある。私はお飾りでいいのだ」
「ま。だらしないお言葉」
王妃はホホホと笑った。
「あなたらしいですわ」
「それに……リーザが帰って来ておるらしいのだ」
王は言いにくそうに、言った。
「あら。それはご都合がお悪いわね」
王妃は口元を扇子で隠し、皮肉を言うように言った。
「あなたが何人の女と浮気してらっしゃるか、あの子の前ではすぐにバレてしまいますものね」
「そんなことじゃない」
王は慌てて手を振った。
「あの子は単に苦手なのだ。生真面目すぎて、融通が利かん。私のすることを批判しよる」
「図星をつかれたくないだけでしょ」
王妃はクックックと笑う。
「なぁ? お前も嫌いだよな? リーザ姉さんのこと」
王はヘーゼルに話を振った。
「いつも嫌いだって言ってるもんな? な?」
「リーザお姉様のことは、ヘーゼルは好きではありません」
ヘーゼルは胸に抱いたタヌキのぬいぐるみの耳を噛みながら、即答した。
「2番目に大嫌いです。……リィエお姉様の次に」
「それにしてもこの戦争、原因は何ですの?」
王妃が話を変えた。
「さぁ?」
王は首をひねった。
「知らんが、フウガにすべて任せておけば大丈夫だ。私達は引き続き、遊ぼう」
リィエが牛車に轢かれたという情報は、もうすぐ一ヶ月になろうというのに、まだ国王の耳には届いていなかった。
☆ ★ ☆ ★
鎧に身を包み、レオメレオンは風の草原に立っていた。
明日はいよいよ魔王領に侵攻する。
兵士たちの体を休ませたら、朝になる前に出発だ。
今日は2人の姫も休息をとっていた。
金色の髪を風に揺らし、草原で花を摘んで遊ぶリィエとリーザを見守りながら、レオは目を細める。そして呟く。
「こうしていると……何もお変わりのない、以前のままのリィエ様のようだ……」
うふふ
きゃっきゃっ
子供に戻った気分
リィエは花を摘むのに飽きて、虫を追い回していた。
ドブネズミみたいな姿の虫がリィエに追われて逃げ回り、追い詰められるとハサミムシみたいなお尻を立てて臭いガスを放とうとする。
それをむんずと捕まえると、リィエは口に入れた。
むしゃむしゃ
うめぇ!
コンビニのシャケおにぎり味だ!
捕まえた虫は正確に言えば魔物だった。
ゴキドバディプスの仲間でシェイキォニギリスという魔物だ。
「リエちゃまー!」
少し離れたところで花を摘んでいたリーザが手を振った。
「いいもの見つけたよ! こっち来て」
おおリーザ
何を見つけたんだ
おいしいものか?
行ってみるとリーザは赤い花を前にして座り込んでいた。
なんだかチアガールが持ってるポンポンみたいな、変な形の花だ。
何それ
食えるやつなん?
「これはね、クチベニソウって言って、名前の通り、蜜が口紅になるんだよ。やってみる?」
ああ
あたし、おしゃれには疎いんだよね
うんこだから
「まぁ、見てて?」
リーザはそう言うと、花に小指を差し入れた。
花の中から抜くと、リーザの小指が鮮やかな紅色に染まっている。
それ
唇に塗るの?
毒とかない?
「ちっちゃい時からこうやって遊んでるんだよ。みんなやってたよ。モーラお姉ちゃまも、リィエお姉ちゃまも、妹のヘーゼルも。懐かしいなぁ……」
リーザは微笑みながら、小指についた紅色を見つめた。
「それに毒だったら私の『真実を見る瞳』でわかるよっ」
リーザが小指で自分の唇をなぞった。
唇が鮮やかに明るく染まり、元々美少女がさらに輝きを増す。
リィエはほぅう……とため息をついて見とれた。
自分みたいなうんこがやってもアレだけど、美少女が化粧するとやっぱり凄いことになるなぁ、とよく考えたら今の自分はリーザとそっくりな美少女だったのを思い出し、
や
やってみようかな……
あたしも
「やってあげるよ、リエちゃま」
そう言ってリーザは花の中に再び小指を入れた。
ゆっくり引き抜いた指が鮮やかな紅色に染まっている。
微笑みながら、それをリィエの唇に近づけて来る。
な
なんか
嬉し恥ずかしいな……
うんっ
リィエは目を閉じ、キスするみたいに唇を差し出した。
しかし唇には何も触れては来ず、どさりと倒れる音をリィエは聞いた。
目を開けるとリーザが草の上に倒れ、痙攣している。
「あ……が、うううあああっ!」
喉をかきむしり、もんどりうって苦しんでいる。
リィエは叫んだ。
レオ!
リーザが!
リーザが!