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記憶と妖精~偽りの瞳~  作者: 夜寧歌羽
第四章 学び舎の老教授
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第三十八話 調査の任

 真っ暗な洞窟の中、曲がりくねった一本道を、警戒しながら四人で進む。分かれ道はないので、迷うことはない。ただ、洞窟の中はかなり広かった。横幅は大人が二、三人は並んで歩けるほどで、天井も私の背丈では手が付かないくらい高い。おまけに、とても静かだ。私達四人の立てる音以外は何も聞こえない。足音が反響して普段より大きく聞こる。明かりのない真っ暗な場所。言い様のない威圧感がある。

 狭苦しい通路を想像していたが、どちらかというと息苦しい。ただ、心配していたようなゴブリンの待ち伏せなどはなく、移動はとてもスムーズに進んでいた。


「……暗いですね」


 あまりの暗さに思わず呟く。その声も洞窟の壁に反響して不思議な聞こえ方をする。

 ここにはわずかな光さえも存在しないので、エルフの優れた視力を持ってしても何も見えない。こんな暗闇を経験するのは、地下にある武器屋さんに行った時以来だった。


「何、怖いの?」

「いや、別に。何も見えないと不便だなって思っただけ」


 私の呟きに噛みついてきたフィネットちゃんを軽くあしらう。光がなくても、前方に物があるのかないのかくらいはわかる。でも、流石にこれでは不便なので義眼の暗視機能を使おうと思ったが、先頭を行く先生が、


「明かりをつけるぞ」


 あ、そっか。明かりをつければいいのか。その発想はなかったな。

 先生が魔術で杖の上に光る玉を作り出し、周囲を明るく照らし出す。それを見たラルク君とフィネットちゃんも、同じように光の玉を作り、同じように洞窟の中を照らした。


「ウィーク・ライト」


 弱い光が三つ、四人の列に加わる。光のおかげで、暗闇の威圧感はなくなった。

 この洞窟は岩山の壁を掘って作られているようで、照らされた壁はゴツゴツしていた。舗装などはされていないため、削られた跡も見える。足元もデコボコしているが、踏み固められたのか歩きにくくはない。

 ……あ、これ、ゴブリンの足跡だ。ここがゴブリン達に占拠されたって、本当だったんだな。


「……ん? 先生、あれは?」


 魔法の明かりで周囲を照らしていたラルク君が、洞窟の壁に付いていたあるものに気付いた。彼が発見した物について詳細を尋ねると、先生は感心した様子で頷いて、


「お、気付いたのか、ラルクよ。そうじゃ。この洞窟には、少々変わった照明器具が付いている。現在一般的に使われている魔法石の照明ではなく、直接火を付けるものじゃ。見た目は蝋燭に似ており、人が近付くと勝手に火が灯るようになっておったようじゃ」


 両側の壁に等間隔に設置されている蝋燭のようなものを指差して、先生は言った。


「勝手に火が? 凄いですね」

「うん……そうだね」


 フィネットちゃんの純粋な感想に対し、私は別のことを考えていた。

 勝手に火が付く蝋燭……誰もいないのに勝手に付くのは、少し怖い気がする。お化けとかいるみたいで。せめて火じゃなかったらなぁ……。だけど、それはそれで便利なのは認める。


「確かに、独りでに明かりが付くような場所は見たことがない。でも、どうして今は付かないんですか?」


 重ねてラルク君が素朴な疑問を投げる。すると先生は、少し残念そうに答えた。


「それが、人の接近を感知する魔法陣が一部崩れてしまってな。かなり古い技術を使っているようじゃから、修復ができんのじゃ」

「そうなんですか……」

「残念ね。一回くらい見てみたかったのに」


 魔法陣が修復不可能と知ってがっかりした二人。だけどすぐに、何かを思いついたフィネットちゃんが他の案を提案した。


「でもそういうのって、今の技術で同じことができそうですよね。私達が勉強した範囲だけでは難しそうですけど……」

「まあ確かに、現代魔術でもこれと同じこともできる。だが、ただ置き換えるだけでは意味がなのじゃ。こういった過去の技術を調査し、現代魔術との違いや関連を調べることが遺跡発掘の目的。古いからと言って切り捨ててはいかんのじゃ。このような昔の技術は、ただ古いだけではない。今の我々が失った、便利な知恵や技術が詰まっている可能性がある。それを調べて現在の技術に応用するのが、わしら歴史研究者の使命なのじゃ」

