94,散髪と風精霊
シャキン、シャキン、と音を立てて鋏が動く。
瞑っている目の上を切られた髪が落ちていく感覚があった。
結局後ろ髪も切ることになったので、終わりと言われるまで目を閉じてじっと待つ。
しばらくしてから鋏の音が止まって、風が舞って、それも止んでからウラハねえの柔らかな声がした。
目を開けると鏡を渡され、短くなった前髪を指先で弄ってみる。
そんなことをしていると、どこからかいつもとは違う風が舞いこんできた気配がした。
目を向けると、空中に私の片手ほどの大きさの人が浮かんでいて、こちらをじっと見つめている。
「こんにちは」
こんにちは。切ってしまったの?
声をかけると、鈴を転がすような音と共に声が聞こえてきた。
不思議そうに私の周りをクルクルと移動して、顔の前でピタリと止まる。
人に近い姿をしているこの小さな子は風の精霊だ。
「長くて大変だったから、少しだけね」
もったいないわ。せっかく綺麗な色をしていたのに
「ふふ。ありがとう」
切った髪はどうするの?捨ててしまうの?
「道具を作るのに使うらしいけど、余ったのは捨てるんじゃないかな」
もったいないわ、もったいないわ。月の光を浴びた花の色は珍しいのよ
「……じゃあ、少しだけ、シルフィードが持っていく?」
あら、あらいいの?嬉しいけれど、素敵だけれど、なんにも返してあげられないわ
「いつか私が困っているのを見つけたら、その時に助けてくれる?」
ええ、ええもちろんよ。貴女は私たちの愛し子だもの
話を聞いていたのか、ウラハねえが髪の束を少し取り分けて置いてくれた。
細い紐で括られたそれを差し出すと、シルフィードは嬉しそうにクルクルと回る。
その動きで出来た優しい風を感じながら髪を抱えて去って行った小さな影を見送った。
オリジナルスキル、と呼ばれるものがある。
生まれ持つ以外に取得方法がない、希少な力。
持っていない人の方が多いらしいその力を、私は与えられていた。
「風の愛し子」という呼び方をされるスキルであり、私に風精霊の加護があるということを示すもの。
風の加護の上位互換だとコガネ姉さんが言っていた。
そんなわけで風精霊シルフィードたちは私のことを愛し子と呼び、昔から何かと構ってくれた。
まあ、その加護の影響で私の瞳はライトグリーンに染まり、悪魔の目だといって捨てられたわけなんだけどね。
その後姉さまに拾われたのだから、それを狙った加護なのではなんて思ったこともある。
ともあれ加護を受けた私は、風の魔法なら全て習得できるし風精霊だけなら視聴が出来るという結構強めの力を貰っていた。
精霊は基本見えないし声も聞こえない。
時々見えるし聞こえる人がいて、見えるだけの人、声が聞こえるだけの人もいる。
私はシルフィードだけは見えるし聞こえるので、シルフィードが他の精霊が言っていることを伝えてくれるとどうにか意思の疎通は出来る。
ちなみに姉さまはどんな精霊でも見えるし聞こえるし好かれているから助けてもらえる。
姉さまが私を庇護下に置いているから、シルフィード以外の精霊は私のことを「花園の愛し子」と呼んでいるらしい。
「……ウラハねえ、今、シルフィード以外にも精霊っている?」
「ええ。ウィンディーネとドリアードが来てるわ」
「そうなんだ」
「……ふふ。どうして分かったの?って」
「シルフィードが一人で遊びに来ることは少ないって、前に聞いたから」
ウィンディーネは水の精霊。ドリアードは花の精霊で、どちらもよく遊びに来るらしい。
特に花と風は仲がいいから、シルフィードが「今横にドリアードもいるのよ」なんて言うこともよくあることだ。
「……なんか身体が軽いなぁー」
「シルフィーが加護を置いて行ったのね。ちょっと難しい魔法の練習は今のうちが良いかもしれないわ」
「そうなの?じゃあコガネ姉さん探して来なきゃ」
お返しはいつかでいいと言ったのに、風の加護を今だけ上書きしていったらしい。
少ししたら解けてしまうから、今のうちに魔法が成功する感覚を掴んでおくのが良いだろう、と。
もしかしたら加護の上書きはしようと思ってしたのではなく、機嫌がよくなって思わずしてしまったのかもしれない。
「コガネ姉さん!」
「ん、髪さっぱりしたね」
「うん!」
「シルフィーが来てたの?」
「そうなの。切った髪をあげたら一時的な加護の上書きをしていったみたい」
「じゃあ、何か習得したい魔法を、ってことだね」
流石理解と行動が早い。庭のガーデンテーブルで読書をしていたコガネ姉さんはパタン、と本を閉じて立ち上がり、いつも魔法を練習している開けた場所に移動する。
練習する魔法は何がいい?と聞かれて思いついた候補をいくつか挙げて、そのなかから指定されたものをやってみることになった。
「雷魔法の練習してるの?」
「うーん、興味がある、くらいかな。風との相性はいいし、サブウェポンになったらいいなぁって」
「なるほどね」
今回の練習は雷魔法に決まり、始める前にそんな会話をする。
初級の雷魔法なら無演唱でも使えるくらいにはなっているのだけれど、中級以上が少し怪しい。
なので今回の休みの間に少しやっておこうとは元々思っていたのだ。
それに、雷魔法をもっと扱えるようになると空を飛ぶ速度が格段に上がったりもする。
ついでに地上も高速移動できるようになるし、覚えておいて損はない魔法の一つなのだ。
「演唱は覚えてるね?」
「うん」
杖を構えて、すっと息を吸う。
魔力を練り上げて器を作り、まだ成功したことのない魔法の演唱を間違えない様にゆっくりと、丁寧に声を出す。
最後の一文を言い終えて、杖の周りに雷の気配が感じられた……のだけれど、纏うことは出来ずに霧散してしまった。
つまりは失敗だ。身体に雷の魔力を纏わせる魔法なのだけれど、どうにも上手くいかない。
武器なんかの無機物に纏わせるのは得意なんだけれど。
うーん、と唸って杖を回していると、コガネ姉さんからもう一回やってみる?と声をかけられた。
それに返事をしようとしたところで急に空が暗くなり、上を見上げると巨大な馬車と二頭の馬が浮いている。……アジサシさんが到着したようだ。




