第五話 優しさと強さ
朝起きて、着替えて、髪を梳かして、朝ご飯を食べて、海を見に行く。お昼前に戻ってきて、お昼ご飯を食べて、また海を見に行く。日が落ちる前に戻ってきて、晩ご飯を食べて、軽く体を拭いて、着替えて、眠る。
月日は、そんなことを繰り返しているうちに過ぎていった。
私の名前が決まったあの日は結局、あの崖まで行ってきた二人からは、何の情報も得られなかった。私のものらしい足跡が森から続いていただけで、他に生き物の痕跡は何もなかったそうだ。
自分の名前がわかっただけで、それからは何の進歩もない。一応、毎日自分なりに記憶を探ろうとしているけれど、相変わらず何も思い出すことができなかった。まあ、元々記憶はまっさらなのだから、そこから新しい何かが拾えるはずもない。当然といえば、当然の結果なのかもしれない。
それから、私も、流石に毎日ずっと海を見ていることはやめて、時間のある時はフェニさんから色んな話を聞かせてもらった。この町のこと。彼女自身のこと。家族のこと。それから、魔法の使い方ももう一度教えてもらって、何回か練習してみた。けれど、やはり私には魔法を使うことができなかった。
フェニさんによると、元から魔法が得意でない種族の人達は、小さい頃から何年も何年も練習してようやく、魔法を修得するらしい。エルフの中にも魔法が不得意な人はいるそうだから、私もこれから何年か頑張っていれば、きっと使えるようになるとのこと。でも、エルフの私がいくらやっても何の進展もないなんて、やはりおかしいのではないか。
そんな悩みをアドレさんに相談してみると、彼は、
「はぁ? 魔法が使えない? 別にそんなことで悩まなくたってもいいじゃないか。魔法なんか使えなくても、別に困ることはないんだし。現に俺はまったく使えないが、全然困ってない。そりゃもう、なんにも。人間は全部、自分の体一つで生きていけるんだ」
などと言って、私の肩を大袈裟に叩いた。凄く、痛かった。その時彼はお酒を飲んでいたので、その言葉にあまり信憑性はないが、彼なりに励ましてくれたのだろうと思うことにした。どちらにしろ、私は相談する相手を間違えたような気がしていた。
またある日は、フェニさんの夫であるギーケイさんと、二人の息子でフィキさんの兄の、ゲーニィさんに会った。
ギーケイさんは漁師をしていて、一度海に出ると数日間は帰ってこないらしい。帰ってきたとしてもまたすぐ船に戻ってしまうので、夜中に帰ってひと眠りしたら再び仕事、ということが多いようだ。けれどその時は二週間に一度の長い休みで、私も会うことができた。
ギーケイさんは中々豪快な人で、大きくてよく通る太い声と、真っ黒に日焼けした筋肉隆々の肉体が印象的だった。頭に汗と海水の染み込んだタオルを巻いて、海のことならなんでも知っている。
ゲーニィさんはそんな父親に師事していて、将来は父親の後を継ぐのだと言っていた。半分エルフの彼はギーケイさんほどの肉体は持ち合わせていなかったが、それでも父親と同じように、たくましさに溢れた人だった。
「ほう、記憶喪失かぁ。そりゃあ大変なことになったな」
私の事情を説明すると、ギーケイさんは真剣な表情でそう言った。彼もフェニさんと同じように、私のことを本気で心配してくれているのだ。
「ええ。今はあいつらが親御さんを探してくれているんだけど、中々捕まらなくて。こっちはこの子の記憶が戻るように、少しずつ手助けをしているって感じなのよ」
「そうなのか。すまんなぁ、俺らは何の役にも立てなくて。最近はいつも以上に大漁で、絶好の稼ぎ時なんよ」
彼らにも仕事があるのだから、それは仕方のないことだ。私の勝手な事情を無理に割り込ませて、迷惑をかけるわけにはいかない。
「いえ。別に、私は大丈夫ですから。フェニさん達にも、その、色々とお世話になっていますし……」
「おや、礼儀がいいね。うちの妹とは全然違う」
