第三十話 分かれ道
「えっと……塩を買って、干し肉を買って、火打ち石を買って、蝋燭……はいらないんだっけ。それから、胡椒と、タオルが五枚、と……」
師匠に頼まれた品々を思い出しながら、買い物籠に色々と放り込んでいく。既に籠の中はいっぱいで、結構重たい。そろそろお金を払いに行きたいのだが、まだ買わなければならない物が残っているので、もう少し我慢だ。
ふぅ、これで大体揃ったかな。後残ってるのは、えっと……あ、そうそう。メモ帳が切れかけてるから、それも必要なんだった。どこにあるかなー。
まだ見つけていない商品を探して棚を眺める。……見つからない。別の場所にあるかなと思っていると、ジェミニちゃんが小走りにやって来た。
「レイラちゃん、あったよ。はい」
「あ、ありがとう。ジェミニちゃん。よし、これで全部だね」
ジェミニちゃんが持ってきてくれたメモ用紙を確認して、買い物籠に入れる。大きさもいい感じだ。これくらいの大きさのメモ帳を、師匠はよく使っていた。
よーし。これで師匠に言われてた物は全部揃った。数も大丈夫。早くお金を払って帰ろう。
買い物を済ませた私達は宿に戻って、買ってきた物を整理した。今回仕入れてきたのは、調味料と、汗を拭くためのタオル、火種、非常食など。旅には欠かせない消耗品達だ。
ナイフやお鍋なんかの道具は既に揃っているので、必要なのは消耗品だけだ。今回はお小遣いからの出費ではなく、師匠から資金を頂いていた。だから、いちいちお金を気にすることがなくて、気が楽だった。
私達とは別行動を取った師匠とカイの二人は、最後に町の馴染みに会いに行っている。その後、馬車の予約を取って、軽く買い物をしてくるらしい。そして、お昼頃に近くの料理屋さんで待ち合わせの約束だ。
お昼まであまり時間がないので、早速買ってきたものを鞄に入れて荷物を整える。次に部屋を出たらもう、三週間近くお世話になったこの部屋に戻ってくることはない。
「荷造りは大丈夫? 忘れ物ない?」
少し心配になって、旅初心者のジェミニちゃんに確認する。彼女の鞄には、まだ一度も使ったことのないピカピカの道具が揃っている。そこに、今買ってきたばかりの調味料や消耗品を入れると、鞄にはあまり余裕がなさそうだった。
うーん、結構大きめの物を買ったつもりだけど……旅をするには、ちょっと足りなかったかな。動きやすさを重視しすぎたかも。
「大丈夫。ちゃんと確認したよ」
鞄と大弓を背負ったジェミニちゃんは、私の問いに元気よく頷いた。そのたち姿は、もう完全に旅人だった。
一階に降りると、宿の大将さんがカウンターの中でお仕事をしていた。ちょうどいいタイミングだと思い、お別れの挨拶をする。
「こんにちは、大将さん。今日までお世話になりました」
「お、君か。アドレの旦那からは聞いてるよ。金はもらってるから、行っておいで。気を付けてな」
「はい。いつもありがとうございました。ご飯、美味しかったです」
長い間お世話になった大将さんにお礼を言って、私達は町に出た。
外は相変わらず観光客が多い。私達がいる間に紅葉が終わり、森の景色がすっかり変わってしまったが、温泉目当ての人は絶えない。みんな、それほどこの町の温泉が好きらしい。これからもリアセラムの町は、そうやって多くの人を癒していくのだろう。私も、この町に癒されたうちの一人だ。
これからこの町には、寒い冬が来るらしい。聞いたところによると、この地域では毎年雪が降るようだ。雪かきをするのはとても大変だそうだが、白く化粧をした山や町は、幻想的でとても美しいのだそうだ。
冬、それに雪か。雪が降ると、この町の景色はいったいどんな風に変わるのだろうか。私も一度、見てみたいな。
待ち合わせのお店に付いた。師匠達は既に着いていたので、私達は彼らが座っている席を見つけて、一緒に座った。
「結構な荷物だな、ジェミニ。それを持って歩くのは大変じゃないのか」
ジェミニちゃんが背中から下ろした荷物を見て、師匠は言った。
一人で旅をすることになる彼女は、その荷物を最小限にまで絞っていた。しかし、旅をするために必要な物は多い。快適に過ごすことはまったく考えていないが、それでも大変な量だった。
