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記憶と妖精~偽りの瞳~  作者: 夜寧歌羽
第四章 学び舎の老教授
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第三十六話 文字のある日々

「あ、あの。先生……」


 神話を象った装飾が壁を覆う六階の廊下。いつも勉強している教室に戻る途中。私は先生に、勝手に教室を抜け出したことを謝った。


「ん、なんじゃ」

「その、すみません、でした。勝手にいなくなったりして……」


 私の謝罪に、先生は軽く手を振って、


「よいよい。気にするな、もう終わったことじゃ。お主にも好奇心やら探求心やら、色々あったのじゃろう。まあ、さっきも言った通り、どこに行くのかくらいは教えて欲しかったがな。もうそれくらいは書けるじゃろう」

「そ、そう、ですね……ありがとう、ございます」


 感謝を述べて、また廊下を歩き続ける。

 先生に許してもらったというのに、沈黙が気まずい。誰もいない廊下に響くのは、二人分の足音と、先生が持っている不思議な形の杖を突く音だけ。授業中の学校というのは、こんなにも静かだっただろうか。


「レイラよ。もしかして、あの学生のことが心配か?」


 今度は先生のほうが口を開いた。それはまさに、私の心をかき乱している原因だった。


「……はい。折角、友達になれそうだったのに……」


 先生の問いかけに、私は素直な気持ちを話した。何かアドバイスが欲しいと思ったわけではない。単純に、話を聞いてもらいたかった。


「私……ルラちゃんに、怖い思いをさせてしまいました。あの時先生が来なかったら、私、きっとあのまま、ルラちゃんを……」

「まあ、あまり気にするな。生きていれば、そういうこともある」

「でも……私、もしかしたら、あの子の将来を壊してしまったかも、しれなくて……」


 最後、助け起こそうと差し出した私の手を跳ね除け、逃げ出したルラちゃん。あの時の彼女は、いつか私を『化け物』と罵った誰かと同じ目をしていた。彼女に拒絶されたことはもちろん悲しいが、それよりも私は、自身に満ち溢れていた彼女の笑顔を壊してしまったのではないかと思い、責任を感じていた。

 俯いていた私に、先生は歩みを止めて穏やかな口調で言った。


「だから、気にするなと言っておろうに。とりあえず、彼女は今も無事でいる。それが一番大事じゃ。確かに、今日お主と出会い、戦ったことで、彼女の人生は変わっただろう。でも、これから未来を決めていくのは彼女自身じゃ。お主がどうこうできる部分はない。だから、彼女の身に何があろうと、お主が気に病むことはないのじゃ」

「……はい」


 先生の言葉に納得はできなかったが、とりあえず話を聞いてもらっただけでも、心が軽くなったような気がした。

 教室に着くと、先生は勉強道具がそのままになっている私の机を見て言った。


「おお、そう言えば、レイラ。朝に渡した紙はどのくらいやったんじゃ」

「え、あっ! えと、それは、その……ごめんなさい。まだ半分しか、できてなくて……」


 今更になって思い出したが、今日の自習時間には、二十枚の復習課題を出されていたのだった。その課題がまだ半分も残っていたことを思い出した私は、今度こそ怒られると思って身構えた。しかし、先生の反応は私の想像と違った。


「ほう! 半分もやったのか。よく頑張ったな」

「え? あ、はぁ……」


 先生の表情が和らぐ。私は、自分が褒められたのだと気付くのに、少し時間がかかった。

 あれ、なんで……怒らないの? 課題、全部終わってないのに。

 目の前の先生が怒っていないということに気付くと、私はなんだか拍子抜けして力が抜け、間抜けな表情を晒してしまった。


「ん? なんじゃ、その意外そうな顔は。まさかお主、これを全部今日中にやるつもりだったのか? 随分と熱心じゃな」

「え、ええと……」


 ということは、つまり、別に全部やらなくてもよかったってこと? もしかして私、心配して損した?

