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記憶と妖精~偽りの瞳~  作者: 夜寧歌羽
第一章 港町の宿屋
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第七話 勤労なくして

「はいこれ、あっちの竜人さん達に持ってって」

「は、はい!」


 差し出された料理をお盆に乗せる。美味しそうな香りのするそれを落とさないよう注意を払い、テーブルとテーブルの合間を縫うようにして、私はフェニさんに示されたテーブルを目指した。


「お、お待たせしましたー! えっと、一番朝食と、三番朝食が二つ、です」

「あら、どうも。丁寧にありがとうね」


 料理を受け取ってくれた女性がそう言いながらこちらを見ると、一瞬驚いたような表情になった。その変化に気付きながらも、私はそのまま料理を机の上に置いていく。こんなことをいちいち気にしていてはキリがない。


「ど、どうぞ。ごゆっくり」


 すべての料理を並べ終わると、教えられたばかりの決まり文句を付け足して、カウンターの方に戻る。そこにはまた、さっきと同じように料理が沢山並べられていて、私に運ばれる時を待っていた。


「これをあそこに。この二つは、奥の二人組にお願い」

「はい!」


 また言われた通りの場所に料理を運んで、その帰り際に、食事を終えたお客さんの席から食器を片付ける。


「あ、えっと、こちらお下げしてもよろしですか?」

「ん? ああ、悪いね。頼むよ」

「失礼します」


 お水とコーヒーのコップだけ残して食器を下げる。その後しばらくして、フィキさんがその席の人のお会計をしているのを見た。

 こんなことを繰り返して、もう何十回目だろう。朝からずっと続けているせいか、まだ始めて三十分ほどしか経っていないというのに、なんだか様になってきているような気がする。というか、そう思わないとやっていけない。

 最初は人前に出る恥ずかしさもあって、上手く喋ることができなかったけど、朝食時の混雑によるあまりの忙しさに、そんなことを考える余裕はすぐになくなった。とにかく仕事を捌かないと次に進めず、行動が遅いと怒られてしまう。それが嫌だから、私は恥を捨てて、瞳をジロジロ見られるのも構わず、仕事にだけ意識を集中させていた。


 そして、嵐のようにも思えた朝のピークが過ぎ去り、お客さんの姿もまばらになってきた頃。机の片付けを終えた私に、フェニさんが声をかけてきた。


「ふぅ……」

「お疲れ様。よくできてたわ。初めてだったけど、いい感じだったわよ」

「あ、フェニさん。ありがとう、ございます」


 褒められて素直に嬉しい気持ちと、徐々に思い出してきた気恥ずかしさで頬が緩む。それからきっと、疲れもあるだろう。ここに来てからこれまでの中で、今が一番動いているような気がする。


「あらあら、朝だけで相当疲れたみたいね。やっぱり大変だった?」

「は、はい。……その、想像していたよりも、ずっと大変でした」


 決してこの仕事を甘く見ていたわけではない。だが、ここ一週間ほどまったく運動していなかったせいで、体はかなり疲れていた。もしかしたら、元々そんなに運動は得意ではなかったのかもしれない。どちらにしろ、今夜はよく眠れそうだ。

 そんな私に、流し台でお皿を片付けていたフィキさんが、


「まあ、そうだろうねー。でも、夜のほうがもっと大変だよ?」

「う、そ、そうですか……」


 その脅かすような言葉に気持ちが沈む。そんな気はしていたけれど、これよりも大変だなんて……。

 今日を無事に乗り越えられるのか、少し不安になってきた。


「まあ、そんなに心配しなくてもいいわ。これだけやれてたら十分よ。あ、もう後は私達だけでも何とかなるから、今のところはいいわ。お疲れ様、レイラちゃん」

「は、はい。お疲れ様、です」

「お疲れー、レイラちゃん」

「フィキさんも、お疲れ様です」


 ヒラヒラと手を振る彼女にも挨拶を返して、私は制服代わりに貸してもらったエプロン脱いだ。そして、アドレさん達の待っていたテーブル席に座る。


「はぁ……」

「お疲れ。頑張ってたな」

「はい……ありがとうございます」


 気を抜いたせいで疲労感が増し、ぐでーっとテーブルの上に身を投げ出す。これが仕事の後の疲労というものなのか。なんだか不思議な感じだ。とても疲れているはずなのに、仕事をやりきったという大きな達成感があると、これもまた心地よく感じられる。

