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記憶と妖精~偽りの瞳~  作者: 夜寧歌羽
第三章 温泉街の聖女
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第二十六話 迷子のエルフ

 宿で朝食を取った後は、本日の作戦会議だ。昨日の夜にやる予定だった分はジェミニちゃんの登場でお流れになってしまったので、その報告も兼ねてとなる。

 とりあえず、最初に昨日までの所感をそれぞれ述べたうえで、今日の行動方針を考えることになった。まずは師匠からだ。


「昨日までの感じじゃあ、あまり問題はなさそうなんだよな。事件らしい事件も聞かないし、ドラゴンの噂もないし。この町はつまらん。まあ、観光地は平和でないと成り立たないから、最初から期待はしてなかったが」


 頬杖を付いて窓の外を眺める師匠の言葉に、私は心の中で呆れた。

 つまらんって……まるで、事件の一つでも起こって欲しいような言い方だ。師匠は平穏よりも、事件のある刺激的な生活のほうが好きなのだろうか。もしかして彼は、これまで私が巻き込まれてきた事件のことも、楽しんでいたのだろうか。

 そんな疑惑を抱きつつ、私は、師匠が下した平和という判断に異議を唱えた。


「……本当に、そうなんでしょうか」

「なんだ? お前、昨日なんかあったのか?」

「いやだって、私、ジェミニちゃんにお金泥棒されましたし……」


 私が名前を出したせいか、私の隣の彼女はどこかバツが悪そうに俯いた。でも、これは事実。私達が出会う原因になった事件だ。忘れるわけがない。


「ああ、そういやそうだったな」


 私の言葉を聞いて、師匠は思い出したようだ。私とジェミニちゃんが知り合ったきっかけだが、あれも立派な窃盗事件だ。

 いつの間にか私とジェミニちゃんは、昔からの友達のような関係になってしまっているが、私達はまだ、知り合って二十四時間と経っていないのだ。


「わかった。じゃ、もう少し調べよう。というわけで、ジェミニ。俺達は町に出るが、お前はどうする」

「え、私……」


 私の意見を汲み取った師匠は、今日の行動方針を決め、続けてジェミニちゃんに尋ねた。

 師匠は彼女に、自分達の手伝いをさせるつもりはまったくないのだろう。彼女は単に師匠が保護しているというだけで、私達の仕事とは直接関係ない。私がアケルにいた時も、この二人がどんな仕事をしているのかすら教えてもらえなかった。それと同じだ。


「私……どうしたら、いいんだろう」


 師匠に尋ねられた彼女は、戸惑ったように師匠と私の顔を見比べた。自分でもどうしたらいいのか、よくわかっていないようだ。まあ無理もない。昨日までは泊まる所もなく、道端で他人からお金を盗んで生きていたのだ。急に好きにしていいぞと言われても、戸惑ってしまうのだろう。


「む、そうだな。選択肢としてはまあ、ここに残るか俺達と来るかの二択になるが」

「そっか……」


 師匠が並べた二択を聞いて、彼女は少し考えた。その隣で私は、選択肢、と聞いてドキッとしてしまった。フィーンでのことがフラッシュバックする。

 ……駄目だ。あれはもう、終わったことなんだ。

 呪いのように蘇るいつかの言葉を振り払い、私は目の前の彼女が答えるのを待った。

 しばらくして、ジェミニちゃんが答えを出した。


「い、一緒に行く」

「そうか。じゃあ、ついて来い」


 そういうことで、今日はジェミニちゃんも一緒に散策をすることになった。


 それから、最初はジェミニちゃんを連れ立って四人で表通りを歩いていたが、途中で師匠は、私とカイに別行動を命じた。そのほうが効率が良いとのこと。私もその意見には賛成だったので師匠の命令に従い、私は今、観光客のいない裏道を縫うように進んでいた。

 裏道と言ったが、フィーンのように人っ子一人いない寂しい道、というわけではなく、見慣れぬ格好のお兄さんが仕事場に向かっていたり、エプロンを付けたおばさんが水路で野菜を洗っていたりした。あまり見たことのない光景だ。