「へぇ……」


 自分の専門分野について熱く語る先生は、なんだかとても格好良かった。

 そんな話をしながら、洞窟の中を歩いて十分あまり。ようやく前方の様子に変化があった。


「さて、そろそろじゃな」


 そう言って先生は立ち止り、明かりを前方に持ってくる。するとそこには、今まで見たことのない光景が浮かび上がっていた。


「おぉー」


 遺跡というものを初めて見た私達三人は、口を揃えて感嘆の声を漏らした。

 そこは分かれ道だった。それまで一本道だった通路は、その地点で三方向に分かれている。左右には暗くて先の見えない道が一本ずつ伸びていて、その間にもう一つ細い道がある。細い道を進んでいくと、ほぼ球体の形をした広めの部屋に続いていた。その部屋が、私達の想像を超える遺物だった。

 円形にくり抜かれた部屋の壁面には、複雑な赤色の紋様が隙間なく描かれており、いかにも儀式を行いましたというような雰囲気を醸し出している。書くだけで魔力が宿るという、あの魔術文字もあるようだ。ただ、その紋様に何の意味があるのかはわからない。規則性も見当たらず、魔術文字があるのに、あの時のように魔力を感じない。

 私は魔術に関してはまったくの無知だが、なんだか少し奇妙な感じ。ここで何かしらの儀式や実験が行われていたのだろうか。魔術的な怪しい何かを感じる。


「これ、魔法陣ですか?」


 疑問は数あるが、私はとりあえず、感じたことをそのまま口にした。すると、私の隣に立ったフィネットちゃんが、否定的な意見を述べる。


「いいえ。確かに魔法陣っぽいけど、これじゃあ全然役に立たないわよ。命令の順序がごちゃごちゃで、わけのわからないことまで書いてあるし……きっと、ただの落書きよ」

「あ、そうなんだ……」


 やっぱり、こういうのはおかしいんだな。

 魔術の使えない私より、魔術を勉強している彼女の考察のほうが正しい。そう思って、私は口を閉じる。でも、その会話を聞いた先生は、


「ふむ。フィネット。その考えは、半分正解じゃ。だが、ほれ。そこの床が少し低くなっている所に立ってみなさい。そうすれば、この謎の陣の意味がわかるじゃろう」


 そう言って、壁画の描かれた部屋の入り口近くにあるちょっとしたくぼみを指差す。そのくぼみは、ちょうど人が一人立てるくらいの大きさで、本当にちょっとだけ床よりも低いというだけ。特に意味のある装飾とは思えない。

 彼女も同じように考えたのだろう。先生の示した場所を見て、フィネットちゃんは首を傾げる。


「え? あそこに立つんですか?」

「そうじゃ。大丈夫、怖いことは何も起こらんから」


 半分疑いながらも、フィネットちゃんは先生の言う通り、その場所に立って壁の紋様を眺めた。すると、彼女はハッとして動きを止め、口をポカンと開けた。


「え……なに、これ。こんな魔法陣、見たことない……」

「見えたか、フィネットよ」


 そんなフィネットちゃんの反応に、私とラルク君が首を傾げる。彼女はたった今、これを魔法陣ではないと言い切ったばかりだ。それに私が見た限り、彼女がその場所に立ってから、陣には何の変化もない。魔力も見当たらない。そのせいで余計に疑問が深くなる。あの場所に立つと、いったい何がどうなるというのだろう。