私の言葉に、ゲーニィさんがそう言って、カウンターに肘を付いていたフィキさんをチラリと見やった。彼は漁師を目指している割には、少し物静かな印象を受ける。けれど毎日海に出ているからなのか、顔はしっかり日に焼けていた。
「む、お兄ちゃん、今私のこと馬鹿にしたでしょ」
「さあ、どうだろうね」
お昼前の人が少ない時間帯。その日はちょうどシーリング家の面々が全員揃っていたので、結構賑やかだった。
「とにかく、このまま家族や知り合いが見つからなかったら、うちで引き取ろうかとも考えているんだけど、いいかしら」
「おお、いいぞいいぞ。俺は構わん。その子にとってもそれが一番だろう」
突然の話に、私は驚いた。引き取るなんて、フェニさん、そんなことまで考えて……。
「えっ! そんな。そんなに簡単に決めちゃっていいんですか? その、お金とか、色々……」
「そんなの関係ないわよ。私達があなたの家族になってあげたいの。それだけで十分だわ」
「あー、そんなに気になるのなら一応言っておくが、うちは貯金も稼ぎも普通にあるから、そんな気にしなくていいぞ」
ギーケイさんがそう説明してくれたが、それでも、ただ与えてもらうだけというのも良くない気がする。私も何か、この人達の役に立つことができればいいんだけど……。
そんな私の気持ちを察してくれたのは、ゲーニィさんだった。
「そんなに気になるのなら、君もここで働けばいいんだよ。ほら、ここは母さんとフィキの二人だけでやってるから、時々手伝いが欲しいって言ってるじゃないか」
「あ、いいねそれ。私もレイラちゃんと一緒に働きたいなー」
彼の何気ない言葉に、フィキさんが無邪気に同調する。
「え? その、えっと……」
私の理解が追いつかないうちに、どんどん話が進んでしまっていた。
私が働くって? ここで、フェニさん達と一緒に?
「まあまあ、まだ決まったわけじゃないわ。決めるのはレイラちゃん自身よ。で、どう? 私達でよければ、喜んで家族になるけど」
「それは……」
それは、本当にありがたい申し出だった。家族のいない私のために、新しい家族になってくれるなんて。今まで色々なことをしてもらってきたけれど、そのどれよりも嬉しい話だ。でも……。
「その……少し、考えされてもらっても、いいですか」
まだどこかに本当の家族がいるのかもしれないと思うと、この場で即答することは、どうしてもできなかった。
私を受け入れようとしてくれた家族全員に、残念そうな顔をされるのはとても辛い。でも、こればかりは譲れないことなのだ。私の家族のことがわかるまで、正式な家族になってもらうのは、やはり気が引けてしまう。
「……そうね。難しい話だものね。じゃ、よく考えて決めたら、いつでも教えてちょうだい。歓迎するわ」
ここで答えを出さなかった私に、フェニさんはいつまでも待つと言ってくれた。
「おう、俺らは中々会うことはできないけど、待ってるぞ」
「今から可愛い妹が増えるのが楽しみだよ」
ギーケイさんもゲーニィさんも、私の気持ちを尊重してくれた。当然、今までずっと一緒にいたフィキさんも。
「それ私が可愛くないって言いたいんでしょ。あ、もちろん私も歓迎するからね」
「あ、ありがとうございます。みなさん。その、本当に、ありがとう、ございます……」
頭を下げる私に、笑顔を向けてくれるシーリング家の方々。この人達はみんな、私のことを本気で気にかけて、できる限りのことをしてくれている。だからこそ、今この場で答えを出せないことが、本当に申し訳なかった。
◇ ◇ ◇ ◇
そんなことがあった翌日、私が目を覚ますと、外はまだ薄暗かった。どうやら、今日はいつもより早い時間に起きてしまったようだ。
ボーっとしたまま視線を横に向けると、隣のベッドは既に空っぽ。いつも通り、男性二人の姿はどこにもない。
……いつも思うけれど、こんな朝早くから何してるんだろう、あの人達は。まだ外は暗いのに。もしかして、朝一番に散歩でもしてるのかな。
