第四十話 初めての手紙
……よし。やるぞ。
覚悟を決めた私は、手に持った羽ペンの先にインクを付け、この日のために購入した便箋に文字を書き連ねていった。
一文字一文字丁寧に、気持ちを込めて。この瞬間のために、私はコバリィ先生の元で文字を勉強してきた。字を教わった目的である、フェニさん達への手紙。それがもうすぐ、達成できる。
今私が握っているのはいつもの鉛筆ではなく、先生に貸してもらった羽ペン。もちろん、間違えたら消しゴムで消す、なんてことはできない。やり直しが効かないという状況が怖い。でも、怖がっていては何も書けない。恐怖を克服し、何回も練習した文章をゆっくり書いていく。
ペン先が震えないように努力して、でも、失敗を恐れず、いつも通りの字を書くことを心掛けて。緊張しているせいか、時間が経つのが遅く感じる。
……よ、よし。これで、本文は終わった。後は、結びに自分の名前を書いて。最後に、封筒に住所……はわからないから、町とお店の名前を書いて……。
「……よし、書けました」
完成した文章を二回読み直して、ミスがないことを確認。私は書きあがった手紙を先生に見せた。
初めて書いた手紙の内容を見られるのは少し恥ずかしかったけれど、先生ならば読まれても大丈夫だと思い、我慢する。それに、一度誰かに確認してもらったほうが安心できる。
「どれどれ……。うむ、綺麗に書けておるな。ばっちりじゃ。練習した成果が出ておる。これだけ上手な字が書ければ、この先困ることはないじゃろう」
「本当ですか!? ありがとうございます」
褒められた私は、嬉しくなると同時にホッとした。今までの努力と、机の上に散らかっている練習用紙が報われた。これでようやく、この町に来た目的が達成された。
手紙を返してきた先生が、緊張から解放された手首をさする私に言う。
「では、後はこの手紙を郵便局に出してくるだけじゃな」
「あ、そ、そうでしたね」
念願だった手紙が完成したことに喜びすぎて、肝心なことを忘れていた。手紙は出さなければ届かない。
「あの、そう言えば、手紙ってどうやって出すんですか?」
手紙を出す直前になって、私は手紙の出し方を知らないことに気付いた。これがわからないと、手紙をフェニさん達に届けることができない。今更ながら先生に尋ねる。
「お? そうか、まだ教えていなかったな」
私の常識的な質問に、先生はいつも通り丁寧に答えてくれた。
「手紙は町中に設置されている郵便箱に入れるか、郵便局に行けばよい。郵便箱は学校にも設置されておるが、郵便局が西の大通り沿いにあるから、直接出しに行ってみてもいいじゃろう」
「そうなんですか。わかりました。帰りに行ってきます」
「うむ。それがいいじゃろう」
手紙を出すのは思ったよりも簡単そうだった。郵便箱というのは、私も町で何回か見たことがある。その辺の道に設置されている小さな箱のことだ。学校からの帰り道にもあったはず。でも、私は郵便局がどんな場所なのか気になったので、直接そっちに行ってみることにした。
私が郵便局の存在を知ったところで、先生が話題を次に進める。
「さて、お主がここを発つのは明日じゃったな。これが最後の授業になるか。時間が経つのは早いものじゃ」
「そう、ですね。本当に、あっという間でした」
コバリィ先生には、本当に沢山のことを教えてもらった。手紙を書くために文字の読み書きを習い、先生の得意分野である歴史を習い、結局使えないままだったけど、魔法と魔術について習い。その他にも、世間一般的に常識と言われることについて教えてもらった。
先生のおかげで、今まで時々感じていた周囲との認識の齟齬や、自分だけ取り残されているような感覚がなくなった。今まで、こんなことも知らない自分はやっぱり変なんじゃないかと不安に思うことが多かったけど、そういう場面も随分と減った。
最初にここに来た時は、学校で勉強するということに嫌な気持ちを抱いていた。でも、師匠にコバリィ先生を紹介してもらって、色々教えてもらううち、そんな苦手意識もいつの間にか消えていた。それどころか、逆に勉強が楽しくなった。勉強の楽しさを教えてくれたコバリィ先生には、とても感謝している。
「明日から授業がないなんて思うと、なんだか寂しいです。結構、楽しかったので」
