第三十一話 紙とペン
リアセラムを出て四日目。私達を乗せた馬車は小さな村に到着した。でも、目的としている町はもっと先らしく、残りの道のりは徒歩で移動することになった。
村で一夜を過ごし、昼前に出発。それから日が暮れるまで歩き続けた私達は、焚き火を囲んで買い込んだ保存食を口に運んでいた。
リアセラムで買った干し肉はパサパサして塩辛くて、水がないと、とてもじゃないが食べられなかった。アケルで大量にもらってきた魔物の干し肉のほうが、よっぽど美味しい。加工はされていても、やはりお肉は新鮮なほうが美味しいのだろう。
「師匠」
「ん? 急にどうした? レイラ」
不満の塊をもさもさ食べる夕食の最中、私は師匠に、馬車に乗っている間に思いついたことを話してみた。
「私、手紙を書きたいです」
「手紙? 急だな。誰に出すんだ、そんな物」
「フェニさん達にですよ。色々お世話になったので」
アケル出てから数えると、大体三ヶ月が経った。近況報告にはそろそろいい時期だろう。それに、この間ジェミニちゃんとの会話であの人達のことを思い出して、私は少し寂しさを感じていた。
「ほう、そうか。いいんじゃないか? あっちもお前のことは心配してたからな。俺からのだとちゃんと読まれるのかわかんねえが……お前からの手紙なら、喜んでくれるだろ」
私の希望を聞いた師匠は、特に批判的なことは言わなかった。師匠のお許しをもらった喜びを噛み締めながら、私は早速頭の中で文章を考え始める。
やった。じゃあ、何を書こうかな。まずはやっぱり、ジェミニちゃんのことかな。後、温泉のことと、弓のことと、師匠との鍛錬のことも書いて……。ああ、あの人、これを読んだらどんな反応をするんだろう。楽しみだなぁ。
しかし、師匠が発した次のひと言で、私の思考は止まった。
「でもお前、字書けるのか?」
「え? あー、それはその、たぶん……」
言われて気付いた。私はこれまで、ペンを握ったことがない。本を読んだこともない。それどころか、看板の文字やご飯屋さんのメニューは、私には読めなかった。
でも、文字自体は何となく想像できるから、大丈夫だとは思うけど……。
「多分? なんだそれ。自信がないなら、一回書いてみればいいじゃないか。ほら、筆記具なら貸してやる。何でもいいから書いてみろ」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、早速……」
ペンを受け取り、紙を持つ。それは、この間私とジェミニちゃんが買ってきたメモ帳と、師匠がいつも使っている簡素な金属製のペンだった。
さて、どんなことを書こうか。あまり悩むことでもないし、ここはまあ普通に……。
焚き火の明かりを頼りにペンを動かす。そして私は、書きあがった文字を師匠に見せた。
「……ん? 何書いたんだ?」
「自分の名前を書いたんです。『レイラ』って」
片仮名で三文字書いてみただけだが、まあ、試し書きなんてこんなものだろう。
ペンを持ったのはこれが初めてだったが、綺麗に描けている自信があった。けれど師匠は首を傾げて、
「これが? んー……悪いが俺には、そうは読めんな」
「え……」
私はちゃんと書いたのに。師匠には読めない? なんで?