疑問に思いながら起き上がると、無意識のうちに大きな欠伸を一つ。やはり体はまだまだ寝足りないらしい。はぁ、もう、どうしてこんな時間に起きちゃったんだろう。まだ眠たい、のに……。
二度寝してしまおうかと毛布に手を掛けた時、どこからか、まるで金属を打ち付けるような、カンッ、カンッ、という高い音が聞こえてきた。次いで、地面に何かが倒れるような重たい音と、よく聞き慣れた男性の声。
「もっと気合い入れろ! そんなんで、この俺を超えられると思ってんのか」
アドレさんの声だ。こんな時間にいったい何をしているのだろう? 気になって、開けっ放しだった窓から首を覗かせる。
いつもは洗濯物が干してある庭で、同じ部屋の二人が鞘に入ったままの剣を使い、戦っていた。
「もう一度だ。来い!」
「……くっ!」
地面に倒れていたカイさんが、アドレさんに怒鳴られて立ち上がる。彼は落とした剣を拾い上げて構えると、小さな掛け声と共にアドレさんに突っ込んでいった。
「……ふっ!」
「らぁ!」
一瞬残像の残るほどのスピードで動く二人の体。次いで、カンッ、と再び鉄のぶつかる音。目にも留まらぬ速さでの突撃だ。
それは一度だけに留まらず、その後二人は何度も何度も剣をぶつけ合う。右から、左から、上から、下から。鋭い突きと、足払い。絶妙なタイミングで巧みな技を繰り出す。
何度も続けられる攻防の後、カイさんの動きがほんの少し遅れたかと思ったその時、彼の体は、また地面に転がっていた。
「チッ……くそっ」
「ふん、今日はここまでだな」
息を切らして寝転がるカイさんに、アドレさんが冷たく言い放つ。そこでようやく、私は無意識のうちに止めていた呼吸を再開した。大きく息を吸い込み、唾を飲み込む。
……剣の練習、なのだろうか。二人とも、普段とは気迫がまったく違った。特にアドレさんなんか、いつもの優しい表情は欠片もない。ちょっと、怖いくらいだ。
そんな激しい鍛錬を終えた二人は、側の物干し竿に引っかけてあったタオルで汗を拭き、お店の中に入っていく。
その様子を見送った私は急いで着替えを済ませて、下の階に向かった。今見たことについて、二人から話を聞きたかったから。
「あら、おはようレイラちゃん。今日は早いわね」
「おはようございます、フェニさん。……と、アドレさん、カイさん」
「おう、おはようレイラ」
食堂には、食事の準備をしているフェニさんと、先ほどまで外で剣を振っていた二人の姿。案の定、二人とも汗だくだった。お店の中に入って、ようやくひと息ついたところのようだ。
「どうしたんだ? 今日はやけに早起きだが」
「あ、その……なんかちょっと、目が覚めちゃったんです」
そう答えながら二人が座っていたテーブル席にご一緒して、さっき見た修行のことを聞いてみる。男の人のにおいで少しむわっとしたけど、これくらいは別に気にならない。
「ええと、お疲れ様、です。修行、ですか?」
「ん、見てたのか。まあ、そんなところだ」
コップに注がれた水を一気に飲み干してから、アドレさんは私の質問に答えた。
「毎日、やってるんですか?」
「まあな。こいつが俺に追い付きたいとほざくから、付き合ってやってるんだ」
乱暴な言葉と共に指を差されて、居心地悪そうにそっぽを向くカイさん。
へぇ、そうなんだ。あの人がそんなことを……見かけによらず、向上心があるみたいだ。
「……お二人とも、凄かったですよ。その、なんていうか、えっと……」
そこから先は、なぜか上手く言葉にできなかった。あの時感じたものをなんと表現すればいいのか、わからない。でもなんとなく、感覚的にだけど、二人の力量と鍛錬の激しさがわかった。
「えっと、その……す、凄かった、です」
でも、いくら考えてもしっくりくる言葉が思い浮かばず、結局簡単な言葉にまとめてしまう。出来上がったのは子供っぽい感想で、まるで私の頭が悪いみたい。そんな私にアドレさんは柔らかく微笑んで、
