狡猾だった!
人前で罵倒された。
これは公然と事実を摘示し、
名誉を毀損したため名誉毀損罪に当たる。(刑法230条)
胸ぐらをつかまれた。
襟首をつかんで揺さぶられた。
これは刑法208条の暴行罪に抵触するらしい。
私はそれをされた日時をメモ帳に筆記する。
その横に罪名を付記しておく。
及びそのときの心理状態を過剰な表現で書き記す。
あの後、カウンセリングの日時を取り付けることに成功した。
白根節子さんは待っていますと応じてくれたのだ。
場所はどこでも構わない、
話しやすいところを指定してくれと言われたので、
彼女の事務所内で話すことに決めた。
カフェやファミレスでは、
だれが聞いているとも限らない。
また例の告発文書も、
会社では決して出さないように気を付けていた。
「来週から一週間、
県外に出張に行ってもらうことになった」
私は人事担当にそう言われた。
まあ、森杉の顔を見なくて済むならそれもありだと思った。
「移動費は口座のほうに支給しておこう」
「いやいや、移動費なんていらねーだろ。波多野」
近くで聞いていた森杉が口をはさむ。
「どうせあいさつもロクにできないんだ。
歩いて行けばいいだろ」
お前の脳みそは江戸時代で止まっているのか?
ひとりでバカみたいに参勤交代でもしてろ。
まあ、お前みたいなバカについてくる人はいないけどな。
「あはは、そんなこと言わないでくださいよ」
「使えねークズが! さっさと仕事やめろ。
俺はお前みたいなクズが一番嫌いなんだよ」
権力をたてにして、言いたい放題だな。
私はいい加減、ぶん殴ってやろうと拳を固めた。
愛想笑いをしてやる義理もねえ。
もちろんこのことも筆記したが、
相手を辞職に追い込みたければネタが弱すぎる。
もっと決定打になるようなことがほしい。
そこで私は、森杉に対する被害者を探すことにした。
ありとあらゆる手段を講じたが、
軽犯罪以上の行為を立証できそうにないことがわかった。
森杉は意外と手強い人物だった。
ギリギリのラインをわきまえている。