 そんな私の反応が面白かったのか、先生は不意に大きな声で笑った。


「はっはっは。あのな、レイラ。わしも鬼ではない。これをたった二、三時間でやれ、なんて無茶を言ったりはせんよ。そんなに気負うな。残った分は、これから時間が空いた時にでもやっておいてくれればよい。復習を強要したりはせん。こういった勉強は、自分の好きな時にするものじゃ」

「わ、わかりました」


 それを聞いてホッとすると同時に、私は今までこんなくだらないことに気を揉んでいたのかと、恥ずかしくなった。


「さてと。では、今日の授業といこうか。準備しなさい」

「はい、わかりました」


 それからはいつも通り、コバリィ先生に複式文字を教えてもらう時間が続いた。けれど私の心の中までは、いつも通りとはいかなかった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 西からの強い日差しに目を細めながら宿に戻ると、部屋には一人、カイがいた。


「あ、カイ。ただいま」

「……ああ」


 装備を外して楽な格好になった彼は、本を片手にベッドの上に寝転がっていた。今まであまり見たことのないカイの姿に、ちょっと珍しいものを見た気持ちになる。

 へぇ、あのカイも本を読むんだなぁ……。

 でも、そんなことを口に出すと怒られそうなので、表に出さないよう気を付けながら、当たり障りのない会話で誤魔化そうとする。


「今日は早かったんだね」

「……ああ」


 ここ数日間は、カイも師匠も日が暮れてから帰ってくるというのが普通だった。そのサイクルが変わったということは、今日は何か、変わったことがあったのだろうか。

 具体的に何があったのか聞いてみようかと思っていると、私より先にカイが口を開いた。


「……お前、何かあったのか」

「え?」


 心の内を見透かされたような気がして驚く。見事に言い当てたカイのことが恐ろしい。私のことはチラリとしか見ていないのに。


「あー、えと……まあ、うん。どうしてわかったの?」

「……別に」


 それだけ言って、カイは手元の本で顔を隠した。そしていつもと変わらない口調で、


「……お前のことは、毎日見ている」

「あー、そ、そっか」


 ちょっと意外に思ったが、確かにそれは当たり前のことだった。

 そうだよね。私だってカイのこと毎日見てるんだし、カイが私のことを毎日見ているのも、まあ、普通だよね。だから、私の変化に気付くのも、まあ……。

 自分を納得させながら椅子に座り、机に向かう。本来はちょっとした書き物をするためにある机だが、今ではすっかり私の勉強机になっていた。

 勉強机に座ってやることは、もちろん勉強。今日の分の宿題をやらないといけない。それから、自習で残った十枚のプリントも、一枚くらいやっておこうと思っている。やれと言われたわけではないが、何となくやっておいたほうがいい気がする。

 そう思った私が勉強を始めると、


「……それで、お前、何があったんだ」

「えっ?」


 鉛筆を走らせていた手が止まる。まさか、カイが私のことについて聞いてくるとは思っていなかった。宿題に書く文章の内容を考えていた頭も止まり、私は鉛筆を机の上に転がして、大きく息を吐いた。

 ……カイ、なんか、変わったな。


「ちょっと……あの、行き違いというか、その……」


 カイがいつになく積極的に話をしてきたせいか、私は秘密にしようと思っていた心の内を徐々に漏らしていく。


「……今日、学校で、友達になれそうな人がいたんだけど」

「……ああ」

「その子と模擬戦をやったら、私、その……もう少しで、その子のこと、殺しちゃう、ところだったんだよね」

「……そうか」

「それで、怖がらせちゃって、逃げられちゃって……コバリィ先生は気にするなって言ってたんだけど、どうしても気になって、私、さっき謝りに行ってきたの」

「……なるほど」


 つい三十分前のことだった。授業を終えてここに帰る途中、どうしてもルラちゃんに謝りたくなった私は、彼女の元へ赴いた。

 私は彼女の家がどこにあるのか知らなかったが、義眼を使って町中を探すことで、なんとか見つけることができた。そこは学園から少し離れた場所にある寮のようで、彼女は一人、ベッドの上で丸くなっていた。

 寮へ行くと、寮母を名乗るおばさんに入り口を塞がれてしまった。女子学生以外の立ち入りは許可がないと禁止とのこと。仕方なく私は正直に、ルラちゃんと喧嘩してしまった、謝りに来たのだと言って、なんとか通してもらうことができた。そうして私は、彼女の部屋の前まで辿り着くことができたのだけれど……。


「それで、謝ったのか」

「うん。でも……」

「ん?」


 でも、ルラちゃんは私の話を聞いてくれなかった。……いや、彼女が部屋の中にいることはわかっていたので、ドア越しに聞いていたのかもしれない。けれど彼女は、何も反応を返してしてくれなかった。ただ私が一方的に、怖い思いをさせてごめん、また学校で会いたい、と言っただけ。そうして私は、意気消沈しながらこの宿に帰ってきたのだ。


