表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶と妖精~偽りの瞳~  作者: 夜寧歌羽
第三章 温泉街の聖女
26/42

第二十四話 泥棒聖女

 観念したようにトボトボと歩く女の子。その腕を引っ張って、私は師匠の元に戻った。

 あれから私は、女の子に向かって何度も、師匠――アドレさんの元に連れて行ってあげると言い聞かせた。そのおかげか、彼女の態度は先ほどよりも大人しくなっている。でも、まだ油断はできないので、彼女の手首を握る力は弱めていない。案の定、彼女は何度か逃げようとしたが、そのたびに肩を痛め、汚い言葉で悪態を吐いていた。


「お、やっと戻って来たな。どこ行ってたんだ、レイラ」

「それが、ちょっと色々ありまして……」


 待ちくたびれたような師匠の声。それを聞いた途端、後ろの女の子ががばっと顔を上げ、目を見開く。そして、私の手を振り解くと、目の前の師匠に向かって一直線に走り、勢いそのまま彼の胸に飛び込んだ。


「アドレッ!!」

「おわっ! なんだお前……! って、お前、ジェミニ!?」


 驚きながらも、女の子をその胸に受け止める師匠。師匠に抱き留められた女の子は、堰を切ったように泣き出した。


「わぁあん、会いたかったよぉ!」

「あ、ああ。久しぶりだな。でもお前、どうしてこんな所にいるんだ……」


 涙を流す女の子を、師匠は優しく抱き締める。二人はやはり、旧知の仲だったらしい。こうして無理矢理にでも連れてきてよかった。

 でも、私の心はなんだか落ち着かなかった。私の師匠が、突然現れた女の子と目の前で、その、抱き合っているのを見ると、なぜだか凄く、モヤモヤする。何なんだろう、この気持ちは。

 胸の中に渦巻く妙な感情。なんだか恥ずかしくなってきたので視線を外す。そんな私の隣に、逃げるように二人の側を離れてきたカイが立った。彼は、状況が飲み込めないという顔で私に尋ねてきた。


「……レイラ。あいつ、何なんだ」


 私よりも長く師匠と一緒にいるカイも、彼女のことは知らないようだ。


「さぁ……? 私にもさっぱり」


 私は、そんなことを聞かれても困る、というように肩をすくめた。元を辿れば、あの子が私のお金とハンカチを盗ったのが始まりだ。あの子が私をターゲットにしなければ、彼女が師匠と再会することもなかっただろう。

 そういえば、あの時は師匠のことに気付かなかったのかな。あんな近くにいたのに。師匠に会いたがっていたのなら、見逃すはずがないと思うのだけれど……。

 そんなことを考えていると、ようやく目の前の二人が離れた。師匠は女の子の濡れた頬を指で拭い、彼女と目線を合わせる。


「落ち着いたか?」

「うん……」

「とりあえず、話を聞かせてくれ。えっと、一回宿に戻るか。一緒に来てくれるか?」

「うん!」


 女の子は満面の笑みを浮かべて、師匠の腕に飛びついた。まるで猫のような行動に、私は胸の中で頬を膨らませていた。

 その感情が嫉妬だと気付いたのは、もう少し後になってからのことだった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


「こいつはジェミニ・ロゥ・フォレスト。昔、エルフの里で知り合ったんだ」

「よろしくねー」


 師匠に紹介された彼女、ジェミニちゃんは、相変わらずの満面の笑みを浮かべ、カイに向かって媚びを売るように手を振った。


「……ふん」


 しかし、カイは特に反応を示さなかった。ジェミニちゃんの女の子らしい仕草にも、まったく動じていない。まあ、昨日は私の裸を見ても眉一つ動かさなかったんだし、当然と言えば当然か。

 ……カイに体を見られた時は恥ずかしかったけど、特にこれといった反応がないと、自分の身体にこれっぽっちも魅力がないと言われているような気がするなあ。それはそれで、なんだか負けたような気分になって嫌だ。いったい何に負けているのかは、よくわからないけれど。


