第二十話 少女の約束
「放して! 放せええ!!」
「はっ、はっ、うぅううう!! ああああ!!」
「あああぁ!! あ、があああ!!」
「嫌ぁ!! いやあぁああ!!」
「いだいよぉ!! うわあああ!!」
周囲を石で囲まれた地下室に、子供達の悲鳴が木霊する。ベーラちゃん、サス君、イスリゴ君、カトナちゃん、フリック君。ついこの間まで元気にはしゃいでいて、そして、違法薬物に犯されていた、五人の幼い子供達。
彼らは今、普段は犯罪者の治療に使われる地下室の、大きな牢屋の中にいる。牢の中にはベッドが五つ並べられ、その一つひとつに寝かされた子供達は、体を鎖とベルトで縛り付けられていた。だが、彼らは薬物を求めて体を無茶苦茶に動かし、鎖を引きちぎって暴れたり、それを抑えようとする医師達を傷付けたりしていた。
「みんな……」
変わり果てた子供達を見ながら、私は牢を仕切る檻を掴み、呟く。背後には師匠とカイが控えていて、隣には昨日の老医師がいる。師匠との話が終わった後、私は師匠に無理を言って、ここに連れてきてもらったのだ。
苦痛に満ちた子供達の叫び声を聞いていると、心が痛くなる。あの子達を助けてあげたい。その苦しみを取り除いてあげたい。でも、私にはそれはできない。あの子達は今、薬物の禁断症状と必死に戦っているのだから。
医師達が鎧なんていう大層なものを身に着けていた理由がわかった。ミクサーであるあの子達は、みんな普通の人よりも力が強い。それを抑え込むには、鎖や革のベルトだけでは不十分なのだ。
「くそ、鎮静剤を、早く!」
「こっちにもくれ! うわっ!」
「出血が……止血剤はまだか!」
「放せぇええ!! いやだああ!!」
完全防備の医師が二人がかりでイスリゴ君の片腕を押さえつけ、血管に注射針を打ち込む。鎮静剤を打たれたイスリゴ君は、しばらくすると意識を失い、ぐったりとする。
注射をするのも命懸け。医師達はこの子達のために、昨夜からずっとこれを繰り返していたのだ。
「はぁ、はぁ、気を抜くな、急げ。しばらくするとまた暴れ出す。今のうちに鎖を新しいものに変えるんだ」
千切れた手枷を交換し、再び四肢を拘束。それだけでは飽き足らず、全身をベルトでグルグル巻きにする。その後、注射から五分と経たないうちに、イスリゴ君は目を覚ました。その途端、ベッドがガタガタと揺れ、ベルトの留め具がいくつか弾け飛んだ。バチンという大きな音に、思わず息を呑む。
「ひっ、あ……」
そんな私に、傍らの老医師、マルト先生が静かに言う。
「これが、現実じゃ。お主が助けた子供らのな」
「そんな……」
私、あの子達のためにって思って、助けたのに。これじゃあ、助けなかったほうがよかったみたいじゃないか。こんなことになるなら、あの男に利用されていた時のほうが、よっぽど……。
良かれと思ってやった自分の行動が裏目に出て、ショックで膝をつく。その間も、檻の中では必死の医療行為が続けられている。
「私……こんな、つもりじゃ……」
「お主のせいではない。あの子らは薬に侵されすぎていた。薬物を完全に断ち切るには、これは必要なことなのじゃ」
私の頭の上から、老医師は続けた。
「あの子らが飲んでいた薬は、そこらで売られているものより数十倍濃度が濃い。精製した薬の原液を、まったく希釈していないのじゃ。そんなものを一日に十錠以上投与されていたあの子らには、通常の治療も、魔法も、まったく効果がない。薬の効果が完全になくなるまで待つ以外に、方法はない」
「っ……」
知らなかった。あの子達が飲んでいたあの薬の恐ろしさを。
「儂は、違法薬物に犯された者を多く見てきた。この子らが助かるかどうかは、子供ら自身が持つ体力と精神力次第じゃ。お主の役目は、あの子らをここに連れてきた時点で終わったのじゃ」
「でも……」
顔を上げ、先生を見上げる。私にも、あの医師達の手伝いくらいできるはずだ。私も協力したい。あの子達は、私が連れてきたのだ。私には、あの子達を助ける責任がある。
しかし、先生は断固として首を縦に振らない。