 それから少し気が抜けてきて、ゆっくりと頭を上げた時、首元にかかる髪の感触がいつもと違うことに気付いた。そういえば、このままでは仕事の邪魔になるからと、頭の後ろで髪を一つにまとめていたのだった。

 今日初めて髪型を変えたが、今まで髪を弄ったことなどなかったので、この違和感にはまだ慣れそうにない。フェニさん曰く、髪型を変えるだけで、人の印象はだいぶ変わるらしい。今朝髪を結ってくれたフェニさんとフィキさんは、笑顔で似合っていると言ってくれたけど……この人は、どう思う、のかな。

 アドレさんがどんな反応をしてくれるのか気になって、髪の毛を触りながら、それとなく尋ねてみる。


「あ、あのぉ……アドレさん。その、髪型、変えたんですけど、どう、ですか?」

「ん? ああ、そうだな。気付いてた。……うんうん。髪を結ったお前も可愛いぞ」

「えっ、あ、ありがとう、ございます……」


 真正面から率直に褒められるのが照れくさくて、思わず視線を逸らす。どうしてだろう。あの二人にも散々褒め倒された後なのに、他でもない彼に褒められたことが、とても嬉しかった。

 ……たまには、こうやって髪型を変えてみるのも、いいかもしれないな。

 いつもとは違った形の髪を触りながら、なんとなくそんなことを思った。


「こら、そこ。何勝手にうちの子口説いてるのよ。いい年したおっさんのくせに」

「おいおい、俺は別に口説いてなんか……単純に褒めただけだって」


 カウンターから飛んできた罵声に、彼は無実をアピールするように手を振る。


「いや、本当に似合ってるぞ。これだけでも随分変わるな。なんか、少し明るくなったんじゃないか?」

「え、そう、ですか?」


 彼の思いもよらない言葉に、今度は驚く。ただの髪型が性格にまで影響を与えるなんて……きっとこれも、良い変化、なんだよね。

 私は心の中で、この提案をしてくれたフェニさんに感謝した。


「昨日の今日で心配だったが、その必要はなさそうだな。で、どうだ。働いてみて。このまま続けられそうか?」

「それは……どう、でしょう。まだ一日目も終わってないので、なんとも……」


 話を変えたアドレさんに、曖昧な言葉を返す。朝の食堂も大変だったけれど、まだ全部の仕事を経験したわけではない。お昼もまた別の仕事があるし、夜もまたさっきのように働かなくてはならない。やることはいっぱいだ。


「そうか。じゃあ、まだしばらくは様子見だな。でもよかったよ。お前、いつにも増して明るかったから」

「……明るかった、ですか?」

「ああ。ここ最近で一番キラキラしてたぞ。客に見せる笑顔はまだまだ不自然だったが、時々本気の笑顔が漏れてた。色々嫌なことばかり続いて、いい加減気が滅入っていたんじゃないか?」


 思わず頬に手が伸びる。私が、心から笑ってたなんて……全然意識していなかった。でも、それはきっといいことだ。フェニさんにも、接客業では笑顔が大事と言われたし、無理せず自然に笑顔になれるなら、それに越したことはない。

 私が仕事を始めてからの変化を実感していると、急にアドレさんが立ち上がった。


「さてと。朝飯も食ったし、俺はそろそろ行く」

「あ、もう行くんですか?」

「おう。昨日の件で少し用事があってな。じゃあ、また夜に」


 昨日の件……というと、またあの役場に行くのだろうか。その時のことを思い出して不安がよぎるけれど、これ以上悪いことにはならないはずだと思って、彼らを送り出す。


「そう、ですか……。行ってらっしゃい、です。お二人とも」


 お店を出て行く二人を見送った時の私は、確かにまた、自然に笑えていた。


 一人になった私は、自分の部屋に戻って少し休憩した。そして十分くらいした後、色々な道具を持ってきたフィキさんに、昼間の仕事を教えてもらうことになった。

 お昼の仕事は、食堂で料理を運ぶのとは大きく違う。宿に泊まる人達は朝から出かけていくことが多いので、その間にお部屋の掃除、ベッドのシーツ替え、洗濯などをするらしい。