「まあ、ね。仕方ないわ。全部必要なんだもの」
そんな彼女に対して私達は、三人で荷物を分け合って持っているので、一人ひとりが持ち運ぶ量は少ない。多少余分な物を持ち込む余裕もある。まあ、私はいつも荷物持ちをやらされているので、師匠達よりも荷物の量は多いのだが……。単純に、私が女の子なので、必要な物が色々と多いという理由もある。
「それにしても、レイラが準備を手伝うってのも、なんだか新鮮だな。旅立つ前に入院してないなんて。なんか信じられないぜ」
注文した料理が運ばれてくるまでの間、師匠がそんな言葉を発した。
「信じられないって、そこまで言いますか……」
私だって、別に好きで入院してたわけじゃないんだけど……。
確かに私は、これまで滞在していたアケル、フィーンの両方とも、旅立つ直前に大怪我をして入院していた。でも今回は、リアセラムでは違う。ここでは魔物に襲われることもなかったし、暴力沙汰も起こさなかったし、監禁も暴行もされなかった。だから今日、私はこうして旅の準備ができたのだ。これぞ三度目の正直というもの。逆に褒めて欲しいくらいだ。
「え、レイラちゃん、入院してたの?」
師匠が零した言葉に、ジェミニちゃんが驚いて私を見た。そう言えば、彼女にはこれまでの旅のことを詳しく話していないのだった。
彼女の驚きの眼差しを受け、私は視線を逸らして話を逸らそうとした。
「ちょ、ちょっとだけね。ちょっとだけ」
「ちょっとなもんか。手足に大穴を空けたり、監禁されたりしたくせに。よく言うぜ。俺らがどれだけ心配したと思ってんだ」
しかし師匠は、私が伏せたかったことをズバリ言ってしまった。これまでの愚痴と共に。
「え、ええ!! 手足に穴!? 監禁……!?」
案の定、ジェミニちゃんは大口を開けて驚き、その大きな声で周囲の注目を集めてしまった。それに気付いた私は、彼女を落ち着かせようと口を開く。
「そ、そんなに大袈裟なことじゃないよ。ちょっとした、えと、悪ふざけっていうか、その……」
自分でもよくわからないまま、とりあえず笑みを浮かべて楽観的なことを口走る。でも、効果はいまいちだった。それどころか、逆に師匠のことを刺激してしまった。
「悪ふざけだ? ふん、その言葉のほうがいい悪ふざけだよ。まったく」
「レイラちゃん……そんな、知らなかった。あなた、本当に大変な思いをしてきたのね……」
なぜか私は、ジェミニちゃんに慰められていた。
あれ、話の流れがおかしくなったような気がする。なんか、変だ。早く元に戻さないと。
「ちょっと待って、別に私は……まあ、色々大変だったけど、もう大丈夫だから。だから、ちょ、頭撫でないでって……」
「うんうん、いいのよ。私の胸で泣いても。ほら、こっち来なさい」
急にこんなことされても、その、困るんだけど……。
発言の年齢が上がっている。ジェミニちゃんが妹から、姉をすっ飛ばしてお母さんになってしまった。
「その辺にしとけ、ジェミニ。お前に人を抱ける胸なんてないだろ」
助け船のつもりだったのだろう。しかし、師匠のその発言は、完全にアウトだった。
「あ! ……なんですって?」
おっと。これは、あれだ。女の子特有の、胸の話をすると人が変わるという。
空気の変化を敏感に感じ取り、私は口を閉じて少し身を引いた。ここは、静かに黙っているのが吉だ。本当なら逃げ出したい。変な飛び火は食らいたくない。
「……別に」
とんでもないことを仕出かしてしまったことに気付いた師匠は、誰かによく似た返事をした。その声には抑揚がなく、視線は明後日の方向を見ている。
「……アドレ、覚えておきなさい」
目を細め、呪詛を吐くジェミニちゃん。今まで私は、彼女のことをやたら元気で時々大人な娘だと思っていたけれど、唯一この時だけ、ジェミニちゃんことが怖いと思った。
……胸の話に、良いことなし。覚えておかなくちゃ。
実際のところ、ジェミニちゃんの胸には、ちゃんと柔らかい部分が存在する。でも、彼女はなんというか、そういう女性としての魅力より、小さな女の子としての可愛らしさのほうが強いのだ。だから、決して彼女の胸は、まな板や洗濯板と呼ばれる類のものではない。それだけは、一緒に温泉に入った私が保証する。
大丈夫。ジェミニちゃんはきっと、育つと思うよ……。