「そうか。そう言ってもらえると、わしも嬉しい。教えた甲斐があったというものじゃ」
その気持ちを伝えると、先生は笑った。私も笑顔を返して、今日の授業内容について尋ねた。学校最終日とはいえ、まだ一日は始まったばかり。今日の授業はこれからだ。
「それで、今日は何を教えてくれるんですか?」
「うむ。今日が最後の授業じゃから、お主の知りたいことを、といきたいのじゃが、アドレから一つ、教えておいてくれと頼まれたことがあってな。それを教えるとしよう」
「わかりました。お願いします」
師匠からのお願いされていたこと? どんなことだろう。
「さて、レイラ。この国の名前、憶えておるか?」
「あ、はい。確か、エインノーム連合王国、ですよね」
最後の授業にワクワクしながら、先生の問いに答える。
唐突に尋ねられたのは、私達が住んでいるこの国の名前だった。これは前にフェニさんに教えてもらった。歴史の授業の時に先生の口からも聞いたので、覚えている。けれどもなぜ、そんなことを聞かれたのだろうか。
「あの、それが何か……?」
「お主は今まで、その名前の意味を考えたことがあるか?」
「え、名前の意味ですか。うーん、ない、ですね……」
そもそも、国の名前に意味があるということを知らなかった。正直にないと答える。
「では、一つずつ説明していこう。まず『エインノーム』というのは、我々が今いる大陸の名前じゃ。この地図を見よ」
先生は黒板に巻物を張り付けた。以前も見せてもらったこの国の地図だ。
四角形の紙の真ん中にある大きな島。これが、私達がいる国、エインノーム連合王国の形だ。
島は横に長く、その形は人の手に例えることができる。指を閉じて指先を右に向ければ、似たような形になるだろう。手首にあたる左の方は、不自然なくらい綺麗で緩やかな円弧を描いている。私が最初にいた町、アケルは、この円弧のちょうど下の端にある。南西の端っこだ。視線を上にずらし、円弧の反対側の端に注目すると、そこは海の上になっていたが、大陸の円弧に沿うように小さな島が連なっている。いつ見ても、人工的な何かを感じる配列だ。自然な地形とはとても思えない。
再び大陸に目を戻す。大陸の地図は植生によって色分けされていて、森を表す緑と草原を表す黄緑が多くを占めている。だが、かつて訪れたフィーンの辺りは砂漠を示す黄色で、リアセラムより東側の一帯は、岩山を示す灰色が大陸を斜めに縦断し、大地を東西に切りに分けている。
私が今いるキアリアは内陸部にあり、紙の中心近くの、緑と黄緑色の境目付近にある。この国の首都である王都は、そこから右上、北東に進んだ辺り。同じく黄緑色の中だ。この草原が多い辺りには、他にもたくさんの町がある。平地も多いようなので、人が住みやすい地域なのだろう。
「これは前にも見せたな。この大きな島、大陸の名前が、エインノーム大陸というのじゃ。国の名前はそこから来ておる」
「なる、ほど」
地図から視線を外して、先生の説明を聞く。エインノーム連合王国は、このエインノーム大陸全土を治めている巨大な国だ。国と大陸の名前が一緒なので、そのことがよく伝わってくる。
「次の『連合』というのは、前に説明した五つの国が集まっているという意味じゃ。大陸の名を冠しているのも、どこか特定の国が代表になったわけではないということを表すためじゃな。もう既にある国の名前を付けてしまうと、それだけで喧嘩になりかねんから。そうして融合した五つの国は、月日の流れと共に消えてしまい、現在の連合王国に至るのじゃ」
「あ、そうなんですか。喧嘩防止に大陸の名前を使って……」
中々興味深い話だ。確か今の連合王国は、互いに争い合っていた五つの国が疲弊して、挙句にくっついた、という生い立ちだったはず。そうして国が一つになった後、それまで争い合っていた昔の国は、そのまま疲れ切って消えてしまった。そんな感じなのだろう。
「では最後。『王国』という言葉が意味することは、何じゃと思う?」
最後の言葉の意味は、質問形式になった。急に飛んできた問いに戸惑うが、自分の意見をしっかりと答える。
「え、あ。ええと。それはつまり、王様が国を統治している、ってことですか」
そう答えた私の頭の中には、煌びやかな衣装と輝く金の王冠を被った人物の姿が浮かんでいた。顔はわからないが、そのいかにも王様だという豪勢な姿に、私はあまり、良い印象を抱けなかった。