「そっか。まあ確かに、他の奴よりは見応えがあったかもな。俺らは一応、それなりに強いはずだし。な、カイ?」
「……チッ、嫌味か」
師のわざとらしい振りに、とても不機嫌そうに返答するカイさん。彼は私が近くにいるだけでも少し機嫌が悪いのに、そんなわざわざらに怒らせるような真似をしなくても……。
そうは思っても口に出す勇気はなかったので、結局場の雰囲気に任せることしかできない。ここまでくると、もう流れは大体決まっている。
「そう思うんなら、少しは強くなるんだな」
「……チッ」
アドレさんにそう言われると、カイさんは機嫌の悪さを隠そうともせず、ついに背中を向けてしまった。朝からやけに舌打ちが多い人だ。こうなってしまうと、彼はもう空気みたいに何も喋らなくなってしまう。カイさんのこういう子供っぽいところが、彼の人間らしさを感じられる数少ない機会だった。
「あ、そうだレイラ。お前は今日、何か予定あるのか? 今日も海を見に行くとか?」
話の流れを変えようと思ったのか、アドレさんが急に、そんなことを尋ねてきた。
「え? あー、はい。そうですね。そのつもり、でしたけど……」
そう答えると、彼はなんだか複雑そうな表情で、
「そうなのか。いや、たまには別の場所にも行ってみればいいんじゃないかと思ったんだが、余計なお節介だったか」
「い、いえ! そんなことは……」
咄嗟に否定したものの、私はアドレさんの言葉通り、海以外の場所に行くつもりはなかった。他の場所にまったく興味がないわけではない。でも私は、人の多い所が少し苦手だった。なぜかはわからない。けれど、私があの岩場をよく訪れるようになったのは、その人混みへの忌避感からでもあった。
「なんだったら、俺が案内してやろうか? 綺麗な海もいいが、この町には他にもいい所があるからな。時間はいくらでも作ってやるぞ」
「それは、ええと……考えて、おきます」
それはとても嬉しい話だったけど、今日のところは、一人がよかった。一人で色々、考えたいことがあったから。
「そうか。じゃあ、またその気になったら教えてくれ。俺はいつでも空いてるから」
「はい。ありがとうございます」
その後、彼らと一緒に朝食を済ませた私は、アドレさんに話した通り、海を見に行った。
もはや定位置となった岩に腰掛けると、波の音が少し大きく聞こえる。美しいというか、清々しいというか。束の間心奪われる、絶え間のない清らかなリズム。
フェニさんにお話を聞くのも、アドレさんに連れられて町を歩くのも、決して嫌なわけではない。でもやっぱり、今はこうしていたい。これで寂しさが紛れることはないけど、少なくとも一瞬、嫌なことを忘れることができる。そして、この後に頭を使うと、すっきりとした気持ちで物事を考えることができるのだ。
「すぅー……ふぅ」
一度深呼吸をして、気持ちを切り替える。今日は、考えるべきことが沢山あった。
昨日提案された家族のこと。お仕事のこと。それから、今朝見た二人の鍛錬のこと。特に最後の一つに関しては、わからないことがいっぱいだった。
……どうして私は、彼らの動きをあんなにはっきり捉えることができたのだろう。あの時、二人は目にも留まらぬ速さで次々と攻撃を繰り出していた。それなのに、私は二人の動きをきちんと目で追っていたし、彼らが何をしたいのかも、理解できていた。
目を閉じれば、あの時のことが完璧にイメージできる。振られた剣の角度、力の加減、足運び、視線。行動の前触れとなるほんのわずかな筋肉の動きと、そこから予測できる次の行動と、さらにその次の行動。そこに隠れた二人の意図までも、まるで周りの世界が遅くなったみたいに、すべて手に取るようにわかる。わかって、しまった。
それから、疑問点はもう一つ。彼らの鍛錬を見ている時に抱いた、おかしな感覚のこと。
あの時、私はなんだか……そう。私はあの二人のことが、とても、羨ましかった?
