メイド喫茶(前)
出張で埼玉に来た。
さすがに関東だけあって交通機関が充実している。
日高屋という中華料理店がたくさんあった。
私は動画投稿サイトで見た
『秋葉原のメイド喫茶に行ってみた』
という動画に感化されていた。
そのせいではるばる
秋葉原にまで足を伸ばしてしまったのだ。
秋葉原は家電が安いと聞いていたので、
電気屋でイヤフォンを買った。
中国人の店員が対応をしてくれた。
ラーメンもおいしいらしい。
私はラーメン屋に行こうとしたが、
どこも混雑していたため、カレー屋で食事を済ませた。
外国人が対応してくれた。
日本語ティーシャツを着て歩く外国人カップルもいっぱいいた。東京という街は非常にグローバル化が進んでいるようだった。
それなりに東京を満喫した私は、
メイド喫茶に行ってみることにした。
少なくとも小説を書いていれば
忙しくて来ることはなかったはずの場所だ。
小説を書かないと決めているのに、
これは小説のネタになるぞと喜んだ。
「いらっしゃいませ。ご主人様!」
「お帰りなさいませ。ご主人様!」
「お待ちしてました。ご主人様!」
入店のあいさつはこんな感じだろうか。
素の自分で入るのは恥ずかしいが
今回は役作りをしていなかった。
他人を演じるのは得意でも、
自分でいることは苦手な私だ。
ピンクでペイントされたガラス戸の前を数回往復してから中に入った。店内は白が基調で、ファンシーな小物類が目についた。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は初めてですか?」
そうメイド服に猫耳カチューシャをつけた女の子が、
ピンクのメニュー表を持ってきた。
「はい、そうですけど……」
めちゃくちゃ恥ずかしい。
だってガラス張りじゃん。外から見えるじゃん。
「当店はにんげんに恩返ししたい猫たちが
かみさまのつくった絶対領域で
にんげんの姿になって
お給仕しているメイドカフェです」
「ああはい、そういう設定ですか」
あれ、なんか思ってたのと違うぞ。
萌え萌えきゅん、じゃないのか?
私は内心ものすごく焦り始めた。
「設定じゃないですよー。
あとご主人様、これをつけてください」
メイドさんは猫耳カチューシャを渡してきた。
「本気で言ってます?
これは女性客がつけるやつですよね?」
「なにを言ってるかわからないにゃん」
いやいや、どういうことだよ。
「先程もご説明した通り、私たちは猫ちゃんなのです。
だからご主人様の歩み寄りがないと、
いっしょに会話ができないにゃん」
猫耳カチューシャをつけることが
歩み寄りになるのだろうか。
まあ、どうでもいいや。
装着してみると、いい感じにフィットした。
「あと、語尾に“にゃん”ってつけてほしいにゃん」
「なんでですか?」
「よろしくだにゃん」
華麗にスルーされてしまったにゃん。
私は席に案内される。
現在は満席だということで、
見知らぬおじさんと相席することになった。
「それでは料金の説明をさせていただくにゃん」
「猫の世界でもお金とるんですねー」
目の前でひざまずくメイドさんを見て、
私は心の声をもらしてしまった。
「神様への投げ銭だと思うにゃん」
「それこそ、猫に小判では?」
「まずはチャージ料金からです」
やばい、嫌われたかもしれない。
余計なことを言い過ぎた。
「……最後に、私たちを呼ぶときは
手を挙げて“にゃんにゃん”と言ってほしいにゃん」
「コールボタンはないんですか?」
「ありませんよー」
そう言ってメイドさんは奥に引っ込んでしまった。
せめて語尾に“にゃん”をつけてほしかった。
「君はメイド喫茶に来るの初めて?」
「はい、初めてです」
メガネをかけた中年の男性に声をかけられた。
どうやら話し相手を探していたらしい。
「そうなの。私はね、二回目なの」
おじさんは笑顔で接してくる。
私はメイドさんと話したかった。
「へえ、そうなんですか」
申し訳ないが、話を広げる気にならない。
「あらあら、お二人とも知り合いだったんですか?」
先程のメイドさんが心配して見に来てくれた。
「いいえ。たった今、知り合ったばかりです」
「そうなんですにゃん。お二人はどこ出身ですか?」
私とおじさんは答える。
「新潟です」
「私はね、北海道です」
「へえ、お二人とも遠いところから。
なんで来られたんですか?」
「出張です」
「私もね、出張です」
「そうなんですか。
それではメニューが決まったら
“にゃんにゃん”でお願いしますね」
女の子は無慈悲にもそんな念押しをしてきた。
私は、“にゃんにゃん”はおじさんに言わせようと思った。