「……そうか」


 私の話を最後まで聞いたカイは、興味を失ったように再び本に視線を戻した。そして、


「……謝ったのなら、別にいいだろ」

「え?」


 本に目を落とした見たまま、カイは続ける。


「そいつがどんな奴なのか知らないが、お前が謝ったのなら、もうお前にできることは何もない。それでお前が許されるのか許されないのかは、相手が決めることだ」

「あ……うん。そう、だね」


 カイが話したことは、考えてみれば当たり前のことだったが、妙に心に響いた。それに、彼がこんなに長く喋るのを見たのは、これが初めてな気がする。


「ありがと、カイ。なんか、気持ちが軽くなった」

「……そうか」


 カイはそれきり口を開かなかったが、おかげで私は、先ほどよりもすっきりした気持ちで宿題に取り組むことができた。

 そして師匠が帰ってきた途端、カイの機嫌が目に見えて悪くなるのを除いて、その日はもう何も起こらなかった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 そんなことがあってから数日が経った。あの日以来、ルラちゃんは一度も私のいる教室に姿を現していない。私が探そうとしていないからかもしれないが、彼女はもう、私とは会いたくないのかもしれない。でも、私はそれでも構わなかった。私は謝った。それでも私のことが怖いのなら、避ければいい。それも人付き合いの一つの形だ。

 私の友達関係に進展はないが、勉強のほうは順調に進んでいる。コバリィ先生のおかげで、日常生活で字が読めなくて困るという場面はほぼなくなった。もうご飯屋さんのメニューを見て困った顔をする必要もなければ、お店で店員さんに、商品の値段を何度も尋ねる必要もない。

 数字も計算も完璧だ。日付や年、曜日の表し方も習った。もうそろそろ、目標としていた手紙も書けるかもしれない。でも先生が言うには、もう少し字が綺麗に書けるようになったほうが良いとのこと。だから私は先生の言葉を信じて、細かい部分も繰り返し練習していくことにした。

 そういうわけで文字の勉強は、少しの新しい文字と今までの文字を復習が主になった。復習のほうは別に一人でもできるので、学校にいる間は、新しい文字の授業に加えて、別の授業を受ける時間のほうが多くなってきた。

 この間教えてもらった歴史の続きや、植物の話、食べ物の話。薬になる植物とか、食べたら危ないものだとか、旅に役立つ貴重な知識だ。図書館の場所と使い方も教えてもらったので、その気になれば自分で気になった本を読んで、好きなだけ勉強ができる。

 その他にも、普段この学校で教えている科目。魔術とか錬金術とかについても、軽く教えてもらった。


「さて、レイラ。錬金術について、お主はどれくらい知っておる?」

「れんきんじゅつ、ですか? えっと、今初めて聞いたんですが……」


 魔術については、最初のほうに説明してもらったのでわかる。でも、錬金術などというものは今まで聞いたことも見たこともない。また未知の技術の予感がする。

 私の回答に意外そうな顔をした先生は、ひと呼吸置いて解説を始めた。


「そうか。では、まずは基本から説明しようかの。錬金術とは、物質の性質を読み解き、物質を混ぜ合わせたり分解したり、魔術によって書き換えたりと様々な操作をして、新たな物質を作り出す、ということをする学問じゃ。自然界に存在している物質、石や鉄、水、空気などについて、それらがいったいどんなものからできているのか、硬いのか柔らかいのかという性質を勉強する。液体、気体、固体といった言葉も、この錬金術で重要になる性質じゃな」

「なるほど……」


 錬金術なんてものは、今までまったく馴染みのなかった話なのに、私は不思議と、すんなり理解できていた。

 先生の話は続く。


「そうやって調べた色々な物質を混ぜ合わせることで、物質の持つ長所を伸ばしたり、逆に弱点を補ったりという加工をする。具体的に言うと、合金を作ったり、金属の純度を高めるといったことじゃ。錬金術でしか生成できない物質も存在するぞ。代表的な物は、魔術金属じゃな。武器や防具、建物、装飾、杖など、色んな物に使われておる。似た言葉に魔法金属、魔法結晶というものがあるが、これは自然界でも稀に見られる貴重なものじゃ。宝石と同じような価値がある。魔法と魔術の違いがわかれば、両者の区別は簡単じゃろう」

「魔法は自然に元々あるもので、魔術は人間が作ったっていう、あれですね」

「その通りじゃ。今日は一つ資料を持ってきたから、それも見せるとしようか」


 そう言って先生は、これまた大きな巻物を魔術で黒板に貼り付ける。資料は何かの表のようで、沢山の四角い枠の中に、記号が一つ大きく描かれていた。枠は何か私の知らない規則に並んでいるのか、一番左上の枠と一番右上の枠の間には、何も情報がない。その下に行くと少しずつ間が埋まるけど、一列に繋がるのは四列目からだ。

 ……あれ。この表、どこかで見たことがあるような?