何か致命的なミスをしていたのかと、不安を抱いて紙に視線を戻す。すると横から覗き込んできたカイが、
「……犬か何かの絵か」
「なっ……!」
「ちょ、おいおい。それは言いすぎだろ。俺でもそこまでは言わなかったのに」
今までずっと一緒にいた人にそんなことを言われて、私は物凄いショックを受けた。
「酷いよカイ! ……そんなに酷いの? 私の字」
「……理解不能だ」
「え!?」
自分で書いた字だ。もちろんちゃんと読めるし、ちゃんと書いてある。でも、師匠にもカイにも読めないなんて……絶対におかしいよ。
「うーん、これは想定外だな。……あ、いや。んー……お前の書いたその文字は、もしかすると、俺達の使っている文字とは違うのかも、しれないな」
腕を組み、険しい顔で言葉を紡ぐ師匠。唐突に難しい話になった。
「え? ど、どういうことですか?」
「……なんだ、急に学者みたいなことを」
同時に首を傾げた私とカイに、師匠は少し考えてから、自分の考えを披露し始めた。
「あり得ない話じゃないぞ。この国で使っている文字は数百年前からほとんど変わらんが、それ以前はまったく異なる文字を使っていた。それこそ、俺達には理解できない文字をな。今でもあるんだぞ? 大昔の文字で書かれた書物とか。もしかしたらこいつは、そういう文字を今なお使っている所の出身なのかもしれない」
「……あり得るのか、そんなこと」
今度はカイが腕組みをして、師匠の発言を疑う。そんなカイに、師匠は肩をすくめて言った。
「俺達が知らないだけかもしれないだろ? 既存の概念に捕らわれていてはいつまで経っても成長できんぞ。どんなことにも、可能性ならあるんだからな」
師匠はなんだか難しい言葉を使って、話を締めくくった。彼がこんなややこしいことを話すのは少し意外だったが、納得できる話だった。
「へぇー……」
今まで文字のことなんて得に深く考えたことはなかったけど、そうか。そういう考え方もあるのか。師匠の着眼点はやっぱり凄いな。
ひと通りの解説を終えた師匠は、感心している私の方を向いて、
「じゃあ、勉強しに行くか」
「……え?」
えっと……勉強、って? どういうこと?
「だから、字の勉強。手紙書きたいんだろ? なら勉強しないとな。俺から教えることもできるが、ちょうど次の目的地には有名な学校がある。お前はそこに行って、文字以外にも、常識とか歴史とか魔術とか、色々教わってこい。いいな」
「えぇ……今更、学校ですか」
師匠に教えてもらったほうが、私的には嬉しいんだけど……。
そんな私の不満も、師匠はまったく相手にしてくれなかった。
「いい機会だ。これも修行だと思え。よっし、そうと決まれば早速手続きだ。ほら、紙を返してくれ。必要なのは確か、名前と年齢と……あ、お前いくつだっけ」
師匠は、戸惑う私の手からひったくるようにメモ用紙とペンを奪い、何やら書き始める。
「え、それは、わからなくて……っていうか、勝手に決めないでください」
聞かれたことに答えてから、ついでのように反論する。しかし師匠は、まったく聞く耳を持ってくれない。
「ああ、そうだったな。すまん。でも、決めとかないと不便だな……。よしじゃあ、十五歳くらいってことにしとくか。ちょうど成人だ。これくらいの年齢じゃないと色々と不便がある。誕生日は今日でいいな。おめでとう」
「あ、は、え?」
なんだか、私の望まない方向に話が進んでしまっている。私の意見は聞いてくれないの?
「いや、だから私はまだ行くなんてひと言も……」
「いいから、行ってこい。これも修行の一環だ。お前は俺の弟子なんだろ?」
「はい。でも、それとこれとは――」
「こら、師に口ごたえするな。もう決まったことだ」
話を強引に決めてしまった師匠は、私の言葉を遮って立ち上がった。どうやら、草の影で用を足すようだ。師匠の後ろ姿から視線を外して、私は肩を落とした。
「えぇ……なんで私が、今更学校になんか……」
募る不満を愚痴に零す。そんな私の呟きが聞こえていたのか、お肉を食べ終えたカイが、私の方を向きもせずに小さく、
「……諦めろ」
