第7話
ヴィルヘルムに屋敷の中を案内して貰い、自室を見せてもらう。実家に比べれば、見劣りはするが掃除の行き届いた綺麗な部屋だった。
だが、主に使う部屋以外の部屋は少し埃っぽく窓が割れていたり、床が抜けたいたりする。
ヴィルヘルムの話を聞くに、この屋敷には執事であるヴィルヘルムが一人、庭師が一人、料理人が一人しか居ないらしい。ダニエルの身の回りの世話や屋敷の手入れは全てヴィルヘルムが担っていたというので驚きである。
「お恥ずかしい限りでございます」
「いえ。逆に限られた人数でここまで手入れされているのは素晴らしいことだわ」
これはお世辞ではなく本心である。最小限の範囲に抑えて目に見える場所を丁寧に掃除している。ヴィルヘルム一人でよくここまで出来ていると関心した。
「私が連れてきたマリーは中々に仕事ができるメイドよ。使ってあげて」
「ほほほ。若い手を借りられるのは有難いですな」
「もう少し人数が居れば、屋敷全体の掃除も出来るのだけれど」
(実家から人手を借りようかしら。でもそうすると人件費はどちら持ちになるのでしょう。厳しいお父様の事だから、私持ちになるでしょうか)
アナスタシアは顎に手をあてて思案した後、掃除はとりあえず保留ということにした。
「とりあえず、領民に挨拶をしなければならないわね」
「それでしたら、月に一度領民が領主の元へ集まる会合の時が宜しいかと。ちょうど明日でございます」
「会合?何を話し合うの?」
「表向きは農地のことを話し合うのですが、実質は領民達の愚痴を領主に吐く場所となっております」
「そう……。よくお兄様が参加していたわね」
ヴィルヘルムは困った顔をして首を横に振る。
「いえ、ダニエル坊っちゃまは一度だけ参加なされて以来、行かないようになってしまいまして」
アナスタシアはこめかみを抑え、大きく溜息を吐く。ダニエルの気持ちが分からないでもないが、参加しないとなると領民の不満は余計に膨れ上がる一方だろう。
「まぁいいわ。明日ね。会合の場所までは案内してくれる? その後、領地を見て回りたいわ」
「かしこまりました」
マリーもこの土地は初めてだろうから連れていった方が良いだろう。明日は大変な一日になりそうだ。
「ふう」
「長い時間を掛けていらっしゃったのですから、お疲れでしょう。少しお休みになってはいかかですか?」
「いえ。休むわけにはいかないわ。時間は無限には無いもの。そうね、庭師は明日として、料理人に挨拶をさせてもらってもいいかしら」
「……かしこまりました。料理人のデニスは厨房に居る頃でしょう。こちらへ」
アナスタシアはヴィルヘルムの後ろを歩きながら窓から外を眺める。夕日は沈みかけており、夜が訪れようとしている。屋敷は山の方に建てられており、窓から領地が見渡せる。確かに、栄えていない街であったが、ここから見る夕日は綺麗だなと心から思った。
「アナスタシアお嬢様?」
夕日を眺めていうちにぼーっとしていたようだ。心配そうにヴィルヘルムがこちらを伺っている。
「大丈夫。なんでもないわ」
「左様ですか。ささ、こちらが厨房でございます。デニス殿にお声掛けしてきますね」
「ありがとう」
厨房の中を消えていくヴィルヘルムを見送る。使用人に自ら挨拶をするだなんて、少し前の自分なら考えられなかった。
(ある意味で、イヴァン様のお陰なのかしら)
「お嬢様」
ヴィルヘルムが厨房から無精髭を生やしたふくよかな身体付きをした男を連れてくる。男は気だるそうな顔をして、アナスタシアを上から見下ろす。豊満な体をしている男は威圧感がある。
「ども。料理人のデニスです」
手短に挨拶を済ませ、厨房に戻ろうとするデニスの腕を咄嗟に掴む。デニスは予想もしていなかったアナスタシアの動きに目を見開いた。
「失礼。私の挨拶がまだと思いまして」
「……知ってますよ。王子に振られたアナスタシア様でしょ」
「デニス殿!」
「いいのよ。ヴィルヘルムさん」
デニスの態度を咎めようとするヴィルヘルムを手で制する。
「そうね。でもそれじゃただの男に振られた女だわ。私はアナスタシア・ギルドべート。公爵家の令嬢で、今日からこの領地の主で貴方の雇用主よ」
「……それはそれは。権威あるお嬢様は態度の悪い使用人のクビでもきられるおつもりで?」
デニスは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ふふ。おかしなこと言うのね貴方。私は今日から貴方の雇用主って言ったばかりじゃない明日からもよろしくね」
アナスタシアは手を口にあてて、愉快そうに笑う。デニスはそんなアナスタシアの様子を見て、頭の先から爪先までジロリと見る。
「……あんた噂とは随分違うんだな」
「そう?奇遇ね、私もそう思っていた所なの。男に振られて変わったのかも」
「……クク。ハハハハ。中々面白いじゃねぇの。今日からよろしく頼みますよ、お嬢さん。夕飯には期待してもいいですぜ?」
「そう!楽しみだわ」
デニスはニヤニヤと笑いながら厨房の中に消えていった。
「少しは認めて貰えたかしら?」
「使用人が主にあのような態度……私め腸が煮えくり返りそうです」
「ふふ、いいのよ。面白いじゃない。色々な使用人が居た方が」
「アナスタシア様の寛大なお心に感謝致します」
「大袈裟ね。さ、ディナーが出来るまでの間は、帳簿でも見てようかしら。書斎に持ってきてもらえる?」
「かしこまりました」
アナスタシアはダニエルがふんぞり返っていた部屋を書斎に変えることにした。豪華な家具類は明日売り払う事にし、今日だけは我慢する。
書斎に戻りながら自分の中にある変化を感じる。
(使用人と会話をするのも、穏やかに笑うのも、夕日をただ眺めるのも……こんなに楽しいだなんて思いもしなかったわ)
毎日王子の為に国の為にと働いていたが、それもたった一言の婚約破棄で水の泡となって消えた。初めは、なんの為に今まで生きてきたのか、と自分に問いていた。
(でも今は、自分の為に生きたいって思う。今までの努力が無駄だったとは思わないけど、報われはしなかったから)
「ねえ。ヴィルヘルムさん」
「はい、お嬢様」
「私、ここで頑張るわ。見ててね」
ヴィルヘルムは大きく目を見開いたあと、口髭を撫でながら穏やかにホッホッホッとわらった。