特に根拠はないが、そう思って陰ながら彼女を応援した。そんな時、昼食が運ばれてきた。
「ま、まあ。とりあえずご飯も来たみたいだし、食べよ?」
「うん」
そうして、私達はこの町で最後のお昼ご飯を食べた。その間、師匠が残した不穏な空気のせいで、あまり会話は弾まなかった。
ご飯を食べ終わったら、今度はこの町の名物を堪能しに行く。この町にいる間は毎日のようにお世話になった、このリアセラムにしかないもの。そう、温泉だ。
いつものようにイェージャさん専用のお風呂場を借りて、体を洗った後、ジェミニちゃんと二人、肩を並べて温泉に浸かる。ちょうどいい湯加減と、昼下がりの陽気が心地良い。明日からはもうこの温泉に入れないのかと思うと、とても残念でしかたがない。
「ふぅー、気持ちいいねー」
「うん。気持ちいい」
こうしてジェミニちゃんと一緒に温泉に入るのも、もう何度目だろう。この子、初めて会った日はあんなに汚かったのに、温泉に入った途端見違えたように綺麗になって。あの時のことは、つい昨日のことのように思い出せる。
……なんだか、感傷的になっちゃうな。もう今日で出発だなんて考えると。
「ねぇ、レイラちゃん」
過去に意識を向けていた私の耳に、ジェミニちゃんの声が入ってくる。
「なあに? ジェミニちゃん」
私は、赤と茶色の入り混じる景色を見たまま尋ねた。毎日のように見てきた山々は、頭のほうが薄っすらと白くなっていた。
「私達、その……友達、だよね」
「ん?」
友達、という言葉を強く発した彼女は、不安げな瞳で私を見ていた。
「今日、ここでお別れになっても、明日になっても、明後日になっても……ずっと、ずっと、友達だよね?」
彼女の声は、少し震えていた。もしかしたらジェミニちゃんは、明日からまた一人に戻ることが怖いのかもしれない。私達と出会う前に戻ってしまうのではないかと、そんな不安を抱いているのかもしれない。それを、私に否定して欲しくて、こんなことを……。
そんな彼女に、私は笑顔で言った。
「もちろん。私はずっと、ジェミニちゃんの友達だよ。私のほうこそ、お願いしたいな。ジェミニちゃんはずっと、私の友達でいてくれる?」
こちらからもそうお願いすると、彼女は一瞬キョトンとしたが、すぐに顔を輝かせて、
「う、うん……!! ありがとう、レイラちゃん!」
感極まったのか、ジェミニちゃんは私に勢いよく飛びついてきた。急に動いたせいでお湯が跳ねて、湯面の景色が激しく揺らぐ。
「うおっと……」
私は、危なくジェミニちゃんを胸に受け止めた。洗ったばかりの金色の髪が目の前に来て、石鹸の香りが強くなる。
私はすぐに、自分達が裸のまま密着していることに気付いて少し恥ずかしくなったが、ジェミニちゃんが私のことを中々放してくれないので、しばらくこのままの状態でいることにした。
……まあ、今日でお別れだからね。寂しいのはお互いさま。少しくらい、大目に見よう。
お風呂を出ると、温泉屋さんの外に屋台が来ていた。冷えた風が美味しそうな匂いを運び、のぼり旗を揺らしている。
「あ、レイラちゃん、見て。お団子屋さんだよ」
「そうだね。うわー、凄い人気。列ができてる」
今までも時折見かけたことがあるが、その時も今のように人だかりができていた。人気の屋台なのだろう。並んでいる人達の気持ちもわかる。お団子を焼くあの匂いだけで、涎が出てしまいそうだから。
そういえば、お団子ってあんまり食べたことないな……。よし。今日でこの町も最後なんだし、行ってみよう。
「折角だし、並んでみよっか」
「うん!」
師匠はまだお風呂から出てきてないみたいなので、時間を潰すのにちょうどいい。最後に一つ、美味しい思い出を作ろう。
お団子屋さんの列に並び、順番を待つ。三十人くらい先に並んでいたが、その数はどんどん減って、思っていたよりも早く、私達の番が来た。
「お団子、四つくださーい」
「はいよ。できたてだから気を付けて」
串に刺さったお団子をお金と交換し、素早く人混みから離れる。師匠とカイの分も含めて四つだ。お団子からは白い湯気が立っていて、串までアツアツだった。