と呟いた。私の気持ちは、さらに落ち込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
そんな話をしてから、九日が経った。その間、師匠の口から学校に関する話が出ることはなかった。おかげで学校のことなどすっかり忘れていたが、目の前に大きな町らしき影が見えてきた時、私は、否応なしにあの話を思い出してしまった。
「……あ。師匠、もしかして、あれって……?」
遠くに見えてきた影を指差し、師匠に確認する。すると彼は目を細めて、私の指が示す先を見つめた。そして、
「ん? ……目が良いな、レイラ。ああ、そうだ。あそこが目的地だ」
私達の歩いている道の先、小高い丘の上に見える人工物の集団。まだ小さくてよく見えないが、あれが次の目的地らしい。今回の旅の終わりが見えたことで、まだ見ぬ世界に対する興奮で胸が高鳴る。
次の町はどんなところなんだろう。どんな人がいるんだろう。またジェミニちゃんのように、新しい友達ができるといいな。
そんなことを考え始めた私に、師匠は少し歩くペースを落として、あの町の説明を始めた。
「あそこに行ったら多分、お前、今までで一番驚くと思うぞ。なんてったってあのキアリアは、国一番の学術特区だからな」
「学術特区、ですか?」
初めて聞いた言葉だ。その意味を尋ねてみる。
「町と学校が一体になっている、ってことだ。町そのものが、学校を基準に作られている。学生や教授が生活しやすいようにな」
「へぇー」
町なのに、学校が主体? 不思議な所だなぁ。これまでの町とは全然違う。いったいどんな所なのだろう。気になる。
「どんな町なんですか?」
「そうだな。町並みは、結構新しいぞ。あの町は元々、別の国の首都だった。中心に大きな城があったんだ。今はもう城はなくなったが、当時の防壁がまだ残っていて、町を囲んでいる。古い壁だが、修理と補強を繰り返して今も使われてる。おかげで魔物からの守りは万全で、町の中は完全な安全地帯だ。学校が大きくなったのも、町が安全なおかげだな」
言われてみれば、確かに町は壁のようなもので囲まれている。あれがかつての城壁なのだろう。師匠が話していた通り、所々に修繕の跡が見受けられる。ただ、その壁の外にも普通に建物が立って、人が生活しているように見える。あれは大丈夫なのだろうか。
「学校の名はオント・ニューク魔術学園と言って、基本的に魔術を勉強するための学校だが、それ以外のことも教えてる」
……ん? 魔術? それって、なんだろう。魔法とは何か違うのかな。
馴染みのない単語に疑問を抱くが、師匠の話はまだ続いていたので、質問はせず聞き流す。
「学校の近くは、ちょうどお前と同じくらいの年の子供が多いな。一定の年齢に達した子供達が、試験を受けて、国中からやってくるんだ」
「国中からですか。凄いですね」
まだ私が行ったことのない場所から来た人達もいる、ということか。楽しみだ。新たな出会いの予感がする。
「そうだな。ちなみに、この国で学術特区はあそこだけだ。というか、学術特区っていうのが、この町のために作られた名前みたいなもんだな。王都にも近いから、人口は、二、三番目くらいに多い。今度はリアセラムみたいに、温泉も山もないぞ。近くに川はあるがな。そこから水を引き込んでる。町の周りには畑が広がっていて、野菜の生産量も多い。まあ、その分消費量も多いが」
師匠の言う通り、城壁の外の広い範囲には、大きな畑が広がっていた。育てられているのは、芋や人参、玉ねぎなどの、地面の下で育つ野菜が多いようだ。土地に養分が沢山あるのだろう。後はスパイスさえあればカレーが作れる。
この辺りはだだっ広い草原で、青々とした草が足首の辺りまで伸びている。師匠が言っていた川というのは、ここから見て町の右手にあった。城壁の外、百メートルくらいの所を流れている、綺麗な川だ。町の方に細く伸びているのが引き込み用の水路だろう。川と水路の周りにだけ、お米を育てる田んぼがある。リアセラムほどではないが、それなりに自然が多いようだ。エルフ的に評価が高い。