「……? おい、フィネット。いったい何が見えるんだ?」

「ラルク……。凄いわ。これ、やっぱり魔法陣よ……」

「どういうことだ?」

「あなたも、見ればわかるわ」


 フィネットちゃんが場所を開け、今度はラルク君がその場所に立つ。その途端、彼は驚いて一歩下がった。


「な、なんだ今の……」


 恐る恐るその場所に足を戻す。すると、先ほどのフィネットちゃんと同じように、口を開けて目を丸くした。


「これは……本当に、魔法陣だ。でも、なんか、変な感じが……」


 そんな反応をされると、私も気になってしまう。二人がいったい何を見たのか、この目で確かめたい。


「先生。あの、私もいいですか? 私はその、魔術とかわかりませんけど……」

「構わんよ。レイラも見てみるといい。別に魔術がわからなくても、その凄さは伝わるだろう」

「は、はい」


 先生に確認を取ってから、ラルク君と入れ替わり、私もそこに立ってみる。


「うわっ……」


 二人が驚いた理由が分かった。その場所に立った瞬間、今まで見ていた不思議な模様が視界いっぱいに広がり、目の前に浮かび上がってきたのだ。

 いや、現実には浮かび上がってなどいない。そのように見えるだけだ。しかしそれがわかっていても、目の前のこれには手が届きそうなリアリティがあった。

 歪んでいた線が馴染みのある図形に見えて、無秩序に並んでいた魔術文字が意味のある単語になる。右の視界に透明な靄が映り込む。頭の奥がじんわりと温かくなり、いつか教室でリニア文字を見た時のような、ほんのわずかな魔力の流れを感じる。ここが狭い洞窟の中であるという事実認識が薄れ、今すぐにでもどこか別の場所に飛んでいけるような、そんな不思議な感覚がする。

 ……こんな感覚を抱いたのは初めてだ。でも、なんだか初めてではないような気がする。


「これって……」


 そんな感覚に捕らわれたまま、呟く。先生の声が後ろから響いてくる。


「のう? 不思議じゃろう? なぜこんな風に見えるのか、誰かわかる者はいるか」

「はい先生。立体視、ですよね?」


 先生の問いに、フィネットちゃんが素早く答えた。

 立体視。それは錯覚の一種。つまりこの魔法陣は、ちょうどこの場所に立った時だけ見えるように、計算されて描かれているのだ。

 作った人の遊び心なのだろうか。芸術作品のような魔法陣だ。


「そうじゃ。これは錯覚を利用した、立体的な魔法陣じゃ」

「立体的な、魔法陣……」


 先生の答え合わせに、私は授業で習ったことを思い出した。

 魔法陣というのは、基本的には紙のような平面に描く物。空間の中に立体的に描くことはできない。だから、三次元的な奥行きのある魔法陣は作ることができない。

 その大前提の通り、この魔法陣は、壁に描かれた平面的なものだ。だが、こうして錯視を利用して、立体的に見せている。わざわざこんなことをするということは、何かしらのメリットがあるに違いない。


「これ、どういう利点があるんですか……?」

「利点は多々ある。陣を立体的にすることで、組み込める情報が増え、数種類の魔術の複合による、特殊な魔術が扱えるようになっておる。欠点としては、このような魔法陣で使える魔術は、これを見ている人に対して使用できる物に限られるということじゃ。それから、このように特定の場所に立たなければならないということと、立体視の効果が見る人の身長に左右されるというのも、大きな欠点じゃな。ちょうど、今のレイラの目線が一番立体的に見える位置のはずじゃ。このような特殊な魔法陣は、他に類を見ない」


 へぇ、これはここにしかないのか。まあそれもそうか。こんなものを描くには、とても大変な計算をしなければならないはず。視点との位置関係、壁の角度、壁の凹凸。色々な要素を考えながら描いたはずだ。これはきっと、私なんかには想像できないくらいの、大きな努力の成果に違いない。


「こんな複雑極まりないものを作るなんて。これを描いたやつは相当な変人ね」

「ふっ、そうだな。魔術師よりは芸術家に近いのかもしれない」


 それぞれの言葉で、この立体魔法陣の凄さを表現するフィネットちゃんとラルク君。

 二人の会話を聞きながら、私は気になったことをもう一つ尋ねた。


「これの内容はわかるんですか?」

「それは、すまんがわからん。魔力を送っても何も反応しないのじゃ。どこかに綻びがあるのか、使用できる者が限られているのか。陣の解析が難航しておるので、詳細は不明じゃ」

「そうなんですか……」


 使えないのか、この魔法陣。そうなると、本当にただの芸術作品だな。

 そんなことを考えながら、しばらく目の前の立体魔法陣を見つめる。また体が不思議な感覚に包まれる。変な感じがするけれど、なぜだかどこか、心地良い。


「さあ、先へ行くぞ。今日は魔法陣の解析ではなく、遺跡を占領したゴブリン達のことを調査しに来たのじゃ」

「あ、そうでした」


 先生に声をかけられ、私はようやくその場を離れた。目の位置が動いたので、魔法陣はもう見えない。不思議な感覚も一瞬にして消える。

 ……なんだったんだろう。あの感覚。なんか、あの時ならどんな所へでも行けそうな気がしたけど……。

 魔法陣を見た時の妙な感覚に心惹かれたが、私は三人の護衛という、本来の仕事に戻った。


 立体視部屋を後にし、分かれ道を右に進む。歩いて十秒もしないうちに、私達は壁に開けられた沢山の穴に出会った。

 調べてみると、それらは全部、何かの部屋だということが判明した。それぞれの部屋には、棚のような物があったり、椅子や机があったり、物が沢山積まれていたりと、遺跡には似ても似つかないような物が見つかった。それだけではなく、水を零した跡や小さな布団など、ほんの少し前までここで誰かが生活していたと感じさせるようなものまであった。

