2,最初の課題が難しい
一通りの案内が終わり、先導されて教室に戻ってきた。
一瞬だけ入った図書館は思っていたよりも広く、それだけで心が躍ってしまう。
そんな夢見心地の中戻ってきた教室で、それぞれ決められた席に座って教壇に立った案内の先生を見る。
長い紫銀の髪、その髪で隠れた左目。
手の見えない裾の長い服に、すっとした足元。
端的に言えば、怪しい見た目なのかもしれないが姉さまの知り合いに色々な人がいるせいで慣れてしまった。
全員の視線を集めて、その先生は切れ長の目を余計に鋭くして全員の顔を見渡した。
そして、後ろの板に体重を預けて腕を組む。
「俺はヴィレイ。ここにいるお前たちの担任になる。教科の担当は魔術と考古学だ。一年目は触れん内容だから覚えなくていい」
淡々とそう語りだした先生は、急に威圧的な雰囲気を纏った。
その気配に杖に手を伸ばしそうになる気持ちを抑えつつ次の言葉を待つと、先ほどよりも少し低くなった声が響く。
「いいか。この学校に入学した時点で、お前たちには上も下もない。貴族だ平民だなど下らんことを言うやつらは自分の知恵のなさを恥じろ」
耳心地のいい声で語られるのは、吐き捨てるような言葉。
後ろで魔力が揺れたのはあの貴族たちだろうか。
それ以外の人たちも、多かれ少なかれ衝撃は受けているようだが。
「お前たちがここに来るまでに学んだことなど、ここでは五か十程度の雑多なものだと思っておけ。その程度の違いで胸を張るような奴らは憐れんで吐き捨てろ」
周りのざわめきは大きくなる。
それでも、何となく。この人は悪人ではないのだという確証を持ってしまったから、その声は心地よく感じてしまう。
「……ミーファ」
「え、は、はい!」
誰かの名を呼んだ先生の目線を追うと、そこには真っ白な髪とうさ耳を持った少女がいた。
この国、フォーンではあらゆる者への差別が禁じられている。
それでも、獣人や亜人に対する意識は変わり切るものではなく、特に国外から入学したものにとっては汚らわしいというのが率直な感想だろう。
そんな獣人の少女は、急に名を呼ばれて視線が集まったからか、不安げに瞳を揺らしている。
だが先生にそこで何かを躊躇うことがあるとは思えない。
思った通り、彼は何も気にせずにその少女だけを見ていた。
「お前が国外で知らぬ魔物に襲われ、認識不明の攻撃を受けたらどうする?」
「え、え……にげ、ます」
くすり、と笑う音がした。
その後に複数の音が続いていたから、あの貴族たちだろう。
……逃げるというそれだけで笑う精神がよく分からない。もう何でもいいから下に見たい気分なのだろうか。
「なるほど。お前は今、お前を笑った者たちより五か十か賢いようだ」
「あ、ありがとう、ございます?」
笑い声は止まった。
……どんな顔で固まっているのか見てやりたい気持ちがあるが、今はぐっと我慢する。
今後ろを振り返ったら目があってしまうような気がするのだ。
「セルリア」
「……はい」
くだらないことを考えていたら、先生の青銀の目が私に向いていた。
綺麗な色なのに、やけに冷たく感じる瞳をしている。
「お前はどうする。逃げるか、向かうか」
「……魔視も透過するなら、逃げます」
「魔視で見えるなら?」
「……それは、倒さなくてはいけない相手ですか?」
ただ気になったので聞いただけなのだが、瞳の青が深みを増した気がした。
余計に冷たい色に変化した瞳を見つめ返しつつ、間違えただろうかと考える。
「倒さなくても良い相手だとして、倒せば益がある」
「……必要がない戦闘……殺害は、姉が嫌がります」
私としては、その一心。
今まで思考の中心に居たのは姉さまと複数人の兄と姉。
だから、まずはそれを確認しようと思ってしまうのだが、先生はため息とも笑いともつかない息を漏らした。
「キャラウェイか」
「はい」
「セルリア、覚えておけ。やつの思考は、戦わぬものだから許されるのだ。あれは何でもかんでも愛して慈しもうとするからな」
それは、知っている。
というか、先生は姉さまを知っているのだろうか。
「断固とした思考を持つのは悪いことではないが、お前は姉のものをそのまま持つのではなく自分のそれを作り上げろ。在籍している間に作り上げるのを、最初の課題としておく」
そう言われて、私が返す言葉を探している間に青銀は別の人を捉えている。
他の人たちがそれぞれ答えている言葉は、聞こえていたはずだが頭には入っていなかった。
……姉さまの関わらない、私の判断基準など。
そんなもの、考えるのは初めてだ。
だって、家の中心は姉さまなのだから。本人がどう思っているかは知らないが、全員が姉さまを邪魔しないように、助けるように回る家だったのだ。
……それも、そうなのだろうけど。
あの家の住人は、私以外は姉さまの契約獣なのだから。
姉さまが契約を結んだ、保有魔力が高く人の姿を取れる獣たち。それが私の兄と姉であり育ててくれた人たちだ。
そんな中で育って、意思決定に姉さまが関わらないわけはない。
たぶん本人も嫌がるのだろうけど。私の好きなようにしていいのだ、と言ってきそうな気がするのだけれども。
……姉さまの周りには有能な契約獣がいて、私が力になれることはほとんどなかった。
だから、少しでも力になれればと、何か技術を身に付けようとここに入学したのだが。
最初の課題が、その思考を上塗りすることであるとは思いもしなかった。
……でもまあ。時間は、まだあるのだからゆっくりでいいのだろう。
在籍中にと言っていたので、あと四年だ。
四年もあれば、何かしら別の考えが生まれるかもしれない。
「……なるほどな。よし。今日の日程はここまでだ。後は各自部屋に戻って荷物の整理でもしておけ。夕食の時間には音楽が流れる。聞こえたら食堂に移動してこい」
その声にハッと顔を上げる。
移動を始めた人の波に乗って、教室棟から寮というらしいそれぞれの部屋に向かうようだ。
荷物は既に運び込まれているらしいので、入学の際に配られた鍵で部屋の番号を確認して四年間過ごすことになる自室に足を踏み入れた。