リィエのめざめ
素敵なイラストはセッケン様に描いて頂きました
感謝感激です!
【リィエ姫】
アーストントンテンプルの城でリィエは目を覚ました。
大広間には臣下の者達が勢揃いして見守っていた。
「おお! 姫がお目覚めだ!」
黄金色の額縁のような剛毛。それがそのまま顔の、ライオンみたいなおじさんに顔を覗き込まれた。リィエは寝呆けた声で返事をする。
あん?
ここはどこ?
キミたちはだれ?
臣下の者たちはくすりと笑う。
ライオンみたいなおじさんが困った笑顔を浮かべる。
「お戯れを、姫。それとも長き眠りに本当に我を忘れられてしまわれたとでも?」
しらんわ
夢だと思って不機嫌そうにリィエが言うと、場はざわざわとざわめき始める。
「まさか……記憶喪失?」
「あれだけの衝撃だったのだ。そういうこともあり得る」
「試してみましょうぞ」
ライオンみたいなおじさんは深刻そうな顔をリィエに戻すと、不安を太い眉毛に表しながら聞いた。
「私の名前を仰ってみてください」
ガルバン
「違います」
ガルガンツォ
「違います」
ガルガーダ・インドネシア
「ガルから離れてください」
ガスヴァン・ゴーヴァン・ガルガルヴァン
「レオメレオン・シュタイナーでございます」
こなー!
ゆきー!
いきなり聞いたこともない妙な歌を歌い出した、姫の様子がおかしい、と場は騒然となる。
医者は帰され、代わりに祈祷師が呼ばれる。
怪しい動きで自分に取り憑いている悪魔か何かを追い出そうとしている祈祷師をじーっと見ながら、リィエはおかしいのはお前らじゃ、とツッコミながら、どうしてこんなことになっているのか、記憶を手繰った。
あたしの名前は小早川理恵 ふつーに日本人の、ふつーの17歳の女子高生だ ただし食べ物に対する執着の強さに関しては度外れいているとみんなは言うが、自分に言わせればそれほどのもんでもない
あたしは超メガ盛り生クリームてんこ盛りのパイナップル焼きそばクレープを片手に、もう片方の手には焼きイカとイチゴ飴を交互に突き刺した串を持って、学校の帰り道を歩いていたはずだ
一人だった だって誰かに一口ちょうだいとか言われたら嫌だから 一人で道を歩いていたら…… ああ、そうだ そうだった 前からトラクターを運転するおっちゃんがゆっくりと走って来たんだ
あたしはゆっくりと、ゆっくりと、トラクターに轢かれた
おっちゃんもゆっくりと、ゆっくりと、空の機嫌を見ながらトラクターを進めた
あたしはクレープの包みからやきそばが一本こぼれ落ちそうで、そればっかりが気になって、トラクターどころじゃなくて、ああ、そうか ずるずるとトラクターの下に引き込まれて、ATMに入るお札みたいにシュッとじゃなくて、シュレッダーに入って行く紙みたいにゴガ、ゴガ、ゴガと、結構痛みも感じながら、おもむろに、
死んだんだな
つまり自分は死んで異世界に転生したとかいうアレか。それともこの世界のお姫様の体の中に転移したのかな。今、自分はどんな姿をしているのか、わからなかった。でもリィエはどーでもよかった。最も重大なことは、今、自分がとてもお腹が空いているということだけだった。
おなか
すいた……
祈祷師を蹴っ飛ばしてそう言うと、レオメレオンが振り向いた。
「姫様に何か食べ物を!」
☆ ☆ ☆ ☆
アーストントンテンプルの城から離れた暗い森の中。聳える尖った高い山に掘られたもうひとつの城があった。
魔王サイラス・カルルスは闇の中でマントを翻すと、窓の外を眺めた。
その声は氷のように落ち着いて、部下の名前を呼ぶ。
「イクィナス」
「はっ」
「禍々しい光を感じるかい?」
「いえ」
「どうやらこの世に災いをもたらす光の戦士が産まれたようだよ」
「勇者……ですか」
「この光は……違うな。少女だ。だから勇者ではなく、勇女だね」
「少女……」
イクィナスの口元に侮りを示す舌なめずりの音。
「侮ってはいけないよ、イクィナス」
魔王サイラスの口調は落ち着き払い、優しい。
「慎重に、誰も犠牲にすることなく、僕らの手で光を消すんだ。お前も知ってのとおり、僕は多人数を相手にすると弱い。だから、お前達の手で、勇女をここへ連れて来てくれないかい?」
「お安い御用でございます」
「おいおい、言ったばかりだろう。決して侮ってはいけないと。慎重にやるんだ」
「申し訳ございません」
「ここへ連れて来てくれたら、あとは僕が始末しよう」
そう言って魔王サイラスは再び窓の外を眺めた。
「この世界へ墜ちてきたばかりの少女を殺すのは気が引けるけどね。仕方がない。僕らの世界の秩序を守るためだ」
その声は優しく、冷たく澄み、闇の中で透き通るような愁いを帯びていた。
★ ★ ★ ★
豪華な食卓に並べられた豪華な食事。
子羊のステーキ、チキンパイ、ローストビーフ、緑黄色野菜と豆とポテトのサラダ、薔薇を浮かべたスープ……
そんなご馳走を前にリィエは声を上げた。
まずーーい!
どれもこれもがクソまずかった。うんこのほうが美味しいのではないかとさえ思えた。見た目は文句なしに美味しそうなのに、口に入れた途端、汚物に変わる勢い。
な
な
なんなのこれ
なんでこんなにクソまずいのーー!
フォークもナイフも止まってわなわなと震えるリィエを心配そうに、レオメレオンが声を掛ける。
「どうされました、リィエ姫。やはりお体のご調子が……?」
クソまずいんだよー!
おまえ
レメオレオンだっけ
食ってみろ
「毒味は既に毒味役がしておりますが」
そいつ呼べーー!
毒味役は呼ばれ、首を傾げた。
もう一度無礼を詫びながら姫の皿から料理をてのひらに取ると、口へ運び、さらに首を傾げた。
「私の感覚では……とても美味しいと思いますが」
「やはりどこか悪くされておられるのだ」
そう言って心配そうに覗き込んで来るレオメレオンの顔がドアップで迫り、リィエはどきりとした。
おじさんだと思ってたけど意外と若いのかも。
顔を取り囲む黄金色の毛のせいでごっつく見えるだけで、綺麗な顔。
目の緋が特に綺麗。
おいしそう
そう思ってしまい、リィエははっと我に返る。
今、なんか思ってはいけないことを思ってしまったような。
人の顔を見て、おいしそう、だなんて。
どうしちゃったの、あたし?
それよりとにかくなんかおいしく食えるものはないのー!?
「いえ。それよりも医者に診ていただきましょう」
レオメレオンはそう言ってから、思い直し、
「いや、医者は頼りにならん。ここはフーガ様に診ていただくしかない。リィエ様、ご一緒にフーガ様のお部屋へ参りますぞ」
ふーがさま?
って?
だれ?
リィエは首をひねると、フォークとナイフをナプキンの上に置いた。
力の抜けた手から落とすように。
行儀悪い音を立てるリィエに、しかしレオメレオンは気にする様子もなく、ただひたすらに心配する表情で、手を差し出した。