 どうやらこの町の水路には、温泉と同じ成分の入った冷たい水が流れているようで、洗濯や料理などに使う上水として幅広く利用されているらしい。温泉街ならではの生活様式だろう。道端の水で食べ物を洗うなんて、同じように水路があったフィーンでも見たことがない。

 町の発展には水が必要になる。このリアセラムも例に漏れず、火山から流れてくるいくつかの川が町の水源だった。この水には温泉と同じような成分が含まれていて、フィーンのヨエフ湖とくらべると、鉄分の多い天然水になっていた。

 ……なんだか、懐かしい感じがするなあ。澄んだ川の側なんかでも、こういうことをやっていそうだ。やはり、自然な水で洗った野菜は美味しいのだろうか。いや、もしかしたらもう、宿の料理とかで食べているのかもしれない。今度、宿の人に料理をしているところ、見せてもらおうかな。

 なんてことを考えながら、足取りも軽く先へと進んでいく。私は、この町のことがどんどん好きになっていた。


「……ん?」


 ふと、視界の端に何か不審なものが見えた気がして、私は足を止めた。首を伸ばして、たった今通り過ぎたばかりの細い道を覗き込む。

 そこは、今まで見てきた場所とはちょっと雰囲気が変わっていた。建物自体は同じ木造なのだが、壁や窓のデザインが他とは違う造りで、建物の入り口の前には、夜でもないのに提灯の明かりが付いている。

 そんな道の真ん中で、背の低い女性と背の高い男性が、互いの体に手を回して絡み合い、堂々と唇を重ねて……。

 ハッとして目を背けた。なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気がする。

 ……まあ、恋人同士とかなら、普通だよね。きっと、私が慣れてないだけで……。

 深く考えるのはやめ、とりあえず見なかったことにして先へ進む。けれど、次の突き当りで角を曲がってみると、そこにも同じように、公衆の面前で堂々とキスをしている男女がいた。


「っ……!?」


 驚いて一歩戻る。まさか、連続でこんなものに出くわすとは。まったくの予想外だ。とりあえず、ドキドキした心臓を落ち着かせるために、適当な言い訳を心の中に思い浮かべる。

 ま、まあ? 恋人だけじゃなくて、夫婦同士とかでも、これくらい普通、なんでしょ? 私、知ってる。だって、フェニさんとギーケイさんの夫婦も、たまにキスとかしてるの、見たことあるし。うん、きっとそうだ。きっとラブラブすぎて、家の中まで待てないだけ。あの人達はきっと、そういう幸せな人達なんだ。うん。多分。それなら私も、あまり変なものを見るような目で見たら駄目だ。普通の顔をしないと。至ってふつーの顔を……。

 そう考えた私は、ポーカーフェイスを保ったままこの道を通り過ぎようとした。けれど、そんな努力は無意味だった。一歩足を踏み出しただけで、私は顔を赤く染めて、その場から動けなくなってしまった。それなりに広いこの通りには、他にも顔と顔を突き合わせているペアが沢山いたのだ。そして彼らは、互いに何やら意味ありげな微笑を浮かべ、女性のほうがリードして近くの建物の中にその姿を消す。

 逃げ場を失った私は、上着にフードが付いていたことを思い出した。慌てて赤くなった顔を隠すようにフードを被り、地面を見ながら早歩きで道を抜けていく。

 見てはいけないような場面や、聞いてはいけない声で溢れているような気がする。それらは全部気のせいだと自分に言い聞かせながら、私は、この町にこんな場所があったのかと驚愕していた。

 ここで皆が何をしているのかは、まあ大体想像ができる。そういう需要があるということも、まあ、理解できる。でも、まさか自分がこんな場所に迷い込んでしまうなんて……。

 こんな場所を通るくらいなら、進まずに回れ右をしていたほうがよかった。そう後悔していた時、不意に知らない人から声をかけられた。


「おや、君。ここの娘じゃないね。こんな所で何してるの?」

「えっ、あ、さ、散歩です、散歩……」


 適当に当たり障りのないことを言って、小走りにその場を離れる。周りからの視線を感じる。子供にはまだ早いとかなんとかいう声が聞こえてくる。

 そんなこと、わかってるよ! 私だって、好きでこんな所にいるわけじゃないの! こっちは迷子なんだよ! 誰か助けてよ! ねえ!!

