月夜の三者会談
魔王サイラスの手が伸び、薔薇を手折った時のように、リィエの首を手折る。
ぐえっ……!
その手は握り締められた。
しかしリィエの体をすり抜け、空気を握り潰す。
く
苦しい……!
リィエは首を絞められたと思って苦しんだが、気づいてみたらちっとも苦しくはなかった。
魔王の手は幻影のように、自分の体に触れられずにいた。
あれっ……?
魔王さんの手が透けてる……
ゆうれい……?
「これ……は……」
魔王サイラスは自分の手を引いてじっと見つめる。そして辺りを見回した。
「誰かいるのかな? 隠れて僕らを見ているね?」
がさりと音がして、
「わっ。見つかっちゃった!?」
甲高い声とともに背後の茂みから人影が姿を現した。
「すごいなぁ。完璧に気配を消せてたと思ったのに」
明るい笑顔で立ち上がったのは寝間着姿のリーザだった。
リーザ!?
尾けて来てたの?
気づかなかった!
「リエちゃま、そのひと?」
リーザは冷やかす口調で言う。
「リエちゃまの、密かに想ってるひとって」
顔がニヤニヤしている。
「……あなたは?」
魔王がリーザに聞く。
「失礼しました」
リーザは寝間着のスカートの裾を軽くつまみ、胸を張って威厳を表し、頭を少し横へ傾けると、名乗った。
「私はアーストントンテンプル王国第三王女、リーザ・アーストントンテンプルです。武者修行のため二年ほど王都を離れていましたので、私を知らないのも無理はありませんね。おまえは誰? 見たことのない顔ですが……」
「これはこれは。第三王女のリーザ様でしたか。お名前は存じておりましたよ」
魔王は恭しく一礼すると、名乗ろうとする。
「僕は……」
「当ててみましょう」
リーザは楽しそうに言った。
「最近、城に士官して来た……魔術師の方ね? フウガったら抜けてるわ。こんな美少年が新しく士官して来たのなら私に報告してくれないと……」
「違いますよ」
少年は可笑しそうにクックックと笑った。
「お初にお目にかかります、リーザ姫。僕の名前はサイラス・カルルス。魔王城セブンス・イレブンの城主です」
「まお……?」
リーザは暫くおおきな目をきょろきょろさせて考え込んでから、
「まっ……、魔王サイラス!? はっ? はあーーっ!?」
激しく取り乱した。
面白いものを見物するように屈託なくクックックと声を上げて笑う魔王を見て、リィエは思う。
ほら
やっぱり
悪い人なんかじゃないじゃない
リーザは急いでリィエの体を抱くと、自分の後ろへ隠した。
そして腰に手を当てたが、そこに剣はない。
「ううっ……! 剣を持ってくればよかった……!」
「無駄ですよ」
魔王はかわいい子供を見るように笑う。
「ここにいる僕は遠くから魔法で投影している姿です。実物ではありません」
でも
薔薇に触れて
折れるんだよね
あたしの首だって折れたんだろうのに……
「それに僕は貴女に危害を加えるつもりはありません」
魔王はリーザに対して敵意がないことを示すように両手を上に上げて見せる。
「僕はただ……リィエ姫が外に出て来てくれたのを感じ取って、それに応えてやって来ただけです」
それを聞いてリィエは魔王に話しかけた。
魔王さん
フウガがね
魔王さんを殺せばあたしの呪いが解けるって……
そんなの……嘘だよね?
それを聞いて、魔王サイラスの顔色が変わる。
笑顔が消え、何かを思い出したように、驚いたような表情になる。
そして、言った。
「あ……。そうか、そういう方法もあるのか」
そういう
方法……?