満足げに頷く先生が話を続ける。
「その通りじゃ。この連合王国にはお主の言った通り、王がいる。今回の授業は、その王政制度について勉強するとしよう」
「王政制度、ですか」
ようやく話の流れを理解する。つまり、今までの話はただの前振りだったのだ。
「では、始めるとしようか。まずは現在の王についての話からじゃ」
「わ、わかりました。お願いします」
そうして始まった今日の本題、授業内容は、王が執り行う政治の話や、今の王様の名前、その家族のことなどだった。今までと同じように、先生から丁寧に教えてもらった。
これが最後の授業だからなのか、コバリィ先生はやけに張り切っていた。あまり関係のなさそうな王家の歴史なども、非常に詳しく、そして小難しく話していた。普段と違ってメモを取るように言われたし、その内容もチェックされた。先生の話はわかりやすいのだが、ノートを取るのは大変だし、本当に面倒臭い。私が嫌っていた学校そのものだ。
そんないかにも学校らしい授業を終え、お昼の休憩を挟んだ午後。
「さて。ここからは趣向を変えようか。旅をしているお主はいずれ、この国の首都、王都サメリルにも行くことになるじゃろう。そこで王族の方々に出会ったときのために、礼儀作法を少々練習しておこうか」
「え、礼儀作法、ですか。あの、そんなことまでやる必要があるんですか? 私、王様に合う予定なんて……」
「まあまあまあ。気持ちはわかるが、これもアドレから頼まれておるのじゃ。我慢せい」
「えぇ……」
不満はあったが、これで最後なのだからと我慢する。
それから私は、正式なお辞儀の仕方や略式のお辞儀の仕方、言葉遣いの注意、会席の作法などをたっぷりと仕込まれた。午前の授業で新しい知識を大量に詰め込まれたせいで疲れていたが、コバリィ先生は容赦がなかった。
跪く時の姿勢。顔を下げる角度。体を動かしたり動かさなかったり。指先の動き、表情、視線といった細かな項目までも厳格にチェックされ、気が滅入りそうだった。
それでもなんとかやり切った私は、全身疲れ切って、この日の授業を終えたのだった。
「うむ。よろしい。これで今日の授業は終わりじゃ。ご苦労じゃったな」
「ああぁ……ようやく、ですか……。もう外暗いですよ……」
疲れた……完全に、気を抜いていた。まさか、最後にこんな大物が用意されていたなんて。最後なんだからきっと楽しい授業をしてくれると、先生を信じていたのに……。
裏切られたような気持で、机の上に体を投げ出す。動作の練習をするために片付けられていた机と椅子は、先生の魔術によってたちまち元通りになった。
「ほほ。これも必要なことじゃ。それに、たまにはこういう授業もせんとな」
「たまにって……もう最後じゃないですか」
「最後じゃから、じゃよ。最初からこんな厳しくしていたら、お主はわしに付いてこなかったじゃろう」
「それは、そうかもですけど……」
確かに先生の言う通りだ。先生の授業計画は、私が興味を持ちやすいように作られていた。おかげで私は勉強が好きになった。だから、不満をぶつける相手は先生じゃない。これを私に教えるよう依頼した師匠だ。
「さ、そろそろ帰る時間じゃな」
「……そう、ですね」
先生に言われて、疲れた体を頑張って起こす。確かにもう帰らないといけない。荷物をまとめて、帰る準備をする。
「手紙を忘れずにな。それから、今日の授業で書いたこれも、持っていくんじゃ。必ず役に立つはずじゃ」
「あ、はい。ありがとうございます」
手紙と授業のノートを受け取る。両方とも、大切な今日の成果だ。
あ、そういえば、手紙を出すのを忘れてた。……もう外も暗いし、今日はもうやめておこうかな。明日、出発の前に少し時間を取って、手紙を出しに行けばいい。
立ち上がり、椅子の位置を整える。一ヶ月使ってきたこの机とも、この教室とも、いよいよ今日でお別れだ。
「ではな、レイラ。またこの町に来ることがあったら、挨拶くらいはしておくれ」
「はい。もちろんです。この間の四人と、カーネル先生にもよろしく伝えてください。あ、そうだ。落ち着いたら、手紙、書きます。折角文字を教えてもらったんですし」
「おお、そうか。では、楽しみにしておるぞ。居場所を教えてくれれば、わしも手紙を書こう」
