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怪奇捜査探偵ホンドアウル

死の宣告 ~怪奇捜査探偵ホンドアウル~

作者: 庵字

「その小さな駅には、ホームの一角を不自然に切り取るようにして、一本の古木が生えているのですが……」


 背広を着た勤め人、ウォーレンは語り始めた。オープンカフェのテーブルを挟んだ向こうでは、小さな丸眼鏡を鼻の上に載せた紳士――ホンドアウル卿が黙って話を聞いている。


「ある日の夕方のことです」ウォーレンは、ホンドアウルの目をまっすぐに見つめたまま、「職場から帰宅するため、ホームに立って列車が来るのを待っていた僕は、その木に寄り添うようにして、ひとりの女性が立っているのを見つけました。列車待ちの乗客にしては、ホームにいないのは変ですし、古風なドレスを着ているのも妙に場違いでした。しかも、辺りはすでに夕暮れ時だっていうのに、その女性は、まるで自分から光を発しているのかと思うほど、異様にはっきりと全身を視認できたのです。それに何よりおかしかったのは……僕以外に、その女性に気を払っているような人がひとりもいなかったことでした。まるで、見えていないかのように……。僕にはあんなにはっきりと見えているのに……。

 その女性は、深い悲しみを湛えているかのような顔で、おもむろに右手を水平に上げました。手首は人差し指だけを突き出す格好になっていて、その指先は、列車待ちをしている乗客のひとりに向いていました。明らかに、その乗客――男です――を指さす動きでした。男はそれに気がついてはいないようでした。女性に背を向けていたせいかもしれないと――そのときの僕は――思っていました。

 それからすぐに列車がホームに入ってきて、僕も、その男も車両に乗り込みました。僕が、木のそばに立つ女性の動作が、その男を指さしているのだと確信したのは、列車が動き始めてからでした。なぜって、列車が動いても女性の指先は、車両の窓越しに男を追いかけ続けていたからです。列車の速度に合わせて、女性は腕を水平に振り、その指がしめす方向には、常に男の顔がありました。やがて……ホームも木も女性も、車窓の向こうに遠ざかっていきました……」


 ウォーレンはそこで一度言葉を切ると、ぬるくなった紅茶のカップに手を付けた。口元まで運ぶ右手が震えているのは、これから話す体験を思い出しているからだろう。対面するホンドアウル卿は、しびれを切らす様子もなく、スローモーションのように、ゆっくりとカップをソーサーに戻すウォーレンの動作を見守っていた。


「そして翌日になり、またその翌日になっても、その木のそばに女性が立っているのを僕は見ることはありませんでした。

 それを知ったのは、女性の姿を見てから四日後の朝のことでした。僕は、彼女に指をさされた、あの男の顔を再び見ることになったのです。駅のホーム上ではありません。新聞です。あろうことか、その男は……殺人事件の被害者として顔写真を新聞紙上に載せることになっていたのです! あの顔は間違いありません! 記事によれば、帰宅途中に通り魔に襲われたらしいということでした」

「その記事なら」と、ここでホンドアウルが口を挟み、「私も読みました。ハンマーのような鈍器で後頭部を一撃されていたそうですね。一週間ほど前の記事でしたか」

「六日前です。どうしてはっきり言えるのかは、あとで話します。そのときは、ただの偶然だと自分を納得させていました。ですが、その日の夕方……僕はまた見てしまったのです。駅のホームで、あの女性を! 前と同じように、古木に寄り添うように立っていて、ゆっくりと右手を上げたのも同じでした。その指先の延長線上には、またしても男がいました。今度はその男はホームに背を向けており、女性と対面する格好になっていました。だというのに、男の視界には、その女性は一切映っていないらしいのです。

 僕は声をかけようか迷いました。しかし……あの女性が見えているのは僕だけなのかもしれないと、半ば確信していましたし、声をかけたところで何が出来るでしょう?『僕だけに見える女性が君のことを指さしている。彼女に指をさされると近いうちに死んでしまうんだ。気をつけろ』などと言ってみたところで、頭のおかしいやつだと一蹴されるに決まっています。それに……まだそうと決まったわけじゃない。僕は到着した列車に男と一緒に乗り込み、再び彼女に見送られることになりました。僕は、その男の顔を目に焼き付けました。それから僕は、可能な限り新聞やニュースに目を通すことにして、同時に、あの男のこともホームで探すよう努めました。