「こいつはカイ。俺の弟子だ。で、こっちがレイラ。こいつも弟子だ」

「よ、よろしく」


 師匠に紹介されて、軽く頭を下げる。しかし、彼女は私のことを鋭い目で見て、また師匠の腕にへばりついた。そして、


「ねぇ、聞いてよアドレ。あたし、あの女に乱暴されたの!」

「え? おい。本当か、レイラ」


 なんと彼女は、私を指差して堂々と嘘を吐いた。私は思わず立ち上がって、声を荒げた。


「ち、違います! 私、この子にお金とハンカチを盗られたんです! だから、追いかけて取り返したんですよ。そしたらなんか、師匠のこと知ってるみたいだったので、連れてきてあげたんです」


 たった十分前に起こったことを師匠に説明すると、彼女は私をキッと睨み付け、


「連れてきてあげたって何よ。偉そうね。この眼帯女」

「な、偉そうなのはそっちでしょ。私がいなかったら、あなた、師匠に会えなかったんだよ? 私にありがとうくらい言ったほうがいいと思うんだけど」

「む、そ、そんな必要ないわ! これは運命だもん! あんたなんかいなくたって、きっとそのうちアドレとは巡り合ってたはずだもん!」


 そんなに私のことが気に入らないのか、躍起になってまくしたてるジェミニちゃん。その言葉を聞いて、私はなんだか、聞き分けのない子供の相手をしているような気分になった。

 はぁ、運命だって? そんな無茶苦茶な。そんな都合のいいことが運よく起こるはずがないだろう。それに、あの時すぐ近くにいた師匠に気付かなかった時点で、その運命とやらはないに等しいのではないだろうか。あの距離で気付かなかったのだから、もう救いようがない。

 そう言い返そうと思ったが、なんだか相手にするのも馬鹿馬鹿しくなってきた。勢いを失った私は口を閉じ、代わりに深く息を吐いた。


「はぁ……そう」

「な、なによ」

「いや、別に」


 興味を失った私は、ポケットに手を突っ込んで、師匠にもらったハンカチとお金の存在を確かめた。こんな小さな子供にお金を盗まれてしまうなんて、まったく予想していなかった。これからは、もっと気を付けないといけないな。


「……もういいか? とりあえず、落ち着けよ。時間は沢山ある。ほら、座れって」

「む……わかった」


 師匠に諭されて、ジェミニちゃんはベッドに腰かけた。場所はやはり師匠の隣だ。よほど彼に懐いていると見える。やはり猫のような女の子だ。


「それで、ジェミニ。エルフの里にいるはずのお前が、どうしてここにいるんだ。理由を聞かせてくれ」

「……うん」


 師匠に尋ねられ、ジェミニちゃんは軽く目を伏せた。あまり触れたくない話題だったのだろうか。けれど、話してもらわなければこちらは何もできない。私達が静かに見つめる中、彼女は、ゆっくりと語り始めた。


「私、里、抜け出してきたの」

「ほう。そりゃまた、なんで」

「私、森の聖女になるの、嫌で……」


 まだ話が始まったばかりだったが、初めて耳にした言葉があったので、私は思わず反応していた。


「……森の、聖女?」


 すると、その小さな呟きを聞き逃さなかったジェミニちゃんが、驚いた顔で私を見た。


「え、あんた……まさか、エルフのくせに知らないの?」

「え?」


 な、何。もしかして、私また、当たり前のことを聞いちゃった?