「はい! あ、じゃあその、宛先になんて書けばいいですかね」
「そうじゃな。普通に、オント・ニューク魔術学園のコボル教授と書いてくれればよいぞ。同じ名前の教授は他におらんからな」
先生の名前は一番最初に教えてもらったからばっちりだ。これでいつでも、コバリィ先生に手紙を出せるようになった。
「わかりました。じゃあ、そういう風に書きますね」
「頼むぞ。お主のほうも、どこに宿泊しているかを書いておいてくれ。いつまでそこにいるのかもな。でなければ返信が出せん」
「わかりました」
コバリィ先生と手紙を出し合う約束をすると、ついに話すことがなくなってしまった。お別れまでの時間は、もうこれ以上伸ばせない。
教室を出る前に、私は改めて頭を下げた。最後にもう一度、今までお世話になったお礼を言いたかったから。
「じゃあ……コバリィ先生。この一ヶ月、本当にありがとうございました。色んなことを教えてもらって、楽しかったです」
「うむ。今後も勉強を続けていくのじゃぞ。わしも、お主に色々と教えることができて楽しかった。ありがとう、レイラ。達者でな」
「はい。先生も。では、さようなら」
別れの挨拶をして、先生の教室を静かに後にする。そして私は、一ヶ月間通い続けたオント・ニューク魔術学園の門を出た。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日。私達がこのキアリアを出発する日。
朝の日課を終えて、朝食を食べて、出発の準備を終えた私は、師匠と一緒に郵便局に向かっていた。
「すみません、師匠。一緒に付いてきてもらっちゃって」
「いいさ。俺もちょうど用事があったんだ。ついでだよ」
そう言って師匠は、ポケットから一通の手紙を取り出した。かなり分厚い手紙だ。どんなことが書いてあるのだろう。
「もしかして、この間の、役所の資料の件ですか?」
「ん、それもあるが、他にもいくつか全体的な報告を、ちょっとな」
「そうなんですか」
いったい誰に何を報告するのか気になったが、あまり根掘り葉掘り聞くようなことでもないと思い、これ以上は何も聞かない。手紙はプライベートなことなのだから、深入りしすぎては駄目だ。
郵便局は町の西、城壁の近くにあった。護衛の仕事をした時に通りかかった場所だ。看板に掲げられている封筒のような記号は、郵便局を示しているらしい。
そういえば、今までの町にもこのようなマークを掲げたお店があったような気がする。これ、郵便局だったのか。
郵便局の中に入ると、思ったよりも人がいた。私のように手紙を出したい人もいれば、大きな荷物を持ち込んでいる人もいる。どこに届けて欲しいのか知らないが、あれを持っていくのは大変だろうな。
「さてと。手紙を出す窓口は……あそこか。ちょうど空いたみたいだな。行こう」
「はい」
師匠と一緒に、たった今空いた窓口へ行く。視線で促されたので、私が先に手紙を出すことにした。
受付のお兄さんに手紙を渡して、郵便をお願いする。初めてのことなので、私は少し緊張していた。
「あ、あの、お手紙を出したいんですけど。その、アケルに」
「はい、かしこまりました。アケルですね。お預かりします」
お兄さんは手紙を預かった後、紙を一枚取り出して、そこに何事か書き込んだ。見てみると、宛先や郵便の種類などを書いているようだ。
それが終わると、今度は郵便にかかる金額が提示された。
「それでは普通手紙が一通で、三セルになります」
「わかりました。えっと……どうぞ」
袋から銅貨を三枚取り出す。お金を受け取った受付さんは、代わりに先ほど書いていた紙を私にくれた。
「ありがとうございます。ちょうどですね。こちらが控えになります」
「あ、ありがとうございます……」
「では、次の方」
私と場所を交代して、師匠が手紙を取り出す。よく見るとそれは、封蝋が施された本格的なものだった。糊で簡単に封をした私とは大違いだ。
……うわ、凄い。こっちのほうが、なんか格好いいかも。私もやればよかった。
「こっちはサメリルまで、速達で頼みたい」
「かしこまりました」
受付のお兄さんは手紙の宛先を確認し、また控えの紙に情報を記入する。速達というのは、普通よりも速く届けるということだろうか。
「速達郵便一通で、五十セルになります」