 その翌日。いました。男は変わらぬ様子でホームに立ち、列車に乗り込みます。女性の姿を見ることはありませんでした。その翌日、三日後も、変わらず男は僕と同じ列車に乗り込んできました。列車から降りるのはいつも僕の方が先でした。男が降りる駅までついていこうと考えたこともありましたが、そこまでするのは大げさすぎる気がして実行には移しませんでした。ですが、三日目が明けた朝のニュース番組を観ていたときのことです……昨夜に通り魔事件が発生したと報じられ、被害者の顔写真も公開されました……ええ、そうなのです……あの男でした! 殺され方こそ違っていましたが――今回はロープで首を絞められての窒息死でした――間違いありません。愕然とした僕は古新聞をあさって、ひとり目の男が死んだ日時を確認しました。すると、あの男が殺されたのは、僕があの怪しい女性を初めて目撃して三日後のことだたと分かりました。そして今度の男が死んだのも……三日後です! 僕があの女性を見てから――正確には、女性が“被害者”を指さすのを見てから――三日後に、指をさされた男は死亡している! 先ほど、最初の男の死亡記事が載ったのが六日前の新聞だと僕が憶えていた理由です。もう、偶然だと自分を誤魔化すことは出来なくなっていました……。

 これもご存じかも分かりませんが、その駅の界隈では半月ほど前にも殺人事件が発生しており、未だ犯人は捕まっていません。もしかしたら、そのときは僕が例の女性に気がついていなかっただけで、その被害者も指をさされていたのではと……」


 ウォーレンは話しているうちに息づかいを荒くし、味と香りを楽しむためでなく、喉を潤すために紅茶を口に流し込んだ。対照的にホンドアウルは、冷静な動作で紅茶をひと口飲むと、


「あなたが目撃したのは、“バンシィ”ですね」

「バンシィ?」

「“死の宣告者”などとも呼ばれる魔物です」

「魔物? それじゃあ、やっぱり――」

「いえ」と、ホンドアウルは控えめに小さく手を振って、「バンシィの目的――と表現するのも変ですが――は、あくまで“死を宣告すること”です。バンシィに指をさされたから死ぬのではありません。すでに死ぬ運命にある人間を察知して、バンシィは指し示すだけなのです。因果関係が逆なのです」

「死の……運命……」


 ウォーレンは、空になったカップをソーサーに戻した。手の震えはさらに大きくなっていたため、カップだけでなく手首に巻いていた腕時計までもがソーサーに触れ、カチカチと音が鳴った。平常ならざるその様子を見て取ったホンドアウルは、


「ウォーレンさん、あなた、もしかして……」

「はい……こういった怪異を相手にしておられるという卿のお噂を耳にして、お会いできたのは大変な僥倖(ぎょうこう)だと思っています……。僕は、また見てしまったのです、その女性――バンシィを……」

「……いつのことでしょう?」

「二日前です……」

「二日前、ということは、指をさされた人が死ぬまで、あと一日しか残されていませんね」

「ええ……」

「それで、今度バンシィが“死の宣告”をした人というのは?」

「……僕です」



 ホンドアウルはロンドン警視庁スコットランド・ヤードに赴いた。通り魔事件の捜査資料を見せてもらうことが目的だった。彼は特別な顔利きで、一般には公開されないような捜査資料にも難なく目を通すことが出来る。ひととおり資料を、特に死体の写真を入念に観察し終えたホンドアウルは、


「……そういうことでしたか」


 資料を閉じて立ち上がった。



 その翌日――ウォーレンが自分を指さすバンシィを目撃してから三日目の夕方。不自然に切り取られたようなホームの一角に古木が立つ小さな駅に、いつものように列車が滑り込んできた。乗客を吐き出し、次いで同じ程度の数の乗客を吸い込んだ列車は、ゆっくりとホームを離れて走り出した。

 数個先の駅に列車が停車すると、そこでも数名の乗客が列車を降りてホームを踏んだ。改札を抜けると、乗客だった人々はそれぞれの方角に向けて足を運んでいく。

 駅のベンチに座っていた男がいた。その男は立ち上がると、列車が吐き出したひとりの男の乗客と同じ方角に向かって歩き始める。まるで、追跡するかのように。

 乗客だった男は狭い裏路地に入った。数メートルほどの間隔を空けて歩いていた追跡者は、男がその路地に入ると足を速めた。徐々に自分が追う男との距離を縮めながら追跡者は、懐に突っ込んでいた右手を抜いた。街灯の淡い光を鈍く反射したそれは、ひと振りのナイフだった。下から突き上げられたナイフの切っ先が、先行する男の背中に達しようとした――瞬間、


「ぐわっ!」


 悲鳴が漏れた。男に身を翻され、右腕を取られた追跡者の喉から発せられたものだった。追跡者はさらに腕をねじり上げられたことで、激痛に耐えかねて手を開く。乾いた音を立てて石畳にナイフが落ちた。直後、男が腕を放したことで、いったん拘束を解かれた追跡者だったが、しかし、間髪入れず袖と襟首を掴み直され、柔道の投げ技で頭部を硬い石畳に打ち付けられた。追跡者は脳に激しい衝撃を与えられ、意識を遙か遠いところに持って行かれることとなった。