そんな話をしながら歩みを進めて、町が大分大きく見えるようになってきた。建物がある場所までは一キロ、畑まではもう百メートルもない。話に聞いたキアリアの立派な城壁が、徐々に近く、大きくなっていく。きっと、間近で見ると凄い迫力なのだろう。リアセラムの山も凄かったが、こういう大きな人工物も、また違った迫力がある。
そんな時、私の義眼に反応があった。
「……あ。師匠、後ろから魔物が来ます」
「何?」
四時の方向からだ。義眼の意識をそちらに向けて、詳しく解析。
「数は十以上。えと……人型?の何かです。魔物、でいいのかな?」
それは、初めて見る生物だった。人型で、背が低く、肌は草原に溶け込むような深い緑色。手には棍棒のようなものを持っている。鼻が大きくて、唇の隙間からは鋭い牙が覗いていて。醜い顔。でも、下手に人の形をしているため、その評価を口にするのがちょっと憚られる。
けれど相手は、見るからに敵意を剥き出しにしている。私達を襲う気満々のようだ。
うわ、何あれ。こんなの今まで見たことないよ。あんまり言いたくないけど、ちょっと、気持ち悪い。それにしても、魔物に襲われるなんて珍しいな。今までは、道中で魔物と出くわすことすらほとんどなかったのに。
魔物の特徴を師匠に伝えると、彼はなぜか肩をすくめて警戒を解き、息を吐いた。
「なんだ、ゴブリンか。まあ、この辺りではよく見る奴だな。無視して先に進むぞ」
「え、戦わないんですか?」
戦いの予感を感じて息巻いていた私は、師匠の言葉に拍子抜けした。そして逆に、そんな選択をした師匠のことが心配になってくる。
襲ってくる魔物を放っておくなんて……。どうしちゃったんだろう、師匠。戦い云々は置いておいても、自分達の身に危険が迫っているのに。
信じられないという表情で師匠を見ていると、彼は、
「そんな顔するな。大丈夫。もう少し進めば安全だ」
「安全って……」
どう見ても安全とは思えないんだけど……。まあでも、師匠がそう言うのなら……。
師匠がまったくやる気を出してくれないので、私も段々、戦う気分ではなくなってくる。
なぜゴブリン達と戦わないのか首を捻りながらも、急がず焦らず歩みを進める。
そうして畑がある地域まで来たが、ゴブリンの群れはもうすぐそこだ。彼らの顔がはっきりと見えるくらいに近い。
「ねぇ、ししょぉ……ほんとに戦わないんですか?」
「あー、はいはい。そんなに気になるんなら、様子くらいは見ておくか」
そう言って師匠が道の途中で立ち止ったので、私もそれに倣って足を止め、ゴブリンのことを眺める。手には武器を持ち、いつでも剣を出せるように準備。
街道を伝い、迫りくるゴブリンの群れ。この状況で本当に何もしないのかと心配になる。しかし突然、ゴブリンは何かにぶつかったように、ある地点から先に進まなくなった。
……あれ? どうしたんだろう。なんでこっちに来ないんだ?
よく見ると、ゴブリンがそこから先に進もうとした瞬間、空中から電撃が放たれ、後方に弾き飛ばされている。全速力でこちらへ向かっていたゴブリンの群れは、全員が全員面白いくらい頭から電撃に突っ込み、弾き飛ばされて道の真ん中にひっくり返っていた。
バチバチと火花を散らす電撃が収まった後、辺りにはゴブリンの悲鳴と苦しそうな呻き声が響き、肉が焦げたような独特な臭いが漂っていた。
「うわ……なんですか、これ」
電撃が出る瞬間、私の右目には黄色の靄が見えていた。こういう靄が見えるようになってしばらく経つが、その正体はまだよくわかっていなかった。
またあの変なもやもやだ……。いったい何なんだろう、これ。
そうやって悩みごとに頭の中をモヤモヤさせている私に、師匠が今の現象を説明してくれた。
「結界だ。町を守っているのは、あの古い城壁だけじゃない。町や畑を魔物から守るため、こうして結界が張られているんだ。一応、あそこは魔術師の町だからな。こういうこともやってある。人に害をなす存在が入ってこないよう、魔術によって守られているんだ。城壁の外に普通に町があるのも、この結界のおかげだ」
そんな話をしている私達の前で、まだ息のあった数匹のゴブリンがよろよろと立ち上がる。彼らは先ほどの電撃に恐れをなして、一目散に退散していった。残りの個体は、心臓が止まっていた。