師匠の分の会計は、速達にしたせいなのか、私の手紙より十倍以上も高い。速達と言っただけで跳ね上がったその値段に驚いたが、師匠は言われた金額を財布から取り出す。
「ああ。これでいいか」
「ありがとうございます。それでは、お預かりさせていただきます」
「頼んだ」
受付から離れると、私達の手紙が奥に運ばれて行き、そのまま見えなくなった。これで後は、郵便局の人が目的地まで届けてくれるのを待つだけだ。
これで、郵便局に来た用事は終わった。手紙を出すという目標を達成したことによる喜びと、出した手紙がちゃんと届くのかという不安を抱えながら、郵便局を後にする。
「あの、師匠。私、一つ疑問に思ったんですけど、お手紙って、どうやって届けるんですか? 馬車とかで人が運んでいくんですか?」
暇になったので、さっきちょっと気になったことを尋ねてみる。師匠の速達はとても高かったけれど、私が出した普通の手紙は、たったの三セルと安かった。人が運んでいくとなると、紙一枚といえどもかなりの労力がかかるはずだ。それをたったの銅貨三枚でなんて、いくらなんでも安すぎる。だから私は、自分が想像していた手紙の届け方は正しくないのではないか、と思ったのだ。
案の定、その心配は正しかった。
「ん、いや、違うぞ。そんなことしたら、いつまで経っても向こうに届かないだろ。それに、途中でどっか行っちまう可能性もある。手紙は魔術で届けてるんだよ」
「魔術で? それはその、どうやって? 手紙を飛ばすんですか?」
「飛ばすだって? それじゃ何も変わらんだろ。転送するんだ。向こうに付くのは、本当に一瞬だぞ」
「え、転送?」
まったく予想していなかった答えに驚く。そんな凄い技術があるなんて知らなかった。物を遠く離れた場所に送ることができるなんて。魔術はなんて便利なのだろう。
「凄い。便利、ですね……」
「まあな。でも、おかげで情報のやり取りはとても楽になったな。これがないときは、鳥を使って手紙を送ってたんだが、これが中々届かなくてなぁ。あいつらの躾けも大変で……」
唐突に昔話を始めた師匠だったが、私は彼の話をほとんど聞いていなかった。というのも、私は昨日自分が書いた手紙の中に一つ、重大な間違いをしてしまったことに気付いたのだ。
あー、やばい。どうしよう。私、あれが届くのに何週間もかかる前提で手紙の内容を書いちゃった。もう出しちゃったし、流石に書き直せないよね。それに、あれを書き直すとなるとまた一から全部書かないといけないし……。
「……はぁ。とにかく、次からは気を付けないと」
「ん、何に気を付けるって?」
「あ、こっちの話です。それより、早くカイと合流しましょ。カイ、きっと退屈してます」
郵便局に用事のなかったカイは、私達とは別れて別行動を取った。だからこの後私達は、彼と合流しなければならない。待ち合わせをして三人揃った後、少し早いお昼を食べて、それから出発する予定だった。
「そうだな。早くあいつと合流して、飯食って、町を出よう。明るいうちに行ける所までいかないとな」
「はい。あ、ちなみにさっきの話なんですけど。人は転送できないんですか?」
転送という未知の技術を知って思った、素朴な疑問をぶつける。すると、師匠はまるで馬鹿を見るような目で私を見た。
「なんだって? 馬鹿。できたらみんな使ってるさ。魔術で転送できるのは、手紙なんかの小さなものだけだ」
「ですよね……」
あーあ。自分の体を遠くの町に転送できたら、旅がもっと楽にできるのになぁ。残念。
自分達の移動が楽にならないとわかったところで、とりあえず自分の足で歩くことを頑張る。カイとの合流地点は、東門近くのちょっとした広場だ。
それから私達は、特に何事もなくカイと合流し、この町最後の食事を済ませた。
三人並んで城壁の門を出て、さらには町を守る結界からも出て、魔術と学問の町、キアリアを後にする。
ここから次の町までは徒歩で移動する予定だった。今までのように馬車で行くこともできるが、距離が近いので歩いたほうがお金もかからず、お得になるらしい。歩くのは疲れるし大変だけど、節約は大事だ。
「……手紙、ちゃんと届いたでしょうか」
まだ大きな城壁とその外に立つ建物が背後に見える場所で、私は隣を歩く師匠に不安を打ち明けた。魔術で届けられることはさっき聞いたが、その魔術とやらも見たことがないので、いまいち信用していいのかどうかわからない。