 ここを占拠していたのはゴブリンだという話だったが、それにしては色々揃いすぎている。先生の話によれば、私達が見つけた家具などは元からあったものではないらしい。少々飛躍した考えかもしれないが、私はここを襲ったゴブリン達の裏に、明確な意志を持った何者かの存在を感じていた。

 合計で六ヶ所あった部屋をひと通り見て周って、最後、今まで進んできた道の突き当りへと向かう。すると今度は、ひと際大きな場所に出た。人が二十人は入れるだろう。天井もこれまでの部屋より高い。


「ここは……広めの部屋ですね。さっきまでとはまた雰囲気が違います」

「広間じゃな。ふむ……やはり、ここにも生活の痕跡があるようじゃな。やはりゴブリン達は、ここを住処としていたのか……」


 髭を触りながら呟く先生。先生の作り出した魔術の光源が広間の中央に移動し、部屋全体を照らし出す。やはりここにも付かない蝋燭があり、大きな机や沢山の椅子が置いてあった。大人数で使うことを前提に作られた部屋なのだろう。今からここで食事会でも開かれるような雰囲気だ。


「なんでもいいわ。さっきのゴミ部屋よりましなら」


 広間を一周ぐるりと見渡したフィネットちゃんが、私の後ろでそう吐き捨てる。その棘のある口調に、私は大きく息を吐いた。


「ゴミ部屋って……」

「フィネット……さっきのこと、そんなに堪えたのか」

「当たり前よ! もうあんなのは二度とごめんだわ……」


 彼女の大きな声が広間に反響する。彼女が顔を引きつらせている原因は、先ほど見てきたばかりの、沢山の木片が置かれていた部屋のせいだった。

 そこは折れた矢や外の森に落ちていた木の枝などが集められた部屋だったのだが、その木の中に一部が腐っていたものがあり、そこに小さな芋虫が住み着いていたのだ。

 初めての遺跡探検ですっかり冒険気分になっていたフィネットちゃんは、誰よりも早く颯爽と部屋に入り、そして、誰よりも早く腐った木片から顔を出していた芋虫に気付いた。その後はもう、まるで絵に描いたような展開だった。

 彼女は大きな悲鳴を上げて、強力な氷魔術で虫を凍らせた。部屋の温度が三度も下がった。そしてフィネットちゃんは、一番近くにいた私に思いっきりしがみついてきたのだ。


「あ、あんた護衛でしょ! ちょっと、あ、あれ! あれなんとかしなさいよ!!」

「え、えぇ……」


 そんなことを言われても。私は虫を殺すために来たわけじゃないし。それに、問題の虫はもうフィネットちゃんが凍らせて砕けちゃったし……。

 そうは思いつつも、私は義眼を使って他に虫がいないかかどうか調べた。そして後悔した。ここからでは見えない木の影や枝の中など、あちこちに同じような小さな虫が住み着いていたのだ。

 う、うわぁ……調べなきゃよかった。これは、フィネットちゃんには言わないほうがよさそう。もし喋ったら、この洞窟ごと氷漬けにしそうだ。

 調査の結果を胸にしまって静かにしていると、彼女はしばらくして平静を取り戻し、私からは離れてくれた。だが、それから彼女は私の背中に隠れ、警戒心を剥き出しにして、あらゆる物を睨みつけていた。


「ああもう……最悪っ」


 どうやらフィネットちゃんは、虫は殺せても、虫には近付きたくないみたいだ。

 ちなみに、ラルク君が言うには、フィネットちゃんが殺した虫は、成長すると二本の角を持つ綺麗なクワガタムシになるらしい。男の子が好きそうな昆虫だ。でも、それを知ってもフィネットちゃんは、全世界の虫という虫は滅びるべきだという考えを変えなかった。