なるほど。だから師匠はもう安全だって言ったのか。それにしても、分厚い城壁と魔法による結界。このキアリアの町の防御態勢は、驚くほど厳重だな。他の町にはこんなものなかったのに。……いや、もしかして、私が知らなかっただけで、あったのかな? アケルにもフィーンにもリアセラムにも。後で師匠に聞いてみよう。
師匠は、一瞬にして死体に変わったゴブリン達を一瞥してから、再び町へ歩き出した。そして、まだ考えにふけっている私に向かって、
「この辺りじゃ、これくらい日常茶飯事だ。ほら、行くぞレイラ。もうここはキアリアの中で、安全地帯だ」
そうして私達は、学問の町、キアリアに到着したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
町は周囲よりも少し高い場所にあった。昔は一国の首都だったそうなので、見晴らしの良い場所を選んで町を作ったのだろう。城壁なんかが築かれる時代だ。防御の面も考えなければならないはず。この辺りは草原の真ん中なので、攻められにくい地形とは言い難い。でも、近くに川や畑があって、生活はしやすそうだ。文明は川の近くに発展すると言うし、水の確保を優先したのかもしれない。もしくは、昔はもっと色々な防御策が講じられていたとか。例えば、堀とか。
「そういえば、ここ、お城に堀とかはなかったんですか?」
水を引き込んでいるという川を利用すれば、堀くらい簡単に作れるはずだ。でも、町の周りには特にそういうものはなかった。気になって師匠に尋ねてみると、
「ん、昔はあったが、もう埋め立てられて畑になったぞ。ちょうど外堀があった辺りが、畑と城壁の外にある町との境界線だ。内堀も埋められて道になってる」
「へぇ、そうなんですか」
なるほど。もう堀は必要ないということか。魔法で結界も張っているし、それで防御は十分ということなのだろう。
昔ここにあったというお城は、いったいどんなお城だったのだろうか。やはり、今も町を取り囲んでいる城壁と同じように、石造りの頑丈な建物だったのだろうか。空を突き刺すようにそびえ立つ高い尖塔があったり、豪華な装飾がされていたりしたのだろうか。
お城って聞くと、やっぱり豪華なのを想像するな。まあ、私はあまり絢爛豪華なものは好きじゃないけど。実用性のないところにお金をかけるのは、無駄以外の何物でもない。
私達は今、町の門から続く一本道を歩いている。ここは馬車が並んで四台も通れるほど広い道で、人もそれなりに多い。この道が続く先、上の方に見えているあの大きな建物が、オント・ニューク魔術学園。この町が発展した理由であり、この町の存在意義のような学校。そして不本意だが、私が通わされるという学校だ。
……学校かぁ。次の目的地だからってことでここまで来たけど、やっぱり気が乗らないなぁ。
文字を教えてもらえるのはありがたいけれど、やはり、学校はちょっと。自分でも何がそこまで嫌なのかはよくわからないけど、とにかく嫌だ。今からでも逃げ出してしまおうか、などと考えてしまうくらい、私は学校に対して、あまり良い感情を持っていなかった。
「さ、まずは寝床探しからだな。学校に行くのはその後だ」
「はぁい……」
気の抜けるような返事をして、私達は宿を探して町をうろついた。
適当な宿に三人部屋を取った後、私達は再び大通りを上っていた。さっきはまだ少し遠かった学校の建物も、もうかなり大きく見える。
……はぁ。まさか、本当に学校に通うことになるなんて……。私はただ、手紙を書いてみたいだけだったのに。こういう時こそ、いつもみたいに冗談で済ましてほしかった。
空いている宿屋を見つけるのに少し時間がかかってしまったので、時刻はもう日が傾き始める頃だった。それでも師匠は、学校に行くのはやめないと言っていた。今日中に挨拶だけでも済ませたいらしい。まったくもって面倒臭い。
暗い気持ちで道を歩きながら、またいつものように、このキアリアと今までの町との違いを考える。この町は城壁がある関係か、上から見ると正円に近い形をしているようだ。そのせいなのかどうかはわからないが、道がかなり整備されていた。グネグネと曲がりくねった道はほとんどなく、馬車が入れる道と入れない道とが明確に区別されていている。今までは気にしていなかったけれど、道路のルールもきちんと整備されているようだ。学校に通う生徒達の安全を確保するためだろうか。今までの町と比べると、そういうところがかなりしっかりしている。