 戸惑う私に、師匠がフォローを入れる。


「あー、ジェミニ。実はな。レイラは記憶喪失で、俺達と会う前の記憶がない。だから、そういう常識とかしきたりとか、何も覚えてないんだ」

「はあ? 記憶がないの? この子」


 先ほどとはまた違う顔で、私を見つめるジェミニちゃん。


「ふぅん、そうなんだ……」


 その視線は、今までとは少し違っていた。けれど、何がどう違うのかまでは、私にはわからなかった。


「まあとりあえず、お前は聖女になるのが嫌で逃げてきたってことなんだな?」

「うん……だから、アドレ。私のこと、助けて、欲しいの」


 ジェミニちゃんは潤んだ目で、師匠を見上げた。その半分芝居がかった上目遣いを見て、私はまた妙な気持ちになった。あの女、やっぱり何か気に食わない。見た目は私よりも年下だけど、本当にそうなのだろうか。怪しい。


「そうか。まあ、俺は別に構わんが……はぁ、また面倒なことになったな」


 師匠はしばらく思案気に天井を見つめた後、一つ頷いて立ち上がった。


「とりあえず、飯にしよう。腹減った」


 その言葉を聞いたジェミニちゃんは、それまでの演技とは打って変わって、満面の笑みで師匠を見上げた。


「うん!!」


 その屈託のない笑顔を見た私は、この子にお金を盗まれた時、彼女が、今日はまともな食事ができると喜んでいたことを思い出した。


 その後、宿の食堂で昼食を取っている間、私は森の聖女について説明を受けた。


「森の聖女ってのは、まああれだ。守護神みたいなものだ。エルフが住む森の平穏を守る。そのために、数百年に一度、エルフの中から一人、選ばれる」


 数百年……あ、そっか。エルフの寿命、三百年くらいあるんだったっけ。なら、それだけ長い期間が空くのも当然か。


「聖女に選ばれるのには、一つ条件があってな。それが、これだ」

「これ? どれですか」


 そう言って師匠は、お茶碗を傾けてご飯を掻き込むジェミニちゃんの顔を示した。しばらくの間まともな食事を取っていなかったらしい彼女は、久しぶりの食事をとても美味しそうに頬張っている。ちょっと行儀の悪い部分もあるが、まあ、今日だけは特別大目に見よう。

 師匠に指を差されたことに気付いたジェミニちゃんは、不愉快そうに目線を逸らした。薄汚れたフードの下で、左右異色の瞳が横に流れる。

 口いっぱいに頬張ったご飯をもぐもぐして、味噌汁で流し込む。そしてまた、ご飯を掻き込む。彼女はずっとそれを繰り返している。


「……まさか。オッドアイ?」


 私の言葉に、食事中のジェミニちゃんがピクリと反応した。どうやら正解のようだ。

 そう、なのか。彼女の瞳に、そんな秘密が。……いや、そうなると、私も一応、その『聖女』とやらに選ばれる可能性がある、のか? まさか、私も聖女になるのが嫌でどこかから逃げ出してきた、とか……。

 そんなことを考えていると、師匠は私の思考を先回りして説明してくれた。


「ま、簡単に言えばそうだ。どちらかというと、色が関係している。こいつのように緑と金の瞳を持って生まれた者は、成人すると次の聖女に選ばれる。一度聖女になれば、次の聖女と役目を交代するまで、森から出ることはできない。そして大抵の場合、聖女が交代するのは、前任の聖女が寿命を迎える間近だ。精々、数ヶ月前くらいだったか」


 隣の次期聖女を見ながら、淡々と説明する師匠。そこに、口の中を空っぽにしたジェミニちゃんが、暗い声で付け足した。


「……それだけじゃないわ。聖女になったら、五感のうち、どれか一つを失うの。だから、耳が聞こえなくなったり、味を感じなくなったりするのよ」

「え……そんな」


 なんて、酷い。聖女になると、耳が聞こえなくなる? そんな、あんまりだ。体の感覚を犠牲にしてまで森を守らなくちゃいけないなんて。周りのみんなが当たり前に持っている感覚を感じられない、共有できないなんて。