「うん……」
魔王サイラスは急に黙り込み、唇に手を当てて何やら考え込みはじめた。
「リエちゃまに呪いをかけたのはあなたなのでしょう!?」
腰が引けながらもリーザが吠える。
「だからあなたを殺せば呪いが解け、リエちゃまは元の世界に帰り、異世界に飛ばされた本物のお姉ちゃまもこっちに帰って来る! そうよね?」
「そうですね」
魔王はうなずいた。
「そういうことになります」
あたしに呪いをかけたのは
本当にあなたなの?
「はい」
どうして……
そんなことを?
「魔城から意識を飛ばして巡回していた時のことです。森のはずれで悲鳴を聞いたのです。ゆっくりと牛車に轢かれ、死にかけているリィエ姫の悲鳴でした」
「なんですって?」
リーザが話の続きを促す。
「僕は彼女を救おうと、咄嗟に何とかしようと……。そのためには呪いをかけるしかなかったのです」
「何、それ!?」
「彼女の魂を異世界に飛ばしました。その時、偶然にも異世界で、同じようにトラクターにゆっくりと轢かれて死にそうになっている女性を見つけました」
あ
あたしか
「はい。小早川理恵さん。あなたです」
魔王サイラスはそう言って涼しい目で見つめると、話を続けた。
「『転移の呪い』を使いました。死んでも異世界に転移できれば魂は無事です。その上で、転移におけるパラドクスも利用しようと思ったのです」
「転移の……パラドクス?」
リーザが興味深そうに聞く。
リィエは話が難しくなって来たので眠くなりはじめた。
「転移する際において、転移先の肉体は安全が確保されます。新たな魂が宿るその体は安全な状態であることが保証されるのです。その時ちょうど死にかかっていたとしても、その状態はリセットされ、ピンピンに元気な肉体であるということにされるのです」
よ~わからん……
「つまり事故で死んだという事実がなかったことになるのね?」
リーザはわかってるようだった。
「はい。それを利用して、僕は異世界で死にかけていた小早川理恵さんのことも助けました」
「よかった……!」
リーザのおおきな目から涙が溢れた。
「お姉ちゃま、そっちの世界で元気で暮らしてらっしゃるのね。……それで、元に戻す方法は?」
うん
どうしたら元に戻れるの?
「それは……」
魔王は言った。
「サイダ・フウガの言う通りだ。僕が死ぬしかない」
ほ
本当だったの!?
その話……
「はい。僕が生きている限り、この呪いは解けません。僕の魔力が2人を繋ぎ留めているのです。これは魔法ではなく呪いなので、その呪いの源となっている僕の魔力が消えない限り、つまりは僕が死なない限り、解けることはない」
「つまりあなたは」
リーザが首を傾げる。
「『転移の呪い』とやらを使ったあと、自殺でもするつもりだったの? 2人を元に戻すために」
「まさか」
魔王は哀しそうに笑った。
「お2人にはずっと体を入れ替わったままいていただくつもりでしたよ。死ぬまで」
そ
そうだったの?
「ただ、話が変わった」
魔王はそう言うと、哀しそうな目でリィエを見た。
「貴女がこちらの世界で目覚める前、貴女の中に禍々しい光が空から落ちた」
禍々しい……
光?
