第一王女『真っ黒けモーラ』
「そうか。食べたか」
水晶玉の中のフウガは嬉しそうに笑った。
「これでレベルが一度に上がったな」
「しかしあれはエグいわ」
報告するロウの顔は吐きそうだ。
「思い出すたび胸に来る」
「それにしてもカラーゲイ・ヴェントゥスのことは食べようとしなかったんだな?」
フウガの笑顔が消え、考え込む。
「人間型の魔物は食べないということか? それは問題だな……」
「ヴェントゥスのことは捕虜にしたが、それでよかったのか? もし消したほうがいいんなら、オレにタイマンやらせろ」
「ロウ。お前には倒してもらいたい相手がいる。それまで我慢しろ」
「暴れてェんだよ」
ロウはうずうずしていた。
「早く強いヤツとやらせろ」
★ ☆ ★ ☆ ★
「2万の軍が全滅したと?」
報告を受け、魔王サイラス・カルルスの冷たい顔に驚きが浮かぶ。
「はっ。まさかの王女が巨大化し、1万の同胞を食い殺したとのことです」
部下の言葉に魔王は瞠目し、哀しげに言った。
「可哀想に……。リィエ姫は大賢者サイダ・フウガにいいように利用されているんだ」
暗い室内に石の床を踏む足音を響かせて歩くと、窓から外を眺める。
遠く遙か眼下にはアーストントンテンプル城が小さく点のように見えていた。
「リィエ姫は被害者だ。関係のない世界からやって来て、転移者のチート能力を利用され、人間の敵である我らを滅ぼすためにいいように使われているんだ」
そして魔王は泣き顔を隠すように顔を覆うと、呟いた。
「大賢者サイダ・フウガによって彼女にかけられた『食欲の呪い』を解くためには、大賢者を殺すか、リィエ姫自身を殺すしかない……。しかし、大賢者を殺したところで、異世界へ飛んでいる本物のリィエ姫は戻って来ない。大賢者による『食欲の呪い』も僕がかけた『転移の呪い』も両方解くためには……」
顔を覆っていた手を退けると、魔王の目には決意の強い色が浮かんでいた。
「可哀想だけど、やはりリィエ姫に死んでもらうしかないんだ」
☆ ★ ☆ ★ ☆
戦地に張られた天幕の中で、リーザはリィエを抱きしめていた。
よく覚えてないんだけど……
あたし……
いっぱい食べちゃったの?
「私は見てないよ」
リーザはリィエの髪を撫でながら、言った。
「リエちゃまを槍が貫いた時に気を失っちゃってたから」
リィエの胸にぴったりと蜘蛛のようにくっついているメロンが口を開く。
「びっくりした?リーザ様。あたし、びっくりさせた?」
「あなたがリエちゃまを救ってくれたんだよね?ありがとう」
リーザは礼を言いながらじろりと睨む。
「でもそこにずっとひっつかれてると気持ち悪いんだけど。寝る時ぐらい離れてくれない?」
「ひひひひひ」
メロンは気味悪く笑うと、よだれを垂らした。
「やーよ。あたしの役目は片時も離れずリィエ様をお守りすることなんだから」
「大体あんた、何を食べてるの?まったく食事をしてないじゃない。まさか……リエちゃまの養分を吸って……」
ううん
そんな感じはまったくないよ
寄生されてる感じはしない
「ひひひひひひ」
メロンはまた笑った。
「あたしの栄養はリィエ様のご無事なの。それさえあれば生きて行けるわ」
★ ☆ ★ ☆ ★
「なんということだ……」
レオメレオンは別の天幕の中で呟いていた。
側にはシュカが姿勢よく座っている。
「リィエ様にかけられた呪いがこれほど深刻なものだとは……」
昼間見た巨大化した姫の姿が目に焼き付いて離れずにいた。
「しかし、おかしくはありませんか」
シュカが言った。
「魔王がなぜ姫様に、魔族しか食べられなくなるような呪いをかけるのか……。そんなことをして魔王に何の得があるんでしょう?」
「それについてだが……。おそらく、リィエ様にその呪いをかけたのは魔王サイラスではない」
「他に、誰が?」
シュカにそう聞かれ、レオメレオンは返答に窮した。
頭に浮かんだ大賢者の顔を少しの時間をかけてかき消すと、レオメレオンは答えた。
「第一王女……」
「モーラ様が!?」
「あの方なら……そういう呪いをかけることは可能だ」
「しかし……。モーラ様が妹姫にそんな呪いをかける理由は?」
「……実は王位継承権を、モーラ様も心の内では狙っておいでだったのだろう」
「まさか!」
シュカは笑い飛ばすように言った。
「だって……あの、『真っ黒けモーラ様』ですよ?」
☆ ★ ☆ ★ ☆
ロウはフウガとの通信を終え、天幕の外で1人酒を飲んでいた。
月は白く美しく、ロウの半分魔族の血をざわめかせる。
「あーあ。誰か一緒に飲んでくれるヤツいねェかな」
月を見上げて、呟く。
「1人で飲んでっと、暴れたくなって仕方ねェ……」
そこへ後ろから女の声が話しかける。
「フフフ。あたしが一緒に飲んであげようか?」
気づかなかった。
アーストントンテンプル軍第1部隊隊長のロブロウ・クロウ・ロウガともあろうものが、その女が後ろに立っていることに。声をかけられて初めて気づいた。
ロウはとっても嬉しそうに振り向くと、その女の名を呼んだ。
「モーラ!おいおいこいつは嬉しいな!いつ戻って来やがった!?」
薄闇の中には誰もいなかった。しかし闇の中からぺろりと赤い舌が覗く。
赤い舌は舌なめずりをするとまた闇の中に消え、それとともに細面で長身の、真っ黒な女の姿が現れる。蛇のように鋭い目を微笑ませ、ロウに答えた。
「たった今よ。戦争が起こったって聞いたのもあるけど……」
鋭い目に隠微な色を浮かべる。
「あんたとやりたくなってね」
「よし!やろうぜ」
そう言うとロウの姿がざわざわと黒い魔物に変わりはじめる。
「でもその前に……」
アーストントンテンプル王国第一王女モーラは黒いローブを揺らして腕を上げ、長い黒髪を掻き上げると、町女のような言葉遣いで言った。
「妹たちに挨拶しなきゃ。2人来てるんでしょ?リィエとリーザが?」
黒いローブは月明かりに透け、細いその体の線がはっきりと見えた。
「可愛い妹達だもの。たっぷり久々の再会の喜びを楽しまないとね」
そしてまた舌なめずりをした。