「ん、なんだ。心配なのか? 歩いてはるばる届けるわけじゃないんだから。途中で消えちまうなんてことはないさ」
「それは、わかってます。でも、初めてだからちょっと不安で」
「そうか。まあ、この先も手紙を出してれば、そのうち慣れるさ」
「そう、ですかね」
慣れる、かな? コバリィ先生にも手紙を出すって約束したし、またフェニさんにも手紙を出すことがあるだろう。そうやって何回も郵便を使っていれば、そのうち慣れるかもしれない。
まあとりあえず、今は信じよう。もしかしたら、もうさっきの手紙が届いてるかもしれないし。
きっと手紙が届いていると信じて、私は道を歩き続けた。次の目的地はいよいよ、この国の首都、王都だ。
◇ ◇ ◇ ◇
フェニさん、フィキさん、ギーケイさん、ゲーニィさんへ
シーリング家の皆さん、お元気ですか。レイラです。その節は大変お世話になりました。あれから色々ありましたが、私は元気です。師匠とカイと一緒に毎日を過ごしています。
私は今、キアリアの町にいます。大きな城壁と、魔術を教えている学校があって、そこで文字を教えてもらい、この手紙を書いています。でも、時間が経つのは早いもので、もうすぐ出発です。この手紙が届く頃には、もう次の町に到着していることでしょう。
ここに来るまでに、砂漠の町フィーンと、温泉の町リアセラムを旅してきました。本当に色々なことがあったんですよ。ありすぎて、この場には書ききれないくらいです。なので、ちょっとだけ書きますね。
私、リアセラムで友達ができたんですよ。エルフのジェミニちゃんです。一緒に温泉に入ったり、弓の使い方を教えてもらったりしました。師匠の知り合いみたいで、凄くいい子です。彼女も旅をすると言って、リアセラムで別れてしまったけれど、私の一番の友達です。
皆さんはお変わりないですか? 怪我や病気はありませんか? それから、あの時大変なことになったアケルの町は今、どうなっていますか? 町を出てしまった私には何もできることはありませんが、一日でも早く、町が元通りになることを願っています。そして、一日でも早く、元通りになったアケルに戻りたいです。
私は必ず戻ります。だから、宿屋でまた会いましょう。
レイラより
◇ ◇ ◇ ◇
「レイラちゃんから手紙が来たわ!」
たった今届いたばかりの手紙を見て、フェニは思わず大きな声を上げた。そんな母親の言葉に、鼻歌を歌いながら昼食を作っていた娘のフィキが勢いよく顔を向ける。
「え、レイラちゃんから!?」
その名前を聞くのは、実に四ヶ月ぶりだった。
たった一ヶ月しか一緒にいなかったとはいえ、家族同然の関係になった者からの手紙。二人の胸に驚きと嬉しさがこみ上げる。彼女がアドレと共にこの町を出て行った後、町の復興に尽力する傍ら、二人はレイラのことがずっと気になっていた。
「うわー、ほんとにレイラちゃんからだ」
封筒に書かれていた裏書を見て、フィキが確かめるように呟く。その名前を口にするだけで、妹のように思っていた彼女との日々が思い出される。
「早速読みましょうか」
「うん」
魔法で封を切った二人は、早速手紙を読み始めた。
「あ、私達家族四人に宛てているのね。字の勉強をしたって書いてあるわ。学校に、行ってたのかしら」
「そうみたい。綺麗な字だね。あの子が元気そうでよかった」
レイラの書いた字面から伝わってくる相手の感情を読み取って、二人は彼女の無事を喜んだ。彼女と過ごした一ヶ月の思い出が蘇り、知らず知らずのうちに笑顔になる。
ひと通り手紙を読み終えると、フィキは顔を上げて言った。
「帰ってきたら、お父さん達にも見せないとね」
「もちろんよ。それに、お返事も出さないと。……ああ、でもレイラちゃんが今どこにいるのかわからないわね。これじゃあ向こうに届けられない……」
返信を出そうにも、情報が足りず届けられないことに残念がるフェニ。そんな時、チリンチリンという鈴の音と共に店の扉が開かれた。来客だ。
「あの、こんにちは」
入り口に立っていたのは、たった今話題に上がっているレイラと同じように、右目に眼帯をしたエルフの少女だった。
どこか不安そうな表情をした彼女の背中には、大きく膨らんだ鞄と目を引く大弓。いかにも旅人という出で立ちで、洋服には所々切れた跡や黒っぽい染みが付いている。そして彼女の手には、また手紙が握られていた。
