魔王とモーラ
「今日にも人間の軍勢は我が魔族領に侵攻して来る勢いです、魔王様」
イクィナスの報告に魔王サイラス・カルルスは顔を曇らせた。
「どうしても殺し合わなければいけないのか……」
「敵は大賢者サイダ・フウガの魔力による後ろ盾が強く……。魔王様、こちらも魔神ウィロウの力を軍に注ぎましょう!」
「すまない」
魔王は毅然とした態度は崩さず、ただ表情で深く詫びた。
「僕が逡巡したばっかりに……。二万もの同胞を失ってしまった。わかった。遅くなったが、僕も大賢者のように魔法で戦士を強化しよう」
「お願いします」
イクィナスが床につくほどに頭を下げる。
「しかしすべての兵をまんべんなく強化するよりは、少数の精鋭を大幅に強化したほうがいいだろう」
魔王は言った。
「オーバ三兄弟を出す」
「おお!」
イクィナスは顔を上げ、声を上げた。
「あの元より大きな戦闘力をもつ三兄弟に、さらなる強化を施されるのですね!? これは次の戦闘が楽しみというものです!」
「とりあえず1人にしてくれ」
魔王は背を向ける。
「この哀しみをどうにかしなければならない」
「わかりました。どうぞご安静に」
そう言ってイクィナスは下がった。
静かになった暗い部屋で、魔王サイラス・カルルスは玉座に深く腰を下ろすと、顔を覆った。
そして呟く。
「ごめんなさい、小早川さん。こんなことになるはずじゃなかったんだ……」
手元を探ると、黒い小さな箱を握る。
二つ折りのそれをパカッと開く。
ガラケーだった。
魔力で電気を起こすと、それは起動した。
待ち受け画面が点くと、ボタンを操作し、写真フォルダーを開く。
そこには時計台のある公園を背景に、小早川理恵に少し似ている少女が写っており、魔王そっくりの少年と並んで笑っていた。
魔王はそれを哀しそうな目でしげしげと見つめ、一粒涙をこぼす。
突然、背後で女の声がした。
「どうしたの、サイラス? また哀しみ病?」
「モーラ?」
少しだけ驚きながら、魔王は振り向いた。
玉座と壁の間の狭い隙間に挟まるように、アーストントンテンプル国第一王女『真っ黒けモーラ』がそこににゅいんと立っていた。いつの間にかだ。魔王サイラスともあろう者がすぐ後ろに立たれていてちっとも気づかなかった。
「びっくりした。キングコブラかと思ったよ」
「失礼ね。でもなんかそれかっこいいわ。前言撤回、素敵ね」
「いつ帰って来たの?」
「昨晩よ。戦争が起こったって聞いてね」
「で、君はやっぱり僕の敵になるのかな?」
「まさか」
モーラは笑い飛ばした。
「あたしは自由よ。どっちの味方もしないわ」
「君は半分は僕らの仲間だ。僕らの味方になってくれれば嬉しいんだけどね」
「じょーだん! 可愛い妹たちの敵になれって言うの?」
「まぁ、久しぶりの再会だ。ザクロジュースで乾杯しよう」
「相変わらずお酒は飲めないのね。可愛いお坊ちゃん」
「お坊ちゃんはやめてくれよ」
魔王は苦笑した。
「僕は本当ならもう50歳を越えている」
「でもあたしにとってはいつまで経っても坊やよ」
「そうか。そうだね」
魔王は幸せそうに笑った。
「なら君のこともお母さんって呼ぼうかな」
「それはやめて。あたし、まだ23なんだから」
「で、ここに来たのはやっぱり小早川理恵さんのこと?」
「そうね」
モーラはそう言うと、サイラスの前に立った。
「やっぱりザクロジュース貰うわ」
魔王サイラスと第一王女モーラは真っ暗な部屋の中で向かい合い、ザクロジュースで乾杯した。
「彼女をこの世界に連れて来たのはあなたでしょう? なぜそんなことをしたの?」
モーラにそう聞かれ、サイラスは諦めたように笑うと、ジュースを一口飲み、吐き出すように言った。
「彼女があっちの世界で死にかけていたんだよ。トラクターなんかに轢かれて、さ」
「それをずっと見てたのね? あなた」
「うん。彼女とリーザ姫にはこっちの世界でリィエ姫が死にそうになってたから助けたと言ってあるけど、本当は逆なんだ」
サイラスは懐かしそうな目をして、笑った。
「小早川さんのことをずっと見てたんだよ、僕は。あのひとの娘がどうしているか、心配で。そしたら、へんてこなクレープを食べるのに夢中になるあまり、トラクターに轢かれるのが見えて……」