 私がショックを受ける中、ジェミニちゃんの説明は続く。


「……今の聖女様は、触覚を失った。だから、体を動かすことができなくなって、ずっと寝たきりなの。私は、そんな風になりたくない」

「そ、そう、なんだ……」


 彼女の言葉には、暗い感情が宿っているようだった。


「聖女なんて、ただの生贄よ」


 生贄、か。確かに、今の彼女の説明だと、そういうように理解できる。感覚の一部を差し出して森を守る。それは間違いなく、贄と呼ばれる類のものだ。


「私達エルフは、もうとっくに自分の力だけで生きていけるわ。いつまでもあんな古臭いしきたりに従って……何がエルフの血よ。何が妖精様よ。クソッ、あのジジババ共……人間の老人みたいに、ヨボヨボシワシワになればいいんだわっ!」


 箸を置いたジェミニちゃんは、呪いの言葉と共に胸の内を吐き捨てた。どうやら彼女は、自分が聖女になりたくないだけではなく、聖女というしきたりそのものを嫌悪しているようだ。


「あなたみたいに、聖女のことを知らないエルフだっているっていうのに。この時代にエルフだけの里を作るなんて意味ない。馬鹿げてるのよ……」

「い、いや、私の場合は事情があって……さっき、師匠に聞いたでしょ」

「ふん、そんなの関係ないわ。どうせ里の外で生まれた人は、エルフに限らず、こんな馬鹿げたしきたりのことなんて知らないんだもの。あなたも一緒よ」

「そ、そう……」


 彼女の剣幕に押されて、私は一度食事の手を止めた。

 ……聖女、か。こんな女の子が百年以上もの間、ずっと寝たきりにならないといけないなんて。とても可哀想だし、このしきたりを許せない彼女の気持ちもわかる。でも、そんなしきたりが存在しているのには、それ相応の理由があるはずだし、無暗に否定はできないけど……。


「……はぁ。ごちそうさま。ありがとう、アドレ。お腹いっぱい食べたのなんて、何年ぶりかしら……」


 え、何年ぶりって……この子、いったいいつからこんな生活をしてたの?

 耳を疑うようなジェミニちゃんの言葉に、師匠は箸を止め、遠慮がちに尋ねた。


「あー、ジェミニ。一応聞いておくが、お前、里を抜け出したの、いつだ」

「あんまり覚えていないけど……十年は経ったんじゃない? あれ、もっと、前だったかな?」

「……そうか。ってことは、昨日の話はこいつのことか……」


 師匠は何事か小さく呟いたが、その後大きな声で勘定を頼んだので、すぐに忘れてしまった。


 昼食の後は、昨日と同じようにお風呂だ。ジェミニちゃんはしばらく体を洗っていなかったらしく――体を洗えるのは雨の日だけだったらしい――今まで言わなかったが、結構臭う。髪の毛だってボサボサだ。なので、私も一緒に入って、綺麗に洗ってくれと言われた。


「ジェミニちゃんと一緒に、ですか。まあ、別にいいですけど……」

「そうだ。俺は一緒に入れんからな。頼んだぞ」


 昨日のように混浴に入れられるのでなければ、構わない。だけど、当のジェミニちゃんは不満げだ。


「えー、やだ。アドレと一緒がいい」

「駄目だ。ジェミニ。俺は、お前とは一緒に入れない」

「うぅ、でも……」


 むすっとするジェミニちゃんに、入れない、という言葉を再度強調する師匠。どうして彼女は、そんなに師匠と一緒に入りたいのだろう。私のことを目の敵にしているからだろうか。いや、それより、男の人に体を見られることが恥ずかしくはないのだろうか。

 そんなことを考えながら、彼女の様子を見守る。しばらくして、彼女は諦めたように頷いた。


「……わかった。我慢する」

「よし、偉いぞ」


 そんな会話をする二人は、完全に父親と娘だった。

 ようやく話がまとまり、私達は四人で、町の一番上にある温泉屋さんに向かった。師匠達は普通に男湯に入って、私とジェミニちゃんは、昨日も入った役場の人専用のお風呂に入れてもらうことにした。


