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記憶と妖精~偽りの瞳~  作者: 夜寧歌羽
第四章 学び舎の老教授
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第三十二話 また少し賢くなる

「……はぁ」


 師匠とカイが扉の向こうに消えてしまい、コボルという老教授の部屋に残されてしまった私は一人、重たい溜息を漏らした。

 はぁ、師匠、酷いよ。私だって疲れてるし、もう少しこの町を見て周りたかったのに。町に来て二時間で勉強なんて……。

 そんな私の不満を察したのか、椅子に座ったコバリィ先生は、


「まあ、そう落ち込むでない。とりあえず、そこに座りなさい。心配するな。本番は明日からじゃ。お主はこの町に来たばかりで、疲れているじゃろう。今日は軽く、お主の質問に答えるくらいにしておこう」

「は、はい。わかりました……」


 気持ちは進まないが、とりあえず勧められた簡易椅子に座る。来客用なのだろう。部屋の端っこには、同じような椅子がいくつか置いてあった。

 まあ、早めに終わってくれるなら……。

 早速学生のような思考をしながら、教授先生の好意に甘えて、私は今まで疑問に思っていた色々を尋ねることにした。


「何でもいいぞ。お主の事情は奴から聞いておる。今までの生活の中で、わからないことが沢山あったのだろう」

「まあ、はい」


 師匠はやっぱり、この人に私のことを話していたんだな。自分から記憶喪失だなんて話すのは気が引けていたから、ありがたい。


「えっと、じゃあ……」


 何でもいいと言われて、少し考える。疑問は色々あるけど、いざ質問しようとすると、どれから聞けばいいのか迷ってしまう。

 うーん、中々出てこない。でも、時間も限られてるし、とりあえず思いついたやつから……。


「あ、ずっと気になってたんですけど、魔物って結局、何なんですか? さっきも魔物に襲われそうになって。色々種類もありますよね。町に入ってきて暴れたりするのとか、馬車を引いたりするやつとか。そういうのは動物と大して変わらないですけど、今日見たゴブリンなんかは、なんか人型だったし……。今まではなんとなく、危ない生き物、みたいに思ってんですけど」

「魔物、か。これはまた、難しい話じゃな」


 私の最初の質問に、コバリィさんはまた顎の髭を弄りながら考え込んだ。いきなり難問をぶつけてしまったようだ。仕方なく私は、先生が答えてくれるのをただ座ってじっと待った。


「……ふむ。そうじゃな。ひと言で表すと、魔物というのはずばり、魔法を使う動物のことじゃ」

「魔法を使う、動物……」


 時間をかけて考えていた割には、シンプルな答えだった。

 なる、ほど。魔法を使う動物。略して『魔物』か。なんか、そのままだな。

 名前の意味については、納得した。でも、それだと少し、おかしいのではないだろうか。先ほど聞いたばかりの魔法と魔術の話を思い出しつつ、新たな疑問点を述べる。


「えっと……わかりました。でも、あの、私達エルフとかも、一応動物、ですよね? 私は使えませんけど、魔法を普通に使う人、結構知っています。そういう人達のことも、魔物って言えるんじゃ……」


 私が遠慮がちに尋ねると、コバリィさんは意外そうな顔をして、その問いにも答えてくれた。


「賢いな。その通りじゃ。だから本来の意味での魔物は、エルフや、ドワーフや、竜人や、獣人などのヒトも含まれる。しかし、皆が普通に魔物というと、それは単に、人以外で魔法を使う動物、と捉えられているのじゃ。さらに言うと、魔物の中には人を襲う危ないものもおる。そういう意味では、人を襲う生き物という、お主の捉え方も正しいな。これが、皆が使っている、一般的な魔物という言葉の意味じゃ」

「へぇ、なるほど……」


 つまり、魔物という言葉には、二つの意味があるということか。一つは、魔法を使う動物全部を指していて、もう一つは、エルフとか竜人とかの人型の生物を抜いて、魔法を使う動物のことを指している。