 ただ、彼女の話には一つ、大きな問題があった。これらの作業はすべて、魔法で済ませてしまうというのだ。だから、私がおっかなびっくり手を挙げて、私、魔法が使えないんですと言った時、彼女は目を丸くして大きな声を上げた。


「え、レイラちゃん、魔法使えないの!?」

「う、は、はい……」


 信じられない、という顔で身を乗り出すフィキさん。どうやら、フェニさんは彼女に話していなかったようだ。

 ……なんだか、この人には驚かれてばかりだな。


「そ、そうだったんだ。記憶だけじゃなくて魔法まで……。そっか。でも、うーん。じゃあどうしよっかな」

「……やっぱり、使えないと駄目、ですか」

「んー、駄目ってわけじゃない、けど……」


 彼女が補足してくれた話によると、掃除や洗濯なんかの家事は、手でやるよりも魔法を使ったほうが圧倒的に早く、そして綺麗になるという。だから魔法が使えないと、それだけで日々の生活が大変になるらしい。

 家事に魔法を使うことは、一応フェニさんから聞いていた。けれど、そうか。そういう理由もあったのか。話に聞いていたよりも、魔法の必要性は高いようだ。


「すみません……」

「あ、いいよいいよ。そんな謝らなくたって。別にレイラちゃんが悪いわけじゃないし。でも、うーん、魔法がなくてもできることかぁ。何かあったらかな……あっ、そうだ」


 少しの間考え込んでいた彼女は、不意に顔を上げて、


「じゃあレイラちゃんには、荷物持ち、お願いしようかな」

「荷物持ち、ですか?」


 それなら確かに、魔法が使えなくても大丈夫そうな仕事だ。でも、持つって、何を?


「うん、そう。掃除のほうは全部私がやっちゃうから、交換したシーツを持ってもらう係。お願いしていいかな?」

「は、はい。大丈夫ですけど……」

「決まりね。じゃあ、早速やっちゃおう。これから私が練習でやってみるから、レイラちゃんは見てて」


 そういうことで、私達は実際に、今いるこの部屋を掃除することになった。

 まず、換気のために部屋の窓を全部開ける。魔法で。それから、彼女が合図するように軽く指を振ると、急に窓から風が入ってきて、部屋の空気が勝手に入れ替わる。それと同時に、小さな埃やゴミが部屋の隅に集められ、ゴミ箱の中に入った。これでもう、掃除は終わりだ。

 続いて彼女は、三つあるベッドそれぞれにリズムよく魔法をかけた。順番に布団が空中に浮き、皺くちゃになってしまったシーツが独りでに剥がれる。そして、彼女が持ってきた新しいシーツが広がって、丁寧に折り目を伸ばしながら、ベッドは綺麗に整えられていく。剥がされたシーツがフィキさんの手元に収まったところで、すべての物は動きを止めた。

 あっという間に、掃除とベッドメイクという、大変な仕事が二つも終わってしまった。


「わぁ……」


 その様子は、なんというか摩訶不思議で、私が想像していたベッドメイクの作業とは似ても似つかないものだった。こんなことができるのなら、確かに人の手なんて必要ない。これまでたった二人だけでこの宿を切り盛りできていたことにも、納得だ。


「凄いです。これ、いつも一人でやってるんですよね。大変じゃ、ないんですか?」

「え? ううん、全然。魔法を使うのに疲れることはないから。別に大変なことは何もないよ」


 私の素朴な質問に、フィキさんは簡単に答えた。そして、交換したシーツを私に手渡す。


「じゃあ、はい。これ持って」


 敷布団と掛布団、枕も合わせて九枚。これだけあると、流石に結構かさばってしまう。重たくはないが、ちょっと大変だ。


「ひと部屋ごとに下に持って行こっか。奥の水場なんだけど、わかる? 洗濯は最後にまとめてやっちゃえばいいから」

「おっとと……はい。わかりました」


 それから私達は、お客さんのいない部屋を回っては、掃除とベッドメイクという仕事をこなした。荷物持ちの私は、ただひたすら軽作業を繰り返すだけだったけど、何度もやればそれなりの負担が伴う。階段を上り下りするたびに少しずつ疲労が溜まり、息が上がる。そして五階まである部屋のすべてを訪ね終わった頃には、もうお昼を過ぎていた。