「駄目じゃ。これはあの子ら自身の戦いじゃ。誰にも手出しはできん。それに、今はお主も怪我人なのだ。まずは自分の体を治してからにしなさい」
「そんな。私のことなんて、どうでもいいんです。だからっ、あの子達のために、私も……」
どうせ、こんな怪我はそのうち治る。アケルで大怪我した時もそうだった。そう言ってやろうと思い、立ち上がる。だが、体重を預けた足が途端に痛み始め、私はそれ以上動けなくなってしまった。
「う、くぅ……」
「だから駄目じゃと言っておろうに。今日の面会は終わりじゃ。連れて行ってあげなさい」
先生の言葉に師匠が頷く。彼は、檻に寄りかかって体を支える私の腕を掴み、
「ほら、行くぞ。レイラ」
「……はい」
そのまま師匠に腕を引っ張られて、私は渋々地下室を後にした。私の頭には、禁断症状に犯された子供達の悲鳴が残り続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇
二日が経った。ギプスを外してもらった。たったの二晩で、三本の肋骨を折った私の体は完全に元通りになり、先生と師匠を驚かせた。やはり、私の体はどんな怪我でもすぐに治ってしまうようだ。経験豊富なマルト先生ですら、驚きを隠せていなかった。そのことがちょっとだけ嬉しい。
しかし、私の怪我が完治した一方、地下室の子供達はベッドに縛り付けられたままだ。年単位で高濃度の薬物に犯され続けていた彼らの体は、異常なまでの禁断症状に晒され、苦痛を味わい続けていた。この町の医師達が総出で処置を続けてくれているが、子供達はまだ、アレが欲しいアレが欲しいと口にしては、ベッドの上で暴れ、挙句の果てに、ようやく効くようになってきた魔法で強制的に眠らされていた。
いつになったら、みんなは正気を取り戻してくれるのだろう。あの笑顔を見せてくれるのだろう。また、あの子達と遊びたい。かくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたりしたい。だから、早く良くなってほしい。
子供達との面会は一日に一度、十分間だけ。それ以上は許してもらえなかった。しかし私は、義眼を使って四六時中子供達のことを見張っていた。あの時の師匠の言葉が頭から離れず、私が目を離した途端に彼らの命が消えてしまうのではないかと、心配で心配で仕方がなかったから。
その日の朝食を食べ終わった後、今日も師匠とカイがお見舞いに来てくれた。
「よう、レイラ。またお前、あの子達のことを見てたのか」
「え、はい、まあ……」
師匠の言葉に、驚く。確かに私は、今も義眼を使っていた。でも、目が覚めてからは常に眼帯をしている。外からは見えないはずなのに、なぜわかったのだろう。
「どうして、わかったんですか」
「そりゃあ、お前がずっと上の空だったからだ。いつもなら、俺らが来たらもっと嬉しそうな顔をするじゃないか。少しはこっちも見てくれよ」
「み、見てますよ。私は大丈夫です」
まるで私が現実を見ていないかのような言い方に、少しムッとする。けれど、師匠はどこか悲しそうな表情を浮かべていた。
「……それより、今日はお前に伝えておかないといけないことがあって来た。今後の旅の予定を決めたぞ。明後日にはこの町を出る。お前の怪我がすぐに治るから、待つ必要がなくなった」
「あ、そうですか……」
師匠の言葉に、私はハッとした。そろそろだとは思っていたが、そうか。もう、行かないといけないのか。この町に来てから、もうそんなに時間が経ったんだな……。
明後日ということはつまり、あの子達と会えるのは、後二日しかない。その間に正気を取り戻してくれるのかどうかは、わからない。あの子達の回復力を信じるしかない。
地下の子供達は今、魔法で静かに眠らされている。それも、ある意味では症状が落ち着いてきた証拠だった。最初のほうは魔法すら効かず、通常の薬の効果もほとんど用をなしていなかったらしい。子供達が飲まされていた麻薬には、魔物から抽出した成分が使われていたようで、魔法を受け付けなくなる効果があったようだ。