 ふむふむ。なるほど……意外と、難しい話だった。それにしても、


「魔物って、魔法、使えるんですね……」


 この話の根本とも言える部分に、私は驚いていた。なぜなら私は、魔物と呼ばれている生物が魔法を使うところを、今まで一度も見たことがなかったから。


「もちろんじゃ。だから魔物と呼ばれとる。知らんかったのか?」

「はい。旅の途中も、魔物に襲われたり、魔物の馬車とかに乗ったことがありますけど、それが魔法を使っているところなんて、一回も……」


 今まで見てきた魔物のことを、少し思い出してみる。

 ……うん、間違いない。アケルの魔物は魔法を使ってなかった。ちょっとした水の塊を吐いたりはしてたけど。パロも、特に魔法は使わなかったな。たまに火を吹いたけど。今日見たばかりのゴブリンは……うん。使ってなかったな。ただ防壁に突っ込んで、上手に焼かれただけだ。


「そうか。今までは気付かなかったのか。では、次からはもう少し注意深く見てみるといい。さっきも言った通り、我々が魔物と呼んでいる生物は、魔法を使う生物じゃ。魔法は自然界に元々存在するもの。だから、彼らの何気ない動作の一つひとつに、魔法が隠れているんじゃ」

「何気ない動作? それって、えっと……」


 その言葉を聞いて、私はアケルにいるフェニさん達のことを思い出した。あの人達は本当に、魔法がなければ生きていけないと言っていた。実際、息をするように魔法を使っていたし。魔物の場合も、それは同じなのかもしれない。


「一つ例を挙げてみるか。例えば、さっきお主が言っていた馬車を引いているような魔物は、魔法で脚力を強化することができる。そのおかげで彼らは、筋肉の力だけで走るよりも早く、あるいは長く走り続けることができるのじゃ。だから、荷物を運ぶ馬車などは、普通の馬ではなく、リビットラギアなどの魔物を使っているんじゃ。まあ、手懐けるのには苦労するようじゃが」

「なるほど……」


 あのパロに、そんな秘密があったなんて。先生に言われた通り、これからはもっとよく観察してみよう。そうすれば、魔物が魔法を使っている場面が見えるかもしれない。


「わかってもらえたかの」

「はい。ありがとうございます。凄くわかりやすかったです」


 やはり、この人はいい先生だ。説明もわかりやすかったし、私の変な疑問にも、根気よく答えてくれた。これからの授業にも期待できる。

 これから聞かせてくれる話に期待しながら、私はまた質問をした。


「じゃあ、次の質問いいですか。この外の廊下、壁紙のことなんですけど、凄いですね。装飾が凝っていて。何かの、物語を表しているような……」

「ああ、それか。そうじゃな。お主は察しがよいのう。その通り。あれは物語を表しておる。何の物語か、わかるかの?」

「ええと、そこまでは、ちょっと。本とかも読んだことないし……」


 物語と言われても、私が知っているお話は一つ二つ程度。今まで本も読んだことがなかったから、フェニさんに教えてもらったエルフの神話やお伽話だけだ。だから、こんな豪華な壁紙にできるような物語なんて、本当にそれくらいしか知らな……あ。


「あ、もしかして、神話か、お伽話、とか?」

「おお! 正解じゃ。自分で気付けたのなら、わしに聞くまでもなかったんじゃないのか?」

「さ、最初はただ、何かお話みたいなのが書いてあるなあ程度の認識だったんです。でも今、ちょっと考えてみて、思ったんです。こんなわざわざ壁紙にするようなお話は、神様の話とかしかないかな、って」