「昨日の札はまだ持ってるな? じゃ、終わったらあそこの休憩室で待ち合わせだ」

「わかりました。じゃあ、また」


 師匠に示された場所をチラリと見やり、記憶する。昨日は気にしていなかったが、ここには休憩するための部屋まであるようだ。牛乳やら温泉饅頭やらが売っている。もっと早く知りたかった。


「じゃ、行こう。ジェミニちゃん」

「……うん」


 番頭さんに桶とタオルをもらい、ジェミニちゃんを連れ立って、昨日の露天風呂に行った。何度もここを使わせてもらって申し訳ないけれど、イェージャさんからの好意なのだし、ありがたく受け取っておこう。

 お風呂場に着き、脱衣所で服を脱いでいく。私はなんとなく気になって、ジェミニちゃんの様子を見た。

 上着を脱いだ彼女は、その下に白色のワンピースを着ていた。けれど、やはりそれもボロボロで、所々黒く汚れていたり、穴が開いたりしている。体を綺麗にした後は、服も洗うか換えたほうがいいだろう。

 そんなことを考えていると、私の視線に気付いたジェミニちゃんが、こちらを睨んできた。


「な、なによ」

「いや、別に。服、新しいのにしたほうがよさそうだなって」

「よ、余計なお世話!」


 考えていたことを素直に言うと、何が気に入らなかったのか、彼女はそっぽを向いてしまった。なんだか、よくわからない子だ。

 あまり見つめ続けるのも悪いと思って、視線を外し、私も服を脱いだ。そして、温泉に向かっていたジェミニちゃんに声をかける。


「ちょっと待って」

「何よ! さっきから鬱陶しいわね!」


 先ほどのこともあってか、ジェミニちゃんはこちらに見向きもしない。どうやら私は嫌われてしまったようだ。そんな彼女の腕を掴んで、引き留める。


「駄目。先に体を洗わないと」

「それくらい別にいいじゃない。私は早く入りたいのー!」

「だから、駄目だって。ほら、こっち来て」


 じたばたと暴れるジェミニちゃんを後ろから羽交い絞めにして、温泉から引き剥がす。師匠が私を一緒にした理由が分かった。エルフの里ではどんな生活をしているのか知らないが、お風呂のマナーも何もあったものではない。

 とりあえずジェミニちゃんをお風呂場まで連れてきて、自由にする。そして私は、目の前の椅子を示して言った。


「ほら、ここ座って。洗ってあげる」

「だ、誰があんたの言うことなんか……」


 振り返った彼女の表情が、固まる。目が合う。その口がパクパクと動く。


「あ、あんた……その目」

「え?」


 驚いて言葉を失うジェミニちゃん。そこで、私はようやく気付いた。そういえば、私はまだ、彼女に自分のことを説明していなかった。


「あ……そっか。まだ、話してなかった、ね」


 別に、秘密にしておきたかったわけではない。彼女が師匠にべったりだったので、言うタイミングをすっかり失ってしまっていただけだ。

 自分の瞳をジロジロ見られ、視線を外す。こういう風に見られるのが嫌だから、眼帯をしていた。でも、相手も同じオッドアイだから、今だけはそんなことを言っていられない。


「……私もね、オッドアイなの。なんか、他の人には珍しいらしくて、周りからすごい見られるから、普段は、隠してるんだ」

「……そう」


 私の言葉を聞いて、ジェミニちゃんはようやく視線を外した。その顔からはあまり多くのことを読み取れないが、なんとなく、申し訳なさそうにしているように見える。

 そんなジェミニちゃんに向かって、私はあえて明るい調子で言った。


「さ、とりあえず、そこに座って。体を綺麗にしてから、お風呂入ろ。そのほうが気持ちいいよ」

「……うん」


 私の秘密を知ったせいか、彼女の態度は、先ほどよりも随分と丸くなっていた。


 体を洗うのは彼女自身に任せて、私は頭と背中を洗ってあげた。髪をお湯で濡らして、頭を石鹸の泡だらけにする。十年以上も町の路地で生活していたというだけあって、その汚れや臭いは中々落ちなかった。何度も石鹸を換えて洗い直して、ようやく髪の毛に艶やかさが戻ってきた。