再び子供達のことを見始めた私の意識を戻すように、師匠が少し大きな声で言う。
「そういうわけだ。お前も、覚悟を決めろ。旅を続けていれば、こういうこともある。別れは避けられない。特に、俺達みたいな仕事ではな」
「……はい。わかり、ました」
師匠の言葉に、頷く。私も成長している。こんなことで駄々をこねるようなことはしない。でも……あの子達と笑顔でお別れができないのは、とても、辛かった。
その日の午後。昼食後に十分間だけ、私は子供達と直に会うことができた。といっても、彼らは魔法で眠らされているので話はできない。顔を見るだけだ。
栄養剤の注射と回復魔法のおかげで、子供達は着実に元気になっていた。だけどやはり、まだ薬を求めて暴れてしまうので、こうして無理矢理寝かせないといけない。
そんな説明をマルト先生からされた後、私は先生と一緒に、地下室に入った。
「……みんな」
地下室は静かだった。この間まで子供達の叫び声で満ちていたというのに、彼らは今、寝息すら立てずに眠っている。その変わり様を肌で感じながら、牢屋の中で眠る子供達を見る。
「……鍵を、貸してください」
先生にお願いして、牢屋の鍵を貸してもらう。鍵を開けた私は、まずベーラちゃんが寝かされているベッドの横にしゃがみ込んだ。
ベーラちゃん、サス君、イスリゴ君、カトナちゃん、フリック君。夢も見ない魔法の眠りに落ちている、可哀想な五人の子供達。
額から足首まで、全身を拘束する頑丈な革のベルト。四肢を縛り付ける枷と鎖。だが、彼らが死に物狂いで暴れれば、こんな拘束はいとも容易く引き千切られてしまう。そのことを、私はよく知っている。
……みんな、よく眠っている。可愛い寝顔だ。
みんながこのように眠っていればまったく害はないのだが、いつ目を覚ましてまた暴れ出すのかわからないので、この拘束を外すことはできないらしい。
「……ごめんね、みんな」
こんな拘束されて……やっぱり、苦しいよね。嫌だよね。でも、ごめん。私には、これを解くことは、できないの……。
ベーラちゃんの額をそっと撫で、髪の毛を整える。その時、彼女の目元がピクリと動き、思わず身構えた。けれど、ベーラちゃんの目が開くことはなかった。そのことにホッとすると共に、どこか悲しい気持ちになる。私はいつの間に、この子達のことを怖がるようになってしまったのだろう。
自分の心の変化が悲しい。そして、ふと思った。この子達は今、あの男の所にいた時よりも、本当に幸せなのだろうか。
……考えたくない。
頭を振ってその疑問を捨てた私は、子供達一人ひとりのベッドを回った。
軽く顔を撫でながらごめんねと謝って、また一緒に遊ぼうね、早く元気になってね、と当たり障りのない言葉をかける。私はここにいるよ、傍で見守っているよと伝えるために。
そして最後、フリック君のベッドの傍にしゃがんだ時、マルト先生が言った。
「そろそろ時間じゃ。出てきなさい」
「わ、わかりました。すぐ行きます。この子で最後ですから。先生は先に、行っててください」
私が慌ててそう言うと、先生は少し難しい顔をしたが、頷いて地下室から出ていった。あのおじいさん、表情が固くてちょっと怖いけど、こういうところは優しかった。
「……フリック君」
いつもみんなから何かと頼られていた、子供達のリーダー。五人の中で一番背が高く、一番賢い。責任感のある男の子。私のことを見てちょっと照れていた、思春期な男の子。
「フリック君、いつも、頑張ってたよね」
ふと、初めてこの子達に出会った時のことを思い出す。あの時彼らは、私が現れた途端、みんな怯えた表情で私のことを見ていた。だけど、リーダーであるフリック君だけは、まるで他の四人を庇うかのように、一番前で私のことを睨んでいた。そうやって改めて考えると、一つのことに気が付く。
……ああ、そうか。フリック君はいつも、仲間のことを守っていたのか。