 その一部始終を見守っていた男――ウォーレンが、隠れていた街灯の陰から姿を見せた。


「ホンドアウル卿……」


 呼びかけに応えて、乗客だった男――ホンドアウルは、格闘で乱れた背広――普段からウォーレンが来ているものと同じ背広――の襟を正し、目深にかぶった帽子を脱ぎながら、


「これが、あなたを襲うはずだった“死の宣告”の正体です」


 石畳の上で完全にのびている追跡者を見下ろした。


「こ、こいつは、いったい……」


 ウォーレンも恐る恐る、倒れている男を覗き込む。


「バンシィが指をさした二人の殺害犯であり、半年前に起きた殺人事件の犯人でもあります」

「えっ?」


 ホンドアウルは自分の推理を話して聞かせた。

 ロンドン警視庁スコットランド・ヤードで閲覧した資料からホンドアウルは、二件の死体に共通したある痕跡が残っていることを発見した。それは、


「右手首に、僅かにですがバンドをした跡があったのです」

「バンドの跡? それは……」

「そうです。腕時計を巻いていた跡です。ですが、発見されたとき、死体はどちらも腕時計を左手首に巻いていました。これはつまり、被害者は腕時計を右手にしていたのですが、殺害後に犯人がわざわざ腕時計を外して左手首に巻き直した、ということです」

「どうして、そんなことを……」

「殺害するターゲットの特徴を警察に知られたくなかったためでしょう。腕時計を右手に巻く男性というのは珍しいですからね。つまり、この殺人犯は、右手に腕時計を巻いた男性のみを狙って殺害していた」


 ホンドアウルは自分の右手首から腕時計を外して、普段どおり左手首に巻き直した。


「……」


 ウォーレンは思わず、腕時計が巻かれた自分の右手首を左手でさすった。


「で、でも……どうしてこの犯人は、そんな特徴の男だけを付け狙って?」

「犯行を目撃されたと、そう思ったのではないでしょうか」

「犯行って――半月前の?」

「そうです。恐らくこの犯人は、半月前の犯行直後、現場から立ち去る人影でも見たのでしょう。その人物に犯行と、自分の顔をも目撃されたと思い込んだ犯人は、目撃者の特徴を目に焼き付けます。咄嗟のことで顔や服までは把握できませんでしたが、男性であることと、腕時計を右手首に巻いているという特徴と、その人影が駅に向かったことも確認したのでしょう。そこで犯人は、翌日から駅の利用客を観察することにしました」

「右手に腕時計をした男を!」

「そういうことです。条件を満たす男性を発見すると、その人物を尾行して行動パターンを把握し、もっとも適した場所を選択して殺害に及んだ。同一犯と思われないよう、その都度殺し方も変えます。それに要した時間が……」

「三日間……」


 震える声でウォーレンは呟いた。


「あと、これは余談になりますが」とホンドアウルは、「バンシィとは、不慮の事故や殺人などで命を落とした若い女性の魂が、木に宿って変化した魔物だと言われています。彼女たちは、魔物となることで人間の“死の匂い”を敏感に嗅ぎ分ける能力を持つようになり、警告を与える目的で、“死の匂い”を嗅ぎ取った人間を指し示すのだそうです。ですが、彼女らは言葉を発することが出来ず――恐らく、生前の自我も持ち合わせていないのでしょう――自分が宿った木から離れることも出来ない。加えて、霊体であるがゆえ、特殊な“霊感”を持つ人間にしか視認されることはない。これまで彼女たちは、“死の匂い”を感じ取り、警告を与えながらも、いったい何人の人間を救うことが出来ないまま、その死を見送ってきたことなのでしょうね」


 死の危険を伝えたくとも、無言で指をさすことしか出来ず、しかも霊感を持つ人間にしかその姿を認めてもらうことはない。自分が宿った木から一歩たりとも離れることも叶わない。ウォーレンは、自分が見たバンシィの悲しみに満ちた表情の意味を知ったような気がした。


「それと、あの駅のことなのですがね」ホンドアウルの話は続き、「数年前にホームの拡張工事計画が持ち上がった際、本来あの古木は、拡張されるホームに引っかかるために切り倒される予定だったそうです」

「えっ?」

「ところが、その設計を知った街の人たちが、『あれは昔からこの地方を守ってくれている精霊が宿る木だから、絶対に残してくれ』と鉄道会社に嘆願し、会社側もそれを受諾して、木を残す形でホームの設計をしなおしたそうです」

「だから、あんないびつなホーム形状に……」

「それでは、警察への通報も含めて、あとのことはお任せします」


 言いながらホンドアウルは、念のためにと殺人犯の両手両脚を紐で硬く縛り、その紐を街灯に結び付けた。


「えっ? あなたは?」

「私が警察に関わると、色々と手続きが煩雑になってしまうもので……」


 ホンドアウルは、ウォーレンと気絶したままの殺人犯を残し、もと来た道を引き返して駅に向かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] まさしく怪奇ミステリーという感じで面白かったです! 殺人犯と取り残されてしまうのは、ちょっと嫌ですね。
[良い点] バンシィを死神だと惑わされることなく逆転の発想をするホンドアウル氏の推理は、いつもながら冴えていました。被害者たちの共通点から、口封じのための連続殺人だったことまで導き出され、囮捜査まで。…
2020/10/01 11:01 退会済み
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