 心の中で叫びながら、その気持ちを吐き出すように早く足を動かす。途中でどこか適当な脇道に入ろうかとも思ったが、なぜだかどこも先客がいるようので、仕方なくまっすぐ進み続ける。この道の先に何が待ち受けているのか、私は知らない。正直、知りたくない。

 義眼で道を調べることはできたが、私はあえてそれをしなかった。もし何かの拍子に、色々まかり間違って、義眼で建物の中を見てしまったら。私はきっと、頭が爆発してしまう。

 ……うぅ、こんな時って、いったいどうすればいいんだろう。わからないよぉ。助けてよぉ、ししょぉ……。

 胸の中に不安が渦巻く。これは、私史上、初めての迷子だった。


 しばらく前を見ずに歩き続けて、気が付くと、辺りに人影はなかった。目の前には、これまた立派な西洋風のお屋敷が立っていて、私はその門の前に一人、立っていた。

 あれ……ここどこ……?

 恐る恐る、義眼で現在位置を確認。大丈夫。変なものは見えない。どうやらここは、町の上の方らしい。振り返ると、遠くに大きな温泉屋さんの屋根が見える。ということは、今まで私は町の中心部から離れ続けていたということか。無駄に歩いてしまったようだ。これからあそこまで戻らなくてはならないと考えると、ちょっと気分が重い。

 はぁ。結構遠くまで来ちゃったな……早く戻らないと、師匠に心配かけちゃう。

 そろそろお昼も近いようなので、さっきの道は避けて、私は表通りに戻るために歩き始めた。でも、あの大きなお屋敷のことが気になってしまい、私は何度も後ろを振り返りながら、表通りに戻っていった。その感覚は、師匠達と合流するまでずっと続いた。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 四人で再び集まって、適当なお店で食事をする。その時、私は師匠に、とんでもない所に迷い込んでしまったという話をした。

 すると、彼はちょっと驚いたような顔になって、私をまじまじと見つめた。


「なんだ。お前、あそこに行ったのか? あの色街に? おいおい、背伸びしすぎだろ。ませてんなぁ」

「い、行きたくて行ったわけじゃありません。適当に町を歩いてたら、いつの間にか……」


 ああもう。思い出しただけでも恥ずかしい。あの人達、沢山の人がいる前で、あんなに堂々と、き……キス、をしていた。それに、あの辺りの建物の中でいったい何が行われていたのか、想像するだけで顔が熱い。まだ太陽の高い時間だというのに。

 ま、まあ、ラブラブなのはとても良いことなのだけど、その、ちょっと……濃いめなやつは、室内でして欲しいというか、なんというか……。私なんかが、そういう大切な場面を見てしまっては、申し訳ない。

 これもまた後で知ったことなのだが、あのキスは、お店の人が相手をお客として迎え入れるということを示す合図らしい。二人の間に同意があることを周囲に示し、後のトラブルがないようにするための仕組みのようだ。もし嫌な相手に迫られたのならば、その場で引っ叩くのだとか。まあ、私はその手の世界に入る気はまったくないので、余計な知識かもしれないが。