やはり都会は違うな、なんてことを考えている間に、私達はいつの間にか、校門の前に立っていた。
「よし着いたぞ。ここが、オント・ニューク魔術学園だ」
大きく開かれた学校の門は、今まで見たことがないほど凝った装飾がされていた。授業が終わる時間帯なのか、下校する学生らしき人の姿がちらほらと見受けられる。彼らは皆一応に黒っぽいローブを着て、三角の帽子を被っている。学校の制服だろうか。私のイメージする魔法使いそのままだ。そんな生徒達に見られながら、私は師匠の紹介に冷めたリアクションを返した。
「はぁ、そうですか」
別に楽しみにしていたわけでもないので、言うべきことも何もない。
「なんだよ、その反応。もっと、凄いとか、楽しみーとか、ないのか」
「ないです」
学校が楽しみだなんて。小学生じゃあるまいし。
師匠はそんな私の反応が面白くなかったようで、少しむすっとして溜息を吐いた。
「なんだよ。つまんねぇなぁ」
そう言いながら彼は、校門をくぐって学校の敷地内に入っていく。私とカイもそれに続いて、初めての学校に足を踏み入れた。
一番に目についたのは、石造りで六階建ての校舎だった。レンガも使われている。敷地の中には他にも建物が並んでいるが、この目の前の建物が一番大きい。そして、今まで見てきたどの建物よりも装飾が多い。
窓枠は波のようにうねり、柱や屋根の上には、魔物のような彫刻がある。どれも怖い顔だ。魔除けのような意味があるのだろうか。どうやらここには、私にはよくわからない文化があるようだ。
……凄い建物だなぁ。お金がかかってそうな装飾だ。なんか建物全体に薄く靄がかかっていて、はっきりとは見えないけど。なんだろう。時間帯のせいかな。
私が建物に目を奪われている間に、師匠は慣れた様子で、どんどん校舎の中に入っていった。脇目も振らずに進んでいくので、ついて行くのが大変だ。内側の装飾とか、もっとゆっくり見て回りたいのに。でも今は好奇心を抑えて、私は黙って師匠について行った。さっきまで学校に興味なんてないと言っていたので、今更それを撤回することはどうにもできない。
この学校の生徒達は、いきなり現れた私達のことを興味ありげに見てはいたが、話しかけてくることはなかった。彼らの視線を受けながら、階段を上がって一番上の階へ。廊下を歩いて教室をいくつも通り過ぎる。
本当に長い廊下だ。張られている壁紙も興味深い。何かの、物語を表現しているのだろうか。人のような形のものや、猫のような形の何かが描かれている。芸術の類に興味はないが、これがいったい何を表しているのか、ちょっと気になる。
……壁の物語も気になるけど、師匠はいったい、どこまで行くつもりなんだろう。
そんなことを考え始めた頃、ようやく師匠は、廊下の端にある扉の前で足を止めた。
これまた装飾の多い扉だ。この扉もまた、壁紙の物語の一部になっているのだろう。芸術品のような重たい扉をノックして、師匠は呼びかけた。
「俺だ。いるか、コバリィ」
返事はあったが、くぐもってよく聞こえなかった。だが、師匠はそれを入室許可だと受け取ったようで、遠慮なく扉を開けて部屋の中に入った。
「おお! 待っていたぞ、アドレ。まだ生き残っとったのか。久しいの」
部屋の中にいたのは、黒いローブを纏った老人だった。机に向かって何か作業をしていたようだが、師匠の姿を見ると、しわしわの顔を綻ばせて立ち上がり、師匠と抱き合った。
「悪かったな。俺はまだこの通り健在だよ。久しぶりだな、コバリィ。お前こそ、その年でよく生きてられる」
久々の挨拶ついでに、軽く憎まれ口を叩く二人。どうやらこの老人は、師匠のお友達のようだ。それも、かなり仲の良い。
この部屋は書斎のようだった。壁の棚には沢山の本があり、何かの道具があり、さっきまで老人が向かっていた机には、書きかけの紙と羽ペンが置いてある。