 そうして体を洗っている間、彼女は少しずつ、自分のことを語り始めた。


「私、十年もずっと、ここにいたわけじゃないの。逃げ出した後に辿り着いた町にしばらくいたけど、泥棒がばれて捕まりそうになったから、また逃げて。次の町でも同じことを。で、ここなら泥棒してもあまりバレなかったから、この町に居つくようになったの」

「そう、なんだ」


 彼女も彼女で、生きるのに必死だったのだ。でも、聖女になるという決められたルールから逃れた代償は、大きかった。


「私……里に、好きな人、いたの。でも、聖女になったら、結婚もできなくなる。それが嫌で、逃げたの」

「そう、なんだ。その好きな人とは、一緒じゃなかったの?」

「……うん。私も彼も、里のことは嫌いじゃなかった。ただ、聖女なんてしきたりが理不尽で、嫌だっただけ。里から逃げる手伝いはしてくれたけど、結局、一緒には行けなかった。私も、できればこんなことはしたくなかったし……」

「……そっか」


 それはとても、悲しい話だった。同情する。でも、そんなことを言うと逆効果になることはわかっていたので、私は相槌だけして、彼女の髪を洗っていた。


「でも、もう、十年も経っちゃった……」


 ジェミニちゃんの顔が暗く沈む。もうどうしたらいいのかわからない、というような声色だ。だから師匠に会った時、あんなにも喜んだのだろう。今日、ようやく自分を助けてくれそうな人を見つけて、嬉しかったのだ。

 十年、か。私は十年どころか、まだ一年も生きたという記憶がない。だから、彼女がどれだけ辛い思いをして今を生きているのか、わからない。それまでの平穏な暮らしを離れて、犯罪に手を染めなければ生きていけない世界に身を投じて。そんな生活を十年以上ずっとしてきた彼女に、どう声を掛けたらいいのか。私には、わからなかった。

 お風呂場が暗い静寂に包まれた時、不意に、脱衣所の方から声がした。


「あらぁ。お客さんなんて珍しいわねぇ」


 このおっとりとした調子の声には、聞き覚えがある。この町の町長、イェージャさんだ。ここは彼女専用の温泉なのだから、あの人が来るのも当然だ。


「あ、イェージャさん? すみません。お風呂、お借りしてます」

「あら、いいのよぉ。好きに使ってーって言ったのは私なんだしぃ」


 顔を出し、うふふと笑うイェージャさん。そんな彼女に向かって、怯えた声を出すエルフが一人。


「な、り、竜の魔女!? どうしてここに……!!」


 ジェミニちゃんだ。彼女は、自分の身体を庇うように身を小さくして、私の後ろに隠れた。


「えっ? 知り合い?」


 前と後ろにある二人の顔を見比べて、戸惑う。


「どうしても何もないわよぉ。泥棒猫さん。ここは、私専用の温泉なんだからぁ」


 そう言いながら、服を脱ぎ終えたらしいイェージャさんが温泉に入ってきた。湯けむりの向こうの裸体を見て、私は、顔を赤くして視線を外した。一つ、深呼吸。目の前のアレ・・が常識の範囲内かどうかを、頭の中で検証する。

 ……やめよう。これは、まともに考えたら駄目な類の命題だ……。

 彼女は、とても凄いものをお持ちだった。何がとは、言わないが。


  ◇  ◇  ◇  ◇


「……えと、その……凄い、鱗ですね」

「そーお? これくらい普通だと思うけどぉ」

「そ、そうですか……」


 二分後。イェージャさんの登場によってひと騒動あったものの、私達は三人で列になって、互いの背中を洗いっこしていた。イェージャさんの背中は綺麗な白い肌だったが、脇腹から腰辺りには、美しいオレンジ色の鱗が並んでいた。そういえば彼女は竜人だったなと、これを見て思い出す。