「あら、こんにちは。一人かしら?」
レイラからの手紙をしまって、フェニが新しい客に対応する。フィキは料理に戻ったが、その視線は好奇心からか、母親と新しい客の方に向いていた。
「ええ、そうよ。えっと、シーリング停って、ここでいいのかしら?」
「そうだけど……もしかして、私に何か用?」
「ええ」
店の名前を確認した彼女はフェニに近付き、手にした手紙を渡した。
「これは……?」
「アドレからよ。その、あなたにこれを渡すように言われて」
「アドレが私に手紙を?」
手紙を受け取ったフェニは、あの不埒な男が手紙を寄越したと聞いて眉根をひそめた。
(レイラちゃんから手紙が来たと思ったら、今度はあいつからも手紙なんて……まあ、読むけれど。変な物とか入ってないでしょうね……)
疑惑を抱えながらも封を開け、便箋を取り出す。そして、その内容にひと通り目を通したフェニは、眉間にしわを寄せた。
「……どうしたの? お母さん」
突然黙りこくった母親を心配するフィキ。だが、そんな娘のことも無視して、フェニは手紙を二度、三度と読み返す。その後、彼女は目の前で反応を伺っている少女に尋ねた。
「……一応、名前を教えてもらってもいいかしら」
「……ジェミニ・ロゥ・フォレストよ。……聞いたこと、あるかしら」
「なるほど、あなたが。ああ、心配せずとも、詳しいことは知らないわ。でも……はぁ。まったくあの馬鹿……」
母の口から滅多に出ない人の悪口を聞いたフィキは、驚いて料理の手を止めた。きっと相当なことが書いてあったに違いない。そして、たった今聞こえてきた彼女の名前。それはついさっき読んだ手紙にも出てきた名前だった。
再び手紙に目を落としたフェニは、ジェミニと名乗った少女に言う。
「あなたの事情はわかったわ。でも、すぐには決められない。とりあえず、しばらくゆっくりしていきなさい」
「……わかった。じゃあ、えっと……」
フェニの答えを聞いて残念そうに頷いた後、ジェミニは何を言えばいいのかわからず、迷ってしまった。そんな彼女に、フェニは店の者として宿屋のメニューを読み上げる。
「うちはひと晩二十セル。食事は一食につき七セルよ」
「……じゃあ、三日分。食事も、お願いできるかしら」
「じゃあ、百二十セルね。端数はいいわ。面倒だし」
「……ありがとう」
金貨と銀貨を払ったジェミニは、静かにお礼を言った。
「部屋は四階の五番。階段を上って左側よ。はい、鍵」
「……ありがとう」
「誰かに言ったりしないから、心配はしないで。とりあえず、今日のところは休みなさい」
ジェミニは一度フェニの方に視線を送ると、階段を上って上の階に消えていった。
彼女の足音が遠くなり、気配が遠くなる。ジェミニが十分自分達から離れるのを待って、フィキは母に手紙の内容を尋ねた。
「……ねぇ、なんて書いてあったの?」
「ああ、ええと……。あの子、さっきの手紙にあったレイラちゃんの友達なんだって。色々事情があって、うちで雇って欲しいって、あいつが」
「え、そうなんだ。てことは、あの子もレイラちゃんみたいにここで働くの?」
フィキは新しい友達ができると思い、ジェミニをここで雇うことに賛成していた。しかし、フェニは首を振ろうとしない。
「そうなるわね。でも、ちょっと迷うのよ。私も力になってあげたいけど、結構複雑な事情があるみたいで……」
手紙の内容を思い出し、フェニの表情が陰る。しかしフィキは、自分の意見を譲らない。
「そうなの? でも、困ってるなら助けないと。レイラちゃんの時だってそうだったじゃん」
「それは、そうよ。でも、ねぇ……。とりあえず、少し考えさせて。あなたは料理に集中しなさい」
「うん、わかった。でも、私は賛成だからね」
「わかったわよ。じゃあ、後は任せたわよ」
店のことを娘に任せたフェニは、自分の部屋に戻ってベッドに腰を下ろした。そしてもう一度手紙を取り出し、読む。手紙に書かれていることに間違いがないことを確認した後、彼女は小さな声で呟いた。
「妖精の森の聖女様、か。まさか、こんな所でその話を聞くなんて。そろそろ、交代の時期が近いのね……」
開け放たれた窓から空を見上げて、彼女は数十年ぶりに、自分の生まれた故郷のことを想った。