 首を傾げた私の頭の中には、化学ばけがく、周期表という奇妙な言葉が浮かんでいた。


「へぇ……なんか、面白そうですね」

「興味を持ったかの? なら、関連する書籍を読んでみるといい。お主もそろそろ、本を読むことにも慣れてきたじゃろう。わしは、錬金術に関してはあまり得意ではないのでな。教えられるのはこのくらいじゃ。ここから先は、自分で調べて勉強するのじゃな」

「あ、そうなんですか。わかりました」


 先生にも苦手な分野があるんだなと思いながら、錬金術のことを頭の片隅に記憶しておく。今日、図書館でちょっと探してみよう。


 そうして一日の授業が終わった後は、いつも学校の図書館で本を読んだり、文字の復習をしたりしている。今日の授業で教えてもらった錬金術については、難しい本しかなかったので仕方なく諦め、簡単な歴史の本だったり、植物図鑑だったり、地図を眺めたりして数時間過ごす。

 この学園の図書館は本当に凄い施設で、広くて大きいということはもちろん、魔術を使って本を整理していたり、本を探したりしていて、衝撃的だった。本が独りでに動いていくのを眺めるだけでも楽しいくらいだ。

 勉強のスタイルが変わるにつれて、授業が終わる時間が少しずつ早くなっていた。先生につきっ切りで教わることが少なくなってきたからだ。そうして増えた自由時間を自主勉強や街の散策に使っていると、二日、四日、一週間、十日と、あっという間に時間が過ぎていった。


 毎日の宿題、旅の思い出日記がリアセラムに到着し、徐々に現在へと近付いてきた頃、コバリィ先生から思わぬ申し出があった。


「……護衛、ですか?」


 突然言われた先生の言葉を、私はオウム返しに繰り返した。


「そうじゃ。お主は中々腕が立つとアドレから聞いておる。それを見込んで、一つ、わしらの護衛をお願いしたいのじゃ」


 腕が立つ……師匠が私のことを、腕が立つって……ふふ、ちょっと嬉しいな。普段は全然褒めてくれないのに、他の人に対してはそんなことを言っているなんて。私に直接言ってくれれば、もっと嬉しいんだけどなぁ。


「は、はい! 引き受けます」


 陰で師匠に褒められていることを知った私は少し浮かれて、護衛の仕事を二つ返事で引き受けた。それから、なぜ私の護衛が必要なのがという理由を尋ねる。


「でも、急な話ですね。護衛が必要なくらい危ない所に行くんですか」

「ああ、そうじゃ。お主には前に話したかな。ゴブリンに占領された森の遺跡の様子を見に行くんじゃ」

「あ、ああ。あれですか。確か、二週間、くらい前の……」


 そう言えば、前にそんな話をしていた。確か、エルフの先生と会ったお昼休みだったっけ。


「そう、それじゃよ。同行するのは、わしとカーネル先生、それから彼の教え子が四人。わしも含めて全員が魔術師じゃ」

「え、学生も一緒に来るんですか?」


 私は少し意外に思った。私に護衛を頼むくらいなのに、わざわざ学生を連れて行くなんて。遺跡は魔物に占領されているとのことだが、本当に大丈夫なのだろうか。


「これも教育の一環なのでな。ああ、心配せんでも、わしらの安全がすべてお主の肩にかかっている、というわけではない。わしらも教師も尽力するし、そんな重い責任を、お主一人に任せるわけにはいかないからな。だが、一つ問題があるのじゃ。今回の調査隊には、槍や剣を使える者が一人もおらん。そこでお主に、前衛を任せたいのじゃ」

「あ、なるほど。つまり、前で戦って、相手の注意を引く人が必要なんですね」


 先生は頷いた。つまりこれは、戦闘のスタイルの問題なのだ。


「魔術師は基本的に、敵とは少し離れた所から戦う後衛じゃ。中には敵の渦中に突っ込んで戦うような勇敢な輩もおるが……今回はそういう、血の気の多い者が捕まらなかった。当てが外れてしまってな。だから、わしら教師だけで生徒の身を守りきれるか、心配なのじゃ」