「はは、そんな嘘吐かなくてもいいんだぞ。興味あるなら、そう言えばいいのに。男も女も、誰だってそういう時期があるもんさ。なぁ?」

「なっ、ほ、ほんとですって! 何言ってるんですか師匠。私、迷子になっちゃったんですよ」


 なんだかおかしな勘違いをしている師匠に対して、私は必死に釈明した。でも、その微妙な笑顔は崩れない。

 くそう、これが大人の余裕というやつか。いつも以上に憎たらしい顔だ。

 悔しくて師匠を睨む私に、隣のジェミニちゃんは微妙な視線を向けてきた。


「ええ、レイラちゃん、あそこ行ったの? レイラちゃんにあそこは、まだ早いんじゃない、かな」

「そ、そんなことわかってるよ。私だって、行きたくて行ったわけじゃ……」


 というか、この言い方。彼女もあの場所に行ったことがあるのだろうか。

 疑問に思ったので尋ねてみると、彼女はなんだか気まずそうに少し視線を外しながらも、答えてくれた。


「まあ、あるって言えば、ある。この街に来たばかりの頃で、私も、あの時は迷子だった」

「なんだよ。お前ら二人揃ってそんな……」


 わざとらしい勘違いをしている師匠は放っておいて、私はジェミニちゃんの話に耳を傾けた。


「なんか、うちで働かないかって勧誘されかけたんだけど、流石に断ったわ。流石に、自分の体を売るなんて真似は嫌だったし、好きな人、いるし……」

「体を売るだって? 駄目だ駄目だ、そんなこと、軽い気持ちで口にするのも駄目だぞ」


 ジェミニちゃんの言葉を聞いて、驚愕の表情で箸を手から落とす師匠。いちいちリアクションをするのも面倒になってきた私は、そのあからさまな行動に目を細めた。


「……師匠。さっきからわざとやってますよね」

「なんだ、バレてたか。もうちょっと恥ずかしがってくれよ。初心な奴をからかうのは面白いのに」

「やめてくださいよ、もう。こっちは本当に、不安だったんですから」


 気のせいだろうか。師匠がただのおじさんに見えて仕方がない。実際そういう年齢でそういう見た目だが、こちらの見る目が変化しているのかもしれない。

 白い目で師匠を見る私に、ジェミニちゃんは言った。


「……あそこは、純粋な娘が行ったら駄目だよ」

「う、うん。もう、近付かない」


 あの場所の座標は義眼に記録してある。自分の意志で行くことがなければ、もうあの一帯に迷い込むことはないだろう。それに、できればもう二度と行きたくない。


「なんだよ。つまんねぇなあ。これも立派な大人の階段だぞ」

「い、いいんです。私はまだ、子供でいいです」

「あ、開き直った。あー、やっぱりつまんねぇ」


 師匠はこの町に来てから、つまらないが口癖になっていた。


「もう、私の話はいいですから。そっちはどこに行ってきたんですか?」

「俺か? 俺は、ジェミニと、色々話をしてた。な」


 私の問いに答えた師匠は、確認するようにジェミニちゃんを見た。わざわざそんなことをしなくてもと思ったが、とりあえず私もジェミニちゃんに視線を向ける。


「う、うん。それだけだよ。他は特に、何も」

「そうなんだ。で、何話したの?」

「えと、それは……」


 何やら言いにくそうにもじもじするジェミニちゃんを見て、私は何か、間違いを犯してしまったような気分になった。

 あ……もしかして、あまり聞かれたくないことだったのかな。ど、どうしよう。気分を悪くしちゃった。とりあえず、話題を変えないと。


「ああ、えっと、まあ、いいや。それで、えと……ね、ねえ、カイはどこ行ったの?」

「……俺か」


 急に話題を振ったが、彼はいつも通りの口調を崩さず答えた。


「……適当に、その辺を歩いていた」

「そ、そう。どの辺?」

「……この辺だ」

「そっか……」


 腕を組んだカイから帰ってきた素っ気ない返事。なんだかいつもより覇気がないように感じるのは、私だけだろうか。


「何か、気にあること、あった?」

「……なかった」

「そっかぁ……」


 色々疑問に思うところはあったけれど、私はあえて突っ込まないことにした。そこで話が途切れ、そのままみんな、昼食を食べ終わった。


「ええと、さて。この後は、また散らばって行動でいいか」

「まあ、はい。じゃあ、また宿で」

「おう」


 私達は再び三方向に分かれ、町の散策をした。

 私は今度、表通りを挟んで反対側に向かってみることにした。これならば、あの場所には行き付かない。さっきのようなことになるのが嫌だったので、それなりに人の多い道を選びつつ、私はまた、この町の興味を引かれた点を頭の中にメモしていた。