 大袈裟だなぁ、フィネットちゃんは。まあ、気持ちはわかるけど。私も、こういう所にいる虫には、あまりお近付きになりたくないし。

 そんなフィネットちゃんのことはとりあえず置いておいて、広間の中に入ってこの部屋の造りを観察する。ここは今までと違って、長方形に近い形にくり抜かれていた。辺の部分はまだ丸みが残っているけれど、これまでの丸い部屋や通路に比べたら四角い。

 このこだわりの違いはいったい何なのだろう。この部屋だけこうなっているということは、ここはそれだけ重要だったのだろうか。それとも、部屋の作り方の問題なのだろうか。いや、それとも作った人の単なる気まぐれとか……。

 私が様々な疑問を抱き始めた頃、先生が広間の奥に空いていた穴を示して、


「広間の奥は炊事場になっておる。以前は水も出ていたが、確かめてみよう」


 先生に続いて炊事場に向かう。水を使う場所だからなのか、部屋の隅には白っぽい汚れのようなものが所々に付いている。特に掃除はされていないのだろうか。衛生面が心配だ。

 流石に食べ物の類は置かれていなかったが、食器や調理器具はあった。つい昨日まで誰かがここで料理していたような雰囲気だ。


「ふむ。前よりも水の出が良くなっておる。ここの水は地下から汲み上げていたようじゃが……ゴブリン達が修理したのか」


 蛇口を捻って出てきた水に手を浸し、コバリィ先生は呟いた。この水はなんだか、いかにも水という匂いがした。地下からの水だと言うし、町の水道から出てくる水とは何かが違うのだろう。

 私が水に気を取られていると、ラルク君が何かに気付いたように声を上げた。


「そういえば、結構奥まで入ってきましたけど、普通に息ができますね。こういう奥まった所って、空気が入れ替わらないから呼吸が難しいような印象がありますけど」


 的確な質問だ。確かに、洞窟のような空気の入れ替わらない場所にずっといると、徐々に酸素が減って息が苦しくなってしまう。けれど今のところ、そんな様子はない。義眼を使って洞窟内の空気を解析してみても、酸素濃度は外と変わりない。むしろ、少し高いくらいだった。ということは、この洞窟の中には酸素を生み出す何かがあるということだ。

 続けて酸素濃度を詳しく調べていると、空間の下の方に行くほど、酸素の濃度が高いことに気付いた。しゃがみこんで地面を見る。地面に変化は見られない。だが部屋の角には、先ほども気になった白い汚れが沢山ある。……いや、よく見るとこれは、汚れではなかった。


「先生、これ、なんですか?」

「これか。これは苔じゃよ。この白い苔が空気を綺麗にしてくれる役割を担っているのじゃ。薬草としても使われることが多いな」

「へぇ、そんな植物が……」


 暗い洞窟の中でも酸素を生み出せる生物がいるなんて。普通の植物が行っている光合成とは、また別の手段なのだろうか。

 一応、義眼で解析したデータを記録しておく。いつか役に立つかもしれない。


「後、どこかに空気の抜け道があったはずじゃ。だから、ここで物を燃やしても、少しなら大丈夫じゃぞ」

「あ、そうなんですか」


 炊事場なんてものがあるんだし、もしかしたらとは思っていたが。換気はきちんとされているようだ。

 それにしても、こんな洞窟の奥深くでも火を使えるのなら、本当にここは家のように生活できる場所ということになる。ゴブリン達がここで生活していたという先生の仮説が、いよいよ現実味を帯びてきた。


「そう言えば先生、あの分かれ道の左側はどうなっているんですか?」

「こことほぼ同じじゃよ。いくつかの部屋と大きな広間がある」

「そっちも確認してみましょうよ」

「え……あたしもう帰りたいんだけど」


 フィネットちゃんは嫌そうな顔をしたが、他の二人は乗り気だ。言い出した私は言わずもがな。彼女の無言の訴えは受け入れられず、先生が結論を下す。


「そうじゃな。では、一旦分かれ道まで戻って――」


 その時、通路の方から誰かの声が聞こえた。話の途中だった先生も、それに気付いて口を閉じる。


「……外で何かあったのかもしれん。戻るぞ」


 私達は頷いて、足早に来た道を戻っていく。そして通路まで戻ったところで、前から来た魔術の光とぶつかった。


「あっ……せ、先生! 大変です!!」


 メモエウス君だった。彼は肩で息をしながら、驚く先生にしがみついて必死に言葉を紡いだ。


「外に、ゴブリン達が……!」

「なんじゃと」


 彼の報告に、私達は顔を見合わせた。悪い知らせだ。学生二人の顔が憂いの色を帯びる。

 私が急いで義眼で外の様子を確認すると、カーネル先生達が張った結界の外には、大量のゴブリン達が集結していた。遺跡に来るまでの間に出会った数とは比べ物にならない。一個中隊くらいいる。