「さ、触らないほうがいいですか……?」

「ん、いいやぁ。むしろ、綺麗にしてくれると助かるわぁ」

「わ、わかりました」


 大人の人の背中に緊張しながら、遠慮がちに鱗に触れて、ゴシゴシ洗う。人の鱗に触るのが初めてだというのもそうだが、先ほど見たもののことが、中々頭から離れてくれなかった。

 ……うぅ、あんなもの見せられたせいで、自分が女だってことを意識して、変に、気になっちゃう……。


「う、うぅう……」


 私の後ろでは、場所を変えたジェミニちゃんが私の背中を洗ってくれていた。だが、その手は小刻みに震えている。そんなにイェージャさんのことが怖いのだろうか。さっきは彼女のことを魔女と呼んで怯えていたが、以前に彼女と何かあったのだろうか。


「……あの、イェージャさん」

「なぁに?」

「竜の魔女って、なんですか?」


 先ほどジェミニちゃんが放った言葉だ。気になったので、聞いてみる。


「それねぇ。多分、称号みたいなものよぉ」

「称号、ですか。それってやっぱり、凄いんですか?」

「さぁ? 私は別に、気にしたことないからぁ。周りが勝手に呼んでるだけよぉ」

「は、はぁ……」


 いつもの間延びした調子を崩さないまま、彼女は答えた。この人はあんまりこだわっていないようだが、そんな称号で呼ばれるということは、やっぱり凄いのだろう。色々と。そう心の中で自分を納得させる。

 背中を洗い続けていると、今度はイェージャさんのほうから質問してきた。


「ところで、レイラちゃん。そこの子猫さんとはどういう関係?」

「えっ? あ、ジェミニちゃんのことですか?」


 私が名前を出すと、背後から、ひっと小さくしゃくり上げる声が聞こえた。やはり、この二人はあまりいい関係ではないのだろう。変なことを言わないよう気を付けながら、イェージャさんに話す。


「えと、師匠の知り合い、みたいです。詳しいことは、知らないんですけど……」

「そう」


 イェージャさんの反応はそれだけだった。

 その後、私達は反対を向いて、今度は私がジェミニちゃんの背中を、イェージャさんが私の背中を洗った。ジェミニちゃんの背中は、カイやイェージャさんと比べるととても小さくて、多少の傷や痣があったものの、とても綺麗だった。

 泡を綺麗に洗い流して、ようやく温泉に浸かる。その時の並びもやはり、イェージャさん、私、ジェミニちゃんの順だ。ジェミニちゃんは頑なに、イェージャさんに近付くのを拒否していた。


「それにしても、驚いたわねぇ」


 三人で肩を並べながら景色を眺めていると、唐突にイェージャさんが言った。


「え? 何がですか?」

「あなたの目よぉ。オッドアイだったなんて。どうして隠してたのぉ?」


 どうやら彼女も、私の目を見て驚いていたらしい。いつもの緩い笑顔が崩れなかったので気付かなかったが、やはり、オッドアイというのは彼女でも驚くくらい珍しいようだ。


「あ……はい。そんな風に、驚かれるからです。その後、決まってジロジロ見られるので。それなら、眼帯で隠して、怪我とか病気とか言われたほうが、ましです」


 フィキさんとの初対面の時、私は彼女に変な顔をされた。その後も、町で見られるたびに驚かれ、珍しがられ、注目される。だから、眼帯で隠した。フィーンでおじいさんに言われたこと。今日、この町のお兄さんに言われたこと。そっちのほうが、まだましだったから。……昨日、カイに言われたことも、私の記憶に刻まれている。

