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カウンセリング(1)

「わざわざ来ていただいてありがとう」

 厚化粧を施した中年女性は上品な仕草で一礼する。


 ブラインドが下ろされているため窓の外は見えない。

 私は二つあるソファーのうち手前に座った。

 簡素な室内で、机にはティッシュ箱がのっている。

 プラスチック性のゴミ箱も隣にあった。


「はじめまして。川島の紹介で来ました」

「あらそう。川島くんね」

 私はカウンセラーの顔をじっと見つめた。

 この表情は取り繕っているときのものだ。

 彼女は川島を覚えていない。


 それなのに変に探ってこないのは、

 情報保護を徹底しているからだろう。

 この人は信頼に値するのだろうか。

 ここからは存分に値踏みする必要がある。


「元気そうに見えるけど、

 ここに来たってことは悩みがあるのよね?」

「ええ、それはもう。

 外出していても落ち着かず、

 眠れない夜は精神安定剤を服用しています」


 白根心理士は手元の白紙にメモをとり始めた。

 厄介だな。いや、むしろ好都合か。

 私はそのように思考する。


 話の整合性を問われた場合に役に立つ。

 理路整然と話してさえいれば、

 メモによってその信憑性も高くなるだろう。

 熱が入って誇張表現をしたら

 そのぶん疑われてしまうだろうが、

 つじつま合わせは小説家の領分だ。


「そうなの。

 答えたくなければ構わないけど、

 お薬はどんなものを使ってる?」

「パンセダンです」

 これはハーブの鎮静剤で副作用が抑えてある。

 ストレスによるイライラや緊張を和らげる効果があった。


「あらまあ。

 パンセダンは効かないでしょう」

「いえ、プラシーボ効果と言いましょうか、

 私には効果があるように感じます」


 うんうんと頷きながら、

 彼女はペンを走らせる。


「それを飲めば落ち着くの?」

「多少は効果があります」

「ふむふむ……」

「それと」

 私はあわてて言葉をつなぐ。

 カウンセラーは笑顔で見ていた。


「タバコを吸うようになりました。

 今まで喫煙習慣はなかったのに……」

「波多野くんはそれを

 ストレスのせいだと考えているの?」

 的確な質問だった。

「はい、そう思います」

「タバコは増税もあるし、

 あまりおすすめしないわよ」

「ええ、わかっています」

 彼女が筆記するのを私は黙って待った。


「コーヒーは好きかしら?」

 唐突に話を振られた。

「最近コーヒーメーカーを導入したのよ」

 なんだ、そういうことか。

 私は好きですと答えた。


 彼女はすっと席を立って機械の電源を入れた。

 並々と注がれる黒い液体から湯気が立つ。


 コーヒーの入ったカップとソーサーを二つずつ持ってきた。

 私はそれをひとつ受け取った。

 唇を湿らせるために、一口飲む。


「本論に入りましょうか。なにがあったのかしら?」

 私はパワハラの被害を、淀みなく話した。

 話す内容は事前に決めてあった。

「そう。それは辛かったわね」

 カチャッと音がしたので、

 彼女を見るとカップを手にしただけだった。

 私はちょっとした物音にも敏感になっていた。


「会社は辞めたいと思う?」

「思いますが、両親の期待が大きいため、

 なかなか辞めさせてもらえません」

 私の脳裏に兄貴がよぎった。

 首をくくって、工場で……死、ん、で。


「うっ……」

 私はえずいた。

 まったく予期しない出来事だった。

 トラウマの扉を開きかけた。


 顔色を変えたつもりはない。

 そんなヘマはしていないはずだが、

 様子の変化からなにかを感じたのだろう。

 彼女は家庭環境について訊いてきた。


「ご両親とは仲がいいの?」

「ええ、まあ。

 ただ忙しすぎて、家には何ヵ月も帰っていませんけど」

「ご両親に辞めたい意思は話した?」

「はい」

「ダメって言われたの?」

「ダメというか、転職先がないだろと」

 世界的に見ても、日本の景気はよくない。

 就職難の時代にそれは厳しいということだった。


「それにうちは高齢世帯です。

 両親とも定年退職しているので、

 私の給料がなくなるのはきついんです」


「あら、そうなの。

 ご兄弟はいらっしゃらないの?」

「兄貴が、いました」


 いました。で察したらしく、

 白根心理士の表情がくもった。

「でも、仕事を苦にして……。

 じ、じあ、じ、じさ……」


 どういうことだ。

 声が出てこない!

 嗚咽に掻き消されて、言葉にならない。


 不随意反射的に涙がこぼれ落ちる。

 はああ? なんでだよ、邪魔だよ。引っ込めよ。

「じ、さ。うう……」

 呼吸が浅くなる。

 なんで泣いているのか理解できない。


「わかった。無理して話さなくていいわ」

 彼女はすっとティッシュ箱を差し出した。

「これで涙をふいて」


「すいません。うう……」

 私は突然の号泣に戸惑ったが、

 まあ結果オーライだと切り替える。


 印象操作はこれでバッチリだ。

 計算ではなく、感情的になって溢れたものだから、

 相手も疑いようがない。


 私はうつの診断書がほしい。

 そのためには精神科医に会う必要が生じる。

 今のうちにうつ症状ありと判断してほしかった。


 私は臨床心理士すらをも利用するつもりでいたのだった。

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