 うわ、凄い数だ。これだけのゴブリンがこの洞窟にいた、ってことか? それにしては多すぎるような気がするけど……


「時間をかけすぎたか。戻るぞ」

「はいっ」


 地上に出て、集結した敵のゴブリン達をこの目で見る。洞窟に入る前は閑散としていた森の一角。あれから三十分と経たないうちに同じ魔物が二百匹も集まり、隊列を組んで、私達を独特な顔で睨みつけている。その様子は、中々圧巻だった。

 私達の到着に気付いたカーネル先生が、コバリィ先生に状況を説明する。


「コバリィ教授。やられました。気付いた時には既に囲まれていて……」

「カーネル先生。結界は持ちそうか」

「それは心配ありません。二人がかりで強化したので、地中のアリ一匹通れませんよ。ですが、そのせいで我々も逃げられません」

「ふむ……それは、不味いな」


 コバリィ先生が髭を弄り始める。何かを考えているサイン。この状況を打破する策を考えているのだろうか。良い案が出てくれることを祈る。

 けれど先生が何か言う前に、学生達の中から声が上がった。


「いっそ蹴散らしますか? 俺達の魔術を合わせれば、これを一気に――」

「あー、それはちょっと、考えたほうがいいと思うよ」


 突撃思考なカインド君の話を止めて、私は義眼でこっそりと分析した敵部隊の戦力を報告する。


「みんな見てください。前衛にいる盾を持った十人。あれらは魔術除けのお守りを持っています。その後ろには、槍または剣を持った兵士が六十人。弓兵が四十人。さらに、後方に杖のようなものを持っている人が三十人。あれは恐らく、魔法を使う部隊です。そのさらに後ろを、四十人の棍棒組が固めています」


 私が伝えた分析結果に、カーネル先生が唸った。学生達の顔色も、目に見えて悪くなる。自分達がどんなに不利な状況に置かれているのか、理解したようだ。


「まさかゴブリンがこれだけの部隊を……私がもっと早く接近に気付いていれば……」


 七対百八十。圧倒的不利。弱音を吐きたい気持ちはわかるが、後悔しても何も始まらない。

 カーネル先生の弱気が学生達に伝播していく中、コバリィ先生が質問してくる。


「まるで戦じゃな。敵の将はいるのか?」

「……いえ。見えませんね。統率は取れているように見えますが、偉そうな人はいません。おかしいですね……」


 先生に教えてもらった知識を反芻して、私は自分の分析結果に疑問を抱いた。コバリィ先生も同じことを思っていたようで、訳もわからず首を傾げている学生達に対して説明を始めた。


「よいか。ゴブリンの中には、稀に大きな力を持つ者が現れる。そうした力ある一匹のゴブリンを王として、他のゴブリン達が従い、大きな群れを形成することがあるのじゃ。そのような生態が、数十年に一度確認されておる。このように軍隊として戦いを挑んでくることも、前例がないわけではない」

「そ、そうなんですか……知らなかった」

「まあ、最後の討伐作戦が三十年ほど前じゃから、知らなくて当然じゃな。君らが生まれる前のことじゃ」


 ゴブリンの王が発見された場合、それが人々にとって大きな脅威になるのであれば、国家主導の大規模討伐作戦が組まれることになっている。今までは雑魚と侮っていたゴブリンの中にも、それだけ強大な相手がいるのだ。しかし、現状は少し様子が違う。


「でも、その王は今ここにいないんですよね?」

「うん。だから、おかしいの」


 王のいない群れ。それにしては統率が取れている。これまでの戦いや道中の罠などから、一人ひとりの知能も高いと推測される。これらの事実から、私は一つの想像を口にした。


「仮説、ですけど、このゴブリン達、自分達だけで集まって、自分達だけで戦うつもりなんじゃないでしょうか」

「……ふむ。つまり、ここにゴブリンの王はいないということか?」

「それは、わかりません。ゴブリン達が強いのは事実です。誰かが知識を授けたはず。だから、王はどこかにいるかもしれません。でも、今この場にいないということはつまり、これはゴブリンの王が率いた部隊ではないということです。彼らは今、王の指示で動いているわけではない。つまり、自分達の意思で、私達を攻撃しようとしている」