「ほう。中々目の付け所が良いな。カイの時も思ったが、やはり、アドレなんかの弟子にしとくのは惜しいのう」

「え、そ、そうですか……」


 また勧誘された。ただ壁紙が神話だということを当てただけなのに。

 私のことを気に入ってくれるのは嬉しいけど、引き抜かれるのは、ちょっと……。


「その、すみません。そういうのはちょっと、困ります」

「ああ、すまんな。別に、奴のことを貶しているわけではない。ただ……ふむ。お主の折角の洞察力を、アドレの元で発揮できるのかどうか。それが不安なだけじゃ」

「は、はぁ……」


 洞察力を発揮、不安……。んー、この人が何を言いたいのか、よくわからない。でも、コバリィ先生が何かを心配していることだけはわかる。


「それなら、多分大丈夫です。私のこういう考え方は多分、師匠と一緒にいたから、身に付いたことですから」

「そうか。それなら、わしはもう何も言うまい」


 そう言ってコバリィ先生は、肩をすくめて本当に口を一文字に閉じた。そのお茶目な行動に、思わず笑みが零れる。

 ……ふふっ。ちょっと、面白い。結構ユーモアのあるんだな、コバリィ先生って。

 もうこれ以上この話は続かないと判断した私は、また別の質問をすることにした。


「じゃあ、次です。えっと、神話繋がりで月について、教えてもらってもいいですか?」


 毎日のように見ているのでもう慣れてしまったが、あの巨大な月を初めて見た時は、本当に驚いた。今見ているものが現実なのか、疑ってしまったくらいだ。

 私の感覚では、月というのはもっと、腕を伸ばした時の親指の爪に隠れてしまう、くらいの大きさだと思っていた。でも、今も空に浮かんでいる月は、どれだけ手を近付けても、親指の爪には隠れない。この感覚の違いはいったいなんなのだろう。そんなことを昼も夜も、空を覆う白い月を見るたびに考えていた。

 そうして数ヶ月の間温めていた疑問を、今ここでぶつけてみる。しかし、先生は少し驚いたような顔をして、


「月? あの月か? そうは言われても、月に関することは、有名な逸話くらいしかないぞ。月はただ、そこにあるだけだから」


 ただそこにあるだけ。つまり、大きいとか小さいとか、そういう感覚を抱いたことはない、と。


「あ、そう、なんですか……」


 どうやら私は、本当に当たり前のことを聞いてしまったみたいだ。

 ……なんだろう。なんか、変な反応。私の求める答えは、ここでは得られないような気がする。


「お主は、月の何が知りたいんじゃ? 月にまつわる話か?」

「いえ、そういうのではなくて。えと、月はなんであんなに大きいのかなぁ、なんて……」


 どうすればこの疑問が伝わるのかと考えながらも、とりあえず話してみる。でも、先生はよくわからなさそうに首を傾げた。混乱している。どう答えたらいいのか困ってしまったようだ。


「んー、それについては、わしには何も言えんな。月が大きいのは、まあ、当たり前ということになってしまう」

「そうですか……」


 やはり、上手く伝わらなかった。先生を困らせてしまったようで、少し申し訳ない。

 ……まあ、しょうがないか。変な質問だったし。ここは素直に諦めよう。

 けれど、先生はまだ、髭を弄りながら何かを考えていた。何か気になることがあったのか、小さく呟きながら紙に何かメモを取っている。


「月。なぜ月は大きいのか、ときたか。確か、時々そんなことを言い出す生徒がいたような……。ふむ。中々新鮮な着眼点じゃな。これについては、また今後話すことにしようか。学園に専門の研究者がおるから、そいつに聞いてみる。それより、少し外が暗くなってきたな。そろそろ明かりを付けておこうか」

「え? あ、そうですか」


 私は特に何も感じていなかったが、確かに外は暗くなり始めていた。私は思わず明かりを付けるボタンを探したが、その前にコバリィさんの手が動いた。

 彼が軽く手を振ると、そこから白っぽいもやが天井に上っていった。その先には部屋の照明がある。もやもやは照明の中に入っていき、その姿が見えなくなったかと思うと、突然その証明がぱっと付いた。目の前が突然明るくなり、少しびっくりする。そこで私は、一つあっと思った。


「そうだ。前にお世話になった人から、この照明にも魔法が使われてるって聞いたんですけど、それってもしかして、魔法じゃなくて、魔術だったりしますか?」

「そうなのか。その通り。これは魔術じゃよ。魔法ではない」


 思った通りだ。そう考えてみると、フェニさん、意外と魔法と魔術の区別が付いていなかったみたいだな。まあ、あの人は魔法が普通に使えるし――私も使えるとか言ってきたし――魔術なんて必要なかったのだろう。


「……これの中身って、いったいどうなってるんですか?」

「この照明の中身か? 石が入っているんじゃよ。魔力に反応して光を発する石じゃ。見てみるか?」

「いいんですか? じゃあ、是非お願いします」


 折角なのでお願いすると、先生は魔術で明かりを取り外し、私の手元に下ろしてくれた。ゆっくりと下りてきた明かりを受け取り、その内部を見せてもらう。

 私が普段見ていたのは、光を通すカバーの部分だった。このカバーは白く透けていて、中から発せられる光を柔らかくしてくれている。そしてその中に、強い光を放つ石があった。大きさは私の手の平に収まるくらい。手に持ってみると、意外にも冷たかった。