 ……へぇ、ここにも温泉あるんだ。古そうな建物。有名な人が入ったりしてるのかな。

 ここは山の中の町だからか、結構狭い道が多かった。そのほとんどが坂道で、散策するだけでも結構大変だ。あまり長い間歩き続けるのは無理かもしれない。

 そろそろどこかで休憩を、と思っていた時、今まで見たことがない場所を見つけた。何の変哲もない普通の建物の軒先、飛び出た屋根の下に、岩の椅子と浅い水溜まりがある。いや、かすかに湯気が見えるので、お湯溜まりといったほうがいいだろうか。意図的に溜められたお湯の中に、何人かが素足を入れている。

 なんだろう。ここ……あ、もしかして、足湯ってやつかな? 結構穴場な雰囲気の場所だ。地元の人が結構利用しているみたい。

 気になったので、私もその足湯をちょっと使わせてもらうことにした。お金はいらないようなので、靴と靴下を脱いで足を入れてみる。


「ちょっと、失礼します……お」


 熱いというより、温かい。普通に温泉に入るのも気持ちよかったけど。足だけでもこんなに気持ちがいいんだなあ。


「ふぅー」


 心地よい足湯に浸って気を抜いていると、私の正面に座っていたおばあさんに話しかけられた。


「おやおや、眼帯のエルフさん。目に効く温泉はあっちだよ」

「えっ?」


 地元の人だろうか。腰の曲がったドワーフのおばあさんだ。ただでさえ子供くらいの身長しかないドワーフなのに、腰が曲がっているせいで、余計に小さく見える。加えて、座っている場所の高さが違うので、見た感じ私の半分くらいしか座高がない。

 親切に私のことを心配してくれたおばあさんに、私は自分の目のことを説明した。


「あ、いや。私の目は、その……もう、治るとか、ないので」

「おやぁ、そうなのかい。いやはや、それは失礼。可愛い顔に眼帯なんて似合わんからねぇ、つい勘違いしてもうた。いや、家の娘のほうが、断然可愛いがねぇ」

「そりゃあ、そうでしょう。私なんて、全然ですよ」


 当たり障りのない謙遜で愛想笑いをする。彼女は湯に付けた足を動かして、深く息を吐いた。


「観光かい?」

「まあ、そんなところです」


 足にお湯の温かさを感じる。私の指先にあるおばあさんの足は、まだまだピチピチだった。


「この町は、どうだい。好きになったかい?」

「はい。おかげさまで、大好きになりました」


 今まで見てきた町もいい所だったけれど、やはり、温泉があるという魅力が大きい。もし定住するとしたら、この町か、フェニさんのいるアケルがいい。


「そうかい」


 ぽつぽつと、長めの間を開けた会話を続ける。どうやらこのおばあさんは、話し相手になってくれる人を探していたようだ。


「いやあ、久々だねぇ。こうして話すのも。友達は、みんな先に逝っちまってよぅ。家族はいるが、仕事で忙しいんでね。ここでこうして、毎日ぼぅっと過ごしてるわけ」

「そう、なんですか」


 彼女が語り出したのは、あまり明るい話題ではなかった。けれど、彼女は話を聞いてくれるだけでも嬉しいようで、どんどん自分の話を続けた。


「足湯のおかげかね。足腰には、困ってないんだよ。お山の恵みさまさまさね」


 お山。あの火山のことか。おばあさんの視線を追うと、ちょうどいい感じにリアセドラ火山が見える。今日は雲のほとんどない晴れなので、頂上までばっちりだ。

 そんな火山に向かって、おばあさんは手を合わせた後、ぶつぶつと何事か呟き始めた。

 その大事なお祈りらしき行為が終わるのを見計らい、尋ねてみる。


「……何、してるんですか?」


 彼女は合わせていた手をそっと膝の上に置いて、答えてくれた。


「この山の守り神様に、お祈りをしてるのさ」

「守り神、ですか」

「そう。もう、知ってる人も少ないんだがね。あの山には、昔、大きな竜が住んどったんだよ」

「え、竜、ですか」


 竜。つまりはドラゴンのことだ。まさかここでその名を聞くとは思っていなかった私は、不意を突かれて驚いた。その話題は、まさに私が求めていたものだ。


「そう。あのお山にいたのさ。とっても大きな、この町を覆うくらいの火竜がね。この話をすると、子供達はこぞって喜ぶ。でも、本物の火竜は、めっぽう恐ろしいんだぞ?」


 そう言っておばあさんは、じろり、とこちらに睨みを効かせてくる。念を押しているようだ。そんなことは、よくわかっている。この私だって、恐ろしいドラゴンに遭遇したことがあるのだ。


