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第10話


アナスタシアは馬車を使い、移動しながら何故か御者をしているエルガードに尋ねる。


「貴方、私の騎士になるのそんなに嫌そうなのにどうして了承したのですか」

「……お前の父親に頼まれたからだ。アイツには恩がある。断れねぇ」


てっきり無視をされると思っていたから返答があった事に驚いた。それをそのまま伝えてみることにする。


「無視されるかと思いましたわ」

「……」


今度は本当に無視されてしまったようだ。だが、一つめの返答があっただけで報酬があったと言えるだろう。エルガードは嫌々来たのだ。時間が経てば居なくなるかもしれないなぁ、とどこか達観した頭で考える。

エルガードは馬の扱いも心得ているようで、乗り心地は悪くない。


そのまま話しかけ続けるのも何かと思い、アナスタシアは大人しく揺られることにした。その様子を何故かヴィルヘルムが微笑ましそうに眺めている。


「着いたぞ」


カタンと小さく揺れ馬車が停止する。馬車の扉はヴィルヘルムが開けてくれ手を引いてくれた。エルガードは腕を組んで立っているだけだった。普通はこういうのは騎士がするものじゃないのかなぁ、と考えながら馬車を降りると鼻の中に広がるのは異臭だった。何かの腐った臭いだ。

食べ物か動物か、はたまたヒトか。

嗅いだことない臭いにアナスタシアでは判別がつかない。


「動物か」


エルガードが鼻をスンスンと動かし、匂いの正体を言う。何故わかるのかは分からないが、彼が言うのならそうなのだろう。説得力がある。


馬は木に括りつけて、街を歩く。活気がない。人の気配もない。偶にいるのは、道の隅で物乞いをしている老人だ。


(王都からたった2時間でここまで違うものなの)


ヴィルヘルムの後ろを離れないように歩く。どこからかは分からないが、至る所から殺気のこもったような視線を感じる。余程領主か貴族かに不満が溜まっているらしい。


「お嬢様。こちらです」


ヴィルヘルムがひとつの大きな小屋の前で立ち止まる。


「いいですか。お嬢様。ここで何を言われても気に病まれないように。」


ヴィルヘルムが心配そうな顔で見つめる。連れてきたことに責任を感じているのだろうか。


「大丈夫よ。開けてもらえる?」

「……かしこまりました」


今にも吹き飛びそうな薄い扉をヴィルヘルムが丁寧に開ける。今更であるが、彼の一つ一つの所作には歴史を感じる。余程長い間貴族に仕えてきたのだろう。

ヴィルヘルムは扉を開けた後、ひとつ後ろに下がる。必然的にアナスタシアが前に出ることになる。


「失礼しますわ」


煙草と酒の匂いにまるで似つかわしくない。アナスタシアの後ろに続いて中に入ったエルガードはそう思った。彼女を評価している訳では無いが、姿勢や雰囲気、佇まいからこの場所は似合わないな、と単純にそう感じた。


アナスタシアは会合と言うのだから、少しは論理的に話し合うことができる場所なのだろうと思っていた。だが、その考えは間違っていたのだと知る。小屋の中は、煙草や酒の匂いが充満し、至る所にゴミが溢れている。中に居た者も数人ほどで、皆胡座をかいている。椅子や机なども存在しない。


アナスタシアを見上げた領民達は、多種多様な感情を目に載せていた。怒りが今にも溢れ出しそうな者、何の期待もしていない者、暇を持て余したような者。何にしてもいい印象は持っていないことが分かる。


「昨日から兄のダニエルに代わり、この地の領主を務めさせて頂きます。皆様、宜しくお願い申し上げます」


アナスタシアは美しい所作で流れるようにお辞儀をする。入ってきた瞬間文句のひとつでも言ってやろうと思っていた領民達は、一瞬呆気にとられた後、直ぐに我に返る。


「……っ! 今更何の用だ!!」


領民のひとりが手元に転がっていた石を握りしめ、アナスタシアに目掛けて投げつけた。石は拳の半分ほどの大きさである。男の振り上げの動作は大きく、投げつける前にアナスタシアは石が飛んでくる事を予感した。アナスタシアでさえ分かったのだから、傍に控えていたヴィルヘルムも腕がたつと言うエルガードも見きっただろう。避けるのも、庇うのもさほど難しくなかった。

だが、アナスタシアは目を閉じその場から動かなかった。

事前に何の手出しもするなと言われていた為、ヴィルヘルムもエルガードも見届ける。


アナスタシアの頬に衝撃が走る。領民は当てるつもりは無かったのだろう、アナスタシアが避けると踏んでギリギリの場所に狙いを定めたはずだったのだ。


「あっ」


石を投げた投げた男は先程までの怒りに満ちた顔がうって変わり、青ざめていく。ただの平民が貴族に傷をつけたのだ。男の頭の中で、まだ小さい子供の顔が浮かぶ。他の平民は巻き込まれないようにする為か、知らぬ顔で男から距離をとる。


「あ、……その……っ。お前らが悪いんだろうが!俺達を見捨てやがって!何ヶ月も放置して!今更何なんだよ!?俺達が何をした!!?領主は領民を守るんじゃねえのかよ!!」


男は開き直ったのか、最後の足掻きなのか堰を切ったように吐露する。


「……ええ」


アナスタシアは何も言い返さない。領民の心の叫びを受け止める。目線が合うように、床に膝をつけた。


「続けて下さい。貴方の思っていることが聞きたいです」

「っじゃあ言わせてもらう!」

「はい」


男は吐き出すように苦しみを訴えた。男の声が枯れても、アナスタシアの頬から血が滴り落ちても、男は悲しみや怒りを訴え続けた。遂には、自分がもう何を話したのか分からなくなり、その場には男の荒い息遣いとアナスタシアの頬から流れる血が床に落ちる音しか残らなくなった。

男は独り言のように呟いた。


「……ダニエルとかいう前の領主は何もしてくれなかった。むしろ俺達の金をつかって贅沢していたんだ」

「ええ」

「…………次に来たのはそんな奴の妹だ。誰が期待する?」

「ええ」

「それにその女は王子に捨てられたって言うじゃねえか。傷心旅行でもしに来たつもりか?俺達は毎日必死で生きるのに精一杯だって言うのに」

「ええ」

「…………何なんだよお前。何で何も言い返さないんだよ」



男はその時初めてアナスタシアの目を見た。同情でも哀れみでも蔑みでもない目だった。アナスタシアは領民の土で汚れた手を握る。


「すぐに受け入れて欲しい、なんて虫のいい話ですわ。だから、今は認めなくてもいいの。ただ、見ていて欲しいのです」

「……何を」

「私を」


アナスタシアはにこりと微笑む。男の手を丁寧に離し、立ち上がる。白いワンピースの膝元は茶色く汚れてしまった。

他の呆けた顔で見ていた領民の顔をひとりひとり見渡し胸に手を当てて告げる。


「他の皆様にも見届けて欲しいのです。そして判決を下してください。私、アナスタシア・ギルドべートが領主として相応しいかどうかを。今日はそれだけをお伝えしたくて参りましたの。私はそろそろ失礼しますわ」


アナスタシアは微笑みを崩さず、その場を後にする。残された領民は少しの間黙り込んだ後、いつもの日常に戻る。だが、石を投げた男だけは、じっと自分の手を見つめ暫く動かなかった。

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