「自然発生的なものなのか、それとも誰かが故意に発動させたものなのか、それはわからない。ただ、それにより、貴女は新たな呪いにかかった」
「何のこと?」
リーザはリィエを背中に守りながら、聞いた。
「新たな呪いって?」
「わかるでしょう?」
魔王は冷たい目を細め、言った。
「彼女はそれにより、魔属性のものしか食べられない体にされた。それは僕がかけた呪いではない」
「魔属性のものしか食べられない?」
そんなことは初耳のリーザは驚いて、背中のリィエに聞いた。
「そうなの? リエちゃま」
うん
ふつーの食べ物はみんな
うんこみたいな味なんだ
で
魔物めっちゃ美味しい
「魔物はすべて僕の子供です」
サイラスは冷たい目で睨むようにリィエを見た。
ごめん
でも……
「そう。生きるために、貴女は食事をしないといけない。魔物だって人間を食べることがある。僕はそのことを非難することは出来ない。ただ、貴女は放っておけば魔物を食い尽くしてしまう勢いだ。それが問題だ」
うん
琵琶湖のブラックバスみたいだなって
自分でも思う
中学生の頃だか、授業で習ったことがあった。元々その地に生息していなかった外来種の生物を人為的に放流すると、その強さによっては補食対象の元々いた生き物を絶滅させ、爆発的に増殖し、遂には生態系を破壊してしまうことがあると。
自分もそれに似てるな、と思っていた。魔属性のものだけを食い荒らし、そのうちには絶滅に追い込んでしまうかもしれないと。
「リーザ姫」
魔王は言った。
「本物のリィエ姫を呼び戻す方法は、僕が死ぬ以外にもう一つあります」
「え?」
「リィエ姫が戻って来れないのは、体の中に小早川理恵さんが入っているからだ」
あー
うん
あたし邪魔だよね
「だから小早川さんがいなくなれば、リィエ姫は戻って来る。空きが出来れば、元々関連づけられている体のほうに引っ張られ、その魂は戻って来るんです」
「リエちゃまは?」
リィエを後ろに守りながら、リーザは聞いた。
「どうなるの?」
「殺します」
「え……」
「体ごと殺してしまってはリィエ姫まで死んでしまう。だから小早川さんの魂だけを殺すのです。そうすれば貴方の本当の姉君はすぐにこちらへ戻って来られる。僕なら、それが出来る」
リーザが振り向き、リィエの顔を見た。
その顔に動揺が浮かんでいるのをリィエは見た。
「それが一番の解決法だとは思いませんか?」
魔王は言った。
「戦争を起こすこともなく、小早川さん1人が死ぬだけで、本物のリィエ姫も戻って来る。他には誰も死なない」
リーザの目が泳ぐのをリィエは見た。
「今から彼女を殺します。体は傷つけず、魂だけを殺して抜き取る魔法を使う」
サイラスは一歩前へ出た。
「しかしリーザ姫。あなたが見ていると僕は魔力を使えない。どうか、この場を静かに離れて、後はすべて僕に任せて……」
リーザは魔王に向き直ると、即答した。
「ダメよ! 私が許さない!」
「なぜ?」
魔王は訝しむ。
「小早川さんはいわば部外者だ。元々この世界にいなかった人だ。彼女1人が死ねばすべてがうまく行く。戦争が起こればたくさんの者が死ぬんですよ?」
「ダメよ! リエちゃまを殺すなんて、絶対にダメ!」
リーザはまくしたてた。
「ではどうしろと?」
「あなたが死ねばいいじゃない!」
「そういうわけには行きません」
魔王の表情が頑なになる。
「僕がいなくなれば、魔族の者みんなが路頭に迷う」
「関係ないわ!」
リーザは吠えた。
「私たち人間族にとっての部外者はあなたよ! リエちゃまは私たち人間族の仲間! 魔族のあなた1人が死ねばリエちゃまも助かって、お姉ちゃまも戻って来るんでしょう?!」
「……決裂ですね」
魔王サイラスは赤と黒のマントを翻した。
「残念です……。戦争は避けられなくなった」
月明かりに溶けるように魔王の姿は消えた。
あの……さ
リィエは力のない声で言った。
あたし……
殺してもらっていいよ?
べつに……
顔が泣きそうになっていた。
あの人が言う通り……部外者だし
元々死んじゃってたんだし……
うんこみたいなやつだし……
「ダメよ!」
リーザが厳しい顔で叱る。
「リエちゃまが死んでみんなが幸せになるなんて、そんなの……私が許さない!」
でも……
あたし……
世界の迷惑じゃん……
むしろ死にたい……
涙がぽろぽろと零れはじめたリィエの頭を抱きしめると、リーザは励ますように言った。
「みんなが幸せになる方法でなきゃとってはいけないの。考えましょう。方法は他にもあるはずよ」