マルト先生からは、このフリック君の怪我が一番酷かったと聞いていた。新しい傷も古い傷も、彼だけは桁違いに多かったらしい。それは多分、この子が大人達の理不尽な暴力から、他の子達を庇っていたからだ。優しくて仲間思いのこの子は、一人でずっと耐えてきた。誰にも頼ることができずに。
「……ごめんね。私、ずっと気付かなかった。みんなが苦しんでることに。みんな笑顔で、元気に遊んでたから、みんなは大丈夫なんだって、勝手に信じてた。考えてもなかった。あいつに、とっても辛いこと、嫌なことをずっとされていたのに、私……」
無意識のうちに出てくる謝罪の言葉。目頭が熱くなり、涙に視界が霞む。今更こんなことを言っても、どうにもならないことはわかっているのに、それでも私は謝り続けた。
「本当に、ごめん。私、早くみんなに、直接謝りたい。もっともっと楽しいことをしたい。またあの時みたいに、一緒に遊んで、いろんなお話がしたい。だからみんな、早く、元気になって。お願い……」
掛布団の端から出ていたフリック君の手を両手で握り、私は床に涙を零した。フリック君の右手はちゃんと温かかったが、まったく力が入っていない。まるで人形みたい。
もしこの子達がこのまま目を覚まさなかったら、私はこの子達に謝ることもできずに、お別れしなきゃいけなくなる。それは、嫌……。私は絶対、この時のことを後悔するだろう。
――その時、両手の間にあるフリック君の指先が、ピクリと動いた。
「……お、ねえ、さん……?」
かすかな声。しかし、はっきりと聞こえた。私を呼ぶ声。
はっと息を呑み、顔を上げる。ベッドの上では、両目を開けたフリック君が、首を回してこちらを向いていた。
「あ、ああ。フリック君!!」
フリック君の意識が戻ったことに驚き、大きな声を出してしまう。しかし、フリック君は特に気にした様子もなく、私に尋ねた。
「おね、さん、ここ、どこ……?」
その声は、酷く掠れていた。でも、確かにフリック君の声。薬を求める恐ろしい叫びじゃない。間違いなく、彼自身の言葉だ。
私は目から大粒の涙を流し、額のベルトを外しながら答えた。
「ここは、病院だよ。大丈夫、もう何も怖いことはないよ。みんなも一緒にいる」
「ほん、とう?」
「うん、本当だよ」
私がそう言い聞かせていると、他のベッドからも続々と声が聞こえてきた。みんなが目を覚ましたのだ。
「おねー、ちゃん?」
「ど、こ?」
「うぅ、いたい……」
「けほっ、けほっ……」
久しぶりに聞いたみんなの声に、私の胸は、嬉しさでいっぱいになった。
「みんな、みんな……」
「……お姉さん、手、痛い……」
「あっ、ご、ごめんねっ」
フリック君に言われて、慌てて力を緩める。駄目だ、嬉しすぎて配慮ができていない。もっと気を遣ってあげないと。だってみんなは、三日ぶりに自分を取り戻したばかりなんだから。
でも私は、嬉しさのあまり、突然目を覚ました子供達に何をしたらいいのかわからなくなってしまった。とりあえず適当に、話題を楽しい方向に変えてみる。
「えと、みんな。お腹、空いてない? しばらく何も食べてなかったし……」
「う、ん……」
思案顔のフリック君はゆっくりと上を向いて、言った。
「温かい、ご飯、食べたい……」
同調する声がいくつか、いや、みんなから上がる。そう言われたら、持ってこないわけにはいかない。
「うん、うん。ご飯だね。わかった。じゃあ、持ってきてあげる。ちょっと、待っててね」
私は急いで立ち上がり、走って地下室を出た。出口にはマルト先生が仁王立ちしていて、時間を守らなかった私に避難げな視線を向けてくる。でも、今はそれどころじゃない。大きな声で先生に頼む。
「せ、先生! 先生!! 早く、ご飯!!」
「は? なんじゃ、急に。病院では静かにせんか」
「でも先生! あの子達が、目を覚ましたんです!! それで、温かいご飯が欲しいって! だから早く!!」
「なんじゃと!?」
私の言葉に、表情を崩して驚く先生。彼は近くにいた医師に何か指示を出すと、早速地下室へ向かおうとする。
そこにちょうど、ワゴンを押す看護師さんが通りかかった。患者さんへ出す病院食を乗せたワゴン。その一番上の段にある、湯気の立つお粥に目が奪われる。そう、ご飯だ。あの子達に持っていかなければ。