お団子を受け取った私達は、温泉屋さんの前にあった長椅子に腰を下ろした。ひらひらと舞い落ちる赤い木の葉を見ながら、お団子を一つ、口に入れる。
「わ、甘い。美味しいね」
「うん。美味しい」
綺麗な焼き色と甘いタレ。おやつにはぴったりのみたらし団子だ。
そうして私達が最初のひと口を堪能していると、師匠とカイが温泉屋さんの暖簾をくぐってやってきた。
「ふぅ、やっぱ最後は温泉だな。ん? 何してんだ、お前ら。なんだそれ。団子?」
「あ、師匠。どうぞ、そこの屋台で買ってきたんです。美味しいですよ」
「そうか。ありがとな」
「ほら、カイも」
「……ああ。ありがとう」
四人揃って椅子に座り、お団子を食べる。温泉上がりで髪が乾ききらない中、穏やかなひと時を過ごす。
ここは中央通りの一番上なので、下に広がる町を眺めることができる。ここから見る町は、下から見上げた時とはまた違った良さがある。観光客による賑わいのおかげか、町全体が華やかに見えた。
……改めて見ると、ここは結構高い所なんだな。今までの町とは、全然違う景色。色々と凄い光景を見てきたけど、街並みをこんなに凄いと思ったのは、初めてだ。
誰よりも早くお団子を平らげた師匠が、口の中を空にしてから言った。
「……これ食ったら、下行くぞ。そろそろ時間だ」
「はい……わかりました」
「ついに、お別れか……」
食べ終わった串を片手に、ジェミニちゃんが寂しそうに言った。彼女の気持ちにあてられて、先ほどまではあまり意識していなかった私も、段々と寂しくなってくる。
お別れ、か。……でも、それは新しい世界への第一歩のはずだ。寂しいことに変わりはないけれど、そんなに悪いことばかりじゃないはずだ。
「……大丈夫だよ。ジェミニちゃんなら、きっとやれる。絶対に上手くいくって。ね?」
「うん……そうだと、いいな」
私が明るい口調で励ますと、彼女は町に目を向けたままそう言った。
その視線の先には、温泉目当ての観光客と、賑わうお団子の屋台。色合いを失いつつある街路樹。この町で見てきた美しいものの数々。
この町に来て、ジェミニちゃんと出会って、一緒に色んなものを見て、触れて、食べて、感じた。沢山の思い出を共有した、新しい私の友達。彼女と別れることは、私も辛い。でも、私は前向きに考えて、もう一度彼女を励ました。だって彼女は、まだ生きているのだから。病院の地下室で亡くなったあの子達とは、違う。
「きっといつか、また、会えるよ。だからさ。その時も笑って会えるように、お別れも、笑顔でしよう?」
「……うん。わかった」
私達はお互いの顔を見つめて、少し照れながらも微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
馬車の停泊所には、かなりの数の馬車が停まっていた。馬車の数だけリビットラギアが待機していて、パロが沢山いるような錯覚に陥る。どの魔物もまったく見分けがつかない。でも見たところ、あの時の御者さんは不在のようだ。なので、ここにいる火を吹く魔物達はパロではない。あの二人は今この時も、険しい山道を行き来しているのだろう。
「俺らが乗せてもらうのは、あの馬車だ」
そんなリビットラギアの集団を指差して、師匠が言う。どうやら今回も、荷物運びの馬車に便乗させてもらうようだ。リビットラギアと繋がっている荷台には、大きな樽や木箱などがある。この馬車に乗っている間は、あの荷物達が私達の旅の仲間だ。
「ああ、旦那。お早いですね。約束の五分前です」
師匠の姿に気付いた御者さんが、そう声をかけてくる。
「いいだろ、それくらい。ほら、カイ、レイラ。先に乗ってろ。俺はジェミニを連れてくから」
「わかりました」
カイに手伝ってもらいながら荷台に乗り込む。今回もまた、馬車の旅か。今度も御者さんの仲良くなれるかな。この魔物もパロみたいに、私に懐いてくれるといいけど。
「レイラちゃん……」
か細い声に振り返ると、ジェミニちゃんが馬車の側から私のことを見上げていた。
多分、これが最後の会話になる。そう思うと、何を言おうか少し迷ってしまった。でも、結局出てきたのは、ありふれた言葉。
「またね、ジェミニちゃん。バイバイ!」
元気に手を振って、お別れを言う。涙なんて流すものか。笑顔でお別れをしよう。そう約束したばかりだ。
