5,姉の息吹、があるらしい
柵を越えた先には、大きな木製の家があった。
家というには少し違う気もするが、小屋と言った方が違和感があるので仕方ない。
その中に、大きな翼を少したたんでこちらをじっと見つめているものがいた。
後ろから、息を呑む音が聞こえてくる。
そこに鎮座していたのは、ドラゴンだった。
青く澄んだ瞳がじっとこちらを見ているのを、見つめ返してそっと頭を下げる。
彼らは人を嫌うことが多い。それは、人が傲慢だからだと兄が言っていた。
誠意を見せれば、気分次第で答えてくれると。
だから、ひとまずは。……そもそも、この綺麗な生き物に対して自分が上だなどと思うことは出来ないのだけれど。
「ドラゴン、飛竜だな。この個体は人を乗せて飛ぶこともある。が、怒りを買えばお前らなど一飲みだ。勝手なことはするなよ」
言いながら、ヴィレイ先生はドラゴンに対して綺麗な礼をした。
それを見てドラゴンは一声「クルルル」と鳴いて、先生がドラゴンに近づいていく。
その光景は、何か神聖なものを覗き見しているようで。時折姉さまが私には見えない何かと対話をしている時に似ていた。
「ん?ヴィレイさーん」
「どうした?」
「この中に、ドラゴンの血縁がいます?」
「居ないはずだが」
そんな静粛な場の空気は、ふわりと響いた声で現実へと戻された。
ドラゴンの後ろから現れたのは、性別の読めない一人の人。
ドラゴンが嬉しそうに頭を寄せているので、この人がドラゴンの飼育員、なのだろう。
「あれー?フィーちゃん、気になる子いるんだよね?」
「クル、クルル」
「ほら。フィーちゃんこう言ってますよ」
「いや、分からん。訳してくれ」
ヴィレイ先生が呆れたように言って、飼育の人はドラゴンを見た。
その頭を撫でながら、何か話していたが少しして再びヴィレイ先生を見る。
「高位のドラゴンの気配がする、誰か連れてきているのでは?と」
「高位ドラゴン……セルリア。前へ」
「うっ……」
妙な声が漏れてしまった。なぜ、なぜこんなにも目立つことばかり起きるのか。
やはり最上位薬師という最高に目立つ存在が傍にいるからだろうか。今から姉さまを召喚したら私はその影に引っ込めるだろうか。
なんてことを考えてみたが、ドラゴンの目はしっかり私を見ていた。
ついでに周りの目も私に集まっているのを感じる。
……とりあえず、行くしかないようだ。
「……私ではなく、姉がですね……」
「知っている。キャラウェイは愛されているからな」
「なぜ私まで……」
「キャラウェイがお前を愛したから、加護の一部が移ったのだろうな」
「ほー。この子がアオイさんの妹さんですかぁ」
ぶつぶつと言い訳をしてみても、そんなことは知らんとドラゴンの前に立たされた。
そして、先生たちは話しながら少し離れてしまう。
顔を上げると、ドラゴンと目があった。
……綺麗な、青の瞳。
一度だけ会ったことのあるドラゴン、姉さまの契約獣で、姉さまに加護を与えたというドラゴンの瞳に少しだけ似ていた。
その瞳で見つめられて、今度は先ほどより深く、深く頭を下げる。
存在への称賛と、慈悲への感謝と……あとは、何を込めて礼をするのだったか。
うっかり忘れてしまった。ドラゴンの記憶は、姉さまが背に乗って空を飛んでいるのが印象に強すぎたのだ。
「クル。クルルル」
「触っていいらしいよ。やさーしくね」
その言葉を聞いて、そっと手を伸ばす。
触れるか触れないか、あと少しの所で躊躇していたら、ドラゴンが身体を寄せてきた。
その鱗は思っていたよりも柔らかく、どこか風の気配がする。
「貴方……貴方は、空の子供なんですね……」
そんなことを、うっかり口にしてしまった。
だって、ドラゴンしか見えていなかったのだ。視界というか、意識のすべてがそちらを向いてしまったから周りに人がいることを忘れてしまっていた。
「……なるほど、アオイさんの妹ですねぇ。息吹を感じる」
「キャラウェイより魔力に敏感だからな。あれはもっと抽象的だ」
そんな会話が聞こえてきて、はっとする。
……これは、また目立つことをしてしまっただろうか。
まあもう気にしないが。もう何も気にせず過ごすことにするが。
「クルル」
「……優しい……」
ドラゴンに心配されてしまった。その優しさが身に染みるようだ。
なんてことをしていたら、ヴィレイ先生が横に立っていた。
そっと下がらされて、人ごみに戻る。
その後は、先生たちが指定した生徒がドラゴンの前に立って、そのうちの何人かが触れることを許されていた。
……姉さまは、色々なものに守られている。
その中でも最も大きなものがドラゴンの加護だと言っていたが、私にまで影響があるとは思わなかった。
私まで、加護の対象に入る理由はきっと姉さまが私に愛を向けてくれるから。
それだけで、彼らにとっては守る対象になるのだろう。
姉さまが傷つかないように、姉さまのために私を守るのだろう。
「なあ、なあ」
なんて考えて微妙な気持ちになっていたら、ふと声をかけられた。
このタイミングで声をかけられるとは思っていなかったので驚いてしまったが、声の主はそんなことは気にせず楽しそうに私を見ている。
「ドラゴンの鱗って、硬かったか?」
「え、ええと……思ったより柔らかかった」
「そうなのかー」
そんなことを聞いていたのは、銀髪に真紅の目をした少年だった。
楽しそうな、憧れをにじませるような目でドラゴンを見つめる彼は、結局ドラゴンの前に出ることはなかったがそれを気にした様子はなく、ただ楽しそうにドラゴンを見つめている。
私に声をかけたのは、単純にドラゴンの鱗の触り心地が知りたかっただけらしい。
身構えてしまった私がバカみたいだ。
……思ったよりも私が浮いているわけではないようで、安心もしたけれど。
ドラゴンとの対面は、ドラゴンが嫌だと言うまで続いた。この後は別の生き物を見に行くらしい。