ワゴンからトレーとご飯を奪って、急いで今来た道を戻る。
「あ、ちょっと! 何するの!」
「こら、やめんか。食事は後でいくらでも用意するから」
「う、ご、ごめんなさい!!」
ごめんなさい。でも、お叱りは後でいくらでも受けるから。
先生と看護師さんに心の中で謝りつつ、私はお粥をこぼさないように気を付けながら、全速力でまた走った。
地下室は静かだった。ついさっきまで子供達の声が聞こえていたというのに、今、彼らのベッドは静かなままだ。もしかして、また眠ってしまったのだろうか。まあ、三日ぶりに正気を取り戻したのだから、そういうこともあり得るだろう。
そんなことを考えながら、開けっ放しだった檻の扉を潜り、フリック君の枕元に戻る。
「ご飯、持ってきたよ、フリック君」
返事はない。やはり眠っているようだ。看護師さんには、悪いことをしちゃったかも。
無理矢理持ってきたトレーを床に置く。そこでふと、フリック君の片手が布団の外に出たままになっていることに気付く。
あ……ちゃんと布団の中に入れておかないと、いけないよね。
そう思ってフリック君の手に触れた時、私は、違和感を覚えた。
「……あれ」
まるで人形のように、まったく力が入っていないフリック君の右手。それは、さっきよりも少し、冷たかった。
ドクン、と心臓が跳ねる。
「……うそ」
嫌な予感。冷や汗。心の中でそれを否定しながらも、奥歯を噛む。
急いでフリック君の額に手を当てる。……こっちも冷たい。次は、口元。……息をしていない。最後に、首筋に指を当てる。……脈は、感じられなかった。
「嘘……そんな、どう、して……」
呼吸が早くなる。嘘だ。こんなの。私は、信じない。左目には生命活動が停止していると出ているけれど、私はそんなの、信じない……!!
「そんなに慌てなくとも。いったい何を焦っておるんじゃ、まったく……」
マルト先生が地下室に入ってきた。傍らには数人の医師と看護師を引き連れていた。けれど私の耳に、その声は届かない。
「ふ、フリック君。目を、開けて。ねえ、お願い。お願いだから、答えて。目を開けて。何か、言ってよ。さっきみたいに。ねえ、ねえっ!!」
動かないフリック君の肩を揺する。最初は恐る恐る。でも、相手が無反応だとわかると、次第に強く。頭がガクガクと動くくらいに。
「……なんじゃ。どうしたんじゃ。やめんか!」
「フリック君! みんなっ!! ねえっ!!」
私がこんなに大声をあげているのに、他の子達も何も言わない。おかしいと思って、他の子のベッドに目を向ける。頼みもしないのに、義眼が勝手に解析を始める。呼吸がない。脈がない。私は、必死に首を振る。右の視界は霞んで何も見えないのに、機械の左目でははっきり見える。それが、嫌だった。
そんな、嘘だ。この目が壊れているんだ。こんなの、あり得ない。だって、折角みんな目を覚ましたのに。薬の力に打ち勝ったのに、こんな、こんなのって……。
フリック君の肩を揺すり続けているうち、先生に後ろから羽交い絞めにされた。耳元に冷静な声が一つ。
「離れるんじゃ」
「いやっ、放して!!」
叫びながら頭を振り、必死に抵抗する。数日前まで暴れていた子供達みたいに。
「いやっ、どうして……どうして、どうしてっ、みんなっ!!」
「心肺蘇生を、はよ!」
「は、はい!」
ベッドの拘束を解く医師達。呼吸、脈拍の確認。心肺蘇生。一回。二回。三回。医師達は、首を横に振っている。
なんで。嫌だ。違う。こんなの嘘だ。こんなの駄目だ。だって、まだあの子達は、救われてない。こんなのあっちゃいけない。あの子達は、まだ……。
「落ち着くんじゃ。こっちに来なさい。さあ!」
「いやぁ……やだぁ……あぁあああ!!!」
年老いた医師の腕に押さえつけられて、私は、大声で泣くことしかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