「ふぅちょっと時間かかっちゃったけど、とりあえず終わったね」

「そ、そうですね。ふぅー……」

「あれ、疲れちゃった?」

「は、はい、少し……」


 軽い布も、沢山あると重たくなる。まさか、シーツを運ぶ作業だけでこんなに疲れるとは。朝の仕事は精神的にも大変だったが、これもこれで体力面に問題があるようだ。


「んー、じゃあ洗濯は後にして、先にお昼にしよっか。さ、お母さんの所に戻ろ」

「はい……」


 最後のシーツを水場に置いて食堂に戻り、お昼ご飯を頂く。働いた後のご飯がいつもより美味しく感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。

 ちなみに、このお店にはお昼時にもお客さんが来るけれど、ここで昼食を食べる人は朝よりも少ないそうだ。だからそちらはいつも、二人のうちのどちらかが対応している。そんな感じだから、お昼に私が手伝う必要はないようだ。


「ふぅ……ご馳走さま、でした」

「美味しく食べてくれて、いつもありがとうね。お掃除はどうだった? やっぱり大変?」


 お皿を片付けるフェニさんに尋ねられ、素直に頷く。労働が大変だったのもそうだし、私が魔法を使えないせいで、全然仕事らしい仕事ができなかった。フィキさんは気にしないでと言ってくれたが、それでもやっぱり、力になれないのは申し訳ない。


「まあ、はい。……魔法を使えないことがここで問題になるなんて、思ってませんでした」

「あー、そうね。確かに、魔法なしでこの仕事をするとなると、小間使いみたいなことしかできないわね。ごめんなさい。本当はもっと、あなたに合った仕事をさせてあげたいんだけど……」

「いえ、そんな。別に不満があるわけじゃないんですよ」


 申し訳なさそうに言う彼女に、私は慌てて首を振る。ここで働くことは、全然嫌ではない。私はただ、自分にできることが少ないせいで、二人に迷惑をかけることが嫌なだけだ。


「でも、ねぇ。働くのなら、やっぱりできることのほうが楽しめるじゃない?」

「それは、そうかもですけど……」


 言葉の続きを曖昧に濁す。彼女の言葉は間違ってはいない。けれど、まだ私にできることが見つかっていないから、それも難しい話だった。

 お昼ご飯を食べたら、次は残してきたお洗濯だ。私達は洗濯場に戻って、先ほど剥がしてきた大量のシーツや、私達が着ていた服などを籠に入れた。そして、そこにまたフィキさんが魔法をかける。

 するとなんとなく予想していた通り、洗濯物が不思議な力で空中に浮かんだ。それと同時に、蛇口から出てきた水が布を包み、水と洗濯物が別々の向きにグルグルと回転し始める。途中で何かの洗剤が入ると、白い泡も混じり始めた。まるで洗濯機の中を覗いているみたいだ。

 魔法で操られた水は不規則に流れの向きを変え、時には全体が萎んだり広がったり。水の塊がまるで脈動するかのようにして洗濯物を洗い、少しの間それを繰り返していたかと思うと、泡立った洗剤混じりの水が排水口に吸い込まれて消えていく。それから、水を変えて二度、三度と綺麗にすすいで、最後に残った水浸しの洗濯物が、ゆっくりと籠の中に戻った。