「これが……」

「光の魔法石じゃ。形を加工した石に光の魔術を込めて作る。魔術で明かりを付けたり消したりでき、数ヶ月から数年で魔力を失って光らなくなる」

「あ、ずっと使えるわけじゃないんですね」


 先生の話を聞きながら、手の中で転がしてみる。指で遮られた部分が壁に影を作り、部屋の中が幻想的になる。こういう強い光源があれば、影絵遊びができそうだ。


「まあな。でも、作るのは比較的簡単じゃ。魔術を習い始めた学生はまず、これを自分で作れるようになるのを目標に勉強するんじゃ。おかげで、学園にはこの石が大量に余っていての。外に売るほど余っておる」

「へぇ……」


 そんなに簡単なのか。なら、頑張れば私にもできるのかな。

 などという淡い期待を抱いて、私は軽い気持ちで尋ねる。


「私にも、できますかね」

「そうじゃなぁ。まあ、早くても一年、最低でも三年くらい勉強すれば、できるようになるかのう」

「い、一年も……」


 そんな、魔法の練習と全然変わらないじゃん……。

 魔術の世界も甘くはなかった。期待を裏切られて肩を落とす。

 まあ、そうだよね。そんな簡単にこんなものが作れたら、みんな自分用のを持ってるはずだ。この学校に通っている人達は、もしかしたら持っているのかもしれないけれど。


「じゃ、じゃあ、壁のボタンで明かりを操作するのは、どういう仕組みなんですか?」


 気を取り直して、今度は明かりを付けるボタンに付いて質問する。

 こちらはさっきコバリィ先生がやったのとは違って、ただボタンを押すだけで明かりが付く。そのおかげで、私のような魔法が使えない人でも普通に生活ができている。そんな便利な代物だった。

 この質問に対しても、先生はスラスラと答えた。


「簡単じゃ。壁の裏に魔法陣が描かれていて、ボタンを押すたびに魔術が発動するようになっておる。その魔術が、魔法石の明かりを付けて、消してとしているだけじゃよ。いちいち魔術を唱えなくていいように、ひと工夫しているんじゃな。魔術を使うのにも、体力や集中力が必要じゃからな」

「へぇ、そんな仕組みだったんですか。今まで普通に使ってたけど、知らなかった」

「まあ、これは少々複雑な術式じゃからな。付けるのと消すのを同じ陣で操作しているから、魔術をしっかり学んだ者でも、一から作るとなるとかなり骨が折れるじゃろう」

「え、そんな難しい技術が使われてたんですか? よくこんなに普及しましたね」


 考えられてからどれだけ時間が経っているのかわからないが、少なくとも私が行ったすべての施設にこのボタンがあった。こんなに難しい技術が全国に普及しているなんて、どう考えても凄いことだ。


「まあ、あれじゃよ。陣をそのまま描き移せば効果は出るから、素人でも簡単に真似ができるんじゃ。その点もあって、実に画期的な発明じゃ。おかげで世の中がとても便利になった」

「へぇ……」


 コバリィ先生はしみじみと語った後、この話を終わらせた。


「ボタンについては、まあそんなところじゃ。さて、もう明かりを付けなければならん時間になってきた。そろそろ帰ったほうがいいじゃろう」


 光を放つ魔法石を元の場所に戻して、先生は言った。そう言えば、ここにいるのは日が沈むまでとの話だった。先生の話が面白いのでつい色々聞いてしまったが、そろそろ宿に戻らないと。


「あ、はい。ありがとうございます。色々と教えてくれて。凄くわかりやすくて、凄く、面白かったです」


 椅子から立ち上がり、今日のお礼を言う。ここに来るまでは、学校なんて、勉強なんてと思っていたけど、教えてもらってみると案外面白い。コバリィ先生を紹介してくれた師匠に感謝だ。もちろん、私の質問に全部答えてくれた先生にも感謝している。師匠がこの人と友達でよかった。

 私の言葉に、先生は満足げに頷いていた。教える側としても楽しかったのかもしれない。

 そして、明日から始まる授業について、予定を考える。


「そうか。では、明日からは本格的に、文字の勉強をするとしよう。そうじゃな。明日の……午前九時頃、またここに来なさい」

「はい。わかりました。じゃあ先生、また明日」

「うむ。気を付けて帰るんじゃぞ」


 重たい扉を開けて、閉める。そういえば、この廊下に描かれているお話について詳しく聞くのを忘れていた。

 ……まあ、まだ時間はあるから、急がなくていいか。それよりも、大変だ。今日一日で、本当に色んなことを教えてもらっちゃった。おかげで頭の中がまだ整理できてない。でも、知識が増えていくのって、なんだか楽しいな。