「うん……バイバイ」
手を振り返したジェミニちゃんは、師匠に連れられて馬車を離れた。彼女の瞳は、なんだか潤んでいたような気がした。
ああ……ほんとはもっと言いたいことがあったはずなのに、お別れって、こんなにあっけないものなんだな……。
ジェミニちゃんがいなくなってから、段々と寂しさが大きくなってくる。こんなことなら、もう少し色々とお話しておくんだった、美味しい物を食べておくんだったと、後悔の気持ちが胸を覆い始める。
しばらくして、師匠が戻ってきた。それと同時に、出発の時間になった。義眼を使って辺りを解析すると、ジェミニちゃんは三つ後ろの馬車に乗り込んだことがわかった。あちらも荷物と相乗りの馬車のようだ。彼女の目的地は、私にはわからない。
ジェミニちゃんは結局、どこに行くことにしたんだろう。目的地、ちゃんと聞いておけばよかったな。ここしばらくは、意図的にそういう話題を避けてきたから……はぁ。どうしよう。本当に寂しくなってきちゃった。明日から、私、無事でいられるのかな……。ジェミニちゃんが一緒じゃないと眠れなかったりして……。
「出発しますよ。しばらくは下り坂なんで、荷崩れに気を付けてくださいね」
馬車が動き出すと、早速ガタゴトと荷台が揺れ、五分もしないうちにお尻が痛くなってきた。
ああ、やっぱり、馬車は慣れない。ジェミニちゃんの乗ってる馬車は、もっと快適だといいな。
考えることすべてにジェミニちゃんの姿が浮かぶ。やはり私は寂しいのだ。アケルを出た時ももちろん寂しかったが、その時はもう、あの人達の元を離れると決心していた。だから、寂しさよりも旅への期待のほうが大きかった。けれど、今は……。
「はぁ……」
無意識のうちに、溜息が漏れる。
思い出したら、会いたくなってきちゃった。フェニさん……。
アケルの四人。フィーンの五人。ここリアセラムで出会ったイェージャさんと、ジェミニちゃん。色々な人の顔が頭の中に浮かび、中々消えない。
はぁ。駄目だ。なんだか、けだるい。気持ちが落ち着かない。
馬車の中で膝を抱え、樽に体重を預ける。そんな私を見た師匠が、心配そうに声をかけてくる。
「どうした、レイラ。眠いのか」
「いえ……そんなんじゃ、ないです」
眠くはない。意識ははっきりしている。でも……そうだな。眠ってしまったほうが、楽かもしれない。一度寝て、起きたら、隣にジェミニちゃんはいない。そのほうが、きっとお別れの現実を受け入れられる。
私は、心に任せて目を閉じた。その時。
「レイラちゃーん!!」
ハッと顔を上げる。
聞こえた。今確かに聞こえた。あの子の声が。
「え、ど、どこっ!」
慌てて辺りを見回す。義眼の機能もフルで使う。そして、見つけた。
私達が乗っている馬車のすぐ後ろに、別の馬車がいた。荷物でいっぱいのその荷台から、さっきお別れを言ったばかりの友達の顔が覗いている。
「ジェミニちゃん!!」
私は荷台から身を乗り出して、彼女に向かって叫んだ。また会えた。ほんの十分前に別れたばかりだけど、とても嬉しかった。
「レイラちゃん! じゃーねー!!」
彼女は大きく手を振りながら、また別れの言葉を叫んでいる。そんなに距離は離れていないが、叫ばずにはいられないのだろう。その気持ちは、私も同じだった。
「じゃーねー!! またねー!!」
色々言いたいことがあったはずなのに、私はまた、ありきたりな別れの言葉しか出てこなかった。でも、それでもいい。だってこっちのほうが、また会えるような気がしたから。
「ばいばーい!」
そのうち、二台の馬車は分かれ道にさしかかった。私達の乗る馬車は右に曲がり、ジェミニちゃんを乗せた馬車は左に曲がる。
ああ、ここで道が分かれちゃうのか。今度こそ、本当のお別れだ。
「ジェミニちゃーん!」
「なーにー!」
「またー! 一緒にー! あそぼー!!」
「うん!! じゃあ、じゃあねー!!」
それから私は、お互いの声が届かなくなっても、彼女の乗った馬車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。
ジェミニちゃんの馬車が木々の向こうに消え、手を振るのをやめた私は、改めて荷台の中に腰を下ろした。高ぶった気持ちを落ち着かせていると、師匠がわざわざ私の隣にやってきた。