「はい、洗濯終わりー。後は干すだけだよ」


 部屋一つを掃除するより時間はかかったものの、それでも手で洗うのと比べると、驚くほど早い。

 ……やっぱり、魔法は凄いな。こんなことができるフィキさんやフェニさんのことが、ちょっと羨ましい。私も、何年も頑張ればこんな風に魔法が使えるようになるのだろうか。

 そう思ってはみても、自分が息をするように魔法を使えっている場面は、まったく想像できなかった。

 ポタポタと水滴を垂らす籠をお店の裏庭に運んで、物干し竿に吊るす。これもフィキさんの魔法で、洗濯物が自分から吊るされに行ってしまったので、私の出る幕はなかった。

 ベンチに座って四角い布が人のように動く様子を見ていると、ふと思った。なぜ、乾かすところも魔法でやらないのだろう。

 そのことを聞いてみると、彼女は丁寧に教えてくれた。


「え? あ、そのこと。んーと、何て言えばいいかな。こうして普通に乾燥させたほうが、なんていうか、自然な温かみが出て、布が長持ちするんだって。お母さんが言うには、魔法を使って一気に乾かすと生地が弱くなっちゃって、破れやすくなっちゃうらしいの。でも、雨の日なんかは外に干すことができないから、そういう時は仕方なく魔法で済ませるけどね。部屋干しだと臭いが付いちゃうし」

「へぇ……そう、なんですか」


 魔法がなんでもできる万能の技術だと思っていた私には、とても意外な話だった。


「知らなかったです。魔法にもそんな悪いところがあるなんて。……魔法って、ただ便利なだけじゃないんですね」


 魔法という未知の技術は、とても奥が深いようだ。


「んまあ、そうかもね。でも、そんなに大きな問題じゃないよ。魔法の良くないところなんて、私は全然ないと思ってる。さっき布が駄目になっちゃうって言ったけど、一回やったらもう駄目、ってわけじゃないし。そこも丁寧に一枚ずつやれば、全然そんな風にはならないんだよ。ていうか、レイラちゃん」


 と、彼女は急に話を変えて、私のことを正面から見つめた。


「私相手に、そんなにかしこまらなくていいよ? ほら、もう一緒にお仕事してるんだしさ。そろそろ敬語とかもやめてくれると、嬉しいかなー?」

「え? それは……」


 思いもよらぬ彼女の言葉に、私は一瞬、どう答えたらいいのかわからなかった。言葉を崩すなど、今まで考えたこともなかったからだ。

 彼女と出会って、大体一週間。毎日会って話をしているからこそ、ずっと敬語では少し距離感を感じるのだろうか。でも、私はこれが普通だと思っている。彼女のほうが絶対に年上なのだし、変える気はない。けれどフィキさんは、それが気になると言っているし……どうするのが、正解なのだろう。


「うぅ、か、考えて、おきます……」


 悩みに悩んだ結果、私は苦し紛れにそう答えた。また改めて考えなければならない。本当に私が彼女と対等な、友達のような関係になってしまってもいいのかどうか。

 私の返答を聞いた彼女は、やはり少し残念そうな表情になって、


「んー、そっか。まあ、無理にとは言わないから、ちょっとずつ、ね」

「はい……」


 そうやって気を遣われることが申し訳なくて、やはり敬語を使ってしまう。もう少し打ち解けた関係になることができれば、自然と言葉も変わっていくのだろうか。


 その後は、フィキさんやフェニさんと色々なお話をして時間を潰した。そして夕方。お客さんが来る前に早めの食事を済ませた私は、また食堂で料理を運ぶ仕事をしていた。

 フィキさんの言葉通り、夜は朝とは比べ物にならないくらいの混雑になった。お客さんが増えれば当然、仕事の量も増え、負担も増える。だれど、ちょっとだけ嬉しい変化もあった。私のことを今日初めて見たお客さんには、相変わらず驚かれたが、今朝もご飯を食べたお客さんは私のことを覚えていて、その何人かは、気さくに話しかけてくれたのだ。

 君、朝もいたよね、とか、新しい仕事頑張ってね、とか。私のことを好意的に受け止めて、励ましてくれた。恥ずかしい気持ちはまだまだ抜けないけれど、そうやって友好の輪が広がっていくのは、やはり嬉しかった。