 この数時間で一気に増えた知識を反芻しながら、私は学校を出て、今日取ったばかりの宿屋に向かった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 夜道はとても明るかった。今日はあの巨大な月が雲に隠れず輝いているから、という理由もあるが、他の町と比べて街灯が多いせいだ。先生が言っていたように、学校で魔法石が大量に作られているからだろう。教えてもらった知識が早速役に立った。

 宿屋に戻る途中、食事をするお店の立ち並ぶ賑やかな区画で、師匠とカイが食事をしているところを見つけた。


「あ! 二人とも、ズルいですよ。私を置いて先にご飯食べるなんて」


 二人が座っていたのは窓際の席だったが、目立ちにくい場所だ。私が義眼を使っていなかったら、このまま素通りしていただろう。


「ん、戻ったのか、レイラ。まあいいじゃねぇか、それくらい。お前もどうせ、後で飯食うんだから、そう大して変わらないだろ」

「それは、そうかもしれないですけど……」


 不満を言いながらも席について、私も師匠と同じものを頼む。


「で、どうだった、レイラ。初めての学校は」


 頼んだ商品が運ばれてくるのを待つ間、師匠が自分の夕食を食べながら、私に聞いてきた。


「ん、そうですね。思ったより、良さそうです」


 素直な感想を述べる。この町に来る前に抱いていた嫌なイメージは、もうほとんどなくなっていた。


「そりゃよかった。いい奴だろ、コバリィ。カイも昔、あいつに文字とか教わったんだよな」

「あ、やっぱりそうなんですか。なんとなくそんな気がしてたんですけど」


 道理で先生の前では大人しいわけだ。魔術は習わなかったようだが、あの人には色々とお世話になったのだろう。

 カイは、コバリィ先生にどんなことを教えてもらったんだろう。仲は良かったのかな。

 そんなことを考えながら、カイのほうに視線を送る。すると、彼は不機嫌そうに目を逸らして、


「……師匠に無理矢理連れて来られただけだ」

「ははっ、そうだったっけな。もう覚えてないね、そんな昔のこと」

「チッ……都合のいい頭だな」


 そこで私の晩ご飯が運ばれてきたので、私は店員さんから料理の乗ったトレーを受け取った。


「あ、どうも。ありがとうございます」


 自分が何を頼んだのかもよくわかっていなかったが、店員さんが持ってきてくれたのは、この町で作られた野菜を使った、温かいクリームシチューだった。大きめにカットされたオレンジ色の人参が、白色のクリームから顔を出して存在を主張している。そのクリームがまたトロトロしていて、見ているだけで食欲が湧いてくる。


「美味しそう……。いただきます」


 スプーンを手に持って、早速食べ始める。

 ……美味しい。美味しすぎて、思わず笑顔になってしまう。

 先にご飯を食べ始めていた二人はもう食べ終わっていたが、私は置いていかれた腹いせとばかりに、たっぷり時間をかけてシチューを味わった。二人は私がご飯を食べる間ずっと暇そうにしていたが、そんなことは関係ない。これはすべて、私を置いて自分達だけ先に帰った彼らが悪いのだ。


 お店を出て宿に戻る間、私は大通りを外れたこの小さな繁華街の様子を眺めた。

 どうやら、宿屋の近くにはご飯を食べるお店が多いようだった。お洒落なカフェもあるし、ラーメンっぽい料理を出している場所さんもある。学生らしき人の姿が多いので、そういう若い人達を対象にしているのかもしれない。逆に、大人をターゲットにしたお酒を飲むような場所は少ない。バーのような雰囲気のお店が、区画外れに一軒あるだけだ。これも恐らく、学生の多い町ならではの光景なのだろう。他の町との違いに一つ気が付く。

 宿に戻った私達は、体を休めて旅の疲れを癒した。今回取った宿は、今までの宿屋と違って少し特殊だ。

 まず、この宿には食堂がなかった。この辺りはご飯屋さんが多いので、それを考慮してのことなのかもしれない。それから、もう一つ変わったものがある。宿の中に食堂がない代わりなのか、今回のお部屋にはなんと、お湯の出るシャワーが付いていた。流石は都会の宿屋だ。湯船はないけれど、体を綺麗にできるだけで全然違う。