 先生の顔に現れる憂慮の色。コバリィ先生は本当に、生徒思いのいい先生だ。尊敬する。


「わかりました。私、頑張ります」

「ありがとう。助かるぞ、レイラ。では、明日は町の西門に集合じゃ。時間はいつもより早い、午前七時頃。お主の実力に期待しておるぞ」

「はい。任せてください」


 先生の言葉に頷いて、私は拳を握った。明日は楽しくなりそうだ。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 翌朝。師匠達との模擬戦でコテンパンにやられた私は、とりあえず朝食をお腹に収め、西門へと向かっていた。


「……はぁ」


 体の痛みはほとんど抜けてきたが、やられた後の嫌な気分は中々抜けてくれない。

 ルラちゃんの一件があった後、師匠との鍛錬でも二刀流を試そうと思い、カイに剣を貸してもらってやってみた。しかし残念ながら、あの時のように上手くはいかなかった。あの模擬戦の時の感覚はやはり、気のせいだったのかもしれない。

 でも、その時に一つ気付いたことがあった。私は、自分の剣を右手一本で振るうことが難しかったのだ。いつもは両手で扱っていたので、片手だけでは持ち上げるのが精いっぱいだった。

 流石にこのままではいけないと思った私は、剣を片手でも持てるように、また筋トレを始めた。一週間ほど続けているが、ようやく片手でも剣を構えることができるようになってきた。まあ、おかげで腕は少し太くなってしまったのだが。

 次は左手一本でも武器を扱えるようになるという目標を掲げ、今日も鍛錬と筋トレに励んできた。左右のバランスは重要なのだと、師匠も言っていた。それに、右と左で腕の太さが違うと、見た目にも影響が出る。


「はぁ……さてと」


 とにかく、今日は大事な護衛の仕事があるんだから、別のことに気を取られてちゃいけない。コバリィ先生の期待に応えられるよう、頑張らないと。

 気持ちを切り替えた私は、いつもと違う道を歩き、時間に遅れないよう西門へ急いだ。


 西門に着くと、先生達はもう既に到着していた。大きなとんがり帽子が二つと、小さな帽子が四つ。コバリィ先生とエルフのカーネル先生、そして四人の学生達だ。


「えっと、コバリィ先生。おはようございます」

「おお、来たな、レイラ。今日はよろしく頼むぞ」

「はい」


 とりあえず、コバリィ先生達に朝の挨拶をする。先生は今日も、木の枝がねじれたような形をした杖を持っていた。

 続けて、カーネル先生にも挨拶をする。この人に会うのはこれで二度目になる。


「カーネル先生も、おはようございます」

「ああ。おはよう。……ああ、そうか。君、あのアドレさんの弟子だったのか」

「あ、はい。そうですよ。あの、師匠をご存じで……?」

「もちろんだとも。彼はこの国では有名だからね」


 え、そうなんだ。意外。あの人、そんなに有名だったんだ。ただの剣が強いおじさんなのに。知らなかったな。

 師匠の知名度に驚いたが、それよりもまずは、今日初めて会う人に挨拶だ。

 今日の調査に同行する四人の学生達に視線を向ける。相手もこちらを見ていた。初めて見る顔に見つめられていたことに気付き、ちょっと緊張する。そんな私に対して、相手の生徒達は驚いていた。


「……なんだこの、女の子」

「年下だよね? 大丈夫なのかな」

「おい、エルフだぞ。それに眼帯だ」


 男の子が三人。女の子が一人。この子達が学校の生徒だろう。四人全員、身長の半分くらいの長さの杖を持っていた。先端に赤や青の宝石が付いていて、わずかに同じ色の魔力が見える。魔術の補助をする道具なのだろうか。