病院の裏庭に、涼やかな風が吹く。砂と髪が舞い上がり、足元の草木が静かに揺れる。そしてそれに釣られるように、手元の花もかすかに動いた。
目の前には、名前の刻まれた小さな石が一つ。つい昨日まではなかった、新しいものだ。
ベーラちゃん、サス君、イスリゴ君、カトナちゃん、フリック君。五人の名前が刻まれた、墓石。彼らは、この下に眠っている。
子供達が息を引き取って、もう二日が経った。今日はもう、私がこの町を出発する日だった。
「っ……」
唇を噛みながら石の前にしゃがみ、花を手向ける。白い花。名前は知らない。この裏庭に生えていたものだ。
……私、みんなのこと、助けられなかった。
「……ごめんね、みんな……」
頬を伝う涙を拭くこともせずに、謝る。今更謝っても、あの子達には伝わらない。でも、私は、どうしても謝りたかった。最期までみんなを、救えなかったことを。
「謝っても、あの子らのためにはならんぞ」
不意に、背後から声がした。ゆっくりと歩いてくる足音。振り返ると、白衣を着た初老の医師、マルト先生がいた。
「先生……」
「子供らの死を悲しむ気持ちはわかるが、静かに受け入れるのじゃ。お主にできることはそれしかない」
「でも……」
もっと早く助けることができていればと、後悔の念が消えない。お墓の前で、ただ涙を流す。
「先生……私、あの子達のこと、救えませんでした……」
無意識のうちに、声が出る。救えなかった。私は結局、何もしてあげられなかった。温かいご飯をあげるという約束さえも、私は間に合わなかった。あの子供達を助けると誓ったのに……。
私は別に、あの子達の人生を劇的に変えるなんて、そんな大層なことを望んだわけじゃない。ただ、あの子達が他の子供と同じように、安心して過ごせる日々が作れればよかった。薬物とか暴力とか、そんなものとは二度と関わらない生活を与えてあげたかった。そして、そのままみんなが大きく成長して、それぞれの人生を歩んでくれれば、それでよかった。そういう当たり前をあげたかった。なのに……。二種族の血を受け継いでいたあの子達には、最初からそれが不可能だったなんて。
……この世界は、残酷で、理不尽だ。
弱音を吐く私に、先生はゆっくりと言う。
「いいや。お主は十分、あの子らの役に立った」
「でも……」
「お主のおかげで、あの子らは薬の呪縛から逃れることができたのじゃ。最期、彼らはお主の言葉に答えたのだろう。ならば、あの子らは死の間際、薬物依存者ではなく、人に戻ったということじゃ。長年薬漬けだった彼らが、人として最期を迎えることができた。それは、他でもないお主のおかげじゃろう。お主が彼らを、薬物の呪いから解き放ったのじゃ」
私の目を見て、先生は続ける。
「忘れろとは言わん。逆に、絶対に忘れてはならん。もしお主が忘れたら、あの子供らのことを知るものはいなくなる。ただ、受け入れるのじゃ。死は避けられん。自分の死も、他人の死も。残された者にできるのは、受け入れて、前に進むことだけじゃ。さあ、顔を上げなさい、エルフの娘よ。あの子達はきっと、お主に感謝しておるぞ」
とめどなく涙が溢れてくる。先生のひと言ひとことが心に刺さる。
「先、生……ありがとう、ございます」
力強い励ましの言葉に、私は少しだけ気持ち軽くなったような気がした。でも、心の中にはまだ、あの子達への後ろめたい気持ちが残っている。
……私はきっと、あの子達には許されない。あの子達を薬物から切り離し、禁断症状の苦しみを味わわせたのは、この私なのだから。
その後、先生は子供達の墓を含め、裏庭に作られた、入る墓のない人のために作られた小さな墓石の前で、一回一回手を合わせた。それを見て、私は入院中になんとなく聞いた話を思い出した。この病院の院長であるマルト先生は、毎日欠かさずにここに来て、手を合わせているという話を。
……あの先生ならきっと、子供達にも毎日手を合わせてくれるだろう。私の代わりに、あの子達を弔ってくれる。それなら私も、少しは安心して旅に戻ることができる。
すべてのお墓を弔った先生は、その場でひと息吐いてから、来た道を戻り始めた。