 シャワーには、師匠、カイ、私の順で入ることになった。二人が先にシャワーを使っている間、私はベッドに座って体を休める。

 今まで泊ってきた部屋にはシャワーなんてものはなかったので、なんだかとても贅沢をしている気分になる。でも、リアセラムでは毎日温泉に入る生活をしていたせいか、今の私は、たった一日お風呂に入らなかっただけでも気持ちが悪くて落ち着かなかった。

 一度毎日体を綺麗にできる生活を経験したら、もう元には戻れないよなぁ。

 そんなことをしみじみと思いながら、カイと交代してシャワーを浴びる。頭がホカホカしているカイを見ると、リアセラムで一緒に温泉に入ったことを思い出し、少し恥ずかしくなってしまった。

 顔を赤くしながら服を脱ぎ、シャワーを浴びる。最近になって、ようやく自分の体に関する色々な恥ずかしさにも慣れてきたような気がする。


「ふぅ……」


 頭からお湯を浴びて、その心地良さに身を任せる。お湯が肌の上を流れていくにつれて、疲れた体が癒されていく。

 今回の旅も、結構大変だった。でも、明日からも大変だ。なにせ、勉強という今までにない新しいことを始めるのだから。優しいコバリィ先生に教えてもらえるとはいえ、私がそれに付いていけるかどうかは、私の頑張り次第なのだ。

 ……これもフェニさん達に手紙を書くためだ。頑張ろう。

 改めて勉強に対するやる気を燃やしながら、体を洗う。この宿に置いてある石鹸は、リアセラムで使っていた石鹸とはまた違うようで、海に似た良い香りがした。その香りがアケルでのことを思い出させて、少し寂しい気持ちになる。

 ……一緒に町を出たジェミニちゃんは、今どこにいるのかな。頑張っているだろうか。私が買ってあげた弓とか道具とか、ちゃんと使ってくれてるかな。

 髪の毛を洗いながら、同じオッドアイを持つ友人の顔を思い浮かべる。まだ彼女と別れて二週間と経っていないのに、もう懐かしい。


「はぁ……」


 まあでも、ジェミニちゃんなら多分、大丈夫だよね。

 私に弓の使い方を教えてくれたエルフの友達を信じ、私は全身の泡を洗い流した。

 寝巻に着替えて部屋に戻ると、カイはもうベッドに入っていた。こんな早くに寝るなんて珍しい。カイも疲れていたのだろうか。


「ふぅ、さっぱりしました。シャワーがあるだけでも、結構違いますね」

「そうだな」


 寝てしまったカイを起こさないよう、小さな声で師匠と話す。


「凄いですよね、こんなものが各部屋に付いてるなんて。いい町です。水を贅沢に使ってます。これってやっぱり、水を川から引き込んでるおかげなんですか?」


 いい機会なので、シャワーを浴びている時に気になったことを、自分なりに考えた仮説と一緒に尋ねてみる。


「ん、まあ、それも理由の一つだ。だがほとんどは、水の魔法石のおかげだ。ほら、魔術師が集まる学園があるから。そこでかなり作られてるらしいぞ」

「へぇ……」


 つまり、光の魔法石と同じ理由という訳か。この部屋を明るくしているこの光も、ついさっき浴びてきたシャワーも、若い魔術師達が日々練習しているおかげ、と。


「学校で作ったものがすぐに町で使われるなんて、凄いですね。作った人達も、きっと誇らしいでしょう」

「そうかもな。宿なんかの使う側も、学校から仕入れたほうが安いと聞いている。金の話は難しいが、まあ、双方ともいい思いをしているみたいだぞ」

「なるほど……そういう協力体制があるんですね」


 話題が尽きた。静かな部屋に、外の喧騒が入り込む。若い人が多い町だからか、こんな時間になっても、まだ外は賑わっているようだ。


「……さ、そろそろ寝るか」


 勢いを付けてベッドから立ち上がり、師匠は言った。どうやら、今日の活動はここまでのようだ。


「お前も、明日から勉強するんだろ? なら早く休まないとな」

「そうですね。じゃあ、おやすみなさい」


 私がベッドに潜り込んだことを確認した師匠は、壁のボタンを操作して明かりを消した。天井に取り付けられた魔法石は、その場にぼやけた残像を残して、光を失った。



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