 そうして接客の仕事にも徐々に慣れて、仕事をすることにも喜びを感じてきた頃、何十回も聞いた扉が開く音に顔を上げると、あの人達がいた。


「うーっす、戻ったぞ」

「あ、アドレさん。えっと、お帰りなさい」

「お、レイラ。頑張ってるな。どうだ、慣れてきたか?」

「えーと、少しずつ。じゃあその……あっちの、空いてる席にどうぞ」

「わかった。ありがとな」


 見知った顔にもお客さんとして対応をすることが、少し気恥ずかしい。どうやったらフェニさん達みたいに、知り合いとも上手に対応できるのだろう。そういうところも、勉強しないといけないな。

 席に座った二人から食事の注文を取って、フェニさんに伝えて、出来上がった料理を運ぶ。ついさっき、お酒の注ぎ方も教えてもらった。まだ上手くできているのかもわからないけれど、笑顔で渡せば大抵誤魔化せるとの助言を頂いたので、その通りにやっている。笑顔もまだぎこちないので、その効果は薄いだろうが。


「お待たせしましたー」


 そう言いながら、アドレさんとカイさんに料理を提供する。今日はギーケイさん達が獲ってきた魚を使った、新鮮なお刺身が人気だった。このお店は比較的港に近い場所にある。だから、こういった新鮮な食材を提供できることが最大の強みで、人気の秘密らしい。部屋には泊まらず、料理だけ食べに来るお客さんもいるほどだ。私も味見として頂いたけれど、本当に美味しかった。


「レイラちゃん、あそこの三人にこれ持ってってくれる?」

「はい、わかりました」


 アドレさんも戻ってきて、お客さんの入りも落ち着いてきた頃。フェニさんに言われて、準備した定食を持っていく。流石に、両手にお盆は少し重たい。落とさないよう気をつけながら、目的の机まで慌てず、慎重に持っていく。


「お、お待たせしましたー、お刺身の定食が二つ、です。もう一つもすぐにお持ちしますね。後、こちらお茶になります」

「お、なんだなんだ。可愛い子じゃないか。新しく入ったのかな?」


 料理を渡すと、お客さんの一人にそう話しかけられた。彼らのテーブルには、既に半分近く中身の減ったグラスがいくつか。恐らく、これ一杯だけを飲んでいるわけではないのだろう。相当酔っているようだ。


「え、えと、はい。そう、です……」


 当たり障りのない言葉で適当に流す。それでも彼らはしつこくて、他にも次々と質問を被せてきた。


「その目はどうしたの? 生まれつき?」

「ね、この後時間あるかな」

「あ、あと、えと……」


 まさかお客さんからそんなことを言われるとは思わず、私は咄嗟に、なんと反応すればいいのかわからなくなってしまった。先日のこともあって、段々とこの男の人達のことが怖くなってくる。そんな風に私が困り果てていると、残りの料理を持ってきたフィキさんが、私を助けにきてくれた。


「はーい、こちら定食でーす。どうぞー」

「ん、ああ、はいはい」

「さ、レイラちゃん」

「は、はい。えと、ご、ごゆっくりどうぞ」


 強めに手を引っ張られて、その場から半ば強引に連れ出される。手は痛かったけど、それと同時に、凄くホッとした。


「あ、ありがとうございます、フィキさん。その、私、頭真っ白になっちゃって……」

「うんうん、わかるよ。私もそうなっちゃったことあるから。こう言っちゃあれだけど、ああいうのとはあんまり関わっちゃ駄目よ? 最初のひと言で上手くかわさないと。もっとこう、無関心を装って。流れ作業みたいに。そうしないと今みたいに話を続けられちゃって、そのうち手まで出してくるから」

「は、はい……」


 同じような経験があるという、フィキさんからのアドバイス。やっぱりお酒も提供する夜になると、悪質なセクハラとかもあるのだろうか。私が、女だから……。やっぱり、少し怖いな。

 先ほどのお客さんからの視線を感じながら、新しい教訓を胸に、私はお仕事を続けた。フィキさんやフェニさんを目当てに来る人もいると知ったのは、二人もさっきの私と同じように、男の人から話しかけられているのを見た時だった。