「気は済んだか?」
「は、はい。すみません、ちょっと、うるさかったですよね」
いくら最後のお話だったとはいえ、流石に大声を出しすぎた。ちょっと反省。
とても疲れたし、叫びすぎて喉が痛い。こんなに大声を出したのは初めてだった。でも、その甲斐はあった。全力で声を出すなんて、友達との別れとしては、最高なのではないだろうか。
師匠は、まだ肩で息をしている私の肩に手を置いた。
「気にするな。まあ、気持ちはなんとなくわかる。な、カイ」
「……別に、俺は」
話を振られたカイは、相変わらずのぶっきらぼうな返答。表情の読めない顔。昨日は風邪で寝込んでいたというのに、もうすっかりいつも通りだ。
……今日からまた、この三人での旅が始まる。次の町では、いったいどんな人と出会うのだろう。ジェミニちゃんのように、お友達になれるのかな。色んな人と友達になりたいな。色んな話を聞いて、一緒に色んなことをしたい。……うん。考えるだけで、とても、楽しみだ。
ジェミニちゃんとこれ以上ないお別れをすることができた私は、この先に待ち受けている新たな旅路に、思いを馳せていた。
◇ ◇ ◇ ◇
レイラとの感動的な別れを終えた後。深い森の中を進んでいく馬車の中。荷物と相乗りしていたジェミニは、馬車を操る御者に尋ねた。
「ねぇ、御者さん。アケルまでは、あとどれくらいかかるの」
彼女がその手に握りしめているのは、アドレからもらった一つの封筒。その中身は、彼が書いた顔馴染みへの手紙だ。旅の近況報告と、ジェミニに関する一つのお願いがしたためられている。
「アケルまでか。道のりにもよるが、大体三ヶ月、ってところだな。俺はそこまで行かんから、途中で馬車を乗り換えてもらわにゃいかん」
「そう。わかったわ」
御者の答えに、彼女は納得した様子で荷台に引っ込む。そこには荷物が大量に乗っていて、小柄な女の子一人入るのがやっとだった。しかしだからこそ、御者はジェミニが一人で馬車に乗ることを許したのだ。
「急ぎかい?」
「いいえ。折角の旅なんだもの。ゆっくり行くわ。色々、楽しみたいし」
そうだ。私も、レイラちゃんみたいに、あんな笑顔でいられたら……。
別れを済ませたばかりの友人の顔を思い出しつつ、ジェミニは空を見上げる。
友達も、家族も、この同じ空の下に生きている。そう里の皆に教えられてきた。最近は里の不平不満を言ってばかりだったけれど、今なら少し、その教えもわかるような気がする。
大丈夫。みんなどこかで繋がっている。自然の理が、私達を見守ってくれている。だから、何も心配することはない。
彼女は自分にそう言い聞かせて、前を見据えた。彼女の瞳に宿っているのは、リアセラムで過ごした日々と、新しくできた自由な友人への憧れ。そして、この先に待ち受ける旅路への期待だった。
気持ちを入れ替えた彼女は、御者に改めて自己紹介をした。今までは里からの追手を恐れて自分から名乗ることはなかったが、里の外では自由だと気付いた今、そこまで怯える必要はなくなっていた。
「私、ジェミニっていうの。とりあえず、乗せてもらえる所まで、よろしくね」
「あいよ。エルフの嬢ちゃん。少々荒っぽい運転になるかもしれねぇが、怒るなよ?」
「大丈夫よ。そんなことで怒ったりはしないわ」
「そうかい。ならよかった。うちの子は丁寧にものを運ぶほうじゃないんだ。どちらかというと速さが売りでね。この間も――」
御者との世間話は意外にも弾んでいく。彼女は、人と話をすることの楽しさを思い出した。それを思い出させてくれたのは他でもない、同じオッドアイを持つ友人だった。
ああ、レイラちゃん。あなたの記憶が、一日でも早く戻りますように。そして、その輝かしい笑顔が、再び私の前で咲きますように。
ジェミニ・ロゥ・フォレストは、その身に染み付いたエルフの流儀に倣い、記憶喪失の友人のために祈った。彼女がそうして祈るのは、生まれた里を出て以来、実に二十四年ぶりだった。
そうして、オッドアイの二人のエルフは、一方の瞳を眼帯の下に隠し、自分達の道を歩み始めた。目的の異なる互いの道が、いつか再び交差することを願って。