これまで知りもしなかった感情を抱いている自分に気付いて、私は、自分のことがさらにわからなくなってしまった。どうして私は、あんな危なっかしいことに魅力を感じているのだろう? 剣なんて、戦いなんて、決して良いものじゃないはずなのに。
どれだけ考えても、その理由はわからない。だけどそれは、私はいったい何者だったのかという、大きな謎に繋がる疑問のような気がした。
それから、答えのない数々の疑問に頭を使って、数時間。気が付くと、太陽は既に私の頭上を通り過ぎていた。
……そろそろ、戻らないと。今日は少し遅くなってしまった。
急いで岩から腰を上げる。その時、思い出したようにお腹が鳴った。今は周りに人がいないからよかったけど、ちょっとだけ恥ずかしい。
フードを被り直しながら振り返ると、この町で灯台の次に高い建物が目に入る。町の中心にあるという、十数階建ての高い塔だ。あの下には騎士団の詰め所や町役場があって、町の決まりごととか、治安の維持とか、そういった町に住む人達の生活に関わる大切な仕事をしているらしい。実際に行ってみたことはないけれど、どういう所なのか少し気になる。
そんなことを考えて、ふと、今朝アドレさんに言われたことを思い出した。
――たまには、別の場所にも行ってみればいいんじゃないか。
……折角の話だし、お願い、してみようかな。
アドレさんの提案を受けることにした私は、ひとまず宿屋へ戻ろうと、朝来た道を戻り始めた。
お昼も過ぎたこの時間はあまり人が通らないのか、道は結構空いていた。いつもとは違う雰囲気の町。こういうのも、なんだか新鮮な感じがする。
……そうだ。たまにはこうして、少し時間帯をずらしてみるのもいいかもしれない。違う場所に行くというのもいいけれど、違う時間に同じ場所に行っても、今みたいに違う雰囲気が味わえるかもしれない。
そんな想像をすることが楽しくて、少し気分が良くなっている時だった。
突然、目の前に立ちふさがる黒い影。
「え、むぐっ……!!」
えっ……? な、何が……。
覆いかぶさるように現れた人影に、そのまま強い力でグイッと引っ張られる。何者かに口を塞がれたと気付いた時には、私は狭い路地の中にズルズルと引きずり込まれていた。
何、誰。やだ、痛い、放して!
ゴツゴツした大きな手が、口に張り付いている。退けようとしても、私の非力な腕力では到底敵わない。息苦しさにもがけば、それよりも強い力で押さえ込まれる。思わず漏れた悲鳴は、喉の奥でくぐもった音になった。
「んぅ~!!」
「ああ、もう。暴れんなって」
すぐ耳元で聞こえた、知らない男の声。そこでようやく、自分が四人の男性に取り囲まれていることに気付いた。私よりも背が高くて、いかにも筋肉のありそうな体つきの人間と獣人。
この人達はきっと、私なんかよりも、力が強い。
それがわかってしまった時、私は、底知れない恐怖を覚えた。何をしても絶対に勝てないという現実を、理解してしまったから。
「よーし、誰にも見られてねぇな?」
「とっとと運んじまおう。ほら、放すなよ」
「ぅん、ん……っ!」
うぅ、このっ、離してよっ!
それでも諦めずに抵抗するが、抵抗らしい抵抗もできないまま、路地の奥まで引きずられてしまう。
このままじゃ、この人達のいいように扱われる。嫌だ。そんなのは、絶対に嫌!
「邪魔だな、これ。隠してないで顔見せろよ」
「んっ!」
男の一人がそう言って、被っていたフードを無造作に剥ぎ取った。あ、やだ、それは……。
「お、エルフか。可愛い顔してるねぇ、楽しめそうじゃん」
珍しくもないはずなのに、男は私の耳を触って喜ぶ。その不快感に身じろぎするが、一向にやめてくれない。自分で触った時には少しくすぐったく感じていたけれど、今はただ不快でしかなかった。
「なんだぁ? こいつ、気持ち悪ぃ目してんな」
「すっげー。初めて見たぜ、こんなの。珍しい、のか?」
「知るかよ、そんなこと。俺に聞くな」
ああ……こういうことを言われたくないから、隠していたのに。どうして、こんな……。
他人に言われて認識する、この瞳の不気味さ。心に突き刺さる嫌な言葉。恐怖と嫌悪感に涙がにじむ。
「早くしろお前ら。俺は早く楽しみたいんだよ」
そう言って、正面にいた男が手を伸ばし、私の胸を乱暴に触ってくる。その不快な感触に、この男達が私に何をしたいのか、嫌でもわかってしまった。
「ぃっ……!」
嫌、痛いっ。なんで、どうして私が、こんな目に。
「ぐっ、むぅ~!」
どうして、こんなことに。私、まだ、自分が何者かすらわかっていないのに。知らない男に無理矢理なんて、絶対に嫌だ。嫌、なのにっ……。
まだ動かせる足をバタバタさせ、なんとかこの手を振り解こうとする。せめて声が出せれば、誰かが……。
「うお、あっぶね。だから抵抗すんなって言ってるだろ。おい、なんとかしろ」
「へいへい。ほら、そんなに嫌がらなくても、俺達と遊んでくれるだけでいいんだから。暴れるんなら、ちょーっと痛い目、見てもらうことになるぞ?」
「んっ……!」
ニヤついた口から出てくる、わざとらしい脅し文句。視界の端で銀色の何かが煌き、頬に金属特有の冷たい感触。これは、まさか、ナイフ?