「で、ちょうどその時、あたしの愛する妹が死にかけてたのね?」
「咄嗟だったんだ。考える暇なんてなかった。すまないと思っている」
魔王はモーラに頭を下げた。
「同じように牛車に轢かれて死にかけていたリィエ姫の体に、理恵ちゃんの魂を……。2人を入れ替えたんだ。『転移のパラドックス』を利用して、2人は助かった」
「まぁ、それはいいわ。リィエも死にそうになってたとこを助けて貰ったんだもん。ありがとうね」
モーラはザクロジュースを音を立てて飲むと、グラスをどんと机に置き、言った。
「でもなんで今更小早川さんを殺そうとするわけ?」
「彼女は僕がかけたのとは別の呪いがかけられ、化け物になってしまった。このままだと彼女は魔族を食い尽くしてしまう。僕がせっかく代々の魔王から受け継いだ世界が壊滅してしまう。それを止めるには、僕が死ぬか、彼女が死ぬか、それしかない」
「他にもあるでしょうよ」
モーラは喧嘩口調で言った。
「魔神ウィロウを封印するとか」
「それはできない。魔神を封印すれば僕は魔力を失う。それではやはりこの国は混乱に陥る。低級な魔物は制御を失い、野良の魔物となって人間を食らいはじめるだろう」
「じゃあ」
モーラは言った。
「大賢者フウガを殺せば?」
「僕はサイダ・フウガには勝てない」
サイラスは目を瞑り、詫びるように言った。
「彼は500年前の転生者だ。たかが20年の若造の僕とは格が違う。それに知っての通り、僕は誰か第三者に見られているだけでいとも簡単に魔力を使えなくなってしまう出来損ないの魔王だ。彼とは出来が違うんだよ」
「簡単に諦めるのね」
モーラはため息をついた。
「相変わらず、1人ですべて背負おうとするお坊ちゃんだわ」
「君と僕が力を合わせたところで……」
「たった2人で勝てるわけないでしょ」
モーラはザクロジュースを飲み干し、姿勢を正した。
「昨夜、理恵ちゃんに会って来たわ。あの子、凄い。今は食欲にとりつかれてるだけのただの暴れん坊だけど、彼女自身、あの力を制御することを覚えれば……」
「なんだって?」
「彼女、力を自分自身のものにすることが出来れば、フウガを倒す勇者にもなれるかもしれない」
モーラの目がきらーんと光った。
「いや……。大賢者サイダ・フウガは君の国の事実上の最高権力者だろ。それを君が倒そうだなんて……」
「あたしが思うのよ。そうしたほうがいいって」
「どこまでも自由な人だな、君は」
「あら、知らなかった?」
サイラスはそう言われて苦笑した。
「とりあえずこの話、考えておいて? あたしは妹たちのところに帰って、彼女の様子を見るわ。心配しないで、あなたの兵に手出しはしないから」
「考えて……みるよ」
「お願いね。あ、ところでサイラス、今からあたしとやらない? あんたと一度、やってみたかったの」
「遠慮しておくよ」
サイラスは苦笑した。
「あんなことを君とやったら体がもたない」
「そっか」
モーラは笑った。
「それじゃ、帰るけど。フウガのこと、あくまであなたが逃げの姿勢で、理恵ちゃんを殺そうと考えるのも自由よ。あたしはそれを止めはしないわ。でも」
蛇のような目で一瞬、鋭く睨んだ。
「妹の体に入ってる以上、あの子もあたしの妹よ。復讐は覚悟しておいてね」
モーラが帰ると、サイラスは再び玉座に深く腰を沈めた。
そして低い声で、誰にともなく告げる。
「オーバ三兄弟をこれへ」
「はっ」と、闇の中から返事の声がした。
「すまない、モーラ。僕にはやはり、大賢者と闘う気にはなれない」
サイラスはそう言うと、闇に向かって命じた。
「オーバ三兄弟よ。君らに僕の力を授ける」
それに答えて三人の男の声がした。
「有り難き幸せ」
「頂戴いたします」
「へへっ。ありがとうございます」
「なるべく他の者は殺すな」
サイラスは哀しみに震える声で、命じた。
「狙いはリィエ姫だけだ。その体の中にある魂のみを殺せ」
「御意」
「承知」
「魂だけかよー。ま、俺らなら出来ますぜ。任せてくださいな」
「よし、では行け」
そう言うとサイラスはマントを翻し、壁を向くことで表情を隠した。