 ……その目で見られると、落ち着かない、か。そうだよね。みんな、そう思うよね……。


「そう。でも、あなたの左目って――」


 彼女はそこまで言うと、何かを思い出したようにハッと口を閉じた。左目、という言葉に、反応して、ピクリと耳が動く。


「え? ……あ。もしかして、師匠から何か聞きました?」


 昨日、師匠と二人になった時に聞いていたのだろうか。私の左目、義眼のことを。そう思って尋ねたけれど、彼女は首を振って、


「いいわ。なんでもない」

「……? そう、ですか」


 首を傾げつつ、私は目の前の景色に目を戻した。昨日よりも時間が早いからか、空はまだ青い。どこまでも続いている青空を白い雲がゆっくりと流れていくのを眺めながら、私達は、身も心も温泉に温めてもらった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 番頭さんに軽く頭を下げて休憩室に向かうと、二人は既にそこにいた。カイはいつも通りの顔をしていたが、師匠は椅子に座って背もたれに体重を預け、まるで体が溶けたようにぐでーっとしていた。


「お、戻ってきたな。なんだ、お前ら。また髪から湯気立たせて。ちゃんと拭いたのか?」


 私達二人のホカホカした頭を見た師匠は、体勢を戻しながら言った。


「ちゃんと拭きましたって。後は自然に乾くまで、待たないといけないんです」


 髪が短い師匠にはわからないのだろう。女の子は色々と大変なのだ。まあでも、いちいち目くじらを立てるつもりもない。男女の細かな違いというのは、経験してみないとわからないことだ。


「おう、綺麗になったな、ジェミニ。やっぱり女の子はこうでないと」

「あ、ありがと……」


 師匠に褒められて、ジェミニちゃんは照れたように視線を逸らした。その頬は、ほんのりと赤い。長く温泉に浸かっていたせいではないのだろう。その気持ちはよくわかる。昨日の私が、ちょうどそんな感じだったから。

 彼女は私の服の裾を掴んで、顔を隠した。その行動は、私がアケルでフェニさん達と一緒にいた時と少し似ていた。

 ……なんか、師匠以上に懐かれちゃったな。オッドアイだっていうことを話したからか。悪い気はしないけれど、ちょっと、慣れない。


「やぁん、アドレったら。また子猫ちゃんを口説いちゃってぇ」


 私達の背後から、イェージャさんが姿を現した。その口調はいつも通りだったが、どこが非難するような感じが入っていた。


「なんだ、お前も一緒だったのか。イェージャ」

「なんだじゃないわよぉ。またこんな猫ちゃん拾って。いったいどうするつもりなのよぉ」

「しょうがねぇだろ。里には帰りたくないって言うんだし。何とかしてやりたい。ああ、そうだ。そのことで一つ相談したかったんだ。お前なら、どうする」


 師匠に尋ねられたイェージャさんは、考える素振りも見せずに即答した。


「私なら、とりあえず箱に詰めて里に送り付けるけど」


 ついに猫扱いもされなくなったジェミニちゃんが、私の腕に顔を埋めて呟く。


「……やだ。帰りたくない。聖女にされる」


 う、ううん……まあ、言いたいことはわかるけど。聖女にされるとは。あまり聞かない言葉だ。


「だってさ」


 師匠は困り顔だった。隣のカイは素知らぬ顔。『俺には関係ない』を貫いている。


「そう。でも、本人の意見なんか聞く余地あるの? 子猫ちゃんが聖女にならなかったら、あの森はお終いよ」


 イェージャさんはあくまでも、自分の意見を変える気はないらしい。

 師匠は困った顔のまま、ひとまずの答えを出す。


「はぁ。わかった。しばらくは俺らのところで預かる」

「そ。ま、好きにしたらいいわ。この子猫ちゃんを拾ったのはあなたなんだし」


 イェージャさんは肩をすくめて師匠に言った。


「私は見なかったことにするわ。でも、猫ちゃんの面倒はちゃんと見てよね」


 そう言い残して、イェージャさんは立ち去った。

 そういうわけで、今日から私達は、ジェミニちゃんと一緒に生活することになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