ペチペチと頬を叩く、彼らの言葉よりも鋭い鋼鉄の刃。それに刺された時の痛みを想像してしまい、体が動かなくなる。
痛いのは、嫌だ。でも、この人達に乱暴されるのも嫌。そんな、どうしたら……。
「よしよし、そのまま大人しくしてろよ? 家には帰してやるからさ」
「ああ、だから心配すんな。約束は、守るさ」
これまで私と会った人達は絶対に見せなかった、下心に満ちたいやらしい笑み。ただただ不快で、気持ちが悪い。悲鳴が喉に詰まる。
嫌、怖い。息が苦しい。誰か、助けてっ……。
これから辿るであろう自分の運命を想像して、せめて目だけは背けていようと、瞼をギュッと瞑ったその時。
――不意に、体から力が抜けた。
「……なんだ? 気絶しちまったのか? 面白くねぇなぁ」
「いいじゃねえか。眠らせる手間が省けたんだし。魔力の節約になる」
私が恐怖に耐えられなかったと見て、油断する男達。でも、彼らの言葉は間違いだ。私の意識は、感覚は、いつもよりはっきりしていた。
目を閉じたままの私は、その隙だらけの行動を見逃さず、ナイフを持った男の手首を掴み、捻る。
「んぎっ……!」
突然の痛みに怯む男。その一瞬を突いて、すかさずナイフを奪う。目を開くと、男の表情は苦痛に歪んでいた。塞がれたままの自分の口元が、ニヤリと歪むのがわかる。
間髪入れずに、背後の男の脇腹にナイフを突き刺す。
「ガハッ、いてぇ!」
男の悲鳴が耳元に響く。口を押さえる腕の力が一瞬だけ強くなるが、その後少し拘束が緩む。手に伝わる生温かい感触を確かめて、私は次の行動に移った。
思いっきり腕を振って男の腕から逃れると、正面の男の懐に潜り込み、腹部を一刺し。呆気に取られているもう一人の男にも、同じように一刺し。
ナイフが肉にめり込む感触が、両手に、腕に、体に伝わってくる。
ああ、たまらない。無意識のうちに頬が緩んでいた。鉄が錆びたような独特のにおいが周囲を満たす。それが鼻から入ってくるたびに、頭の中に心地良さが広がっていく。
……ああ、これ。とても、いい匂い……。
大人の男三人が順々に倒れ、痛い痛いと呻きながら傷口を押さえる。凄く滑稽な姿。とても無様な姿。私を脅していた時とは大違いの彼らの態度に、私は、とても興奮していた。
クルクルとナイフを手の中で回し、弄ぶ。
……ああ、いい。凄く、凄く楽しい。
これまで経験したことがないくらいの悦楽に、私の中の何かが満たされていく。この時の私は多分、とてもいい笑顔を浮かべていたのだろう。だけど、まだ足りない。満足できない。でも、大丈夫だ。まだ、獲物は一人残っている。
「ひ……! こ、この、化け物め……!」
私が一歩近付くと、残った男は後ろに下がろうとして足を絡れさせ、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
……化け物? そうか。確かに今の私には、その言葉がぴったりだ。
彼はなおも逃げようとするが、それが間に合わないとみた途端、彼は無意味な口上を並べ立て始める。
「や、やめろ、やめてくれ。わ、悪かった。俺が、俺達が悪かったから……! も、もう乱暴なんてしないから……!!」
ふふふっ……ああ、なんて無様なのだろう。さっきまではあんなに威圧的な態度を取っていたのに、相手が強いとわかった途端、これほどまでに対応を変えるなんて。人というのは、なんて小さい生き物なんだ。
追い詰めるように近付きながら、男達の血に塗れたナイフを逆手に持ち替え、ゆっくりと頭上に振り上げる。
息が上がっているのは、急な運動による疲れからか、それとも、この行為による興奮からか。
……そんなことは、どっちでもいい。今は、一刻も早く、こいつを――。
「ひぃっ……!!」
そして、全身の体重を掛けてナイフを振り下ろそうとした刹那――。
後ろから何者かに、強い力で手首を掴まれた。