一歩下がって相手の肩を軽く叩いた師匠は、老人の格好を上から下まで見渡して、
「……なんだお前、その格好。中世の魔法使い気取りか?」
確かに老人の出で立ちは、そう言われてもおかしくない格好だった。引きずるくらい丈の長いローブに、大きな帽子。学生の姿を見た時も思ったが、本当に典型的な魔法使いそのものだ。
「馬鹿言うな。正装じゃ。今日は式典があったんじゃ」
老人は師匠よりも少し背が高かった。髭も肩にかかる髪の毛も真っ白だが、元気なおじいさんだ。今着ているのは正装と言っていたが、確かに所々に細かな模様や、バッジなどの装飾が見られる。これが正装ということは、この老人は本当に中世の魔法使いなのだろうか。
挨拶を終えた老人は師匠から目を外し、今度はカイの肩に触れる。
「おお、カイ。見ない間に男になったな、若いの。最後に見たのは……八、いや、九年前じゃったか。いやぁ、早いのう。あの時は何も知らぬ小童じゃったが。どうじゃ。少しは強くなったのかの」
「……強くなければ、俺は今ここにいない」
「そうかそうか。それはよかった」
カイとも面識があるようだ。意外にもカイは、老人に対しては素直だった。いつもは無口で仏頂面で、誰に対しても舌打ちするような人なのに。
ひと通りの挨拶が終わったところで、師匠はようやく、部屋の入り口で控えていた私に老人のことを紹介した。
「レイラ、紹介する。この爺さんは、コボル・フォーラン・シー。この学園の先生だ。コバリィ、このちっこいのが、手紙に書いたレイラだ」
「どうも、お若いの。コバリィと呼んどくれ。一応、この学園の教授じゃ。好き勝手しとるだけの、しがない魔術師じゃがな」
「ど、どうも。レイラです……。えと、師匠……アドレさんの、弟子、です。一応」
年配の教授先生を相手に、かしこまって頭を下げる。誰かと初対面の時は毎回そうだが、緊張が隠せない。
意外だった。師匠がこんな、学校の教授さんなんかと知り合いだったなんて。しかも、抱き合うくらい仲が良いとは。男の友情というものを感じる。
「それで、アドレよ。お前は、この娘に何を教えて欲しいのだ?」
私から目を離したコバリィさんは、師匠に向き直って尋ねた。事前に手紙をもらっていたようなので、こちらの事情はある程度把握しているのだろう。
「そうだな。最低限、文字の読み書きさえできるようにしてくれ。本人の希望だ。後はなんでもいい。好きに育ててくれ」
「ふむ。まあよかろう。今の時期は授業もなくて暇じゃしな。本人にやる気があるのなら、時間が許す限り面倒を見よう。それにしても、ふうむ……」
コバリィさんは、師匠の依頼を二つ返事で受け、私に視線を戻した。
思いのほか、真剣な眼差しだ。真正面から顔をじっくりと見つめられて、何か悪いことをしてしまったのではないかと、何とも言えない不安な気持ちになる。
「あ、あの……私、何か……?」
「……ほほぉ、お主が気に掛ける娘がどんなのは気になっておったが、なるほどぉ……しかもエルフときた。これはこれは……」
私の顔に何を見たのか、彼はうんうんと深く頷いた。しかし私には、彼がいったい何に感心しているのか、さっぱりわからない。
「なんだ。欲しいのか?」
「いや、わしは人を所有したいとは思わんよ。じゃが……うむ。育て甲斐はありそうじゃ。どうじゃ。お主、アドレの弟子などやめて、わしの所に来んか。そうすれば、まさしく世界を変えるような魔術を教えてやろう」
「え、え……?」
な、急に何を言い出すんだ、この人。もしかして、私、このお爺さんに勧誘されてる?
「やめておけ。こいつはエルフのくせに、魔法が使えない。お前のとこでは、到底使い物にならんさ」
「そうなのか? 珍しい体質じゃの。色々と大変じゃろう」
「ま、まぁ、はい……」
話が急に変わって戸惑いつつも、とりあえず頷いておく。
普段はあまり気にならないけれど、誰かが魔法を使っているところを見ると、やはり気になる。仕事によっては、魔法がないと何もできなかったりするし。
……そういえば、この町の話を聞いた時からずっと気になっていたけど、この人や師匠が時々言ってる、魔術って何だろう。フェニさんに教えてもらった魔法とは、何か違うのかな?