 そんな男性客とのトラブルと隣り合わせな仕事が終わるのは、私がいつも寝ていた時間より少し遅い。けれど、その時間になるとお客さんも少なくなり、仕事も二人だけでなんとかなるとのことなので、私だけお店が閉まるよりも早く上がらせてもらった。

 本当は最後までいたかったが、やれることが何もないのなら仕方ない。直接言われたわけではないけれど、要するに邪魔ということだ。そういうことで、私はアドレさん達の待つ自分の部屋に戻っていった。


「ええと、戻りました……」

「お、レイラ。お疲れ」


 これまでにない疲れと共に戻ってきた私を、アドレさんは暖かく迎えてくれた。私がベッドに座って髪を解くと、彼は待ちわびていたかのように、今日あったことを色々聞いてきた。私もアドレさんに聞いてもらいたくて、聞かれるがまま話していく。

 朝の仕事のことから、お昼はいったい何をしていたのか。夜の仕事はどうだったのか。それから、ついさっき起こったセクハラ一歩手前の被害のことも話した。


「へぇ、そんな馬鹿な奴がいたのか。命知らずだな」

「命知らずって……」


 彼は、私がまた昨日みたいに男達を撃退すると思っているのだろうか。あれは不慮の事故みたいなもので、私にも、もう一度できるかどうかもわからないのに……。


「それで、どうだ。朝はまだわからないって言ってたが、頑張れそうか?」

「は、はい、なんとか」


 色々大変なことばかりだが、別に今の状態のまま続けるわけじゃない。何日も仕事を繰り返していれば、自然に体力が付くだろうし、仕事の内容も段々覚えていけばいい。そうすれば少しずつ余裕も出てくるだろう。一番不安だったお客さんの反応も、想像していたほど酷くはなかった。お客さん達も概ね好意的に接してくれたし、大丈夫だ。

 ただ一つの問題は、先ほども話した魔法のことだ。折角働き始めたのに、これではフィキさんの負担を軽減できない。それだけは、今すぐには解決することができない問題だ。やはり魔法に関しては、練習あるのみ、なのだろうか。


「そうか。ならよかった。俺達が心配するようなことじゃなかったかもな」


 アドレさんが発した、ホッとしたような言葉。やっぱり、彼からしたら不安があったのだろうか。


「心配、ですか」

「ああ。昨日、お前が働くことにしたって言った時、本当に驚いたんだぞ。あんなことがあった直後で、いったい何を考えてるんだってな」


 そんな大袈裟に言わなくても……。居住まいを正したアドレさんの言葉に、私は心の中で呆れてしまった。

 私はただ、あの人達に恩返しがしたかっただけだ。前々からどこかで仕事をしたいという気持ちはあったし、その必要があるとも思っていた。少しでもお金が稼ぐことができれば、アドレさん達にもまた何か恩返しができるから。

 お金を貰う相手がフェニさんというのは、なんだか複雑な感じはするけど、それでも貰えるのなら貰っておきたい。


「でもお前、思ったよりもきちんとやってたからな。ほんとは、今日くらい大人しくしてろって反対したかったんだが……お前の考えを尊重してよかった。やっぱり、こっちから適当なことを押し付けるのはよくないよな」


 そう言うアドレさんは満足げに腕を組み、私のことを見ていた。その目線にはなんだか、いつもの優しさ以上のものが見受けられるような気がした。


「あ、ありがとう、ございます。色々、考えてくれて」

「いいって。これはお前の人生だ。俺らが口を出すようなことじゃない。でも、わからないことや不安なことがあったら、別に頼ってくれていいんだぞ。遠慮なんかするな。どんどん来い」

「え、あ、はい……」


 急にそんなことを言い出して、アドレさん、まるで私の父親みたい。でも、そうか。私はいつも申し訳なさが先に立って、遠慮してしまうけれど、少しくらいは、頼ったほうがいいのかもしれない。私にとっても、彼らにとっても。


「で、レイラ。明日も仕事、あるんだろ? そろそろ寝たほうがいいんじゃないか?」

「あ、そう、ですね。じゃあ、アドレさん、カイさん、おやすみなさい、です」


 二人に挨拶をして、私はベッドに入る。これまでにない疲労のおかげで、その日は、とても心地よく眠ることができた。


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