「……そう、ですか。確かに、聞いたこと、あります。噂、ですけど」


 私は、彼女の話を一字一句聞き逃さないよう、集中した。


「最初、ここはドワーフの土地だった。家の、曾曾曾お爺さまの時代、じゃったかな。それくらいまで、ドワーフしかおらんかったそうだ」

「……それは、初めて、聞きました」


 そんな話は、師匠からも聞いたことがなかった。でも、おばあさんの話を疑ったりはしない。この人の言葉には、不思議な説得力があった。


「そうじゃろう。ドワーフは、あの山の火竜様に許しを得て、ここに住んどったんじゃ。そこに、竜人が来て、エルフが来て、人間、獣人が来た。そしてある時、町を作り始めた人間がたまたま温泉を掘り当てて、今のような町になった」


 懐かしむような言葉。自分達ドワーフの町だったと言っていた割には、今の町のことはあまり悪くは思っていないようだ。


「その頃からお山の火竜様は、力が弱くなっておった。人間相手にはもう、火を吹く脅しも効かんくなっておったしの。当時、竜は恐れられ、人に狩られる側になっていたんじゃ。じゃから、ドワーフだけに許していた土地の使用権を他の種族にも与え、自らはそこに作られた町の長となることで、かつての支配者としての体面を保っておられるのじゃ」

「町の、長……?」


 それって、町長さんのこと、だよね。この町の町長さんは、あの細目のイェージャさんだ。背中に鱗を持つ竜人。そして、凄い美人で、女性として凄いものを持っている人。

 そんなことを思い出していた私は、ふと先ほどのおばあさんの言葉、体面を保っておられる・・・・という現在進行形の表現も気になった。

 もしこの人の話が本当なら……あの人が、山の長、つまり、この山のドラゴン……? でも、あの人は竜人だけど、ドラゴンではない、はず、だよね?

 頭の中が混乱しかける中、おばあさんは私の右目を見つめて、言った。


「これを知っておるのは、もうわししかおらんのかもしれん。だからな。旅のエルフよ。この話、覚えておいてくれんか?」

「は、はい……ちゃんと、覚えました」

「本当かの? ここ、試験に出るぞ」


 どこかで聞いたような脅し文句に、私はちょっと驚いた。まさか、この人からそんな言葉が出てくるなんて。


「え、し、試験ですか……それなら、ちゃんと勉強しないと、いけませんね」


 な、なんかもっと、いい言葉があったような気もするなあ……。

 そんな真面目なつまらない返ししかできない私に、彼女は大きな口を開けて笑って、


「はははっ。いいかね、エルフのお嬢。人生は、日々勉強じゃよ。さ、これであんたは、一つ賢くなった。折角賢くなったんだからね。命を無駄にするんじゃあないよ」

「は、はい。おばあさんも」


 彼女は私の膝に手を伸ばして、ポンポンと叩いた。その力は、意外と強かった。

 私が見守る中、彼女はタオルで足を拭った。そして、


「願わくは、このあたしよりも長生きしとくれ。じゃあのぅ」


 そう言っておばあさんは、靴を履いて、町の雑踏に紛れていった。今更だが、かなりお年を召した方のようだった。

 それからしばらくの間、私は、遠くにそびえ立つ火山の頂上を眺め続けていた。頭の中で、たった今おばあさんから聞いた話を反芻しながら。


  ◇  ◇  ◇  ◇


「……あれ? 師匠は?」


 頭上の空が赤く焼ける中で宿に戻ってくると、部屋にはジェミニちゃんとカイの姿しかなかった。

 出入り口に近い椅子に座って、静かに剣の手入れをするカイ。だが、対するジェミニちゃんはまるで猫のようにベッドの上で身を伏せ、威嚇するようにカイを睨んでいる。なんというか、コメントに困る光景が繰り広げられていた。