 自分の考えを話しながら、私は、彼らが私達を襲う理由を考えていた。これまでの戦いで見たゴブリン達の戦い方や、この洞窟の中で見たもの。それらを思い出して、関連付けて……いくつか出てきた予想を否定して、一つの正解を紡ぎ出そうとする。

 そんな思考を邪魔して、コバリィ先生の言葉が私を現実に引き戻した。


「そういう考察は後じゃ。いつまでもこうしているわけにはいかないぞ。結界が破られずとも、わしらに退路はないのじゃ。相手が諦めるのを待つか、戦うかの選択肢しかない」

「じゃあ私やります」


 コバリィ先生が並べた選択肢に、私は即答した。戦いもせず耐えるだけなんて、私はごめんだ。それに、この洞窟の先はどこにも繋がっていないから逃げられない。おまけに魔術が不利ときた。ならば、近接戦のできる私が戦うしかない。

 それから、これだけの数を相手取ってみたいという私の欲望も入っている。こんなチャンスは中々ない。


「こ、この数を一人でやるっていうの!?」


 自殺願望があるのではないか、とでも言いたげな顔で私を見るフィネットちゃん。私は頷く。


「うん。だって楽しそうだし」


 まさか自分がやられるという心配はしていない。むしろ、心配なのはみんなのほうだ。敵の狙いが私に集中してくれればいいが、問題はそうならなかった時。魔術師達もまったく戦えないというわけではないが、私が助けに入ることは難しいだろう。だから、この五人には邪魔にならないよう引っ込んでおいてもらわねばならない。


「私一人で戦います。みんなは洞窟に籠って、結界でも張って、自分の身を守っててください」


 しかし、やる気満々の私に、コバリィ先生が異を唱えた。


「まあ待て。お主の気持ちはわかった。じゃが、わしらにも活躍の機会をくれないか。ゴブリンの相手を年端も行かぬ娘一人に任せたとなれば、わしらの顔が立たん。だから、頼む。ここは皆で協力させてくれ」

「えぇ……はぁ。仕方ないですね」


 本当はすべて自分で殺したかったが、先生のお願いならば仕方がない。私は妥協して、先生の提案に乗ってあげることにした。

 コバリィ先生以外の五人は、何とも言えない顔をしている。私は、何か変なことを言っただろうかと思いつつ、戦いの方針を話す。


「じゃあ、前衛の盾持ちを優先して倒します。そうすれば魔術が通るようになるでしょう。それとも、あえて不利な状況のままで、さっき考えたことを試してみる?」

「これこら、今はそんなことを言っている場合ではないぞ、レイラ。お主には、魔道具を持った者を優先して倒してほしい。その後は好きにしてくれて構わん。わしらはこちらへ来た敵を片付ける。皆、準備せよ」

「はーい」

「はい……」

「わ、わかりました、先生……」


 学生達が緊張した面持ちで答える。道中の戦いでは、ゴブリンなんか楽勝だと口々に言っていたのに。


「緊張してるの? フィネットちゃん。さっきはあんなに強がってたくせに」


 嫌味も込めてフィネットちゃんにエールを送る。すると、彼女は意外にも、自分の胸の内を素直に話した。


「な、何よ。悪い? 私だって……し、死ぬのは、嫌なんだから」


 杖をギュッと握った彼女は、表情が硬い。死という最悪の可能性を認知して、戦いに対する恐怖が彼女に芽生えたのだろう。そうやって恐怖に歪んだ彼女の顔を見た私は、人間も必死に生きているんだなぁと思った。


「そうなんだ。じゃあ、死なないように頑張ってね」


 視線を前方、結界の向こう側のゴブリン達に戻す。

 ようやく長い作戦会議が終わった。彼らは今の話を聞いていただろうか。ゴブリンが私達の言葉を理解することができるのかはわからないが、もしこちらの作戦がばれたのであれば、何かしらの対策をしてくるだろう。どんな反応をするのか楽しみだ。そういう知恵を使った戦いも、私は嫌いじゃない。

 さてと。これまでの戦いはちょっと不完全燃焼だったし、師匠達への不満も溜まってたから、ここで一つ、爆発させておこうかな。


「ふふっ……」


 我慢できずに零れ出た笑みと共に、私は右手に剣を出した。

 さて。待ちに待った、お楽しみだ。



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