心が揺れた!
私は銀座駅に向かっていた。
その間に動画投稿サイトを見ながら
少しずつ役作りを始めていく。
今回演じるのはナンパ師の役だった。
小説を書くのをやめてから、
「雰囲気が変わったねー」
と言われることが多くなった。
饒舌になったというか
そういうキャラを演じるようになったからだ。
それならばとランダム通話アプリを使って
さらにコミュニケーション能力を磨いてみた。
初対面とでもうまく話せるようになった。
これは本当に小説を書かないメリットだと思う。
私はつい嬉しくなって
銀座の街を歩きながら
森口に電話をかけることにした。
今の自分がリア充だと証明したかった。
他のだれかじゃ意味がない。
小説家としての私を知っている人物が適任なのだ。
一言だけでいい。
「小説書くのやめてよかったね」
その言葉さえもらえれば、感無量なのだった。
「もしもし、波多野さん?」
「よう森口。お疲れー」
「お疲れ様です。
うははっ! テンション高いですねー」
そう森口は電話口で笑った。
なんでだろう。よくわからん。
スピリチュアルなやつなのかもしれない。
「小説はどんな感じだ?」
「連載小説がマンネリしてきましたね。
テコ入れしようかなー」
ぐぬう。うらやましい。
私が時間を空費してる間に
そんな建設的なことを考えているとは。
「波多野さんはどうですか?
Web小説には復帰できそうですか?」
「俺は小説家を引退する。
あとは任せたぞ、森口」
「またまた、意地になっちゃって。
波多野さんはそんなタマじゃないでしょ。
上司にたてついてでも小説を書く男ですよ」
意外とよく見てるな、コイツ。
私はそう感心してしまう。
「その反骨精神こそが、
波多野さんの原動力なんですから。
書くなと言われたら、
書かずにはいられないはずですよ」
「う、うるさいなー。
お前には関係ないだろ」
簡単に見透かすな。
心が、揺れてしまうだろ。
「まあいいや。小説は読んでますか?」
「ああ、読んでるよ。
他のコンテンツだけじゃ物足りないからな」
小説を書くきっかけになると悪いから
読まないほうがいいと思ったのだがな。
「なにを読んでるんですか? 太宰ですか?」
人間失格はこの前読んだ。
私はノーベル文学賞をとった彼の小説を読んでいた。
「ヘミングウェイの老人と海」
「へー、だれでしたっけ?」
「日はまた昇る。武器よさらば。
誰がために鐘は鳴る。とかを書いた人だ」
「知らないです。うははっ!」
なんてことだ!
「東大生がオススメしてるだろ」
「ぼくはオススメしてないです」
「それならカラマーゾフの兄弟は?」
「だれが書いたんですか?」
森口はドストエフスキーを知らないようだった。
東大の教授がオススメしてたのに。
まあいいや。私がオススメしたわけではないし。
「相変わらず博識ですねー」
「いや、小説家だったらみんな知ってるぞ」
「じつは漢字も読めないんですよー」
「知ってる。小説家に向いてないな」
「まあそれでも、ぼくのが人気あるんで!」
「嫌味なやつだぜ……」
「うははっ!」
森口は快活に笑った。
私はカチンときていたがなんとか抑える。
森口が精神的に未熟なのは仕方がないことだ。
私の指導不足のせいだし、多目に見よう。
それからは彼女の話になった。
森口は毎晩彼女と電話をしているらしい。
私には心底どうでもよかった。
けれど、
情熱的な対抗心と
軽薄な虚栄心が顔を出して、
これからバーに行って
適当にナンパすることを伝えた。
私は今度こそ誉められると思った。
へー、すごいじゃんと。
しかし森口は怒った。
「波多野さんにも彼女いますよね?」
私は静かに言った。
「出張で埼玉に来てるからさ。
会えなくて寂しいんだよ」
「はあ……」
彼は盛大にため息を吐いた。
「見損ないましたよ」
「なにがだよ?」
「波多野さんはもう、
ぼくの知ってる波多野さんじゃないです」
「そうだよ。活動的になれたよ。
小説という枷がなくなったからな!」
「なんか無理してませんか?」
「してないよ。毎日が充実してる。あー、幸せだなあ」
「どうしちゃったんですか?
小説を書かなくなってから言動がおかしくなってますよ」
もうダメだ。
これ以上言葉を交わすと
私の心が傷だらけになってしまう。
なんでだよ。
小説を書かないほうが楽だし、
時間だっていっぱいあるし、
充実してるはずなのに……
私は目頭が熱くなるのを感じた。
悔しくて泣きそうになる。
なんで小説を書いてるやつのほうが元気なんだよ!
だっていつも締め切りに追われてるんだぜ。
苦しいに決まってるじゃんかよ。
なのに、私にはそれが眩しくて直視できない。
夢に向かって努力してるやつは
みんな例外なく格好いいじゃないか。
うらやましいんだよ、クソ!
「波多野さん?」
「なんだよ」
やけに落ち着いた声を出すじゃないか。
「ぼく、また新人賞に応募します!」
「ああ、そうかよ。がんばれ!」
「それと……」
なんだよ、まだあるのか?
「全国小説コンテストにも出します」
私にそんなことを言うな。
「波多野さんがそれを見て、
黙っていられるとは思えませんから」
「やけに自信満々じゃないか」
挑発するように言ってみる。
そんな自分がむなしい。
「ぼくが波多野さんの目を覚まさせてやりますよ」
「あっそ。言いたいことはそれだけか?」
「ええ、これで充分です」
やっと解放された。
安堵しながら終話ボタンを押す。
その指は震えていた。