気になった私は、質問してみることにした。学校の教授さんなら、きっと師匠よりも丁寧に答えてくれるに違いない。
「あ、あの、一つ、質問いいですか?」
「良いぞ。何か、気になることがあるのか」
「えっと、さっきから色々、魔術とか魔法とか言ってますけど……それって、何か違うんですか?」
私の問いに、コバリィさんは目を丸くして師匠の顔を見た。その反応に、師匠が肩をすくめる。
「ほらな。言った通りだろ」
「なるほど。確かにこれでは、色々と不安じゃな。基礎的な常識も知らんとは」
え、ちょ、馬鹿にされてるみたいで嫌な言い方……。
ショックを受ける私の前で、コバリィさんは顎に手を当てて髭を弄り、少し考える素振りを見せる。十分な説明が思いついたのか、少しして彼は、私の質問に答えてくれた。
「いいかね。魔法というのは、お主らエルフやドワーフ、竜人、獣人、魔物などが使う、神秘の法じゃ。こちらは最初から自然界に存在していた。対して魔術は、自然界の魔法を参考に、わしら人間が研究し、体系化した、魔法とは似て非なる術のことじゃ」
「は、はぁ……」
神秘の法とか術とか言われても、正直言ってよくわからない。けれど、私もそこまで馬鹿ではない。難しいことは抜きにして、理解できる部分だけで考えてみる。
……つまり、魔法は最初からあって、魔術は後から作られた、ということだろうか。言葉は似ているのにそんな違いが……。
「じゃあ、その、ここは国一番の魔術学園って聞きましたけど、つまり……人間が多い、ってことですか?」
「うむ。元から魔法を使うことのできない人間や、お主のように魔法が苦手な者達が、魔術を習得するための学校。それがここ、オント・ニューク魔術学園じゃ。どうやら、飲み込みは早いようじゃな」
私が納得すると、コバリィさんは満足げに頷いた。新たな知識を得た私は、少しずつ、この老人のことを気に入り始めていた。
……この人、説明もわかりやすいし、悪い人じゃ、ないかも。
「じゃあ、カイがいつも使ってるのも魔術なんですか? これも先生が教えたとか?」
調子付いた私は、もう一つ気になったことを尋ねてみる。しかし、この質問対して先生は、首を横に振った。
「いいや。わしは教えとらんよ。これはわしが教えるまでもなく、魔術を使いこなしておった。カイには魔術の才能があるんじゃ」
「え、そうなんですか。へぇ……」
秘密の多いカイの意外な一面を知り、賞賛の眼差しで彼を見る。
先生に教えられなくてもできたって、凄い。剣が強いだけじゃなくて、魔術もそんなにできるなんて。もしかしてカイって、魔術の天才、だったりするのかな?
こちらの視線に気付いたカイは、横目で私のことを見る。
「……なんだ」
「いや。カイって、意外と凄いんだなぁ、って思って」
「……ふん」
素直な感想を口にした私に対して、彼は面白くなさそうに顔を背けた。
そんな私達のやり取りを見守っていた師匠が、コバリィさんにお暇を告げる。
「さてと。じゃあ、挨拶も済んだことだし、俺達はここで失礼するか。レイラのことは頼んだぞ、コバリィ」
どうやら、今日の用事はこれでおしまいのようだ。
「ふむ。まあ、よかろう。お主も、しばらくここにおるのだろう? たまには顔を出してくれてもいいのだぞ」
「ん、まあ、何かいい土産が手に入ったら、考える」
友人らしく軽い挨拶をして、部屋の扉へと向かう師匠。
「あ、はい。えと、お邪魔しました……」
私も頭を下げて、二人に続いて部屋を出ようとする。しかし、
「馬鹿。お前はここに残るんだよ」
「え?」
なぜか、私だけ止められてしまった。
は? 残るって、師匠、いったい何を言って……。
突然訳のわからないことを言われて戸惑う私に、彼は、
「まだ暗くなるまでは時間があるからな。今日から早速、色々教えてもらえ」
「え、き、今日からですか!?」
ちょ、ちょっと待って。私まだ、この町に来て二時間くらいしか経ってない。ずっと歩いてきて、結構疲れてるのに……。
「そういう訳だ。よろしくな」
「はいはい。お前は相変わらず、人に迷惑をかけることが好きじゃな」
コバリィさんの呆れた言葉に軽く手を上げて、師匠は部屋を出ていく。
残れと言われてしまった私は、薄情な師匠の背中を見ることしかできない。私は一人、コバリィさんの部屋に置いてけぼりにされてしまった。




