女勇者の父、海を行く その2
海に出て5日目の朝。
快晴続きだった海路だが、文字どおり雲行きが怪しくなってくる。
カッツォーが眉間に皺を寄せる。
「あと数時間で、侵入して無事に帰ってきた者はいないという岩礁地帯だよ。空模様もだいぶおかしくなってきたね。」
陸地が見えなくなって以降、俺には自分が海のどのあたりにいるのか分からなかったが、カッツォーは予定どおりにヨットを進めていたようだ。
「これ以上は進めないと思ったら迷わず引き返すからね。君たちの言っていたリリちゃんがいれば岩礁地帯に入っていけるという話を疑っている訳ではないけど。」
「ああ、そうしてくれ。俺だって死にたくないからな。」
カッツォーは俺たちの話を疑っている訳ではないと言うが完全には信じていないだろう。
俺たち自身だってそうなのだから。
6つの大陸に囲まれた内海の中央には誰も侵入したことがない危険な岩礁地帯があることは未知の場所へのロマンと共によく語られている。
岩礁そのものも危険であるが、加えて厄介なのは船が近づくのを見計らったかのように起こる嵐だ。
しかし、リュウジンの子と呼ばれたリリがいればその嵐は起こらず、岩礁地帯すら道を作ると言うのだ。
そんなおとぎ話のような言葉を常識で凝り固まった俺たち大人の脳みそでは容易には受け入れられない。
だからこそ、カッツォーの危なくなる前に引き返すという発言に俺は首肯する。
それから3時間も進んだだろうか。
時間帯でいえば昼前だというのに、いよいよ空が暗くなってきて、船の少し先の海からは岩がいくつか突き出しているのが見える。
風と波は強く、船を大きく揺らす。
空を覆わんばかりに真っ黒に発達した雲からは今にも雨が降り出しそうだ。
「そろそろ限界だよ!」
カッツォーが引き返していいかと俺たちの方を見る。
(仕方ないか。あくまで命あっての旅だからな。)
俺も諦めようとした時、リリがヨットの先頭に立つ。
背中越しで表情は見えないが、両手を前に突き出し、まるで魔法を使うかのように何かを唱える。
「リュウジンの子、リリは、求める。風よ、波よ、鎮まれ。そして、海よ。我が故郷への、道を、開け。」
するとリリの全身が、世界樹の神官が世界樹と繋がっている時のようにほのかな光に包まれる。
同時に海からもこのヨットの幅に沿って空に向かって小さな光の粒が浮き上がっていく。
やがてリリを包んでいた光が収まると海からの空に向かう光の粒も消えたが、前方にはヨット1台が進める幅に日光が差し、ここを通れとばかりに輝いていた。
「うわー、すごいねー!本当に岩礁地帯に道が開けたよ!」
いつの間にか海面から突き出ていた岩が切れているのを見て、カッツォーが目を丸くする。
だが、俺にはそれ以上に気になることがあった。
「おい、リリ!いきなりどうしたんだ!?」
これは全てリリの仕業なのだろうか。
状況だけ見れば彼女がやったようにしか見えない。
しかし、リリは自分がそんなことをできるというような話はしていなかった。
今もヨットの先端で海の方を向いている彼女は無事なのだろうか。
俺たちの知っているリリなのだろうか。
俺は揺れるヨットの上を慎重に歩いてリリに近づく。
歩みが遅いのは転ばないためもあるが、本当のことを言えば彼女に近づくのが少しだけ恐ろしいからだ。
彼女が俺たちのパーティーの一員であるリリであるという確信がどうしても持てなかった。
それほどまでに海に向かって手をかざし、体を淡く輝かせていた彼女は神秘的だった。
「リリ……だよな?」
「うん……私。」
そう答える彼女は、やはり俺の知っているパーティーメンバーのリリだった。
少しだけ憔悴しているように見えるのは、不思議な力を使ったからか、自分の未知の能力を知った驚愕からか。
そんな彼女を恐れ、近づくのを躊躇った自分を激しく恥じる。
「今のはお前がやったのか?」
疲れが見えるリリだが、不用意に触れないように気を付けつつ、もし彼女が態勢を崩しても支えられるよう注意はしておく。
「うん、そうみたい。急に、こうすればいい、と思って。」
「リリに流れるリュウジンの血が無意識にそうさせたみたいなやつなのか?」
子供のころに読んだ絵本にそんな話があった気がする。
俺の家は大きい商家だったから庶民にとっては贅沢品である子供向けの本も多数所有していた。
本来は期待を背負った兄のために購入したものなのだろうが、祖母にしか構ってもらえなかった俺は暇な時にそれらをよく読んでいた。
俺が読んだ物語の中ではリュウジンの子ではなく神の子とかそんな設定だったかな。
まあ、リュウジンも神らしいから同じといっても過言ではないのだろうが。
「よく、分からない。でも、嫌な感じ、ではなかった。」
「そうか。体に変化はないか?」
「うん、大丈夫。でも、少し疲れた、かも。」
俺は少し迷ったが、疲れたと言うリリの手を引いて船の中央に戻る。
リリを座らせ、自分もしゃがむ。
「よし、進もう。この光の道を。行こう。リュウジンのところへ。」
カッツォーが帆を操るまでもなく、自然と船は日の光が作る海上の道に吸い込まれるように進んでいく。
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