 私の問いに、ジェミニちゃんが体を起こして答えた。


「ん、レイラちゃん。アドレ、ちょっと用事があるんだって」

「そう」


 ジェミニちゃんを先に帰して、用事とは。なんか、珍しいな。こんな時間になっても師匠が戻らないなんて。心配とまではいかないが、やはり珍しい。

 んー、困ったな。師匠に聞きたいことがあったんだけど……。仕方ない。帰ってくるまで、待つかな。

 師匠への案件を頭の隅に置いて、私は今見た不思議な光景についてちょっと聞いてみた。


「ねぇ、カイ。ジェミニちゃんと何してたの?」

「……別に」

「そう」


 けれどカイからは、相変わらずの素っ気ない言葉しか返ってこない。まあ、カイは自分の用事に集中していたようだし、ジェミニちゃんのことなど眼中になかったのかもしれない。しかし、私はそんな彼の返事に、わずかな違和感を抱いていた。

 うーん、何て言えばいいんだろうなあ、この感じ。昨日から少しだけ、カイの態度が変わったように感じるんだけど……ただの、気のせい?

 首を傾げながら、とりあえず自分のベッドまで移動する。師匠といいカイといい、ここに来てから、二人ともなんだかおかしい。


「ねえ、聞いてよレイラちゃん。この男、私に挨拶もしないのよ!?」

「え? そ、そうなの? カイ」


 ジェミニちゃんの剣幕に驚き、思わずカイに確認する。すると、彼は一瞬だけ手を止めて、


「……必要ないだろう、そんなもの」


 そして彼は、また剣の手入れに戻った。ジェミニちゃんの頬がぷくーっと膨らむ。

 あ、なんか可愛いことするな、この子。ちょっと面白いかも。


「何よ、挨拶が必要ないだなんて! 信じられない! なんて根暗な奴なの。私、口数少ない男は嫌いよ」

「まあまあ。落ち着いて。カイはいつも、誰に対してもああだから。人柄なんだよ。しょうがないの」

「でも……」


 なんでそんなに挨拶にこだわるのか知らないけど、今はもう、これ以上の喧嘩はやめてほしいかな。

 何やら悔しげに拳を握るジェミニちゃんを落ち着かせるため、私は話題を変えた。


「それよりさ、ご飯、食べたくない? 私、お腹空いてきちゃった」

「食べる! 早く行こ!」


 思惑通り、ジェミニちゃんはご飯に釣られて、カイへの怒りをすっかり忘れてしまった。あまりこういうことを言いたくないが、チョロいエルフだ。まあでも、今までのことを考えると、それも仕方ないのだろう。彼女は、食事の大切さを身に染みて知っているのだ。

 主人にすり寄る猫のようになったジェミニちゃんと、いつもより距離感のあるカイと一緒に、私達は三人だけで食事を取った。その後、適当に話をしながら時間を潰し、師匠の帰りを待っていたのだが、一向に彼が帰ってくる気配はなかった。


「師匠、どうしたんだろう。ね、カイ。前にもこんなことあった?」

「……ああ」


 頷くカイ。その反応がいつもより数秒遅かったことを、私の義眼は見逃さなかった。

 ……まあでも、カイがそう言うのなら、特に心配はいらない、かな。


「そう。んー、じゃあまあ、仕方ない。もう寝よっか、ジェミニちゃん」

「う、うん。そうだね」


 いつの間にか、窓の外は真っ暗だった。

 昨日と同じように、私とジェミニちゃんは同じベッドに入る。こうして二人でくっついていると、互いの体温を感じてなんだか落ち着く。気のせいかもしれないが、いつかもこうして、誰かと同じベッドに入っていたような気がする。

 そんなよくわからない懐かしさを感じながら、一日の疲れを出すように大きく息を吐いて、隣のジェミニちゃんに囁く。


「おやすみ、ジェミニちゃん。明日も、弓、教えてね」

「う、うん。わかった。おやすみ、レイラちゃん」


 こうして今日も、私の一日が終わった。


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