「早く来なさい。外でお主の師が待っておる」
病院の中に戻っていく先生の背中を、見送る。私はしばらく子供達のお墓を眺めていたが、師匠を待たせていることを思い出し、ようやく立ち上がって踵を返した。
そうして一歩踏み出した時、突然強い風が吹き付けた。
「わっ……!」
辺りの草木が一斉になびき、髪の毛が舞い上がる。咄嗟に髪を押さえつけたその時、辺りを満たす草木のざわめきに交じって、
――おねえちゃん――
ハッとして、振り返る。そこにあるのは子供達の墓石。私が手向けた白い花。その背後に、かすかな靄が、人の形をした五つの何かが、確かに見えた。
「あ……み、んな……」
しかしそれは、瞬きした瞬間に消えてしまった。風が収まり、辺りは静寂に包まれる。子供達の形をした影は、もう見えない。
……あの子達、私に何かを、伝えたかったのだろうか。今なお子供達がそこにいるような気配を感じて、もう一度謝ろうとしたが、やめる。その代わり、
「……ありがとう」
それだけ言うと、私は子供達のお墓に背を向け、裏庭を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
「遅いぞレイラ。早く準備しろ」
病院の外に出ると、大きな荷物を背負った師匠が待っていた。その隣には、いつも通りカイが控え、同じく荷物を持っている。その顔に表情はないが、なんとなく、いつもより私のことを見てくれているような気がする。
ここ数日間はずっと入院していたので、旅支度はすべて二人に任せっきりだった。実を言うと、私は最初に泊まっていた宿にも、監禁された後一度も言っていない。だから二人には、そこに残してきた私の荷物を含め、色々と準備をしてもらっていた。
「すみません、師匠……」
支度を手伝えなかったことと、待たせてしまったことを申し訳なく思い、頭を下げる。
そんな私の頭の上に、師匠の手が乗った。そのままぐりぐりと強めに撫でられる。
「し、師匠、ちょっと……」
「馬鹿、何落ち込んでんだ。元気出せ。くよくよしてても、あいつらは報われない」
「……わかってますよ」
自分の荷物を背負いながら、師匠に反論する。
背中のリュックサックは、アケルを出る時よりも重たく感じる。食べ物や飲み物を多めに買い込んだのか、それとも、監禁からの入院という災難が続き、私の体力が落ちたからか。
……また、体を鍛えないといけないな。
「さ、気を取り直して、出発だ。次の町までは大体、二、三週間くらいかかるからな。覚悟しとけよ?」
「……はい」
師匠の言葉にとりあえず頷いて、私達は、町の出口に向かって歩き出した。辺りを見回して町の様子を見ながら、この一か月の間にあったことを思い出し、感慨に浸る。
……本当に、出発するんだな。ここでの滞在は三週間くらい。いつの間にか、そんなに時間が経っていたなんて。
この町では、色々なことがあった。楽しいことも、そして、悲しいことも。記憶の手掛かりになるようなことはあまりなかったけれど、沢山の思い出ができた。ここで起こったことを、私は一生忘れないだろう。
そうこうしているうちに、町の出口に辿り着いた。目の前に広がっているのは、終わりの見えないカラカラの砂漠。
「さあ、行くぞ。病み上がりにはちょっとキツイかもしれないが、砂漠の熱気にやられて、倒れるなよ」
脅かすような師匠の言葉。だが、私は不安には思わなかった。あの子達が受けた苦痛に比べれば、こんなもの。それに、こんなところで躓いてなどいられない。私の旅は、まだまだこれからなのだ。
最初の一歩を踏み出す直前、私は振り返って義眼を使った。もう一度、印象に残っている場所を見て回る。
碧く輝く美しい湖。師匠と鍛錬した場所。初めて子供達と会った空き地。私が監禁されていた物置の焼け跡。そして、子供達の亡骸が眠る、病院の裏庭。
……私、みんなのこと、絶対に忘れないから。
拳を握って決意を固め、私は、悲しい思い出を作った町、砂漠の中のオアシス、フィーンを後にした。