 私が魔術師の杖をしげしげと眺めていると、女の子が腕を組んで言った。


「何よ。私、こんな子供に守られなきゃいけないの? 折角先輩の戦い方が見られると思ったのに」


 どうやら金髪の彼女は、私とは違う人に護衛してもらいたかったようだ。不満を抱えた教え子に、カーネル先生が注意する。


「こら、フィネット。失礼なことを言うんじゃないよ」

「でも……この子、本当に護衛できるんですか? どう見たって年下じゃないですか。虫も殺したことないって顔してますよ」


 虫も殺したことないって……それはそっちのことじゃないのかな。

 カーネル先生にたしなめられても、女の子は失礼な態度を崩さない。


「えっと、あの……」


 もしかしなくても、私、あまり歓迎されてない? あんまりいい気分じゃないなぁ。

 憤る女の子。気持ちが落ち込む私。見かねたコバリィ先生が口を出す。


「やめなさい。これから護衛を頼むというのに」

「でも……」

「でも先生、本当にこの子が俺達よりも強いんですか?」

「そうっすよ。やっぱり騎士団に頼んだほうがよかったんじゃないですか」


 他の生徒も女の子に意見を合わせる。そうして増えた反対意見にもめげずに、コバリィ先生は再度皆をなだめた。


「静かにせんか。彼女の実力は、町の外に出ればわかるはずじゃ。それより、まずは自己紹介をしなさい。でなければ、始まるものも始まらんぞ」

「……はい。先生」


 それから私は、四人の生徒に自己紹介してもらった。

 態度の悪い女の子の名前は、フィネット・ダンベルク・オルトリンド。青みがかった髪を肩口まで伸ばしていて、右手には水色の宝石の付いた杖を持っている。耳にはイヤリングをしていて、爪は青色のマニキュアと、唇は薄いピンク色。どうやら彼女は、お洒落に相当気を遣っているようだ。私が言うのもあれだが、いかにも年頃の女の子という感じがする。

 背の高い茶髪の彼は、ラルク・ストーム。緑色の宝石が付いた杖を持ち、自信に満ちた表情をしていた。その余裕のある態度から、この中で一番実力があるのはこの人だと判断する。

 銀髪を立たせた男の子はメモエウス・ウェムエッタ。彼の杖にも水色の宝石が付いている。髪の毛がボサボサしていて、少し猫背気味だ。彼の緑色の瞳からは、強い好奇心を感じる。

 そして、四人で一番背が低い男の子が、カインド・ヒラキース。黄色の宝石が付いた杖を持ち、他の三人とは身のこなしが少し違う。彼は多少なりとも、体術の心得があるようだ。もう少し体を鍛えればいいのに。本人にその気がないのだろうか。

 四人は属性魔術科の一年生。カーネル先生の教え子だそうだ。みんな魔術の成績が良いため、今日の遺跡の調査に同行させてもらうらしい。年齢は、みんな私の一つ上の十六歳。中等部で飛び級してきた頭の良い人達だ。

 四人の名前を知ったところで、続けて私も自己紹介をする。私は他人に教えられる情報が少ないので、自己紹介はすぐに終わった。


「えと、レイラです。今日はその、よろしくお願いします」


 礼儀正しく頭を下げる。いったい私は何をお願いしているのだろう。顔を上げると、フィネットちゃんが、ふん、と鼻を鳴らして、


「こんな子供に守られるなんて……屈辱」


 そう言うフィネットちゃんも、私と一年しか年が変わらないはずだけど……。

 思わずそう言いたくなったが、ここは口を閉じて堪える場面だ。こういう噛みつくような発言が大きな問題を起こすということは、最近の師匠とカイを見て学んでいた。

 あの二人は最近関係が悪いからなぁ……横から見てるこっちが怖いから、早く仲直りしてくれないかな。本当に。


「ほっほ、そうかそうか。だが、わしには見えるぞ。再びここに帰ってくる時、お主らの目は羨望の眼差しに変わっているじゃろう」


 少しふざけた感じでコバリィ先生が言うと、生徒達が一斉に首を振る。


「ちょっと、コバリィ先生。本気で言ってます?」

「羨望って、冗談でしょう」


 私にまったく期待していない生徒達から視線を外し、適当な話題で話を変える。そろそろ舐められることに嫌気がさしてきた。


「えっと……あ、そういえばこれって、魔物に占領された遺跡の調査でしたね。私、護衛としか聞いてなかったので、あまり意識してませんでした」

「ん、そうだったのか。大事なことじゃぞ。まあ、お主には直接関係のないことかもしれんがな」

「目的も見えないのに護衛だなんて、あなた本当にやる気あるの?」


 ……はぁ。なんか、どこかで見たような気がするな。こういう扱い。あれは何ていう本だったっけ。

 私を目の敵にするフィネットちゃん態度も目に付くが、他の男の子達からの視線も少し気になっていた。年下だからという理由で私のことを下に見ているのか、それとも別の何かがあるのか。気にしないのが一番だとはわかっているが、どうしても意識が向いてしまう。

 ……まあ、やっかみ以上の害はないと思うし、放っておいても大丈夫、だよね。


「では、そろそろ出発するとしよう。何度も言うが、結界の外は危険じゃ。護衛のレイラに限らず、皆、自分の身は自分で守るのだぞ」


 生徒達が先生の言葉に頷くのを確かめると、私達はカーネル先生先導の元、門を出て西の森へと歩き出した。



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